前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

176.肩腱板炎

2015-09-15 21:30:30 | 健康・病気

けんばん炎   初めて聞く病名でした

8月14日 午前2時すぎ 突然 左肩・腕に激痛がはしり、 目が覚めました。

あまりの痛みで、ショックを受け、これは当たって死んでしまうのかもしれないと、枕もとにあるメモ用紙に、症状と後のことを書きとめました。その日の夜、東京に帰った長女から11時半過ぎに電話がかかって来た時、症状と不安な気持ち、私に何かあったらを伝えました。

お盆の事なので、夫もいたのですが、我慢しました。

その後、車のハンドルを右にきると、左肩・腕に激痛が、腕も上がらなくなり、50肩か?老化か?と考え、病院にも行かず、腕を動かす時に突然起こる激痛に、顔をゆがめ、足を止め、肩を抑えて、痛みの治まるのを待つという生活をしました。

仕事がいよいよ忙しさを増し、とても激痛を我慢して仕事を続けることが出来そうになく、諦めて近くのかかりつけの整形外科に行きました。
8月27日(木)です。

症状を話し、レントゲンを撮り、けんばん炎と言って、肩と腕の付け根の隙間が狭くなって、神経がはさまれる状態になっていると診断されました。

「 痛め止めを注射しましょう 」となり、痛み止めを打ってもらい、湿布薬をもらい、買い物をし、自宅に帰り、昼食準備をし、仕事に行こうと考えていました。

ところが、買い物をして、家に帰る途中から、左腕が妙な違和感となり、握り拳を握りづらくなり、力が入らなくなってきました。
痛め止めのせいだろうと思いましたが、だんだん不安になってきました。

自宅に帰り着き、昼食(そうめん)の準備を始めると、ますます左腕が変になってきました。肘から下まで、触った感じはあるものの、ちょうど、歯医者さんで抜歯する時に麻酔されたようになり、もわ~~っとした感覚になりました。

痛み止めのせいだろうと思い、もう少し様子を見ようと思いましたが、仕事に行く時間が近づいてくるのが気になっていました。

トイレにおしっこをしに行くと、左手でスラックスのウェスト部分を持ち、左腕を持ち上げようとするのに、持ち上げられなくなりました。

(え?腕があがらない!)痛くないけど、腕が上がらないと仕事に差支える。

整形外科に電話しました。
「痛み止めに麻酔が入っているから、2~3時間で切れるので、様子を見てください」と言われました。

そうかと納得し電話を切って、昼食の準備を続行しました。

ところが、今度は後頭部からおでこにかけて、そして右耳の縁が同じようにもわ~~となり、( おかしい! )と、また整形外科に電話しました。

「いままで、この注射でそんなことになった事はない。今日は木曜日で、午後は休診だから、おかしいから、すぐ救急車を呼んで病院に行きなさい」と言われました。

不安はますます募り、仕事を休んで、市立病院の救急(急性胆のう炎を見つけてもらった)にいくことにしました。

市立病院では、まだ救急の診察が始まらず、外来受付で待つように言われた。しばらく待つと、救急医が来て、ようやく私の症状や状況を聞いてくれました。けれども、その先生は整形に回るように指示して戻って行ってしまいました。

またしばらく待ち、整形外科に行くように言われて、またそこでも順番待ち(午前中の患者さんがまだたくさん残っていた)。ようやく私の番が回ってきました。待ち時間が過ぎて行くうちに、腕のもわ~~っと感が取れて、左腕の痛みがまた戻っていました。後頭部からおでこと右耳のもわ~~っと感はそのまま残っていました。

