前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

121.結婚式&披露宴へ③

2013-11-23 00:02:40 | 前頭側頭型認知症

結婚式場へ
新郎側、新婦側と分かれて、一人ずつ座ります。

控室に居た時から、
夫を間違いなく、余計な行動を取らせないように、私が夫に話す・夫の袖や肩を掴もうとすると、怒り始めていたので、次女が「私がお父さんを見るから、お母さんは離れて」と言うので、心配でしたが、離れていました。

次女は、認知症の父に時々、びっくりする程厳しい口調で、バシッと言います。
それに対して、夫は、私に対するような反応を見せません。
父親の顔になると言うのか、怒りもせず、黙って従います。

挙式の前に、親族紹介。
新郎側から始まります。
それぞれ、簡単に「宜しく」とか「宜しくお願いします」と短い挨拶です。

夫の番になりました。
突然、神前に進み出ようとし、娘に袖を掴まれ、
「ここでいいの!」「宜しくと言えばいいの!」と、制止しようとしました。
夫は、抵抗、「俺は〇〇の兄だ」と前に行こうとし、結局挨拶しないまま、私たちが「宜しくお願いします」と言い、夫を座らせました。

何故、前に行こうとしたか。
前日から、「俺は〇〇(甥の母・肺がんで亡くなった妹)の兄だ」と言っていました。親族の挨拶があることもわかっていました。自分が(親族の中で一番偉い、義理の兄だ、家長として、最初にしっかりと)挨拶すると言っていました。私はもしかして、変なことをするかも【上記の( 
)の内容を内心考えている】と予測していました。
「△ちゃん(甥)は、お父さんの甥だから、親族の紹介は△ちゃんのお父さんの◎さんの役だよ」と言っても、理解できないのか、納得していませんでした。

後は他の親族の挨拶と新婦側の挨拶。
新婦側の挨拶の時も、相手側の批評を場所をわきまえず話すので、ひそひそ声で黙らせるのに必死になりました。
甥には申し訳なく思います。

挙式が始まり、私たちの真後ろで、生の雅楽演奏が厳かに高らかに始まりました。
夫は、「うるせ!」と言い、両耳を塞いだまま。
神主さんが頭を下げるように言うのにも、余り下げず。
お神酒が銘々の杯に注がれても、「飲んでもいいか?飲むんだか?」と声を出す。
「飲んでいいよ」と答えました。

兎に角、厳かな雰囲気が台無しにならないよう、声を潜めて、夫を私も娘もたしなめどうし。

親族がどう思ったでしょう。
迷惑な顔もせず、ごめんなさい。感謝しています。

挙式が終わり、一旦控室へ戻りました。
夫は
「披露宴、何時に始まる?」、
「血糖値測定はどうする?」
「インスリンはいつやる? どこでやる?」
の質問を何度も繰り返しました。

あまり、しつこいので、早めに控室で血糖値測定しました。
血糖値 197


そして披露宴
どこに座るか、インスリンはいつどこでやるかを気にして何度も聞きました。
夫:「何を食べればいいのか教えれよ」
私:「何食べてもいいんだよ」


席に座り、披露宴が始まり、新郎新婦入場。
乾杯が済んで、すぐに会場の外に出て、柱の影のソファでインスリン注射をしました。
会場に戻ると、もう披露宴はどうでもよく、食欲だけとなり、周りに座った家族も親族も呆れました。

これは食べれるか?
これは喰わね

先付: ミニトマトだけ
御造り: 上品に盛り付けられたお刺身と刺身のつまの大根、あまり食べられるものが無い事を予想し、私の分も全部食べさせました。
 

食べ方で一番驚いたのが、パンの食べ方。

テーブルのお皿にロールパンとフランスパン一切れが載せられるのを待ちきれず、ロールパンが置かれるとすぐ手をだし、給仕してくれるウェイトレスさんがフランスパンを置けず戸惑っていました。

