前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

103.認知症家族会

2013-08-25 00:30:23 | 前頭側頭型認知症

8月18日(日)
認知症家族会に行って来ました。そして、即入会しました。

http://www.alzheimer.or.jp/

 の県支部です。ひまわり会といいます。


前頭側頭型認知症の家族の方と知り合いになりたいという気持ちが、私を突き動かしています。

夫はこれからどうなるのか?
どのくらい生きられるのか?
自宅介護は無理なのか?
病院と自宅の両方で介護のようにしている人はいないのか?
皆さんどのように介護しているのか?

ピック病をご主人に持つ方が2名おられました。

お1人はご主人が52歳で発症し、現在も生きておられ、13年間介護しておられるという事で、とても勇気づけられました。
今は、あまりに言動がはっきりしているので、医師や看護師から認知症ではなく、正常圧水頭症なのではないかと言われ、別の病院に行って検査するように進められているとの事でした。

もうお一方は、ご主人が病院に入院しておられ、認知症と判らない時の危険な行動、なんと外の灯油タンクから灰皿に灯油を入れ、それでタバコの火を消そうとしたとのと。たばこを外で吸う習慣のあるご主人だそうです。タンクに業者の人に特殊なテープをグルグル巻きにしてもらっても、切って同じことをしたそうです。
火事にならなくてよかったといっておられました。

アルツハイマーのお母さんを施設に入れておられる方、自宅介護しておられる方がおられました。
私と同じで、初めて参加された男性は、奥様が認知症だと知らず、一昨年喧嘩別れして奥様は息子さんの所に行ってしまっていたが、昨年認知症になって戻ってきたとのこと。私の内のようだなあとお聞きしました。

また、代表の方は、もうご主人が亡くなっておられるけれども、亡くなって10年間は夫の事を話すことができなかった。でも、今は自分の経験を話せるようになって、皆さんにお話ししていると言って、認知症のご主人に投げ飛ばされて(認知症になると力を加減する事が出来なくなるため)、したたかに頭を打ち、気が付いたら白いセーターが血だらけで救急車で運ばれて、助かった。死にそうにだったと、話されました。



刃物をもって、追いかけられたブログのアルツハイマーのご主人を介護されている方の事を思い出しました。


地元の人と、同じ認知症でつながることができて、良かったと思います。


介護されている方の中には、うつになっておられる方もおられました。

私も気をつけなけばと思います。


102.2泊3日のお盆

2013-08-24 23:17:19 | 前頭側頭型認知症

12日(月)午前9:30 に 病院に迎えに行く

  『私が試験外泊する予約をしたからね』と言ったことを信じていなかったらしく、迎えに来ると思わなかったと言われました。

その日は、お昼を食べて私は仕事に行く事にしていました。
  それも、私が言ったことをきちんと記憶していなかったようで、私が休みを取ってずっと一緒に居てくれると思っていたらしく、予定が狂ったような話しぶりでした。
車でどこかに連れて行ってほしかったのかもしれません。
13日14日は仕事休みだと教えました。

  車に乗って、細い道から広い国道に出る所まで行ってから、
『あっ!洗濯物忘れた!取りに戻る』と言うので、また、病院に戻りました。
私が車で待っているから持ってきてと言って車で待っていると、靴のまま病院から出てきました。どうも、病室まで土足で入って行ったらしかった。

  洗濯物の中には紙おむつも入っていました。

  『無駄だ!時間無駄にした!』を連発していました。
  『忘れたんだから仕方ない。もう後の祭りだから、言わないの!』と話に終止符を打ちました。

  10:00にお茶を飲むことに強いこだわりがあるので、コンビニによってお茶を買えと言うのを、『おばあちゃんが一緒にお茶飲むのを楽しみにしているから、先ず帰ろう!あと少しで着くから』と、がまんさせました。


  病院を出る時に買った500ml入りの緑茶は、車の中で飲み終えてしまっていました。家では緑茶(ペットボトル入り)を飲みたがりましたが、なかったのでウーロン茶で我慢してと言って、何度も説明説得して、我慢してもらいました。

まあまあ、我慢してくれました。
『帰って来れないと思っていた』と何度も言っていました。

お昼はまたいつもの 寿司(698円)・・・お盆なので私と姑がいつも食べているものは無くて別のものにしましたが、その時も、夫が『俺のが無い、それは母さんのか?』と、何度も何度も確かめました。