若いハンサムな先生に肩腕を見てもらい、痛み止めの注射の事を聞くことができました。
けんばん炎に間違いない。
痛み止めには3種類ある。麻酔だけ。ヒアルロン酸だけ。麻酔とヒアルロン酸。
私が受けたのは麻酔だけだろうという事だった。
後頭部からおでこ・右耳のもわ~~っと感が心配だと話しました。
脳卒中を心配していた私を、丁寧に診ていただき、「心配を除くために、脳神経内科でちゃんと調べてもらって安心した方が良いでしょう?」と脳神経内科に回され、またまた待ち、脳のCTを取り、問診と診断で特に問題がない。脳の委縮も年相応だそうで、頭がい骨と脳との間に隙間がありました。

「肩の近くに頭に行く神経も通っている。頭と耳の痺れのような感じはまだ取れていないようなので、血流が良くなるようにビタミン剤を出しましょう。」「ビタミン剤はなんですか?」「ビタミンB12です。」

このビタミンB12は、メチコバールという薬でした。

後頭部からおでこにかけてと右耳の縁のもわ~~っと感が取れるのに、一週間くらいかかりました。

相変わらず、左腕の痛みは、動きによっては激痛がはしります。

洋服の脱ぎ着、特にブラジャーのホックをかけるのに、左腕は回らず痛みをこらえてやっています。

車のハンドルを右にきる時も同じです。

助手席からバックを持って車から出ようとする時が一番激痛がはしります。今は一度車から降りて、左側のドアを外から開けてバックを取るようにしています。

寝ていて寝返りを打つ時、洗濯物を上にあげる時

老化だよなあとつくづく思います。

遅ればせながら、痛くても腕を動かすように習った体操を、ちょっとずつやっています。

肩の骨がポキポキなります。

潤滑油が切れたのでしょうね。


166.急性胆のう炎(つづき)

2015-05-25 22:00:57 | 健康・病気

 手術が4月28日(火)
 咳が相変わらず酷く、腹筋と傷が咳と同時に痛くなり、お腹を押さえて咳を抑えよう、我慢しようと頑張りました。
でも、出る物はでるのです。同室の方にも大変迷惑な事だろうと思いました。
 
 29日(水) みどりの日 祝日
 相変わらず、咳が酷くお腹も痛い。ただし、胆のうの痛みではない。胆のうを取っちゃんたんだから、当たり前の話ですよね。
 
 お昼前、長女が来てくれました。
 姑が、お金を出すから、長女に、来て欲しい(理由:結婚していないし、子供も居ない)と、たっての願いを聞いてくれた。4月初めに友人の結婚式出席のために帰省したばかりだったので、申し訳ないことでした。それでも、姑が交通費や仕事を休ませてしまうという事で、お金を出してくれることに、長女も私も甘えさせてもらう事にしました。
 
 本当に大助かりでした。
 姑のご飯の支度。夫の入院している病院に、おやつの缶コーヒーとゼロカロリーのこんにゃくゼリーを持って行き、引換のように洗濯物を持って帰って洗濯をする。夫はびっくりして、とても喜んでいたらしい。
 わたしのことも、心配してくれたようだ。

 退屈な入院生活も娘が面会にきてくれて、普通の会話ができることが嬉しかった。
 姑と二人の生活は、姑の耳があまりに聞こえなくて、姑の話に首を横に振ったり縦に振ったり、大声で答えたり話したりで、毎日がうんざりする生活だったので、普通の声の調子で、何気ない普通の会話ができることが、こんなに普通に癒されるとは思ってもみませんでした。

 仕事のストレスではなく、姑との生活のストレスを感じていたんだとつくづくと思いました。

 おしっこもようやく管が外され、点滴を点けたままでトイレに自力でいけるようになりました。

 退屈だったので、持参していたパズルをやってみたのですが、なかなか解けず、(え~私頭わるい~~、全然解けない!)とショックを受けました。(いつもなら、もっとすんなりスラスラ融けていたのに~~)
 諦めて、カードを入れるTVをゆっくりと楽しみました。イヤホンを付けてというのも新鮮な経験でした。