夫は、パンは血糖値が上がりやすく下がり易い事を知っている筈ですが、食べる物(ご飯)が無いから、食べると決めていました。

ロールパンの皮をむいて、スイカにかぶりつくように、白いふわふわの部分だけを歯を使って食べ始めました。
フランスパンも、固い皮を剥くように白い所だけを食べています。

姑も、妹も、私も、皆が、「え~~~」と、唖然としてしまいました。
妹も、「兄さん、それだと足りないんでない」と言って、笑っていました。
私のも、姑のも、妹のご主人のも、娘のも、もらって食べさせました。

パンの皮の山が、皿の上にど~~~んとできました。

ムースを茶碗蒸しだと、騙して食べさせようとしましたが、
「なにこれ?」と食べませんでした。

鯛をソテーし、クリームソースをかけたのは食べてくれました。
牛のヒレステーキも完食してくれました。
ここまで来てようやく私の、夫が低血糖になる心配が無くなりました。
油脂も取れたからです。
そのあと、洋風雑炊もでました。全部食べました。

ここで、持参した、水筒に入れた抹茶入り玄米茶を夫に渡しました。
夫は一気飲み。

薬を飲むための水を貰い渡すと、
「なんだ、水だねが(白湯じゃない)」
「ここでは仕方ないよ、水しかないの」
と、納得させました。

夫が、猛獣のようにガツガツ食べるのに付き合い、自分で食べるのに精一杯でした。


ここまでは、披露宴の進行具合を見る余裕もありませんでした。

会場3面の壁に、新郎新婦の生い立ちが映写されたり、
(夫は、甥の家族や亡くなった妹には反応を見せていました)
会社の人や友達からのメッセージが映されたり、余興でダンスがあったり、
新婦の衣装替え、新婦の衣装替え、

そして、新郎の衣装替え、親族が付き添って退席する時に夫が立ち上がり、ひな壇へ歩き始めました。
え~~~~? なに? どうしたの? ?????

兎に角、変!!!

夫を追いかけました。
もしかして、自分が親族と呼ばれたと勘違いしたのか?
甥と一緒に退席するつもりなのかもしれないと思いました。

夫の袖を掴もうとしましたが、ズンズン進んでしまい、ひな壇の前に。
甥の周りは写真を撮ろうとする友人たちで一杯。

ようやく夫を捕まえました。

夫は、退席を先導する会場の係りの人が進んでくるので、脇によけていました。
私はと言えば、場を取り繕ってカメラを構え、しゃがんで、夫と甥を撮りました。
奇妙な写真でした。

長い披露宴(3時間)で、終わりかと思えば、また続くで、
夫は「帰る」と何度も言い始めました。

「まだだよ。ほら、まだ、皆座っているでしょう。」
「最後は、花嫁が手紙を読んで花束を渡すんだよ」
「それが済んだら、新郎新婦がホールでお客さんに挨拶してくれるんだよ」と説明しましたが、もう疲れて理解していないようでした。

それでも何とか我慢してくれ、最後まで会場に居ました。


ホールで慌ただしく花嫁花婿に「おめでとう!お幸せに!」と挨拶し
自宅に帰ってきました。

まず、何とか、終わりました。


夕飯の支度をし、長女に夫の血糖値測定と夕飯・お茶・薬の世話を頼み、
次女を空港に車で送り(渋滞に巻き込まれ、途中空港に電話を入れるほど、時刻が迫り、あわてました)、

どたどたの慌ただしい一日がようやく終わりました。


ど~~~~~~と、疲れたのに、神経が高ぶったのか寝付けませんでした。

次の日は、寝坊し、夫に起こされました。



愚だ愚だと長ったらしいブログですみません。
読んでいただいてありがとうございました。











120.結婚式&披露宴へ②

2013-11-22 21:50:29 | 前頭側頭型認知症

11月16日(土)

夫、朝5時頃から何度もトイレに行ったり、新聞を取りに行ったり、
私は、6時起床と決めていたので、夫を見ないふり。
それでも、夫に
「いつまで寝てるのよ、6時だ。」と言われ、
「おはよう!今起きるよ」と明るく返事。


