前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

99.これからどうする?

2013-07-30 22:53:44 | 前頭側頭型認知症

7月26日(金) 夫に面会
  午前勤務だったので、自宅に戻り、ゆっくりしてから、
  雨でなかなか乾かなかったズボン下を4枚、夫に持って行きました。
  4時半だったので、
  「なんで、この時間に来た。置いて行け。帰れ。」と、言われました。
    ホッとした反面、ちょっと物足りなさを感じてしまった。
    優しい会話を期待しすぎた。
    何事も、期待せず、そのままに受け入れよう!


7月28日(日)
  毎晩、毎晩、インターネットでいろんな事を検索して、頭が変になりそうで、気分転換に映画を観に行くことにした。私にしては大決心!罪悪感を感じないではいられないが、それも仕方なしとして、実行。
  『風立ちぬ』を観ました。
東京大震災も、太平洋戦争もゼロ戦も、結核の智恵子の死を思わせる出来事も、淡々と描写されて、その中に、恋愛もドキッとするくらい描かれていて、それが、却って家に帰ってからも、思い出され、なんだろう、感動でもなく、共感でもなく・・・。
  いままでに、感じたことのない冷静に考えようとする自分が、表れました。
いざ、生きめやも!(生きねば!)



7月29日(月)

A:夫が、以前糖尿病でかかっていたT病院のS主治医に、糖尿病治療について知りたいことがあり、予約もなしに行って来ました。

 ①夫を退院させた場合、糖尿病治療のため、またT病院にかかることができるか?
      S病院から、紹介状を書いてもらえば、可能


 ②夫の現在入院しているS病院の糖尿病治療について
   Ⅰ型糖尿病では、4回インスリン注射をするのが常識
   3回では、血糖値コントロールが上手くいかないだろう
  私・・・夫が低血糖を早朝3時・6時と低血糖を起こし、ぶどう糖注をすることもあり、危険を回避するため、主治医が考えてやってくれている
 

 ③私の質問・・・・・夫を退院させて自宅介護となった場合
     インスリン注射を朝と夕の2回にすることはできるか?
   医師・・・・高血糖が続く、高血糖昏睡が起こる可能性もあるしさまざまな合併症が起きてくる

 夫の困った症状を話すと、「S病院にそのまま入院してみてもらった方が良いですよ」と言う。時々、笑いを浮かべるのが気になった。

バカの事を言っていると思ったのか?糖尿病の認識の甘さを馬鹿にしたのか?
患者の、患者の家族の気持ちを考えたら、あの笑は出せないよなあ~~。
なんか、こんな医師にかかっていたのかと、残念だった!



B:認知症サポータ医 Sクリニックに相談に行く

T病院のS医師の話は、認知症について、馬鹿にしているように感じられ、急に思い立ち、認知症サポータ医のSクリニックS医師に相談しました。

看護婦さんの話では、認知症サポータ医とは、認知症かどうかを判断するのだというので、診療を断られるかなと思いました。そこで、厚かましくも、以前講習会でカミングアウトした者ですと伝えてくださいとお願いしました。予約患者さんの診察がすべて終わってから、相談に乗っていただきました。
とても、とっても有り難かったです!!!!!

夫の困った症状、T病院で言われた高血糖昏睡の事等、夫の病状
私の不安
仕事を辞めて介護するのが一番良いが、経済的不安 
「夫が自宅で死ぬことになっても、夫が好きなように自由に暮らして死ぬのであれば、奥さんも後悔しないのではないか」と、S病院の主治医に言われたことも話しました。
その主治医の話に共感し、そうしようかと考えているが、退院させたら、早いうちに死んでしまうのではないと心配している事を話しました。
どのようにしたらよいのか、決めかねて途方にくれている事を正直にはなしました。

後悔について、別の後悔を、言われました。
なるほどと、思いました。

仕事を辞めて、自宅で奥さんが介護して、ご主人が亡くなって、その後の経済状態は大丈夫ですか?仕事を辞めて後悔することはないですか?

確かに!
仕事を辞めてしまった後の経済的なことまで、具体的に考えたことが無かった。

結論として、Sクリニックの医師からは、
兎に角、何度も、今入院しているS病院に、相談・質問(家庭の事情・経済的な事情も話して)(性急に退院して自宅で介護すると決めないで、兎に角相談・・・私のS先生の話しの受け取り方です)するようにと、言っていただきました。


仕事から帰って、姑に今日の事を報告しました。
そして、Sクリニックの医師に、私が仕事を辞めて夫を自宅で介護したとして、ご主人が亡くなった時に生活の心配をしなければならなくって、後悔しないかと言う様な事を言われたことを、話しました。

姑も泣きながら、「やっぱり、生活することが大事だ。〇は、S病院に入院させておいてもらうように話してけれ」と、言いました。

私も姑も泣きました。

でも、これでいいのか?