12日は穏やかに過ぎました。


13日は、夫と姑を連れて、2ヶ所の墓参りでした。
私はいつもの夏のごとく、早起きして愛犬の散歩。
仏壇に供えるおりき膳と朝食とお寺の位牌所のお供えを準備しました。


9:30 自宅を出発  
 お墓お寺の位牌所を拝みました。
 夫は自分が拝むと早く出発したがりました。でも、私は、位牌所では、閻魔様や撫で仏様、水子地蔵、仁王様など何体も拝みたいので、姑も待たせ、感謝と共にお願いごとも一杯しました。夫は早く早くと急かしますが、ちょっと待ってと何度も言いました。

11:00 夫の妹の墓参り
  偶然もう一人の妹が私たちが拝んでいる最中にやってきました。夫がびっくりしていました。でも、前回のように嬉しいと言う感情を表さず、『なんで来たんだ』と言う表情でした。
 妹の家に行きましたが、あいにく外出していて、不在でした。
 夫は『無駄だ』を連発。

昼は、また寿司でした。ファミリー用の大きな寿司と姑に小さい寿司を買いました。



午後は高校野球やBSで録り貯めたコンサートの番組を見ました。


夕方、床屋に行きました。
時間を無駄にしたくないと言って。



理容師さんに認知症でこだわりが強くていろいろ注文を付けると思いますが、よろしくお願いしますと頼みました。
以前にも行っているので、『はい、だいじょうぶですよ』と言っていただけ、心得ていますからと言う心が伝わってきました。ありがたいことです。


夜はお風呂に自分で入りました。ただ、髪は洗わず、それでも気持ちいいといってあがってきました。
途中覗いて見ました。どのように体を洗っているのか、転ばないようにしているのか確かめたかったからです。
普通でした。

1ヶ月以上着ていた下着代わりのTシャツは洗濯するよと、別の紺色のTシャツを見せて納得させました。素直にいう事をきいてくれました。脱いだTシャツはチョー酸っぱい匂いがしました。(後日洗濯したら、匂いも無くなりきれいになりました)


夜の血糖値が110台だったので、朝の血糖値も大丈夫だろうと思いました。

ところが、


14日(水)血糖値が62でした。
ここから、夫の困ったこだわりと格闘しました。
ブドウ糖を飲みたがりません。ようやく飲ませたものの吐き出しました。
そこから、夫の【のまない】のこだわりを飲むに変えるために、喧嘩状態。どこまでも飲まない、飲んで、の平行線
私はヒステリー状態に、『飲まなくていい! じゃ死んじゃえ!死んじゃえ!お父さんのばかやろう~~~~~~!!!!!』
と、言って、炊飯器を車に隠しました。

すぐ戻って、泣いて、『ブドウ糖はお父さんの命の絆なんだよ!飲まないと死んじゃうんだよ! お願いだから、飲んで!!!』と、壊れたレコードのように何度も何度も怒鳴り哀願し続けました。。『飲まないなら救急車を呼ぶよ。飲まないなら病院に連絡するよ。』と脅しもかけました。そうすると、夫は私を殴ろうと手を挙げて、『殴りたければ殴れば!』と言うと、手を振り下ろそうとして止めていました。壊れたブリキの人形のように途中で止められるのです。それが、なんか、おもしろくて笑っちゃいそうになりました。
『なぐらない!』と言って止めました。『すごいじゃない!殴らないなんて!ちゃんと看護師さんに言われたことを守って偉いじゃない!』と、喧嘩の最中なのに褒めました。


ようやく、飲んでくれ、朝食を食べました。
私は食事をする気力もなく朝食を抜きました。
姑は私を非難。怒鳴っても言うこと聞かないからということらしい。でも、怒鳴ってでも、夫に言う事をきかせないと低血糖のままになる。命にかかわる!姑に反抗する気力もありませんでした。

朝食後は甲子園の高校野球を見ていました。
わが県の代表高校は残念ながら負けてしまいました。
夫は『無駄だ!来た意味ね(ない)!』を連発。


私は、『墓参りもしたし、髪も切ったし、風呂にも入ったし、高校野球も見たし、TVでコンサートもみたし、寿司も食べたでしょ!』と反論しました。
認知症になって、何かを認める、プラスの発言をすると言う事が全く無くなってしまっています。いつか、プラス発言してくれないかなあと希望は捨てていません。

私は居間からいなくなると見せかけて、ちょっと洗面所に隠れました。夫は冷蔵庫からインシュリンを取り出して持ち出そうとしました。私はそれも予測していたので、すぐ見咎めて、『だめだよ!インシュリンは打てないよ!』ときっぱりと言いました。
ブドウ糖を飲んんでインシュリンを打たないと300台に血糖値がグンと上昇するのを嫌がる夫です。目が離せません。


お昼を食べて、お茶を飲んで、でも、ガブ飲み状態。外泊中一日に3リットル以上の水分を取っていました。一回に500mlのペットボトルのお茶を一本飲み切りそうにしていました。それは仕方ないと諦めていました。


トイレに行くと言って、バチバチと言う音。 ??????
え?!もしかして、お風呂場でしている?

