前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

116.血尿(愛犬)

2013-10-24 21:11:39 | ペット

10月19日(土)、20日(日) 夫 一泊二日の外泊

前回の外泊時、迷子になったため、病院で指導を受けたと思います。
はっきり聞いて確かめた訳ではありませんが。

『団体行動、協同行動、をする』

一緒に歩く  事にこだわって、私が先に歩くことを、非難しました。
「先に行くな、団体行動だ」 「待てっ!!」 

横断歩道も、going my way です。

右折車・左折車が、夫の通り過ぎるのを待つため、十字路が一時滞ります。
私は先に渡りきり、早くと手招きしますが、知らんふりです。

困った事ですが、早くと急かすと、「早く歩けない」と言います。
手を引こうとしたり、背中を押そうとすると、「触るな!」と怒り出します。

そうなったら、更に、横断歩道で掴み合いの騒動になってしまいます。




家の中でも、夫のこだわりに振り回され、私は大声を出してしまいます。


夫のこだわり
脱がない(洗濯させない)
指先の血糖値測定の針跡にカットバンを貼る
手で・指で玄関の取っ手や電気のスイッチ触らない
犬と一緒に散歩する
骨のある魚は食べない(骨を箸で取れない、手を使いたくない)
肉・たまご・くだものは食べない
ミニトマトを三食とおやつで、6っ個食べる
お茶を200ml飲む(何度も)→飲ませないようにすると尚更自分で大目に飲む
TVを見ている途中で、録画(VTR)を理解できず、昔のをやっていると騒ぐ



すべて些細のことなのですが、こちらが急かされ、あるいは急かすなと言われ、拒否され、時には、大声の怒鳴り合い、腕や手や湯飲み等を掴んでの喧嘩のような激しい状況になります。


それを、いつも、愛犬のポン太が見ていました。


どうしたの? ねえ、どうしたの?
おとうさん、おかあさん、やめてよ!
やめたら!
ぼく、こわいよ! 嫌だよ! やめてよ!

というように、不安そうに私たちの周りをウロウロし、どうにもならないとわかると、怖そうに、つらそうに、自分でハウス(室内用犬小屋)していました。

それは、私も気付いていました。犬もわかるよなあと、思っていました。


夫のいろんなことが、愛犬のストレスになっていました。

21日(月)夜9時頃から、トイレにしている勝手口のおしっこシートの上で、くるくる回りだし、おしっこをチビチビするのです。そしてそのおしっこすべてに血が混じってました。11時45分まで、ずーーっと続きました。
大丈夫?大丈夫?と、時々お腹をさすってみましたが、落ち着きなく、くるくる歩きました。
翌日の朝も、ジョーと血尿が出ました。
これは、ただ事ではないと、姑に話し、動物病院に行きました。


2時間半待ちで、診察してもらいました。
待ち時間の間、待合室でいろんな方と犬の話になり、血便・血尿もストレスで起こったと言う方がおられました。
そこで、獣医師に家の事情を話し、愛犬の様子もおかしくなり、ハウスしていた事を伝えました。

エコーを撮りました。
膀胱の内壁にギザギザが見られ、荒れているとの事。
念のため、血液検査もしました。
検査の結果はまずまず良好。
尿たんぱくが、標準をちょっと上回っているそうで、一週間後、尿を持って行き検査してもらうことになりました。

膀胱の荒れを治すための、薬(抗生物質)が処方されました。
錠剤は一日朝晩2回、粉薬は1日1回、缶詰の餌を団子状にし、その中に入れて飲ませています。

診察・検査・薬で 11,120円 かかりました。
人間よりかかるかも・・・。


今日24日(木)、ようやく血尿が止まりました。

ホッとしています。
愛犬ポン太は、とても元気になりました。

でも、いつかは愛犬とのお別れも来るのだろうと、覚悟しなければと思いました。
居なくなったらどうなるだろうと、ポン太の寝息を確認しています。


115.診断から丸1年

2013-10-16 21:51:53 | 前頭側頭型認知症

昨年(2012年、平成24年)10月16日

大学病院に救急車を呼んで入院し、低ナトリウム血症と診断されて入院。
その入院中に、

前頭側頭型認知症を診断されました。

娘二人と一緒に主治医と主治医の指導医と担当看護師とケースワーカーに囲まれて、何が何だか判らず、前頭葉が委縮しているという事だけ理解しました。

☆もう治らない
☆治療法もない
☆薬もない
☆あまり長く生きられない


理解できたのはそれくらいでした。

前頭側頭型認知症なる認知症があることすら知りませんでした。

ただただ、夫が『窓から飛び降りて死ぬからな!』と言う言動をなんとか止めたいと思い、どうしたらよいか分らず、余命もあまりない事を思い、泣いてばかりいました。

しばらくして、インターネットで検索して、前頭側頭葉変性症、若年性認知症の方のブログにたどり着き、色々な励ましを受け、また、沢山の情報をいただいています。


今思うと、2011年にはもう前頭側頭型認知症の兆候があったかもしれません。



今回、イオンで夫を見失いながら、昨日またイオンに行き、11月の結婚式に着る服を探しながら思い出しました。


2011年、夫の靴を探しにイオンのジャスコで、色々文句をつけながら、こだわりってるなあと呆れたことを。

また、履くズボンがないと、やはりイオンのジャスコで、探して、何着も履いては気に入らず、買うのをやめると言う夫をなだめて、2本買ったことを思い出しました。
決まるまでかなり時間がかかり、私は違う商品を見て時間つぶしをしたりしたなあと思い出しました。

