前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

134.一喜一憂

2014-01-20 00:11:37 | 前頭側頭型認知症

1月11日(土)~14日(火) 長女が帰って来てくれました。
1月15日(水)~16日(木) 次女が彼氏と来てくれました。

長女はVTRカメラを昨年買って、夫の様子を、帰省の度に記録してくれました。

そのVTRに、夫の元気に変な様子が映り、泣けてきました。

今は、ベッドに拘束され、骨格標本のように、骨の数や、くっつき方まで目に見えます。

激やせしました。


▼8日9日と二日間、輸血をして、元気になって大喜びしたのに、

▼10日は、意識はありましたが、酸素マスクをしていました。

 7日、主治医と面談し、あまりに希望のないお話だし、8日には輸血もすることになり、私は悲観し、親戚に電話し、夫の状況を話し、会いに来てくれるように話しました。

10日には、輸血の効果で、元気になった事を、再度、親戚に報告しました。



▼11日(土)
長女が8:35着の飛行機で着くので、空港に迎えに行きましたが、また、雪のために東京に引き返してしまいました。
私は自宅に引き返し、仕事に行きました。
長女は、次に飛行機に乗り、帰ってきました。

▼12日(日)長女と病院へ(姑も)
「近いとしょっちゅう来るな(困る)」と言う様な事を言われました。
「来るな」は、こちらの方言で、「来るよなあ」と言う意味です。
『来るな』、これは、文字通り、拒否の(来るな)と言う意味です。

11日に、夫の妹も面会に行っていたので、
何人も面会に行ったので、疲れていたようです。

さっさと帰ってきました。



▼13日(日)再度長女と病院へ
看護師さんに様子を聞くと、
早朝に痙攣を起こしたとの事
原因はわからない

うつろな顔で、『ごはん?ごはん? う? ごはん?』と
リピートし続けていました。

ご飯は食べられないことを伝えても、頭の中には届いていないように、いつまでもうつろな目で、『ごはん?』を、繰り返していました。



▼14日(月)長女が、東京に戻る前に、病院へ


「何よ、これ」「やめれ」と、点滴を抜こうと、拘束のための手袋を外そうとした。
手首が細くなり、抜けてしまうかもしれないと心配になりました。
「ちゃんと終わりまでやらないと、家に帰れないよ」と言った長女に、
夫は「帰れ」と言う始末。

「明日は、〇〇(次女)が帰って来るよ、彼氏連れてくるんだって」と、教えました。
ちょっと気持ちが、点滴からそれましたが、また、すぐ戻りました。


▼15日(水)
次女と彼氏を空港に迎えに行き、そのまま病院へ

前日とは、打って変わって、意識がはっきりしていました。
次女が彼氏を紹介し、結婚する予定だと報告しました。

じ~~っと、次女の顔を見て、彼氏の顔をちらっと見ていました。

次女の話もちゃんと分かっているようで、話のキャッチボールが出来ていました。


▼16日(木)
次女と彼氏を空港に送っていく前に、病院へ

きっと前日に、次女の彼氏を紹介したことも、結婚すると言ったことも忘れて、同じことを繰り返し話して聞かせないといけないと、予想していました。

ところが、しっかりしていました。
じ~~っと、次女を、次女の彼氏を見つめているので、「わかるか?」と聞くと、
「わかる」と答えました。

「何か、言うことある?」と私が聞くと、「宜しく頼む」と言えました。
彼氏も、「はい」と答えていました。

その後は、何か言っているのですが、何を言っているのか、聞き取れませんでした。
呂律が回らないと言うか、妄想を言っているのか、変でした。

「疲れた」と言うので、夫と別れを言い、次女たちは帰る事にしました。



▼18日(土) 酷い雪の中病院へ
看護師さんから、「色々な拒否が出て来て、唾を吐きかけたり、汚物で汚れた体を拭くのを嫌がられたり、水もむせるし、食事も食べさせようとしても拒否されるので、点滴をしていますが、流動食を鼻のチューブから入れることになると思います」と言われました。

「お世話を掛け申し訳ありません」と、謝りました。

15日・16日とは、雲泥の差でした。

骨格標本みたいと、思うほど、痩せて、骨から皮膚が垂れ下がっています。
このまま、点滴と、流動食だと、どうなるのだろう、体力が無くなって、ますますダメになってしまうのではないかと思います。

来週、主治医と面談し、昼食時、私が食事の介助をして、夫に食べさせたいと、伝えたいと思います。


133.輸血の力はすごい!