朝食の準備に、夫の血糖値測定とインスリン注射の準備。

娘たちも早く起き、夫に「トトピ、久しぶり? ちゃんと帰って来たよ」と挨拶していた。夫は何度か娘たちが帰って来たか確かめたらしい事を言っていた。
私も娘たちも熟睡していて気が付かなかった。


朝食を家族全員で一緒に食べると言う夫。
テーブルには4人しか座れない。
犬の世話もある。
朝食の後片付けもある(姑の係り)。
礼服への着替えもある。

娘たちの援護もあり、何とか説得して、姑と夫は先に食べれるように支度した。
メニューは
味噌汁、納豆(夫のみ)、ミニトマト(夫のみ)
玉子焼き、お浸し(ほうれん草とキャベツ)。

夫の血糖値測定を長女に頼み、私は玉子焼きを焼くことができた。
血糖値 132
結婚式と披露宴の間に低血糖を起こすことが予想されたので、ごはんを大目にした。
240g(ごはん茶碗に大盛り一杯)
間食はミニトマトだが、今回は礼服に汁をこぼされるのは嫌なので持って行かない事にしていた。

朝食後は、お茶200mlと薬と薬用の白湯。
準備する前から、というか、食事が終ろうとする頃には、もう言い始める。
何度も、しつこく言われる。


外泊して来た時はいつも、朝食後のお茶に、
フェルガード100 1.5g入り一包を必ず入れている。
今回も入れました。
カロリーも11.7kcalあるので、+αで、低血糖の心配をしないで済むはず。

因みに、
フェルガード100は、フェルラ酸200mgとガーデンアンゼリカ抽出物40mg入りです。
私もたまに飲んでいますが、そのままだと、酸っぱいです。
お茶に入れても、酸っぱさは感じますが、お茶の量を多くし過ぎると、却って酸っぱさを感じるように思います。
1.5g一包にお茶は多くても200ml強nに、それほど酸っぱさを強く感じません。
お茶は、夫の好きな抹茶入り玄米茶です。

白湯の暑さにもこだわり、熱いと火傷するよと話し、丁度の加減で出しても、ポットの熱いお湯を足そうとする。娘の説得で今回は、足さずに飲んだ。

私も犬の世話をし、朝食をかっ込む。
結婚式場(会場)に持って行く、夫用のお茶を、水筒に用意する。


さて、礼服を着ることに。
痩せている事を認識している夫。
「だぶだぶで着られねべ」とまともなことを言う。
(う~ん!なんて正気なの!と感心した。)
「これしかないから仕方ないでしょ!」
夫も納得?素直に着始める。

さて、やってきました。

ネクタイ

結び方ができないと騒ぎ出しました。
思い出せない事で、混乱して騒ぐだろうと予測はしていました。

私は、学生時代、アスコットタイ・ネクタイで、おしゃれをしていた事もあり、結び方を知っていました。次女もアパレル関係に勤めているので、知っています。
何とか、結んでいると、夫も思い出したらしくやってみていました。
それでも、結局、夫は私がやるのに不満で、次女にやってもらいました。

折角着たのに、今度は、「ションベン出た」と言う。
「え? じゃ紙パンツ取り替えよう」と言っても、「え(いらない)」と拒否。
仕方ないので、臭わないし、そのままにしました。


家族全員、私の運転する軽自動車に乗り、ホテルへ。
私はドジなので、ホテルを間違えていました。すごいでしょ、呆れますよね。

夫は、怒り!
最初に気が付いて、道を曲がった途端に
「どこに行くのよ」と怒られました。
何度も謝りましたが、怒られ続け、「無駄なことして」と言われました。

ホテル到着。
親族の控室へ向かいました。

ホールに、甥が白い袴姿で私たちの知らない人と話していました。
ちょっと間に入り、挨拶し、控室へ。

去年結婚した姪の旦那様がポツンと一人でいました。
家族皆挨拶。
夫も覚えていました。そっけない挨拶でした。

早速、認知症状を出し始めた夫。
血糖値測定の時刻を気にして、(いい加減にしてよ)と思うくらい、何度も何度も、どこで測定するかを気にして聞きました。

結婚式は10時
披露宴は11時30分

9時ちょっと過ぎに、控室に置かれていたTパックのお茶を飲ませました。

次々、甥の姉妹や親族も集まり、私や姑・娘達は挨拶しました。
夫は、不躾な発言連発。
「誰よ?」「老けたな」「判らね」
久しぶりですねとか、おめでとうございます、の当たり前な挨拶もしませんでした。