 30日(木) 相変わらず咳が出るので、回診してきた先生に、「入院している間に、肺炎も直せないでしょうか?」とお願いしてみました。
 早速、呼吸器内科にまわされ、診察と詳しいレントゲンを撮りました。
 結果は、肺炎は初期なので、抗菌剤と痰の切れを良くする薬を処方して3週間飲んで様子を見ることになりました。
 また、鼻汁が喉の奥に落ちて行く事を話すと、蓄膿症かもしれないし、そのことで肺炎になったかもしれないと言われました。退院後、耳鼻咽喉科を受診するように言われました。
 入院費の事が心配だったので、看護師さんに相談していたところ、相談室の看護師さんが「限度額療養費の申請を今日中にした方が良いですよ」と言ってくれました。市役所がしまるまで、1時間しかなかったので、長女に急いで来てもらい、タクシーで手続きに行ってもらいました。
早速、事務の方に限度額認定証を提出しました。提出する・しないでは、6万円ほど違ったので本当に助かりました。
請求(手術と検査・1週間の入院等)の合計額はおよそ13万円と教えてもらいました。
 
 5月1日(金) 硬膜外麻酔で点けられた所に痛み止めの点滴がずっとついていたのが、外されました。
 これで、体に着いた点滴が全て取り外されました。
 途端に、お腹の傷の痛みが酷くなりました。痛み止めの薬を処方してもらいました。
 回診してきた先生が、「5月3日、退院になります。」言うのにも、またびっくりしてしまいました。本当に1週間だったので・・・。
 入院の期間を聞いた時に、早ければ5日間、普通で1週間と言われていたのです。
 なんだか、胆のう炎って大したことない病気なんだなと、思ってしまいました。

 午後から、退院後の食事指導を受けました。
 胆のうが無くなって、胆汁が出なくなるので、油ものは控えるように、注意されました。もともと夫が糖尿なので油ものは食べない生活だったので、苦痛でもないし、大変な事でもないようです。

 5月2日(土) 義理の妹がお花を持って見舞いに来てくれました。
 義妹の話だと、姑の所に夜訪ねて行ったら、鍵がかかっていて、チャイムを押しても聞こえないみたいで、縁側の窓ガラスをどんどんと叩いても聞こえないみたいで、結局あきらめて帰ったと言う話を聞きました。
入院が決まったその日のうちに、義妹がお弁当を2つ買って持って行ってくれていたので、前日にもお弁当を私が2個買ってあったので、食べる物には困らなかったでしょうが、やはり、これから、何かが起きた時には、姑はショートスティに行ってもらうこと考えないといけません。私が入院前に娘達と相談した時に話題に出たことなのですが、姑が長女を呼ぶことで、今回はどうにかなりました。次回はそうはいかないでしょう。

 5月3日(日) 私一人でタクシーで退院しました。
 退院前の体重チェックで、体重がなんと手術前と変わりませんでした。「なんで?胆のう取ったし、点滴が多っかったのに・・・?」病気したのに体重が変わらないのが恥ずかしくなります。

 午後、4時半頃、次女が孫を連れて来てくれるので、車を運転して長女と迎えに行きました。
 次女に呆れられましたが、もう普通にして良いと言われていたので、多少気になる事もありましたが、気にしないように生活しようと思っていたので、無理をしない程度に動こうと思いました。