それまでは、お金を渡すと、折角来たのだからと、必ず即決で、靴下だったり、パンツだったり、シャツだったり、ジーパンだったり、即決で買っていました。

私はと言えば、あっちを見て、こっちを見て、値段を気にし、年にあうか?顔にあうか?結局決めかねることもあったのです。



今回の外泊で、

夫に短期記憶があやふやになっている事に気付きました。
ちょっと頻繁に忘れて確認したり、忘れて変なことを言ったり、

私が「はっ?」 と聞き返したり、
まるっきり判らず首をかしげるような事が何度もありました。

進んできたのかな と気になりました。

認知症家族会の方で、「病院に入れたら、進行するだろうと思って入れないで、自宅でずっと介護してきた」 と言っておられた方の事を思い出しました。
そうなのかな? と思うこともあります。
でも、自宅で介護は、私の場合できないと、決断しています。
仕事を続けながら、休みに夫を外泊させて、対応すると決めています。


夫も、なんか最近、このパターンに慣れて来たみたいです。
病院に帰ることを嫌がらなくなりました。

病院に帰る時も以前なら、『もう着く」と、頻繁に言い続けていたのですが、今回は一回しか言いませんでした。
フェルガードの効果だったのか?

病院でも、仲間(?)の方、ちょっと知り合いと言うより、もっと親しい関係の人ができたようでした。
看護師さんも男性が増えて、その方達を夫も気に入っているようなので、良い関係が出来ています。 

助かっています。



明日、病院の支払いに行く予定にしています。

今日は、台風の被害もなく、ただ最高気温が12度と寒かった。
職場ではストーブを点けました。
家では姑が電気ストーブを、居間ではエアコンを暖房にしました。
夫は衣服の調節をできないので、ロッカーの厚手のトレーナーのフード付きカーディガン等、しっかり見せて来ようと思っています。
でも、自分で判断して着替えなどしなくなっているので(前頭側頭型の特徴:無関心・不精・不衛生)、看護師さんにも話して来ようと思います。

伊豆大島の台風被害でたくさんの犠牲者が出たようで、泥の中のベットの映像がでた時は、認知症の方もおられただろうなと、手を合わせました。

 


114.フェルガード 100

2013-10-14 23:06:32 | 前頭側頭型認知症

何度か、他の方のブログで使用を確認していました。

その効果もありそうだと思って読ませていただき、どこかで、前頭側頭型認知症にも効果があると見たような気がしていたので、ネットで買っておきました。

いつかチャンスがあったら、夫にこっそり飲ませてみようと思っていたのです。

今回 1泊2日の外泊で帰って来て、今朝(10月14日)、朝食前血糖値39と、低血糖でした。
病院からの薬の袋にブドウ糖粉末が入っておらず、タブレットタイプのブドウ糖は飲みたがらないので、朝食のご飯を大目に盛り、兎に角食べさせゆっくりさせました。

犬の散歩に一緒に行くと、
「待て!早い!何やってるのよ!俺に合わせろ!」と
わめき散らしてうるさいので、
低血糖だし、家で待っているように言い聞かせました。
帰ってきたら、夫の散歩に付き合う事にしました。

低血糖時は安静にしておきたいのですが、夫は散歩することを譲りませんでした。唇が濃い紫色で、手も真冬に吹雪の寒い中外にずっと立ち続けていた時のように、冷ったく!!なっていました。
兎に角ゆっくり、ゆっくり、45分かけ夫と一緒に散歩しました。
家に帰り、夫がトイレに行っている間に、


カップに  フェルカード100 1.5gを一包  抹茶入り玄米茶と、私が飲んでいる熱湯玉露を濃いめにして混ぜ、注ぎました。


それを夫が、(なんだ、この味おかしくないか?飲まない!)と言うかもしれない事を想定していましたが、なんと気が付きませんでした。ゴクゴク一気に飲みました。
底に抹茶が沈殿するので、それは嫌がり捨てろと言いました。けれども、私もちょっと味見して見たかったので、残しておきたかったのですか、口げんかの挙句、夫が捨てました。


その飲み終わったカップを、夫が水ですすぎだので、私が籠に伏せるように言っても「(籠に伏せると籠の汚いのが付く)汚い!」と言ってやりません。仕方ないので、私が拭いて片付けると言うと、「汚い手で触るな!」いう言葉に私もプッツン、カップと手を掴んでの揉み合いになりました。

(なんでこうなるの? なんで拭くことが汚いの? なんで私の手を汚いと言うの?)