さて、結婚式へ。(神前結婚式)
ここで、更に、思いがけない、夫の反応。




119.結婚式&披露宴へ①

2013-11-20 11:03:07 | 前頭側頭型認知症

11月16日(土)夫のすぐ下の妹(2011年肺がんのため59歳で死亡)の息子の結婚式でした。久しぶりに家族5人揃って出席しました。

読みにくいとは思いますが、私の記憶が薄れる前に、時系列に、書き留めたいと思います。


11月15日(金)~17日(日) 夫 2泊3日の外泊

11月15日(金)

朝7時半過ぎ、夫から電話がありました。
「今日、迎えに来るんだよな。」
「うん、大丈夫、迎えに行くよ」
「〇〇の結婚式に出席するんだよな」
「そうだよ、皆一緒だよ」
「わかった、待ってるからな」
楽しそうな、嬉しそうな明るい声でした。

病院に迎えに行くと、病室の患者さんが総入れ替わり?!

これは夫の問題行動と他患者さんとの人間関係を考慮しての、入れ替わりと判りました。以前は、年配の長年入院している、おとなしい、自分の事は自分でできる、どこが悪いのだろうと思う方や、何も話さず、本当におとなしい男性ばかりでした。
今回からは、夫を除く3人の男性は20代後半~30代の若い男性ばかりで、夫に敵意を持っていない、わりと最近入院した方のようでした。どの方も、外見的にどこが悪いのかと不思議に思ってしまう方達です。

何とか問題なくすごしてくれたらいいなあと思います。


自宅へ向かう車中
夫は、予定を話さずにはいられず、お昼ご飯は寿司と宣言されてしまいました。
私としては、15日昼はラーメン、夜は家族4人(長女を含め)で寿司にしたかった。
夫は、予定を変えられず、結局、お昼はいつものお寿司でした。

長女が、15時半着の飛行機で帰省するので、夫も一緒に迎えに行くと言い張り、一緒に行きました。
車で向かう途中、市内は曇りでしたが、飛行場に近づくにつれ、山間部の道はガスがかかり、先が見えないほどの濃霧になり、これは飛行機が着陸できないのでは心配し、そのことを夫に話しましたが、意味が解らなかったようです。

飛行場に着くと、案の定、滑走路上が濃霧、上空は青空と言う変な天候。

到着口で待っていると、名古屋便が、当空港の天候不良のため名古屋に引き返したので、名古屋行きのお客様の払い戻しをしますと言うアナウンス。
続いて、札幌便、上空で旋回して、天候の回復を待っていましたが、それも着陸できず逆戻り。
さて、東京便。もう引き返しましたので、払い戻しをしますとのアナウンス。

待っていたサラリーマンはスマホ片手に、リムジンバスのチケットを買い、ガラガラとバックを引っ張り外へ。団体旅行の人たちはガヤガヤ。

その中を夫に、娘の乗った飛行機が着陸できず東京に引き返したことを説明しました。そのことは理解できましたが、
「へば、なんとする(結婚式来れるか?と言う意味)。」 
心配して何度も聞き返してくるのには閉口しました。何度新幹線に乗り換えてくるようにメールしているからと言っても、何度も聞き返してきました。
「電話せ!」
「電話しても無理。飛行機が飛んでいる時は、電話使えないから」
を理解できないようでした。