 孫には、人見知りで泣かれましたが、かわいさに癒されました。

 5月4日(月) 長女、東京に戻りました。駅まで次女と送っていきました。

 5月6日(水)まで 次女と孫と楽しく慌ただしい、目の離せない、本当に楽しい時間を過ごしました。

 次女と孫は5月6日午前11時前に帰りました。


実弟、娘達、姑、義妹、夫と身近な家族の有り難さを心からつくづくと感じた1週間でした。

 5月7日(木) 外科・呼吸器内科・耳鼻咽喉科受診 咳と鼻汁は相変わらず、入院中から続いている。
 
 外科:摘出した胆のうに悪いものは見られなかった。血液検査の結果も白血球の値が正常値に入り、問題ない。外科的には治療は終了。
 
 呼吸器内科:まだ、薬は飲むように、2週間後・耳鼻科と一緒に受診。
 
 耳鼻咽喉科:レントゲンを撮る。副鼻腔炎と診断された。つまり、蓄膿症。治療を2~3ヶ月続けるとの事。抗菌剤と鼻汁の切れを良くする薬を処方された。


私は5月7日(木)午後から、仕事に復帰しました。

浦島太郎が現実の世界に戻ったら、こんなだっただろうなと、思う様ななかなか現実になじめない日が数日続きました。

今は、現実の中で、普通の生活に戻っています。

食事の準備や一人で買い物をする時、食後や、寝る時、腹部や背中の事が気になるのを、振り切って生活しています。

姑がかなり私に気を使ってくれるのですが、有り難いのですが、やっぱりうっとうしく思うのは私のエゴのせいでしょうか?
姑との関係を見直して、より良くするのが当面の目標です。

165.手術―急性胆のう炎

2015-05-17 20:25:31 | 健康・病気

4月27日(月)急性胆のう炎と診断され、即入院し、
  28日(火)9時 MRIを撮りました。初めての経験でした。

 夫が5年半前、前頭側頭型認知症と診断された時、MRIを撮った時、私に同席せてもらいたかったと、不安と怖さを話していた事を、ドラムの中のゴーンゴーン・ドンドンドンと言う音に、この感じを夫も味わったのだと、わかりました。
 夫は見た目よりずっと怖がりだったんだなあと思いました。
 ゴンゴンとすごい音でしたが、ヘッドホンから『となりのトトロ』の主題歌が流れてくるので、ゴンゴンの音の大きさで音楽もかき消されましたが、知っている音楽だとわかって頭の中で唄っていたので、気がまぎれました。
        
10時 実弟にも同席してもらい手術についての説明を受けました。
 腹腔鏡手術というのは、へそのところから、カメラを入れ、ミゾオチの少し下と、そこから少し下の右寄りの所・右わき腹の三か所からカンシを差し込んでと、器具も見せていただきました。
 胆のうをクリップで止めて、胆のうを切除し、切り取った所に管を付けて胃だったか小腸だったかにくっつけると言うものでした。
 クリップは残るものの、レントゲンなどの検査にも支障はないとの事でした。
 管をつけるのは、胆のうから胆汁が漏れて、内臓が障害されないようにするためでした。
 胆のうから出ている胆汁などの消化液は脂肪を分解するもので、膵臓からの消化液でも賄えるので心配はいらないとの事でした。

 実母が80歳過ぎに膵炎になり、入院している間に胆のう炎も見つかり、胆のうの手術を受けていました。弟が摘出した母の胆のうを見たのですが、細かい石があったそうです。私も今回胆のう炎になったので、「遺伝するのでしょうか?」と聞いてみましたが、それはわからないとの事でした。
 
 腹腔鏡手術についても、前日の27日に、TVで報道された肝臓の腹腔鏡手術で死亡者が出ている事を、心配だったので失礼かと思いましたが、質問してみました。胆のう炎については20年も前から腹腔鏡手術が一般的だと言われました。

 「お任せしますのでよろしくお願いします」おねがいしました。

 手術は3時からで、弟に手術に立ち会いようにと言われました。
 私一人で大丈夫ですからと言ったのですが、手術中に何かあった時のために必ず立ち会ってもらうことになっているとの事でした。
 弟には大変迷惑をかけることになりました。一度職場に戻ってから、また3時に来てくれることになりました。

11時 麻酔科医との面談
 硬膜外麻酔と全身麻酔で手術に入るとの事
 硬膜外麻酔と言うのは、脊髄から細い管を入れてする麻酔で、内臓の手術をする時の局部麻酔で、手術中や手術後の痛みが全然違うそうです。
 脊髄にすると聞いて怖かったので、それをしないで手術することはできないのでしょうかと、聞いてみました。
 できないことは無いけど、痛みが全然違うと困ったように言われたので、お願いしますと言いました。
 