7月30日(火) 仕事が午前だったので、
    年金事務所に行って、色々教えてもらいました。

本当に、私が仕事を辞めて、夫を自宅で介護して、夫が亡くなったら、どうなるのか?
いつか来ることを想像するのは、本当に酷い、自分の事しか考えていない、自分勝手な嫁だと思います。

夫の人生も大事、でも、私の人生も大事、Sクリニックの医師に言われた事でした。


まず、調べるだけ調べてみました。



でも、今年の十月から年金受給額が1%減、
来年4月にはまた、1%減になるそうです。
毎年1万円ずつ減ります。
それに合わせて遺族年金も減ることになるよう。

物価スライド制で、更に、年金は減ることはあっても増えることは無いですと教えてもらいました。

とても心配な額でした。切り詰めて生活しないといけない額でした。


夫の人生と私の人生の重なる後何年か、
夫の安全と楽しみも確保しつつ、私も仕事を続けようと思います。
そのための方法をS病院にも相談し、ケアマネジャーや、認知症家族会にも出席してみて、もっと色々情報を集めようと思います。

まずは、夫の強迫観念について、病院に質問しようと思います。
手を握り締めていては、転倒した時に支えられません。
インスリン注射と血糖値コントロールもお願いして、自宅介護を安全にしなくてはなりません。
ディサービスを利用することも考えなければなりませんが、夫が行くとは思えませんから、病院から、リハビリの必要があるから、行くように言ってもらおうと思います。


そう簡単に死んでしまったら、夫の苦労は報われません。
出来るだけ、自分のしたい事、好きなことを楽しませてあげたいと思います。
残された日々を、夫に楽しんでもらいたいと思います。
充実した人生だったと思ってもらえたら、うれしいけど、入院してたらそうならない。

でも、夫の安全のため、早急に退院するという事はせず、しっかりと体制を整えて、私も姑も、安心して夫を介護できるようにしたいと思います。

今は、仕事が忙しいので、お盆にまとめて外泊させようと思います。
      


98. 東北にない?!

2013-07-24 02:10:20 | 前頭側頭型認知症

若年性認知症の家族会 や 支援団体について検索していて

わかりました。

東北には、若年性認知症に、特化した家族会や支援団体は存在しないらしい。

全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会
http://www.zyakunen-ninchi.com/

認知症に一括りにされているのだろうか?


うちの夫は63歳で前頭側頭型認知症の診断を下されたが、

若年性認知症にあたるとは思わなかった。

63歳はもう初老期だと思う。その初老期も若年性に含まれる。

年金を受け取る前に認知症を発症したらそうなるのか?

その年齢の設定の仕方がわからない。

別に文句を言っている訳ではない。

63歳が若年になるその区分に対して単純に?となっただけ。


でも、西高東低とは良く言ったものです。

認知症に対する研究や支援も、西高東低?

行政の冊子を見れば、地域包括支援センターやら、ディサービス、ショートスティ等、情報はあるにはある。
欲しいのはそういう情報ばかりでなく、初めての介護で、どう介護したらいいのかわからないのだから、経験者の話が一番わかりやすいはず。
なら、そういう経験者の話を聴けるようにできないのだろうか?

家族会・支援者団体、そこにずぐ直結できる情報を、診断時に、もらえないの?

家族会や支援団体があっても、診断を受けた病院ではパンフレットなど渡されなかった。相談員さんに相談して、情報を得る方法しかないような、なんでも、自分で調べなければならないような・・・。

サービスを受けるにも自分で調べて申請しなければならない。


もっと、色々な機関が連携を取って、認知症の診断が下った段階で、すべての情報をペーパーで渡してもらえるようになったら、どんなに楽だろうか。


ネットで調べて、ブログ仲間の方達の情報で何とか動こうとしている現状

この分岐点で、立ち往生の私、経験者の話が聞きたい!
この地域の経験者の話が聞きたい!
何とかしなくちゃ!