2014-01-10 22:13:48 | 前頭側頭型認知症

1月9日(木) また勤務(午前勤務)中、日赤から電話

貧血を起こしているので、輸血をしたいのですが、
拒否反応を起こすこともあるので、承諾を得たい

良くなるのであればと、同意しました。
面会に行って、書類にサインをすることで良いとのこと。

勤務後、S病院へ、12月分の入院費を支払いに
ついでに、夫の荷物を貰いました。
夫がお世話になった事のお礼を述べました。
そして、相談員さんと面談しました。


面談の内容

夫のこれまでの治療と様子を報告しました。
それを聞いていた相談員さんが、
お医者さんの中には、話を深刻に話し、
患者の家族が、病状を楽観して、後で
病状が悪くなった時に、
「先生はあの時こう言いましたよね」と、
クレームをつけられないように、話す先生も
おられると話してくださいました。


『内科的にと言うのであれば、内科の先生に、どのくらい悪いのか?
聞いてみたらどうですか?それに、どのくらい(生きられる)とか、
先生に直接言われたのですか?』と言われました。

確かに、その通りで、
夫の様子が、本当に死にそうにしか、見えませんでしたし、
脳外科の先生が、希望を持てそうにないことばかりを仰る
ので、私が勝手に、もう夫が死ぬと覚悟を決めろという事
なのだと判断したのでした。

『あまり悲観的に受け取らず、良くなるための治療を
行っていると解釈して、希望を持ってください!』


自宅への帰り道、その通りだと、泣いて帰りました。

  【  希望を持とう! 】 と



自宅に帰り、姑を載せ、日赤へ行きました。

夫は、話しかけると、返事をし、会話が成り立つ状態に。
それでも、酸素マスク状態で、左を向いてうとうとしている。
話しには答えられるものの、弱々しい声で、
本当に良くなっているとは思えませんでした。

姑と、取りあえず聞くことにはきちんとした返事が返って来る
事を喜んで帰ったのでした。


1月10日(金)  昼頃、出勤(午後勤務)前に夫の所へ


輸血を外すところでした。
そして、なんと、

    夫、 復活  しました。

元気~~~!!!

びっくり!!!!!

夫が、起き上がり、
私を見つけて、
視線は普通

『わぁ~、お父さん、元気になったの!? よかった~~!』
と、思わず大きな声を出して、喜んでしまいました。


『あと、家に帰る』 と、大声を出し、
手袋をはずそうと、暴れだしそうになりました。

『家に帰る!』 
『お父さん、まだ、だめだよ。』
看護師さん『そうですよ。まだまだですよ』
『家に帰る!』

暴れだして、拘束されるかもと思い、
また来ることを約束して、退散しました。

    前頭側頭型も復活でした。

でも、よかった~~~~と、安心しました。


仕事に行って、同僚に、元気になっていた事を
話しました。

仕事を、落ち着いてすることができました。

自宅に帰り、姑に報告。
姑もすごく喜びました。

電話で、夫の病状が悪くなった事を話した親戚に
元気になった事、お騒がせしたことを報告しました。


この喜びが、糠喜びに終わらないことを念ずるばかりです。


良くなって、またS病院に戻れると、
希望をもって、すごしたいと思います。


132.酸素

2014-01-09 01:28:11 | 前頭側頭型認知症

1月8日(水) 勤務中 主治医から電話

話の内容


主治医>
今朝がたから、熱があり、
検査したところ、
血液中の酸素の値が急激に低下し、
酸素マスクをしてもらいました。
お話をしたいのですが、

これから、来ていただけますか?