急いで行くと、あ~~~~!!! 
『なにやってるの!!!お風呂でしちゃだめ~~~!!!!!』
夫おしっこを止めて、トイレに入り続きをチョロチョロとしました。

夫に風呂場でおしっこをしちゃダメと言うと、してないとシラを切りました。プチッと私のがまんが切れました。汚い話ですが、風呂場の夫のおしっこを手に付けて、『ほら!あなたのおしっこよ!臭いでしょ!ほら、おしっこしたでしょ!』
バカでしょ!
そこからは、修羅場でした。
夫は私の腕を掴んでどこまでも、『ションベンしてね。やめろ!』と、どこまでも否定しました。姑も入り、夫を止めてくれました。


私は最低で、馬鹿なヒステリー女です!


帰り際、また、お金2万円を持ち帰ろうとしました。そこで、私と姑との説得、無いよと言って体を探すとなくなり、有る筈とどこまでも探しました。何度も何度も。ようやく見つけて、返すよう説得。譲歩して、病院に戻ったら入院費として払うから返してねと言う意見に落ち着きました。

そして、調べた財布の中には、なぜか8000円も入っていました。
聞くと、12日駅前に行くと言うので、雨が降っているし姑から3000円もらったとの事。
結局駅に行っていないので、夫の悪賢い策略に姑が引っかかってお金を取られたのだと思います。疑いたくはありませんが、そういう悪知恵だけはしっかり残っています。それに、計算すると、3000円ではなく5000円のようでした。それは、OKとしました。これで、病院で毎日たくさんペットボトルのお茶を飲めるでしょう。また血糖値は安定しなくなりますが、もう諦めました。

病院への帰りの車の中で、『俺の事悪い事言いつけるべ』『言わないから、お金は入院費に使わせてね』を繰り返していきました。


病院に着いて、夫が殴ろうとしてちゃんと止めて殴らなかったと褒めて報告しました。
それでも、2万円の事を話すと、『持ってきていない』と言い張り、ズボンを抜いで見せようとしました。
看護師さんが身体検査をすると、風呂場の脱衣所に連れて行きました。やっぱり出てきました。


疲れました。もう何もする気が起きなくなりました。
自分にも幻滅しました。
夫を家に連れて帰って自宅介護をするのは無理だと確認するための外泊のようになりました。


(低血糖対応とインシュリン管理)は命にかかわることです。
私が働いていては目が届きません。
外泊中、2階の階段から落ちそうになったと夫が言っていたし、危険だらけです。


姑と泣きながら夕飯を食べました。

 


101.認知症ブログ

2013-08-20 23:16:31 | 前頭側頭型認知症

いろんな方のブログを読ませていただいています。

franzeさん、Yさん、ららさん、シリウスさんと、ブログを通じて交流できるようになり、本当に助かっています。

色々な情報、アドバイス、励まし

落ち込んでいる時は、ネットが頼りです!

また
ナンクルさん(アルツハイマー型認知症)の
『若年性認知症の主人と生きる日々の記録』

http://hisari824.seesaa.net


のブログをYさんから紹介していただき、お邪魔して読ませていただいています。

また、他にも
ameba ブログ(アルツ)の
『若年性認知症の夫と二人暮らし』 →女性


OCN ブログ(アルツ)の
『旦那様は認知症:有難いお言葉』→女性

http://fu-me-town.blog.ocn.ne.jp

 

ameba ブログ(レビー小体型認知症)の
『認知症という希望』→男性




fc2ブログ(レビー小体型認知症)の
『レビー小体型認知症の母 突然始まった遠距離介護』→女性




に、お邪魔し読ませていただいています。


その方たちのブログでも、色んな大変なこと、貴重な情報をいただいています。
私は自宅介護していないので、本当に楽をしているなあ~~~と、
これで良い訳はないけど仕方ないかなあ~~と、色々考えさせられます!