もっとスムーズに事を運んでいきたいのに、いろいろあるな~~~~

今夜はこんな愚痴で終わりにします。

明日から、小学校の夏休みが始まるそうです。


97.タズナ

2013-07-24 01:35:51 | 前頭側頭型認知症

退院について考える時

いつも、頭の中に、


夫の命の  タズナ  を握らされているような感じがある


医師に 退院を考えるようにと言われているように感じ


退院した時の 危険な状況を考えては、命のタズナを考える


夫の命のタズナを私が握っている


夫は 退院で 解放されて 自由になって 

好きなことができる  充実する生活がおくれるだろう

でも、命の危険と共に


―96.一人旅(福島) の わたしのきくりんさんへのコメント―
カンブリア宮殿というTV番組で、東京の青梅慶友病院の介護・看護についての番組を見ました。
老後について改めて考えました。
人の尊厳と言う言葉が、心に引っ掛かりました。人間ではなく、人です。
仰々しく人間ではなく、親しみを込めて、個性を重んじての、個々の人です。
すぐ、夫に結び付けて考えました。
やはり、夫を退院させて、家で生活させようと思いますが、まだ、躊躇しています。
時期を決めないと、一歩を踏み出せないような、腰抜けな心の状態です。
決意のないまま実行はしないようにしようと思います。

この事が頭にありました。



今日 7月21日(日) 久しぶりに夫を試験外出させました

今日は、迎えに行った時から、何か様子がおかしい。
目が認知症の人(実際、認知症なのですが、今まではそんな風に見えなかった)のように、どこか変!意識がはっきりしていない?
私が、ナースセンターで説明を受けている時にも怪しい動き、こっちを気にしながら、自動販売機の方に行きかけて止まった。

お茶を買いに行こうとしているのがわかりました。
15日16日と連続で面会に行った時、
空のペットボトルがあり、それにポットのお茶を隠れて入れて飲んでいると看護師長から聞いていました。空のペットボトルを持っている事は前から知っていましたが、看護師さんには話していませんでした。予想どおりでした。いつか気が付いて、実行してしまうだろうと思っていました。

なにしろ、お金を持っているし、いつも飲んでいるお茶が目の前の自動販売機にあるし、自由にそこに行けるのですから・・・。任意入院なので、好きなように院内を歩けるから、いつかやるだろうなと思っていました、


それから、もう一つ変なこと

朝方、
誰かに殴られて、たんこぶができていると、運転中にバックミラーを見せてと言う。でも、今回は「悪いけどちょっと見せて」と配慮のある言葉が出たが・・・。
誰かに殴られた跡はどこにもなく、本人は赤くなっている腫れていると言うけれど、どこをどう見たらそう見えるのか? ん~~~??? 
妄想? 幻視?

そのためなのか、自宅に帰る道も忘れているように、
「この道はどこ?」と、いつもの地下道を出る道がわかりませんでした。

参院選の投票に行きましたが、
投票所でも、投票用紙を横に使って書いていました。
どこに入れるのかわからず、
とまどっていました。
それでも、立候補者の名前も党名もちゃんと間違いなく漢字で書けました。

でも、投票所を出ると、入れる人間間違えた、党間違えたと言っていました。
歩きながら、考えて、あ~失敗したと思ったようでした。
(夫の入れた人、党は楽勝でした。私と姑の押した人はダメでした。)

姑と夫を連れての投票はちょっと 
ウwwwww いろいろ知った人に会ってしまった。
変だと気が付いただろうけど、説明も出来ず、
夫の足元に気をつけさせ、
夫の腕を掴んで、肘の骨だけの感触に驚いてしまった。

そのまま、お昼の寿司を買いにいつものスーパーへ
いつもの寿司を買い、自宅に戻りました。

夫は暇だ、何もすることが無い、時間が余ったと言います。
時刻表通り、11:45に自宅に着くようにいつも考えているのです。
今日は11時には自宅に着いていました。

高校野球をTVでやっているので、見たらとすすめると、チャンネル変えるなよと言って、試合観戦しました。
応援している高校(夫の卒業校)は前日すでに負けていました。私が教えると新聞で確認していました。何度も負けたのかと悔しそうでした。高校野球を見る楽しみが無くなったと言っていました。それでも、市内の商業高校が出ていたので、最後まで見ていましたが、応援していたのに、逆転で負けてしまいました。


私、11:40、昼食の準備

献立: 
お寿司 - 夫 アジ(2貫)サーモン、ほたて、蒸しエビ、マグロ、イカ、炙りサーモン 
          イクラ、玉子(玉子は姑のイカと交換)
菊のお浸し、エゴ、トマト、かぶときゅうりの漬物
お茶