私>
私は一人勤務の状況で、交代要員はいません。
予めわかっていることであれば、
交代も容易にできることなのですが・・・。
そうもいかないので・・・。

主治医>
それでは、電話でもかまいませんか?

私>
はい


主治医>
ご主人は酸素をしていかないといけない状況です。
これから、挿管(口から管をいれて、酸素を送る)が、
必要になることも起こりえますが、どうしますか?
更に、挿管だけではなく、気管切開して、酸素を
送る事(人工呼吸器?)をつけることも考えに
入れておかなければならなくなる事もあるかと
おもいますが・・・。

私>
夫の呼吸がとても苦しい状況になってからでは、
おそいのでしょうか?

主治医>
今現在、酸素濃度が思わしくなく、
熱もありますし・・・。

私>
そういう状況になりましたら、
挿管をお願いします。


おおよそ、このような会話をしました。
正しい記憶か自信がないので、おおよそです。



仕事をすることに決めたのに、
いてもたってもいられなくなりました。

職場の上司に連絡・事情を説明し、交代の人を探し、
勤務を代わってもらう事が出来ました。

姑に電話し、簡単に説明、耳が聞こえないので、
とにかく、病院に行くから、準備をしておくように
言いました。

突然のことで、姑も、びっくりし、動揺しているのが
うかがえました。
それでも、実の息子の本当の様子を知って、
姑にも早めの悲しい現実と向き合い、
覚悟をしてもらいたいと思いました。
(私って、厳しい嫁・・・)

家に着き、昨日の夫の本当の状況と
その時の私の気持ちを話しました。
そして、酸素マスクが必要になった事、
いつどうなるかわからないから、
会っておくように、話しました。

車の中で、姑は、泣いている私に、
話しかけてうるさかった。

つい、うるさいといってしまいました。


病院で、
主治医が私が行ったことに驚いた、
「来れたんですか?」
私、「気になって仕事にならないので、
上司に行って勤務を代わってもらいました。」
「それでは、お話ししましょうか。」

夫は確かに酸素マスクをしていました。
姑のことも私のこともわかり、
わかるか?と言うと、うなずいていました。

手を出しましたが、手には、ミトン(指のない)を
されていました。
それでも、意識があり、手を出したり、上げたり
できました。

姑を夫の傍に残し、私だけ主治医と面談しました。

脳の状況を見せていただきました。
出血が消えているところ、大きく残ったところがありました。
左側でした。(映像では右側だったので実際は左です。)


酸素が必要になったのは、肺炎かもしれない。
熱の原因もはっきりわからない。
(血中の)酸素濃度は、昨日までは、167
今日、56、昼には37、今酸素をして、58
37はとても、低い値だそうです。
危険と言われたかは記憶が定かではありません。
言われたように思いますが…。
今日(8日)の午前中は、看護婦に車いすを押してもらい、
ホールに出たことを伺いました。


酸素濃度が薄くても、ガンと違い、苦しくないのだと、
主治医はいいました。
私は、内心、認知症で認知能力が落ちても、
呼吸が苦しかったら、苦しいのではないかと思いました。

はっきりと、死の宣告を、覚悟しなさいと言われたわけでは
ありません。


遠まわしに、危険なこと、
肺炎の処置を行っていること、
内科的に、血糖値の乱高下も何が原因かわからない。
挿管のこと、人工呼吸器のこと、
それをしたとしても、内科的なことを考えても・・・。
他のご家族の方は、本人に苦しい思いをさせたくない等
本人の意思を重んじ、しない場合もある等
家族がどこまで、生かすかを望んでいるか、探っているよ
うに思いました。

大阪の次女が、まだ、このようになった夫と会っていないこと
意識のあるうちに合わせたい事を伝え、
夫があまり苦しい状況になったら挿管も致し方ないので
お願いしますと話しました。
人工呼吸器については、話しませんでした。