 あとで判った事ですが、この麻酔の先生は、天才だったのかもしれないと思いました。
 硬膜外麻酔をされると、即行意識が無くなり、目が覚めた時には、手術室から出る所で、天井の蛍光灯が目に入りました。
 きっちりと手術に時間に合わせて麻酔が効いて、切れるように設定するのは、プロとはいえすごいなあと、感心しました。

15時 少し過ぎ、弟が来てくれ、手術

17時 少し前 ICU 外科の先生が無事終わりましたと来られ、看護師さんたちが甲斐甲斐しく働いていました。
   弟も来てくれ、「摘出した胆のう見せてもらったけど、母さんのより、きれいで石もちょっとあったけど白くなかったよ」と話してくれました。

ICUに一泊し、29日朝、病室にもどりました。



164.え~~~~~!!!!!入院手術?

2015-05-10 22:34:07 | 健康・病気

 4月27日(月)自宅を8時半に出て、私立病院へ

 日曜日の深夜から咳きもひどく出て来るようになっていました。 

 消化器内科はとても込んでいて、9時~9時半の予約時間だったのですが、なかなか呼ばれません。

 職場と同僚に仕事を休む連絡を入れました。

 呼ばれたのが10時半過ぎ、日曜日の状況の説明と、先生の触診で、腹部と背中の痛みが強くなっているのがわかりました。

 
 痛みが1日で強くなっていることから、「胆のう炎だから入院して手術だな」と言われ、「え~~~~~!!!!!入院して手術ですか!!!!!??????」 

 すぐに、インフルエンザ検査・血液検査と腹部・胸部レントゲン検査と腹部エコーを行いました。
 そして、先生の話を聞くと、エコー検査で胆嚢が炎症を起こし、初期の段階だが茄子のように垂れ下がって腫れていると言われました。

 また、軽いけれども肺炎が診られるとのことでした。
 「やっぱり」と言ってしまいました。

 前日の救急に行った時も話したのですが、2月から風邪を引き、一旦直り、3月末にまた風邪を引いて病院から薬を貰ったけれども、春が来て温かくなってきたから、自然と直るだろうと思って放置したことを話しました。それで、風邪がぶり返したていたのですが、インフルエンザに罹っていたともっていたのです。でも実際はインフルエンザではありませんでした。軽い肺炎でした。 

 
 入院し手術をと言われたのが、3時半ころ。

 更に、CT検査をしました。

 無石性胆のう炎と診断されました。
 普通の胆のう炎は石があるけれども稀に石が無いけれども炎症を起こすこともあり、原因はわからないとの事でした。

 急性胆のう炎の初期の場合は腹腔鏡手術するのが良いとのことでした。入院は1週間ほどで済むとの事でした。

 
 職場と同僚に電話しました。

 義理の妹にも電話しました。私の入院中の姑の事を頼みました。

 医師に、病状の説明に家族を言われましたが、夫の状況・姑の状況・娘達は県外と言うと、弟でもよいという事で、弟の携帯に電話し、説明付き添ってくれるように、また、入院の保証人になってくれるように頼みました。