自宅に帰り着くと、長女から電話。
「飛行場でインターネット(スマホ)で予約して、次女と同じ新幹線の、次女の隣の席(次女がメールで知らせてあったらしい)を取ったから、駅に迎えに来て。〇(次女)と一緒だから助かるでしょ。ただ到着時間12時(0時)近いから大変でしょうけど、よろしくお願いします。」との事。
夫に教えると、一緒に迎えに行くと言い張りました。
夫に「自宅で待っていて。私一人で迎えに行ってくるから」と言ってもダメでした。


けれども、9時半過ぎ、就寝前の血糖値測定時刻になると、
「やっぱり迷惑になるから、行かない」と言ってくれました。
その間何度も私と言い合いになっていました。二階に上がってレコードを聴いてある程度時間が経つと、「迎えに行くからな」「私一人で行ってくる」のやり合い。
ちょっとひどいけど、もしかしたら、私が「ちょっと私も娘たちも迷惑」と言ったかもしれません。ちょっと記憶に自信がありません。

病院の生活ルーティンに染まって、決まった時刻になると眠くなるのかもしれません。
でも、正直助かりました。

次女からメールがあり、「新幹線が東京からすごく混んでいて、車内販売が買えない。お腹ペコペコで、お姉ちゃんが買ったおみやげ半分食べちゃったけど、いいよね。それでも、まだお腹減っているから、帰ったら何か食べたいなあ?」との事。
「稲庭うどんだったらできるから、作っておく」と返信し、準備しました。

濃いめにインスタントコーヒーをブラックで飲み、迎えに行きました。

娘たちも、数年ぶりで一緒に帰省でき、長女にとっては、大変だったでしょうけれども、楽しそうに元気に帰ってきました。

兎に角全員揃い、一安心しました。これで、明日結婚式に全員で出席できます。


118.顔面お岩さんのその後

2013-11-13 00:19:14 | 前頭側頭型認知症

顔面がお岩さん状態の夫
11月3日(日)4日(月) 一泊二日の外泊で 自宅に帰ってきました。

顔面は、若干紫色がマダラに残り、頬から首にかけてはまだ濃い紫色です。
本人は、鏡の前に行き、顔面を気にしていますが、「少しずつ良くなってきたね!」と声をかけ、あまり気にかけないようにしました。

外泊の一日目、床屋さんへ
途中、車の中で、「認知症だと言うなよ」と、釘を刺されました。
実は、夫が認知症と判って、最初に床屋さんに付き添って行った時、夫が認知症なのでと言ったのです。そのことを、覚えていたようです。
そこで、「認知症ってなんだか知ってる?」と聞いてみました。「知ってる」と返事が返ってきました。それ以上深入りして聞きませんでしたが、自分を認知症だと、認知しているのかは疑問です。でも、もしかしたら、自分が認知症だと理解しているのかもしれません。


結婚式も近くなっているので、髪を切って、髭をきれいに剃ってもらいました。
認知症なのは、以前に話してあるので、難しい事を言う人だと理解していただいています。
夫が、「こういう顔になった理由を(理容師さんに)言えよ」と、言うので、簡単に「顔面を怪我しているので、痛がった所はやらなくていいので、よろしくお願いします」と伝えました。

女性の理容師さんが、髪を担当する人、顔そりを担当する人と二人でやってくれました。それぞれに、細かく注文を付けているようで、耳の所で切れとか、短くし過ぎたとか、ここのひげちゃんと剃ってとか、言っていました。
理容師さんも「これから順番にやりますから大丈夫ですよ」と、何度も同じことを答えてくれていました。


出来上がると、「髪短く切られた」と、面と向かって文句を言うので、「お父さんが耳の所で切ってと言ったからだよ、でも、すっきりしてかっこいいよ」と、言って見ました。

夫があまり時間を気にするので、「腕時計を買おうか」と、以前話していたことを思い出したらしく、特に、今はナーズセンターに居て、自分の目覚まし時計を見ることが出来なくて、不便だったようです。
急に思い立ち、腕時計を買うことになりました。