私は、もう、覚悟をしないといけない状況になったのだと
わかりました。
その覚悟をしてくださいと言う意味の面談なのだと
おもいました。

『糖尿も長いこと患っているので、もう、肉体的にボロボロなの
でしょう。もう覚悟をしたほうがいいですね。』と話しました。


夫の様子を見に行くと、
あえぐような苦しい様子ではありません。
話しかけると、
声がかすかで、何を言っているのかわからない。
「なに?」と聞き返すと、
「あそこに行く」
「あそこってどこ?」と聞き返すと
「ホール」と言えました。


両手を出した、体を起こしたそうにしました。
「聞いて来い」とも言いました。

「一日一回なんだって」と言うと、
隣にいる姑が、「そうなの?一回なの?」と
聞いてきました。
(内心、またか、耳聞こえないから説明面倒くさい)
「こんな状況で車いすでいけないでしょ」と、
姑をたしなめました。
場を繕っての、嘘も方便が、わかりません。
ウソだと言うと夫にわかるので、その言葉は
言いませんでした。
「今は無理だから、また明日お願いしよう」に
納得してくれました。

次女に会いたいか聞いてみました。
この事は聞くのにためらったのですが、
つまり、夫に死を意識させてしまうかと・・・。
でも、それも、わからないかもしれないとも・・・。
それで、思い切って聞いてみました。

夫は返事をしませんでした。
また、「ホールに行く」と言いました。

姑が帰ると言ったのを機に、
『帰るから、また明日来るから』と約束して来ました。
夫も帰るのにはうなずいてくれました。


昨日は食事中、涙(?)それとも、ただ単に目やにの
液体(?)というのが、左目の目じりに出ていました。
今日は、その時、同じように見つけました。
もしかしたら、涙なのかもしれません。
どんなに、自分の状況が悲しいことでしょう!

低ナトリウム血症で大学病院に入院した時から、
どんなに
ず~~~っと死を意識してしていたことでしょう。

そう思うと夫がかわいそうでなりません。


131. 転落から9日(様子が・・・)

2014-01-08 20:25:48 | 前頭側頭型認知症

1月7日(火) 午後4時過ぎ 夫の面会

ちょうど、排泄処理をしてくださっていた。
 く ・ さ ・ い


病棟中、便臭・・・。

排泄処理 ・・・ 介護という事なのか


夫を見ると、

? 夫が寝たきり?

様子がおかしい・・・。


拘束され続けていて、動けなくされているので、
だんだん認知症も進んで来たのか?
それとも、くも膜下出血の影響なのか?

目が変・・・。
認知症の人の目!
何を考えているのか判らないぼんやりした目つき。

それまでは、話す言葉もはっきりしていた。
目つき・眼差しは、しっかりと意識がある人の、
まるで普通の人のような眼差しだったのに・・・。

目やにが付いている。
目をちゃんと開けておれない。
今にも死にそうな人の目のように、時々、まばたきをする。
どこを見ているのか、視線がさまよう。
視線が、どこか一点から動かない。

いったいどうしちゃったの?

言葉も食べることと時間のことだけ・・・。
病院・拘束の刺激のない状況だからだと思うが、
それでも、なんで?急じゃないの?変になった?

手を触ると熱っぽい。
看護師さんに話し、熱を測ってもらう。
37.0°c
さほど高くはないが、気になると伝えた。
夜気にして観てくれることになった。

夫は熱っぽいのか、ベッドの冷たい金属の柵に�拙まっていました。
そこに�拙まって体を起こそうとしているようにも見えました。
でも、もう自分の力では、ベッドから体を起こすことが出来ません。

看護師さんに、入院時、3日には退院できるかもしれないと
言われていた事。そして、主治医と面談していないことを話す。

主治医の先生は
会議が5時まであるので、待っていただけるかと聞かれた。

私は待っていることにした。

私はS病院に戻れるなら、本人も希望しているし、病状が良くなって
落ち着いたら、退院させていただくこうと思っていた。


主治医と

脳の出血は止まっているし、悪くなっていない。
血糖値の乱高下が気になる。


私から

S病院でも血糖値は乱高下していた。
低血糖を早朝3時・6時と2回も起こし、ブドウ注を
していた事もあること。
とても、こだわりが強く、肉・油いため・くだものは
絶対食べないこと。時には窓から捨てていたこともある事を
伝えました。
それで、低血糖が怖いので、S病院では、夜のインスリン注は
止めていたことも伝えた。