 娘達にも電話しました。次女は5月の連休に来ると言ってくれました。

 
 みんな、驚いていました。

 月曜日に即入院と言われ、火曜日に手術と言われました。

 ただただ驚くばかりでした。


 最終の検査を済ませ、診断と説明を聞いて、終わったのが午後5時半。
 

 朝から9時間病院に居ました。
 前日のお昼から何も食べず、ビタミンウォーター500mlを一本飲んだだけでした。

 
 医師に入院と手術は了解したけれども、一旦自宅に帰えらせてくれるように頼みました。
 
 でも、まずは入院の手続をし手からにしてくれと言われました。

 病棟の部屋も決まり、担当の看護師さんからいろいろ入院の事を聞いて、また、外科の先生にも会い、早ければ明日の午後一番に手術するから、言われました。

 
 1時間半だけと時間を決め、8時までには帰って来る事にし、自宅に帰りました。
 
 
 入院手術の事を耳の聞こえない姑にきちんと説明しなければなりませんでしたし、入院に必要な物も準備する必要があったからです。

 耳の聞こえない姑に説明しに戻ると、義理の妹から聞いたともう夕飯に買ってもらったお弁当を食べていました。
 私よりずっと落ち着いていました。

 姑は長女に来てほしいと言いました。5月の連休も近く、4月17日から帰省し19日に帰郷したばかりの長女なので、交通費を出すから来させてと、姑の強い希望でした。次女は赤ん坊がいるので、来たら気を使うから来ないでほしいと言うのも、わかるけど酷いなあと思いました。

 長女に電話し、姑の希望どうり来てもらうことになりました。27日に来ることになりました。
 次女は旦那さんと相談し、5月の連休に来ることになりました。

 入院の準備はそんなに必要ありません。今は入院セットと言うのは有るのだそうです。
 洗面道具も何も持っていきませんでした。
 退屈しのぎに読む本(内田康夫の推理小説)とナンクロと足し算クロスという雑誌を持って行きました。

 8時に病院に戻ると、即、点滴でした。


 怒涛の驚きの1日が、過ぎました。酷い咳きこみが一晩中続きました。

 

 

163.発熱し、夜間救急へ

2015-05-10 21:49:03 | 健康・病気

 4月26日(日)夫がいつものように自宅に外出して来ていました。
 ブックオフで6冊、書店で娘達からもらった図書カードで今野敏の新書を2冊買って、ちょっと寒い日だったのですが、愛犬の散歩コースも、散歩しました。穏やかにすごし、機嫌よく私の車でS病院に帰りました。

 寒いなあと思っていたのですが、帰りの車の中で急に寒気に襲われ、これは熱が出て来たと思いました。

 頭もボーっとして、神経を車の運転に集中させようと意識しないといけない状況になりました。

 とても、自宅に帰ってから夕飯を作る気になれず、お弁当を買って帰りました。

 お花見弁当のようなおしゃれな弁当を2個買って、姑に食べてくれるように話し、私は弁当は食べずに牛乳を飲み、市販の風薬(コルゲンET錠)を飲んで、ふとんに入り休みました。その時の熱は37.6℃。
 横になっているうちに、熱が上がっていくのがわかりました。

 8時過ぎ、寒気が止まらず、体温は38.8℃になり、急激に熱が上がったので、インフルエンザを疑いました。12月に予防接種をしているので、5月までは効果が持続するはずですが、風邪も流行っていましたので、このまま寝ていても悪くなるだけだろうと判断し、夜間救急に、自分で車を運転し出かけました。

 市立病院の夜間救急は、大変込んでいました。

 待合室の長椅子に座っている間に、吐き気をもよおし、トイレに駆け込み嘔吐。

 昼ごはんからはおやつも食べていませんでしたので、吐き出したものは夕方に飲んだ風邪薬でした。

 我慢しきれずに、長椅子に横になり、込み上げてくるとまたトイレにを、3回繰り返しました。

 苦しんでいる間に、お腹も背中も痛くなっていました。


 診察の番が回って来て、診て貰うと、お腹、特に右肋骨下を圧されると痛く、鳩尾にまで痛みがひびき、右の背中も痛みました。
 胸のレントゲンと血液検査をしました。血液検査で炎症が診られると言われました。何の炎症かまでは聞きませんでした。
 インフルエンザはB型が流行しているとの事でしたが、私は陰性でした。
 とりあえず、吐き気止めと腹痛と止める薬を処方してもらいました。

 次に月曜日に消化器内科に来るように言われ、苦しいお腹を押さえて病院を出たのが、0時15分でした。