準備が出来てから、血糖値測定 363  (高い)
インスリン(ランタス10単位)注射
すべて、夫にやってもらいました。

十本の指の内八本が、測定器の針の跡が痛々しく紫色に点々とたくさんついている。

昼食後、また、 「 暇だ 」 「 駅に行って、墓参りに行く 」
夫は姑を誘いましたが、姑は娘が赤飯を持ってくるから行かないと断りました。
妹が赤飯を持ってくるのは祭りだからです。でも、祭りだとは言わなかったのでホッとしました。

駅に行くは、デパートに働いている姪を見に行くという事。

姪はお休みを取っていました。今日はお祭りなのです。港曳山祭り。

私は知っていましたが、一方通行が面倒で、夫には教えていませんでした。

お店の方が、姉の方も東京から来ている事を親切に教えて下さったので、夫の行きたい気持ちに火がついてしまいました。(あ~行かなくちゃいけないか~)




デパートで、夫の異常行動というか、
事故につながるだろう行動に気が付きました。


夫の異常なほどのばい菌への不安・心配 
「汚い!」と言う発言になり
手を握り締め、手を開かない!
自分の物でも触りたがらない
他人の物は尚更触らない!
ドアも触りたがらず、指でなく、小指の下、掌の縁で開ける
車のドアは、どうするのよ?と見ていると、
開ける時は、握った指の出っ張った関節で
閉める時は、親指の爪で
外から閉める時は、足か肘で閉める


こんな状態は家の中でも、
箸を箸立てから取る時
家の中の引き戸を開ける時
電気のスイッチを押す時

愛犬は掌で触らない

撫でてと言うと
握り拳で撫でる



こんな夫の掌を握り締めたままの状態が、外出先で、危険を招くことを知りました。

エスカレーターに載りました、ベルトに手を掛けないので、足はベルトに載って上に、体は後ろに倒れて来たのです。
後ろに私がいたので、夫の体を支えて、「ベルトを掴んで、危ないから」と叫んでしまいました。それでも、夫は何回か乗り換えたエスカレーターのベルトは掴みませんでした。歩くのも遅く、足もあまり上がらず、エスカレーターに載る時は、「下りるよ、ちゃんと下を見て!ちゃんと足を上げて!」と言い続けました。

以前の外泊で、デパートで転んで帰って来て、夜間に救急病院に行ったことをおもいだしました。
こんな様子だったのかなと思いました。

足があがらない
手を握り締めたまま

転んだら、手で支えもせず、膝をしたたか打ち付けて

主治医が、「転倒して打ち所が悪くて最悪の事態になる事もありますから」と医療保護入院で入院説明を受けた時のことを思い出しました。

ありえます!! 危険だと思いました!!





お祭りとは反対方向に墓参りをして、お祭りの地域への直通道路を通ると、
また、「どこさ、行くのよ?」 と、 
走っている道路がどこかわからない様子
何度か通っているので、知っている筈なのに今回はわかりませんでした。

記憶が衰えてきた?
病院で、ベットの上から動かず、ボーっとすごしているからなのか?
不安になりました。

一昨年がんで亡くなった妹の家に先に行きました。
妹の仏壇の前に座って拝みました。
木魚と鈴のばちも指で一応持っていました。
義弟に、「体の調子はなんとだしか?」と聞かれて
「だめだ、あと病院で死ぬ」と、答えていました。
出された麦茶も飲まず、ほとんど話もせず、
帰り際、仏壇に「〇(妹の名前)またな」と言って、家を出ました。
私は折角祭りに来たのだから、山車を見て行こうと言いましたが、
歩くのが嫌だと言うので、夫に車の中で、待っているように言って、
ちょっとだけ山車を見に行き、写真を撮りました。

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踊り手たちが、きれいな番傘をぱっと広げてカッコよくポーズをきめていました。ゆっくり見られないのが残念。夫の所にすぐ戻りました。
夫が、車の中で待ちきれずに、途中まで出て来て、道に迷ったようにボーっと立ちすくんでいました。「戻って来ねから・・・」と言って不安そうにしていました。

次は、もう一人の妹の所へ、「家には上がらねがらな!」ときっぱり言います。
理由は犬が吠えて飛びついたりウロウロするからです。汚いと思っているからです。
それでも、妹と妹のご主人に玄関先で挨拶して、「いや~兄さん、久しぶりだしな」と声を掛けられて、