 
アルツハイマー型認知症も症状が進むと暴力が出ることを知りました。

殴られてあばら骨を折った話、包丁を持って追いかけられた話、等々


うちの夫は認知症になる前から、何かにおびえていたのか、2階のトイレには木刀を、自分の部屋には金属バットを置いていました。

夫が、前頭側頭型認知症になって、自宅に帰って来る時は、木刀と金属バットをまとめて、夫の目に着かない所に隠しました。

上のブログを見たからではなく、なんとなく夫に恐怖を覚えての事でした。去年から寝ている時に殴られるのではないか、トイレに起きて来た時、顔におしっこを掛けられるのじゃないかとか、布団につまずいて私の上に倒れて来て私が大けがをするのではないかとか、色々嫌なマイナスな事ばかり想像していました。


今は、夫が病院のベットの上に、ボーっと膝を抱えて座って外を見ている姿が頭にチラチラ浮かび、鼻の奥がツーンとなって涙が出て来てしまいます。


100.つながる

2013-08-05 20:39:25 | ふだんの生活

東北も梅雨明けし、熱い夏祭りが始まりました。

土曜日から、夜空に稲穂の光の波がゆらめいています。



その土曜日、福島に出かけた結果が舞い込んで来ました!

嬉し泣き、嬉し泣き!!

つながりました!!!!!


人間ひとりでは生きられない事をつくずく感じた旅行でしたが、

一人の力の無力さも感じた旅行でした。

「人生いろいろ」 と、島倉千代子の歌にありますが、


なにが起こるかかわからない、想定外、予想外の事が、起こるのが人生と思い知りました。(自分の事も)


(報道では)東日本大震災の余震と思われる地震が、昨日、4日、日曜日昼にありました。震度3でしたが、結構ゆれました。


その地震の時も、いつも姑には食器洗いなどで大助かりなのですが、地震では心配も出てきました。


『どこに逃げればいいか』と、聞かれました。不安神経症?


心配が極端な性格がまた出てきました。


時々、ピキピキきます。


いちいちそんな事心配するな!と、まだ50代の私が思いますが、86の姑は足元もおぼつかないので、どうしようかと考えるのでしょうね。私の実家の母なら、『いいよ、もう歳だもの、死んでもいいよ』なんて答えるのですが、姑は良く言えば前向き、悪く言えば生き意地があると言うのか。


姑との生活に、色々不安も出てきました。


私が仕事に行っている間に、


姑の体調が悪くなった時、


地震が起きた時、


姑がひとりで動くのができない事も想定しないといけない事が出てきました。



仕事に出ようとしていると、


『なんか体調おかしいから、もしかしたら電話するかもしれないから(帰って来て)』と突然言われ、『え!急に言われても、一人勤務だから、急には休めないし、帰って来れないよ』


結局、仕事に行く前に、休みを取るか取らないか、姑と少し険悪な状態になりました。『休みを取って病院に連れて行く』と言うと、『休んで様子を見るからいらない』という事で、結局、姑はなんともありませんでした。


姑は自律神経失調症、不整脈の症状があります。



耳も聞こえが悪く、補聴器をつけていますが、両耳につけると窮屈だと言って、片耳しかつけません。頑なな性格で、なかなか言う事を素直に聞いてくれないので、しょっちゅう衝突します。



今日も、職場に、『エアコンを除湿にするのに、どうすればいい?』と、電話して来ました。


補聴器を外しているので、こちらが大きな声を出しても、まともに聞こえて行きません。自分勝手にこちらが行っている事を憶測して、しゃべるので、こちらの言っている事が通じません。結局、受話器に向かって、大声で、『良くボタンについている字をよく読んで!!!!!』と、怒鳴ってしまいました。何度も何度もです。



本当にわかったのか疑問でしたが、『わかった』と、電話が切れました。


電話を終わって、周囲の人が何事かと立ち上がってこっちを見ていました。


ごめんなさいと謝って、姑の耳が聞こえない事を話しました。


こんな調子で、姑が時々職場に電話してくるのにも閉口してしまいますが、職場の人に事情を話してあるので、理解してくれています。



それにしても、耳の聞こえない老人と暮らすのは疲れます。
私もそうなるかもしれないので、きつい事は言えませんが、実際はかなりきつく言ってしまっています。  トホホ です。



耳の聞こえない人とつながるのは、気も使うし、疲れます。


ごめん! おばあちゃん!



でも、また駅前の手芸用品のクラフトパーク連れて行くからね!


長生きして、私を助けてね!