「ヤマダ電機で買う」「え?ヤマダ電機には売っていないよ」「売ってる、行け」
行って見ましたが、ありませんでした。
髭剃りが夫の目にとまり、9000円台のを手に取り、「買う」と言い張りましたが、今は「腕時計を買いに来たでしょ、髭剃りは病院にあるじゃない」「あの髭剃りはそれない、新しいの買う」と、押し問答になりましたが、この次買う事にし、先に腕時計を買いに行く事にしました。

ホームセンターで、夫の好きなものを選ばせて、腕にはめさせてみましたが、痩せてしまい、私の手首より細く、男物では大きすぎました。
女性用のをやってみましたが、今度は留め金を掛けれませんでした。
お年寄り向きの、ゴムが付いて、伸び縮するタイプのもので、980円と格安の物を買いました。夫と私のやり取りを見て、売り場の方が、もういい加減にしてよと言う様な雰囲気になりました。そうですよね、顔面お岩さんのような言動のおかしい中年の男と、それに付き合う中年おばさんは、奇異に映った事でしょう。なんか悲しくなりました。

続いて、ベルトを買いに、GUに行きました。
病院から、ベルトを持って来なかったので、家にある夫のベルトをジーパンに通したのですが、どれもみな大きく、穴が合わないので、ベルトを切って調節すると私が言っても、「切るな」の声にまた喧嘩になりそうなので、買う事にしたのです。
編みこみになっていて、穴に関係ないものを選んだのですが、新しいとなかなかすんなり金具が通りにくく、混雑している店内で、若いお母さんが小学生の女の子を連れて、私たち夫婦のやり取りを、「え?」と言う様な顔で見て、顔を逸らしていました。

どこに行っても、夫の顔と言動は目立ちました。

私は心に蓋をして、周りの様子に気が付かないようにしていました。




1日目のお昼は、またまた、お寿司、ミニトマト6個、冷奴
「冷奴は、寒くなってきたから、下痢になるよ、体が冷たくなるよ」と、言っても聞き入れてくれません。仕方がないので、電子レンジでチンしました。

夫は、水で手を洗うと、あっという間に手が冷~~~~たくなり、体まで寒そうになり、唇も紫になります。これも、糖尿病が進んだせいかなと思います。


2日目のお昼は、市場のラーメン屋

1日目の夕飯は、タラの蒸し煮、マグロの刺身、ミニトマト、ホウレンソウのおひたし、
おでん(大根、シイタケ、さつま揚げ)

散歩もポン太としました。今回はポン太が血尿で大変だったことを話しましたが、相変わらず、「待て」の怒りの大声を響かせて歩きました。(夫が病院に戻ってから、ポン太の血尿が再発し、また、薬だけもらいに動物病院に行きました。)

2日目、ユニクロに、夫のジーパンを買いに行きました。入るなり、鏡の前で、顔面を気にして見ていました。


28インチ、私でも履けそうなものをすぐに決め、裾上げ待ち20分、夫に車の中で音楽を聴きながら待ってもらう事にし、私が自分のヒートテックのシャツを2枚買いました。
久しぶりに自分の洋服を買いました。夫に感謝です。
夫はおとなしく車の中で音楽を聴いて待っていました。いなくならなくてよかったとホッとしました。

今回は何とかおとなしく、夫婦喧嘩もなく、穏やかにすごすことができました。



11月6日(水)眼科受診のため外出
眼科に行く事は話してありましたが、信じていなかったらしく、「来ると思わなかった」と喜んでいました。

眉の傷の抜糸がされ、顔面の紫色も薄くなり、黄色と言うか黄緑色と言うか、マダラに紫色が残り、あと少し首の紫色がとれればいいだけとなりました。

左眼球の白い部分に、内出血があり、眼底出血もあるのではと心配なので、眼科受診をすることにしたのです。

前の日、事前に眼科に電話し、認知症の夫で、精神科に入院中で、サッシの角に顔をぶつけて酷い内出血になり、目もかなり充血しているので診察して検査してもらいたい旨話してありました。