夫がにこにこしていました!
夫のにこにこ嬉しそうな顔! ほんとうに何年ぶりでしょう?
本当に、うれしそうな、いい笑顔でした。


行ってよかったと思いました。


帰りの車の中で、「後死んでもいいな」と言いました。
「まだまだ死なないで、ちゃんと退院のための準備しているから」と言いましたが、悲しそうな顔をしていました。
信用されていません。「どうせ俺は病院で死ぬんだ」とまた言いました。

自宅に着いて、一時間ほどクラッシク音楽を聴いて、帰る時間が近づくと、
「あと、外出も外泊もできね。病院が許可しない」と言い張ります。
いくら私が「私が外出とか外泊のお願いをすれば、大丈夫できるから」と言っても信用されず、病院に電話して、信用してもらう事にしました。
たまたま、病棟の看護師長さんが出られて夫と話をして、ようやく夫も納得し、帰る気持ちになってくれました。


病院について、おとなしくなり、
また、さびしそうに、
ベットの上に体育座りして、
外を見ていました。


あの様子は何とも言われません。


退院させなくちゃと思います。
退院させたらどんなに危険なことがおこるかわからないけど・・・・・。


夫の命のタズナを、私が握っている、そんな感じをどうしても持ってしまいます。


96.一人旅(福島)

2013-07-17 22:18:10 | ふだんの生活

30年程ぶりで福島に行って来ました。

一人旅は娘たちが就職する時に出かけて以来でした。


       H257

       トンネルの多い路線でした

       H257_2

       着いた駅に飾ってありました


乗り換え乗り換えで目的地に4時間半ほどかかり、着きました。

乗り換えは不安でした。
6分ほどでは、どこのホームからどこのホームに行くのか判らないと、また、年をとったので、何分かかるのか判らないと、不安でした。

本当に年を取ったなあと確認した旅でもありました。
20代は怖いものなしだったなあと思います。

今は自分の体力にも脚力にも、記憶力にも自信がありません。

何度も何度も、自分の切符の車両番号座席番号を確認しては、今見て覚えた筈の記憶に自信が無くて、何度も見直しました。そんな自分の記憶力に、もしかして認知症の始まりかもしれないと言う不安に襲われました。


夫が認知症になっているのに自分が認知症になったら、私の家族はどうなるんだろうと言う余計な想像をしてしまいました。


人の温かさ・思いやり・絆にも触れた感動的な旅でした。
目的は半分達成できました。


そして、今日は、自分の無力さにさいなまれて、自分の行動がマトモに取れませんでした。


目的地で知った事実の重さに、自分の力の及ばぬ状況のある事に、無力さを感じています。何もしてあげられない。何もできなかった。泣けません。


人間が生きて行く事
自分を見失わずに生きていくこと
人間関係を大事に生きていく事のむずかしさ
人間関係に振り回されずに生きていく事のむずかしさ
家族の問題
友人の問題
お金の問題
仕事の問題


いろいろ、イロイロ、色々・・・・・・


人生っていろいろあるなあ~って
何もできない事もあるなあ~って
無力だなあ~って


でも、生活していかなくちゃ!
生きて行かなくちゃ!
生きていくし、夫の事も最期までちゃんと見ていくし、
食事作りも、仕事も、家の事も、娘たちや姑の事も、ちゃんと向き合っていくし、
私の生活はまた、何事もなかったかのようにはじまる・・・
でも、心の中には、石が一つ残りました。


その石に心を向けながら、でも、その石の重さに負けずに、その石が消滅してしまうほどの明るい情報が入る事を期待して、また、普段の生活に戻ります。


これは、ある人へのメッセージです。
気付いて下さい!
あなたは一人じゃないよ!
わたしも、Sちゃんもいるよ!


Sちゃんも大変だったよ!
私はこのとおり、夫が認知症になって精神病院に入院しているよ。
不幸だとは思わないけど、なんでこうなったんだろうと思うよ!
どうしようもなく、淋しくなるし、でも、やらなくちゃ!と思って頑張ろうとしているよ!



何の力にもなれないけど、今でも、私たちは友達だよ!!!
真友だよ!
少なくとも、わたしとSちゃんはず~~~っとそう思っているよ!

