2012年 わたしは 夫が前頭側頭型認知症 とは 知りませんでした
ただただ 夫の あまりの 過度の 執拗な こだわり に
閉口 反発 抵抗 非難 を ことばで 表情で 態度で 示していました
毎日毎日 ケンカ 口論・・・・・・
ついには もうこれ以上 夫との 生活は 続けていかれない とまで 思いました
わたしのしている事が 全く 一切 認めてもらえないのが 一番の 不満でした
悲しくて くやしくて つらくて やりきれなくて もう 一杯一杯 でした
娘たちにも 今思えば ひどいことだったと 思いますが、 母親の悩みを
ぶつけていました。 ごめんなさいね。 『 離婚してもいいよ 』 なんて言わせて
実家に帰って、離婚の事を相談しました。離婚がどんなに大変か≪法テラス≫の資料を弟がダウンロードし、印刷してくれました。弟も認知症の母の面倒を見てくれていますが、母は普通に老化による認知症で、物忘れはあるものの、感情も思考もまだコミュニケーションの取れる状態です。わたしの離婚は残念だけど、戻ってきてもいいよと、行ってくれました。弟も 『 いいよ、戻って来い 』と言ってくれました。
そう言われると、ちょっと考え直すというか、躊躇するというか・・・
(弟もそうなると解っていて≪法テラス≫の資料を出してきたのだとおもいます)
(冷静になれよ と 言いたかったのでしょうけど、わたしがかなり感情的だったから、非常手段というか、そういう 荒療治に でた野だと思います)⇒今は離婚しないで済んだので、感謝しています。
でも、その時は、結局、離婚用紙を取りに市役所の窓口行き、用紙を持って帰りました。
それを、喧嘩の武器に、わたしを認めさせようと必死でした。
ばかな 逆効果になるのは 目に見えていた ことでした
その ばかな わたしと 去年の 夫の こだわり を 具体的に 書いていきます
いまさら 時間を 逆戻りさせられない 無駄な事ですが ・・・
改めて 夫の あの時のあの状態が 前頭側頭型認知症 の 症状だったと
私自身が再確認する意味で 書いていきます。