前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

146.最近の夫

2014-07-14 12:19:17 | 前頭側頭型認知症

4月11日に夫の事を書いてから、かなりの時間が経ってしまいました。
今の夫はとってもよくなりました。とても認知症とは思えない普通の会話が、6月29日(日)にはできて、とてもびっくりしました。目つきもしっかりしていて普通の人のようです。でも、また傍にいる人の悪口がすぐ出ました。
やっぱり前頭側頭型認知症かと思いました。

愛犬が体調が思わしくなくなってきた頃と同じころ、夫の方の体調は愛犬とは逆にとても良くなりました。

年末階段から転落して日赤に救急搬送、外傷性くも膜下出血と診断され、酸素吸入や輸血を必要とするほど、死にそうだった状況だったのに、くも膜下出血もたいしたことなく、特に心配するような障害は無いでしょうと言われ、その通りで・・・

入院中に、発熱、それが誤嚥のための肺炎を疑われ、経鼻管栄養で、手と腰を拘束される状態になった。そこから、熱の原因を検査、肝臓は大丈夫、結局腎不全と診断され、けれども、透析の必要は無く、利尿剤で状態が改善した。その間拘束は続いていた。

入院時から、S病院に転院を希望していたので、3月末に転院。
内科では壁や床に汚い唾を吐きかけ、看護師さんたちに悪態!

4月に入り、精神科病棟に移されてから、家族の希望で、何かあっても家族の責任だと言われたが、経鼻管栄養をはずしてもらった。

それからどんどん良くなり、拘束がはずれた。
拘束と経鼻管栄養の時は、死を予感して、死ぬ前にやっておきたい事として、レコードと演奏者の厚い雑誌を見たり、大リーグや高校野球・プロ野球名鑑を見たり、

刻み食から、1300キロカロリーになり、
今は何と1600キロカロリー!

体重も経鼻管栄養の時は33㎏まで落ちていたが、37㎏に回復。
相変わらずガリガリだが、夫本人も、体重が増えたことを喜んでいる。

33㎏の時は、看護師の介助でしか歩けなかったのが、少し歩けるようになると、勝手にベットから起きてフラつき、転倒して顔と頭を打った。取りあえず無事だった。
その後から、歩行器につかまって歩くように指示された。

今ではその指示も無視して怒られるほど、すたすたと歩いている。
ただし、背骨が少し曲がったようで、首が前に出て、やはり老人の体型になってきた。

紙おむつをしていたが、歩き方がしっかりし、自分で間に合っておしっこができるようになり、また、おむつかぶれが出来て来たので、今は自分のパンツ(トランクス)をはいている。

糖尿病の方は進行している。
そのためなのか、老化のためなのか、
皮膚の乾燥のためか、かゆみがあちこちにあるようで、掻いた後が茶色に変色し、皮膚も硬くなって異様。
最初は右足のすね、その次が左腕、背中と首。
軟膏が何回か変わり、今ようやく、少しずつ元に戻りつつある。

血糖値は相変わらず乱高下。
朝食後から昼食前に、400~500の間の数値、
その後徐々に下降し、夕食前に正常値まで下がる。
就寝中低血糖を起こさないように、インシュリンの調整を慎重にしていただいている。
手厚い看護があって、無事に生活できていると思う。
本当に有り難い!

そして、現在。
ナースセンターから、4人部屋に移って1ヶ月位になる。
同室の人から、おやつを盗んだと言われた。
でも、その方は物盗られ妄想があるらしい。
精神科病棟だから、色々な人がいる。
その色々な人を、夫は悪態をつく。
看護師さんの事も。

自分が気になった事はすぐ口に出す。
良いことも悪いことも、全ては自分の基準。
相手の事を思いやるとか、想像するとかができない。
理性と感情を司る前頭葉に主に委縮がある。
自制は効かない。
トラブルも少しずつ起きて来ている。

看護師さんたちの様子も、少し私に距離を置いて感じるのは
私の思い過ごしだろうか?
前頭側頭型認知症だから仕方ない、
精神科病棟に入院させてもらって看護もしてもらうのが、
夫にとって一番安心だと思っている今の私です。

けれども、先週7月9日精神科の医師に、
長いことこの病院にも入れないと言われました。
夫の病状が安定してきているからです。

私の不安を話しました。
施設に行く話は昨年にも出ており、施設を探してもいました。
でも、前頭側頭型で、精神科病棟の患者さんともトラブルを起こしてケガをするような夫が、他の施設に行って何事もなくやっていけるとは思われない事を話しましたが、それはどこに行っても同じでしょうと言われました。
確かにその通りです。