待ち時間が長くなったら、立ち去り行動が出ないか心配でした。


わりと早くに呼ばれ視力検査をしました。
その時の様子は、もう認知症が進んできている事を思わされました。

Cの穴の開いている方向を質問され、右と左が判らなくて、右を左と言ったり、左を右と言ったり、わからない様子を見せたりしていました。
Cからひらがなに移ると、「何だ?」と言い、技師の方が「ひらがなですよ」と言うと、「り」とか「へ」と言ったりしていました。

先生の前に行くと、「〇〇先生だか?」と聞きました。先生も穏やかに「そうですよ」と答えて下さっていました。それでも、また「〇〇先生だか?」と、信じられないように聞き返していました。

顎を機械に載せ、額を押し付けないといけないのですが、頭を私が後ろから抑えました。嫌がりましたが、「もう少し我慢してね」、先生も「もう少しですからね」と言って下さって、根気よく検査してくださいました。

眼底検査をするのに、瞳孔が開く目薬を差したのですが、夫は、上手く顔を上に向けておくことが出来ず、30分ほど待っても、なかなか瞳孔も開きませんでした。

その30分も待ちきれず、2・3分おきに「まだだか、先生に聞いてこい」と、大きな声をだすので、なだめなだめて待ちました。
他の患者さんたちも、夫の変な様子に気が付いて、ちょっと見ては、見て見ぬ振りをしてくれていました。中には、ちょっと離れていく方もいました。
顔面は紫色だし、言動はおかしいし、気味が悪いだろうと思いました。
看護師さんも気にかけて下さり、と言うか、他の方の迷惑を考えられたのかもしれませんが、瞳孔の開き具合を見に来てくださいました。

30分経っても検査できるほど瞳孔が開かず、もう10分待ってくださいと言われたので、私の方から、もう一度目薬を差していただけないか、お願いしました。
目薬をもう一度さしてもらい、ようやく検査のために呼ばれました。


光を夫の目に当て、顔を動かさずに、右上を見て、右下を見て、左上を見て、左下を見て、と言う指示に、上手く従えませんでした。
夫はどうしても、顔まで動かしてしまうのです。先生も、光の方向で何とか検査してくれていましたが、結局眼底は見えなかったそうです。
眼底の写真だけは機械に顎を載せ、何とか撮影できました。

視力は昨年の9月に検査した時と変わりないと言われました。白内障も老眼も進んでいませんでした。
また、眼球の白い部分の内出血も顔面の内出血が治るのに従い、治るとの事でした。ほっとしました。
結果は、診断書を入院している病院に送って下さるとの事です。


病院に送って行くと、眼科に検査に行ったことを喜んでいたらしく、「ありがとう!行って良かった」と言ってくれました。

そして、「バイバイ」と、夫の方から、私に向かって言ってくれ、手を振ってくれました。
思いがけませんでした。嬉しかったです!

私も「また、来るからね。15日に迎えに来るから準備しててね」と答えました。


私はと言えば、眼科に居る間に、悪寒がし、なんか熱がある気がしていました。
夫と眼科から帰り、お昼のお寿司を買いに行き、ついでに、夫に風邪を引いたみたいだと話し、スーパーで待ってもらい、隣の薬局によって体温計と風邪薬を買いました。仕事から帰って、熱を測ると、37.8°Cあり、液体の風邪薬を飲みましたが、寒気が酷く、結局翌日、病院に行きました。
ウィルス性の風邪だという事で、抗生物質も出ました。
今日から少し良くなってきました。

なんとか16日の結婚式に家族全員で出席し楽しくすごしてきたいと思います。



117.殴られた?!