主治医

まだ、心配な点もありますが、
連休明けにS病院に転院する方向で考えましょう。
その前に、CTを撮りましょう。

と、言っていただいた。


私は、夫の夕食に久しぶりに付き合いました。

夫は自分では体を起こすことはできませんでした。
看護師さんがベッドを起こしてくれました。

よだれかけのような、ナイロンのエプロンをつけてもらいました。

夫は、箸を持つことができました。
ただし、弱々しい手つき。

最初に、お吸い物
はんぺんらしいものが数枚。
箸でつまんで、口に運べました。
けれども、口を大きく開くことができません。
力なく、なんとなく、開けています。

夫は押し込むように、入れていました。
すする力も弱くなっていて、はんぺんを
唇からだらっと垂らしていました。
汁を飲む時は、お椀を傾け過ぎて、
唇に届くまでに、汁がこぼれそうになりました。
私が、手を添えて、傾きを抑えて、
なんとかお椀を唇につけることができました。
汁は上手にすすれず、口の左端から、
タラタラと滴り落ちました。

左の脳が障害されてきたのかと思いました。

吸い物を一気に全部飲みました。

続いて、ごはん。
箸でご飯をわりと上手につまんで口に運ぶことが
できるのですが、口の中に、
い~~っぱい詰め込みます。

口から、ポロポロこぼれてきます。
こほっこほっとしながら、詰め込んで、
食べるので、
「ご飯ばかりでなく、他も食べようか」と
別の器の蓋を取りました。

白身の魚の野菜やキノコのあんかけ。
ちぎるのに難儀していましたが、
箸で何とかちぎり、少し口に運びました。
ネギの煮たのが、唇から、タラ~~。
魚の半分ほど、口に詰め込んでいました。

次にご飯。魚。高菜の漬物。何かの煮もの。

くだものは、キウィでしたが、
私の予想通り、食べませんでした。


主治医の先生が、まだ残っていて下さって、
「〇〇さん、ワァ、ちゃんと食べたね。」と言って、
「今夜から、インスリンの夜の分は止めてみます。」
と言って下さった。


血糖値の測定を待たず、帰る事にしました。

夫には明日も来るからと約束しました。


帰りの車の中で、
もう、夫を、本当の、介護・介助をしないと
いけないんだと、涙がでました。

とても、ショックを受けて帰りました。
姑に、「どうだった?」と聞かれましたが、
どう返事をしたらよいのか判らず、
「・・・」無言になってしまいました。
再度聞かれ、「ん、あまり・・・」と、
そっけない返事になってしまいました。










130.転落から4日

2014-01-02 23:41:23 | 前頭側頭型認知症

夫の顔面は、更に酷くはれ上がり、目が落ち窪み、目の縁に血の縁取り、鼻の穴の中は血の塊、おでこには血のタンコブ・・・。

言いようがないほどの異様な顔になっています。

12月31日(火)
転落から2日経って、面会に姑と娘を連れて、日赤のHCUへ

夫、案外大人しく、ベッドに横になっていました。
お昼にはおそばを食べたとの事。
『年越しそばを食べられてよかったね』と、娘に言われ、
『そうか』と言う顔をしていました。

夫は、階段から落ちたことを判っていませんでした。
でも、頭も痛かったでしょうし、
娘や姑や私に『階段から落ちて、血だらけで、救急車で運ばれたんだよ』と言われて、『そうか、そういう事があったのか』と、素直でした。
『顔を見たい』と言っていましたが、病院の方でも夫が驚くだろうことに配慮してくださってるのだろうと思いました。

姑がショックを受けているようで、早くに帰りたがりました。
帰ると言うと、『(来てくれて)ありがとう』と素直な言葉がありました。



歳が明けて、

平成26年1月1日(水)