相談員の方にも、こういうレクリェーションがありますよとか言われましたが、夫はそんな子供じみたこと、年寄りがやる事だと、軽蔑して、大嫌いで、絶対やらない性格です。どこまでも頑固で自分の意思を曲げません。
そんな夫を他の施設に移すことを考えたら、また夫がどんな状態になるのか想像できません。

精神科の医師は、悪くなったら戻って来て、また、施設に行ってとそういう繰り返しになりますよ、と言いました。
慣れたもの言いでした。
そうなのかもしれませんが、安全のためにと思う私、
でも、どこかで楽したいと思っていない?と自問する私が居ます。

このまま病院に居て刺激がなくなって、糖尿病・認知症が徐々に進んでいくのを、ただ見守るだけで言い訳は無いですよね。
やはり、施設にと考えていかないといけないのかもしれません。
それをどう夫に話せばいいでしょう。
主治医から話してもらってもいいのですが、私も言わないといけないと思います。
その時に、夫は私をどう思うでしょう。


今、ようやく夫は、『お前が来てくれるのは有り難い』、『助かる』、『うれしい』と言う言葉を言ってくれるようになり、私の精神状態も夫の事に関しては落ち着いて来ていたのです。
愛犬の死の悲しみもようやく乗り越えられそうになって来たのに、また、突然涙が出てくる状態に逆戻りしています。


他の方たちの前進しているブログに接し、
このままじゃダメ。
がんばろう!

でも今は、もうちょっと、仕事と家の事と娘の事を考えたいと思います。
少しずつ、今の問題を処理していきたいと思います。




145.愛犬の死②

2014-07-02 01:14:45 | ペット

6月12日(木)
ポン太が亡くなって、泣いてばかりもいられませんでした。

悲しくても、亡骸になったポン太の火葬・お葬式をあげなくてはなりません。

ただ、私一人では重いポン太を抱き上げることもできません。
姑は火葬・葬式にでたくないかもしれません。
そうなれば私一人で何もかもやらなければなりません。
とてもできないと思いました。
他人の手をかりなければなりません。
でも、動物の死体の処理に付き合ってもらえるような、頼めるような親しい人を思いあたりませんでした。
頭に浮かんだのは、東京にいる長女でした。
ポン太も会いたがっていただろうし、長女も死に目に会いたかっただろうし、私も一人で火葬・葬式執り行うのは辛かったので、来てもらうと有り難いと頼みました。

長女の来れるのは、土曜日の14日(土)午後との事。
それまで、ポン太の亡骸を自宅に置いておかなければなりません。
火葬・葬式にかかる費用の事もどのくらいなのか、亡骸をどのようにして運んだらよいのかもわかりません。

かかりつけの動物病院に亡くなった事を知らせ、亡骸を2日間置いておけるもなのかどうか、費用はどのくらいかかるかなど、電話で問い合わせました。
お悔やみを言っていただき、ペット霊園のパンフレットがあり、それを持って行くと少しだけれども割引になると教えて戴き、取りに伺いました。

亡骸はせいぜい置いておけるのは1日・2日。
普通に亡くなっても、6月の熱くなり始めた時期では、体内の細菌が繁殖し腐敗も進むと教えてもらいました。

ペット霊園に電話をし、火葬・葬儀の予約(14日午後2時半)を入れ、亡骸の保存方法を教えてもらいました。

保冷剤をタオルにくるんで、お腹の回り・首の周りにぐるっと巻いて、冷やしておくこと。直接肌に触れるようにすると、そこから腐敗が始まり、腐った匂いがしてくるとの事でした。


保冷剤をその日のうちにあちこちのスーパーやホームセンターに探しに行きました。うちのポン太はラブラドール。下痢で痩せたとはいえ、体格は大きいので、保冷剤も大量に使わないと、間に合わないだろうと、保冷材の大を10個、中を6個買いました。

12日は、職場に休暇をお願いしました。
保冷剤を体に巻いて半日、夕方頃にはもう柔らかくなりはじめ、凍らせておいた別のものと交換。また、数時間おきに取り替えました。
その間、ポン太の体はどんどん体温が下がっていき、硬直していきました。
ちょっと出していた舌を、首の周りに保冷剤をまきつける時に、頭を動かした時、牙で噛ませてしまったようで、少し血がにじみだしました。まだ、腐敗臭はありません。