2013-11-10 19:39:29 | 前頭側頭型認知症

10月26日(土)27日(日) 夫一泊の外泊をさせていました

★夫の困ったこだわり

洗濯について、汚れていないと言い張り、洗濯をさせない事がわかっていたので、前に試し、成功していた汚して(水をかけていただけ)洗濯機の中に入れておきました。

それを知った夫は、今回激怒し、私に襲い掛かり、『  殴りて! 殴りて! 』 と 手を挙げました。すごい形相でした。それでも、 『 殴りたければ殴ればいいでしょ 』 と私が言うと、プリプリ怒りながらも殴るのを諦めてくれました。


☆夫の優しい積極的なこだわり

ここの所、自宅に帰ってからやることの目標を立てている。

今回は、姑と一緒にご飯を食べる、それもラーメンと寿司と決めていたようです。

ラーメンも市民市場の私の家族には馴染みの十文字ラーメン、支那そば伊藤(以前は『三角そば屋』と言う名前、ラーメン好きな人たちで作る会の都道府県別ランキングで金賞を受賞していた)に行くにしていた。


以前は私と二人で、宝介(店内は少し汚れ、カウンター席しかない)というニラ南蛮(とんこつ)のラーメン屋に行っていた。
それが、今回は、母親にも食べられるあっさり味の店内もきれいな十文字ラーメン。(姑は見た目に汚い店は嫌いで絶対に美味しくても行かない人)
娘たちが高校生くらいの時には、姑と女4人で食べに行ったことが何度かある店。

今回は、姑が全部食べれない事がわかっていたので、夫が「俺喰ってやる」と、姑の麺を半分ほど取りました。

判ってしている事だとわかりました。
「ラーメン、母さんと一緒にたべた、三人で食べた」と言っていました。
無表情ですが、内心は満足しているんだろうなと思いました。


▼殴られた ! ?

10月27日(日)
病院に夫を送って、家に帰る途中、携帯がなりました。
誰からかと見ると、今出て来たばかりの病院から・・・。
「 ? 」 ( 何か忘れ物でもしたかな ? )と思いました。

「 実は、ご主人が顔面を殴られまして、かなり酷いんです。」
「 え? 誰に殴られたんですか? 夫が何か悪態をついたんでしょうか?」
「 精薄(精神薄弱者)の若い男の子で、ご主人との間で何があったかわからないのです。ご主人から聞いても判らなくて・・・。とにかく酷いので、このようなことになり申し訳ありません。」
「 きっと、うちの主人が、その人に何か気に障るようなことを行ったのだと思いますよ。こちらの方こそ、ご迷惑をおかけしてすみません。よろしくお願いします。」


もう6時になろうとしていましたし、姑にご飯の準備もしないといけませんでした。
病院に戻っても私ができることは何もなく、ただ見守るだけだろうと思いました。
病院の看護師さんの足手まといになっても迷惑だろうと想像し、
看護師さんたちにお任せすることにしました。


次の日(10月28日月曜日)、病院に夫の様子を見に行きました。

ナースセンターにベットを移されていました。
顔面左半分紫色。
左目の瞼が、内出血で、紫色にぷっくり腫れあがり、目が半眼状態。
何故か目やにも酷く出ていて、上瞼と下瞼が目やにで繋がり、見えない様子。
眉毛の所を4針縫ったとの事。
喉の左半分も紫色。
喉の右の所に、きっと縫う時に夫が抵抗したために、後ろから手で抑えて着いたと思われる紫色の指の跡もくっきりと付いていました。

お岩さんのような顔面です。

保冷剤を腫れあがった瞼にあてがい、起き上がらないように、安静にしているようでした。

このような成った事情はどうだったのか聞きました。

精薄(精神薄弱者)の人が、廊下の角に立っていた夫を、廊下の角のガラスサッシの角に後ろからぶつけたらしいとの事。
背の高い、20代の若者です。力もありそうな男の子です。
初めての事だそうです。

きっと何か、夫が気に入らない事を言ったか、指さしたかしたのだろう思います。

以前から、2~3人の方とトラブルがあったとの事でした。


私は、夫の保冷剤を抑えて、3時間ほど、じっとそこにいました。


主治医に、トラブルで転倒したり、風呂で転倒したりという事もあるので、と言われていたので、何故か、あまり驚きませんでした。来る時が来たなと言う感じでした。

それでも、頭部ではなく、顔面だったから良かったのかもしれません。


結婚式が11月16日(土)なので、それまでに、顔面の紫色も取れたらいいなあ。