転落から3日、娘と面会へ
姑を誘いましたが、夫の顔にショックを受けて、『行きたくない』との事。

息子なのに・・・。
でも、歳とっているから仕方ないなあと諦めました。

面会に行くと
もう形相が、不穏・・・・・。
怒っていました。

理由
『起きたら、S病院から日赤に運ばれて寝ていた。』

もうすっかり、階段から転落したこと・救急車で運ばれたこと・日赤に入院していることを忘れていました。
何度も何度も何度もリピート・リピート・リピート
何度説明しても、夫の頭の中には、階段から落ちたことも救急車で運ばれたことも、はっきりと脳内出血があった事も話しましたが、どうしても覚えられませんでした。

夫に脳内出血の話をしても、そこには何の関心もありませんでした。
大変なことなのに、大変だと言う認識はないようです。
そこには何の反応もありませんでした。

怒って、何度も聞き返し、説明し・・・・・・・。
その内、日赤の住所と電話番号が気になったようで、
住所でゴタゴタ、
私『上〇〇だよ』(正解なのですが、納得しない夫)
夫『河〇だべ』のやり取りが続く。
夫『看護婦に聞いて来い!』と怒りマーク。

看護師さんに住所を教えて下さいとお願いすると、
封筒を渡してくれました。

夫、それを確かめて、ようやく納得。
ちょっと落ち着いたようなので、娘と帰ることにしました。

『また明日来るからね』と娘に言われると素直になっていました。
でも、夫の表情は硬く怒った顔のままでした。

帰り際、看護婦さんに
『夫の様子が、昨日より悪くなっているように思う。脳内出血の影響なのでしょうか。』と聞くと、担当の先生と話してくださいました。

ストレスのためだと説明されました。

また、看護師さんの方から、
『朝食の時、朝担当の看護師に、ご主人が牛乳を投げたそうです。それと、豆も廊下に投げたそうです。』と言われました。
『御迷惑をおかけして申し訳ありません。よろしくお願いいたします。』と、頭を下げてお願いして来ました。

外傷性くも膜下出血の影響で、更に、症状が進んでしまったのではないかと心配になりました。でも、内出血をおこしたのですから、何も影響が出ないはずはないですよね。仕方ありませんね。受け入れていくしかないですよね。


1月2日(木)
面会に行こうと車に乗ろうとしたとき、携帯に日赤から連絡。

午後2時過ぎに一般病棟に移る。
タオルケット一枚
洗面用のタオル3枚
持って来るようにとのこと。

3時半頃、面会に行きました。
5病棟に移されていました。

穏やかな顔になっていました。
顔の腫れはますます酷くなっていました。

『俺の顔ひどくて、もうどこにも行かれない』といいました。
娘とわたし『え?顔見たの?鏡で?看護婦さんに見せてもらったの?』
『んだ、鏡見せてもらった』

ようやく事態を納得したようでした。
階段から転落したこと、日赤に入院していること

それでも、S病院から日赤に運ばれたと思っているようでした。
娘が転落した日のことを、詳しく話して聞かせました。

昼は家族4人で、市場にラーメンを食べに行ったこと(覚えていた)
夕食にきりたんぽを食べ、せりの根っこをいっぱい食べたこと(覚えていた)
転落のことはやっぱり記憶にないようでした。

頭を打ったのだから当然のことです。

拘束されていることを嫌がっていました。
『頭を怪我しているから、動いてふらふらしてもっと具合悪くなれば大変だからだよ』と、娘が話すと、仕方ないかと諦めるようでした。でも、また、同じことの繰り返しが続きます。

『ここも、気違いばかりで・』と、言いかけるのを私がさえぎって、『そんなこと言うもんじゃない』と、小さい声でたしなめました。前頭側頭型認知症です。

けれども、夫と同じように何度も看護婦さんを呼び、指さしし、大声を出す、50代らしい夫より若く見える男性がおり、娘とお父さんと同じかもねと話しました。足を怪我していましたが、会話もでき、元気な方でした。

その方のご家族のことを想いました。

夫はもっと居ろといいましたが、帰る時刻を宣言し、帰ってきました。
宣言はやっぱり有効です。

明日、また面会に行きます。


夫の認定が、 【 要介護4から、要介護3 】 になりました。