ポン太の耳は、何とも言えず、柔かいソフトなベルベットの手触りです。亡くなっても同じです。背中の部分の毛は、太くて少し固め。お腹の毛は白くてくるっとウェーブしています。尻尾は固くてゴワゴワした毛。頭の毛は柔かくスルッとした感じです。

一日中、ポン太の保冷剤を替えながら、体をなでていました。
涙も鼻水もドォーと流れて、ティッシュが手放せませんでした。
鼻の下が、ヒリヒリしました。

それでも、朝ご飯・昼ごはん・夕飯も作らないと、おばあちゃんがお腹を空かせてしまいます。簡単にあるもので食べました。
二人でボロボロ泣きながら、ご飯を食べました。
次の日のこと、火葬・葬儀のことも話しあいました。

金曜日・13日は仕事に行く事にしました。14日土曜日も午前中はどうしても仕事に行かなければなりませんでした。

仕事に行っている間に、ポン太の体に巻きつけてある保冷材の交換を、87歳の姑に頼むには不安だったので、仕事に行くギリギリに保冷材を全部交換をしていくことにしました。

13日朝、起きて来てポン太を見ると、お腹が膨らんでいました。
触って見ると、確かに膨らんでいて体温も上がっていました。
あんなに冷たくなっていたポン太の体が、生きていた時より膨らんで、温かくなっていました。腐敗が始まりました。細菌が腐敗を進め、熱を発生させているのだとわかりました。

長女が帰って来るまで、これ以上腐敗が進まないようにしなければと思いました。
また、保冷剤を買いにスーパー周りをして買いました。
ポン太の亡骸をなでながら、保冷剤を取り替えました。
葬儀に使う、花を買い、供えるお菓子を準備しました。
そして一番大事な遺影の写真。
パソコンに取り込んでいたたくさんの写真の中から、桜の咲いている土手で、にっこり笑っているように見える写真を選びました。

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動物病院から立派なでかわいいお花をいただきました。

13日夜、長女から電話がありました。
ポン太が腐敗して、異臭を放っていたり、姿かたちが異様に変わっていたら、ショックを受けて自分が変にならないか心配していました。ポン太はお腹が膨らんできているものの、見た目はそれほど変わっていないと伝えました。
ポン太の保冷剤を取り替えること
火葬に持って行くもの
(ポン太が好きだった煎餅やバームクーヘン・リンゴ)

遺影写真
を袋に入れておくことを頼みました。

14日、仕事を1時半に終えて、自宅に帰り、娘と急いで準備しました。
夫の妹もお花を持ってポン太のお別れにきてくれたとの事でした。
ポン太を車に乗せペット霊園に向いました。

(13日から関東方面は大荒れで雨が酷いようでしたし、こちらも12日の夜中に土砂降りでしたし、13日も雨でした。13日午前中にペット霊園の場所を確かめに行ったのですが、かなり山の中の入った所にあり、雨のため増水した川が流れている低地を通る時は、洪水にならないか、崖の下を通る時は地盤が緩んで崩れて来ないか心配になりました。)

私・姑・長女と三人で葬儀をしました。
ペット霊園ではポン太を丁寧にきれいにしていただきました。
まるで人間のお葬式のように、VTRではありましたが、お坊さんのお経をあげていただきました。火葬の後は、遺骨も骨壺に入れました。その後、またお別れの挨拶がありました。ポン太がこんな風に思っていただろうと、人間が代弁したような挨拶に、ペット霊園の人が作ったものだとはいえ、涙しました。

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これが葬儀の祭壇です。

遺骨は8月に自宅の庭に埋めようかと思い、自宅に持って帰って来ました。
葬儀費用は、遺骨を共同墓地に入れるともう15000円位多くかかるのですが、自宅に持ち帰ったので、パンフレットの割引が1500円あり、差し引き48500円かかりました。

今私のパソコンの前には、次女が来ていた時に、動物病院に連れて行く時、車の中で録ったカメラ目線のちょっと悲しいげなかわいい顔のポン太の写真を飾っています。

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そして、長女が置いて行ってくれた写真の中から、おばあちゃんは下の写真がかわいいと飾っています。いまだにその写真を私の所に持ってきて、かわいいねと言って泣いています。

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亡くなって18日経ちました。
まだ、傍にいる様な気がします。
今も頭を私のお尻のあたりにくっつけて寝ているような気がします。