わたしは、ゴトヤン、gotoyanです。



95.相談員さんと

2013-07-10 00:31:28 | 前頭側頭型認知症

今日 7月9日(火) 
病院に行って、相談員さんに質問して来ました。

退院は考えているが、今すぐではなく、条件をそろえてからと伝えました。


質問をしてきました。


1.自立支援医療受給者証

     今入院している精神科を退院後、
   精神科に通院する時に有効 
   ・・・・・ 医療費 1割負担 (薬・ディケア・訪問看護も)

2.障害手帳 
      精神障害者手帳・知的障害者手帳・身体障害者手帳の3つがある


3.精神障害者保健福祉手帳  = 精神障害者手帳
     夫の場合 2級が取得可能  
     主治医の診断書が必要
     現在は写真も必要(平成18年から)


4.障害者年金
     国民年金の場合   99万円ほど
     厚生年金の場合は  もう少し多い
   うちの場合は必要なし
    ・・・夫が年金をもらっている、
      今年6月から昨年の倍近い
        (妻が65歳になるまで加給金が付く)

以上4つの内、
1と3は、予め一度に請求しておき、
           退院時、受け取れるようにしておく



〇薬について
   現在、服用している薬の中に精神科から処方されているものがあるか、 確認してもらう


〇認知症のテストをしてもらう
   昨年、夫がおかしいと思い、認知症の検査を受けることにしていたが、血糖値のコントロールのためT病院に入院、その後も夫のおかしな行動に振り回され、検査を受けないでいることを話した。
   長谷川式、MMSE式の検査用紙を見せていただいた。相談員さんが検査してくれるとの事。検査法を学習していれば、相談員でも看護師でもできるとの事。医師しかできないものと思っていたので、そんなにだれでも簡単にできる物なのと不思議に思った。
どちらか、夫が落ち着いている時を見計らって行ってもらう事にした。


◎退院について
   このまま入院にできないのか? 
      任意入院なので、本人が退院したいと言えば、
退院になる

◎任意入院について
    退院してから、精神科の外来に受診した際に、治療の必要が有る場合は本人が希望すれば任意入院できる。
    本人に入院の希望がなくても、家族が希望すれば医療保護入院できる。


夫にも面会してきた。
わたしが夫の顔を覗き込むまで、ベットの上で膝を抱え、外をぼ~~~っと見ていた。
何故来たのかと、嬉しい顔もなし。
相談員さんと退院のために何が必要か相談するために来たと答える。
うれしい反応もなし。
何を考えているのと聞くと、死ぬことと答える。
そんなに簡単に人間て死ねないよと答える。
血糖値はどうかと聞くと、低血糖は起こしていないとの事。
おしっこは失敗していない、トイレでしているとの事。
洗濯物は無いの?と聞くと、無いと答える。
ロッカーを開けると、ズボン下がありました。股間の部分が黄色に汚れていたので、持って帰ると言うと、持って行くなと言う。私、汚いよと汚れを見せると納得した。

ついでに、今日は何の日か聞いてみた。何の日か知らなかった。
今日は何月何日か聞くと、正しく答えれた。
では、何の日と改めて聞くと、娘たちの誕生日か?と聞く。

やっぱり、わかりませんでした。
私の誕生日です。58になってしまいました。
認知症になる前も、夫は私の誕生日は知らなかったかも・・・。



長女はプレゼントを、嬉しいを手紙を添えて、贈ってくれました。
ありがとう!



実家の母からも電話がありました。
何で電話してきたかと言うと、引っ越ししているアパートにようやく電話が付いたと言うお知らせでした。電話の陰で弟が指示しているのが聞こえてきました。
「今日は私の誕生日だよ」と言うと、「ああ!」と言って、「おめでとう!」と言ってくれました。認知症になると娘の誕生日も忘れちゃうか~とおもいました。笑い飛ばして、母が気にしないようにしました。
それに対して、母のユーモラスな反応。「早く私に追いつけ、待っているから」と言われてしまいました。笑っちゃうでしょ!「は~~い、頑張って追いつきます!」(て、追いつけるか)


お昼、姑に、お寿司を買って行き、一緒に食べました。
私の誕生日だから、お寿司にしたと言うと、ごちそうになりますと言いましたが、おめでとうとは言ってくれませんでした。まあ、私と姑の中はこんなもんだと諦めてそれ程残念とも怒る気にもなりませんでした。


こんな1日の締めくくりは、14日(日)福島に行く事にして、切符も買ったので、路線と時刻の確認を、行きも帰りの分も何度もおこないました。
夫を退院させる前の、自分への誕生日のご褒美、自由な冒険的な1日を過ごす予定にしました。