姑まで入り、ドラマの中の夫婦喧嘩の様なシーン展開になっちゃいました。
笑っちゃいますよね。馬っ鹿みたい!と自分で思いながら、なかなか喧嘩が収まらず、でも、どうにか収まり・・・・


夫は2階に上がってレコードを聴き始めました。

私も夫と同じようにフェルガードを入れたお茶を飲んでみました。
(私も落ち着くかな?前頭葉は理性と感情を司っている所だもんななんて思いながら・・・)

レコードをかなりの長い時間聴き終わった夫が、2階下りて来ました。

「汚いと、もう言わない」と言いました。

(? フェルガードが効いた?)と、思いました。


その午後、イオンで迷子騒ぎになりましたが、夫の暴言もそれほど荒々しくありませんでした。
「俺は悪くない、皆お前のせいだからな」の発言の時も、恐ろしい顔になりませんでした。

これも、なんだか、フェルガードの効果のような気がしました。少し穏やかなような・・・


113.まさか、迷子?

2013-10-14 21:58:29 | 前頭側頭型認知症

H25.10月13日(日)14日(月・体育の日) 夫外泊

今日 14日
何もすることが無いと夫が言うので、郊外にあるイオンに行こうと誘い出かけました。
娘の勤め先の系列のお店が有り、そこで、夫の長袖のTシャツを買うことを決めて行ったのですが、途中何度か「帰る」と言いました。

そこをなだめながら、行ったためか、Tシャツを買っている時も見えなくなり、Tシャツを手に持ってお店の中、お店の前を行ったり来たりして、夫を探しました。ちょっとした行き違いと棚や柱の後ろで見えなかったり、姿見の所だったりで、四苦八苦しながらの買い物でした。

Tシャツも紺色のこだわり
「エンジ色と紺色の切り替えのある丸首と紺色のV襟、どっちがいい?」
「紺色でいい!」
「早くしろ!」
会計を済ますと、夫が見当たりません。
また、店内をウロウロ探しました。

鏡の前で、顔色と髪を気にして見ていました。


「無駄だ!」
「何が?ちゃんとTシャツ買ったじゃない。コーヒー飲もうか?」

スターバックスに行くと、行列。
行列が嫌だったので、向かいの(?)カフェへ誘うも拒否され、行列に並ぶを選択させられ、並んびました。
列の途中でメニューを貰って、薄いコーヒーがあるか聞くと、エスプレッソを水で割ったアメリカーナ(?)とかいうのがあるそうなのでそれにしようと並んでいました。

ところが、夫が「飲まない!帰る!」と席を立ってしまい、私も慌ててメニューを返し、夫を追いかけました
(前頭側頭型認知症の特徴:立ち去りが夫にもあらわれたのか?)
「早く!無駄だ。帰る!早く行け!」と(イライラした様子で、今にも怒り出しそうに)言われ、私が何歩か先を歩きました。
ちょっと後ろを振り向き、人の多さにびっくり。人混みで夫が見えません。


エ!?  エ~~~~~~~!?   いなあ~~~~~い!

スターバックスに逆戻り
真ん中ホールの反対側に行ってしまった?

今日は体育の日で、交通安全なのか警察の入った何かの催しがあり、ダンスや音楽でにぎわい、子供連れ、ゆるキャラ、なまはげ、バンド、人人人!!!!

夫がいない!!!!!!

うんこが出たいと言うので、トイレを教えて連れて行ったら出ないと戻ってきて居たことを思い出し、またもよおしてトイレに行ったのかと、あちこちのトイレを探し、

(待てよ、前頭側頭型は道に迷わないんだから、駐車場に行ったのかも)、と屋上に停めた車の所に行くも、夫はおらず・・・・・・。

また走って、Tシャツを買ったお店に行き、夫の特徴を話すとインフォメーションに話した方が良いのではと言われ、お願いしました。


不安が増して来て、もし、この大きなショッピングモールの外に出てしまったら・・・・・

出る方向を間違えて、行ったこともない道に出てしまったら・・・・・

国道を家に帰ろうとしていたら・・・・・

トイレで倒れてしまっていたら・・・・・

どこかの椅子に座っていないか?

汚い事は嫌いだから、ペットショップへは行かないだろうと思うものの行ってみました。

何度も何度も、トイレ、屋上、インフォメーション、Tシャツを買ったお店、スタバ、

何度目かにインフォメーションから携帯に電話が入り、インフォメーションに来てくださいとのこと。

何人かのお店の人が探したが見つからなかった。30分以上経つと警察にお願いすることになっているとの事で、電話してもよいかと聞かれた。


余りの人混みで、お願いしないと見つけられないだろうと判断し、お願いしました。

その後も、私は何度も、トイレ、駐車場に出て、「おとうさん、おとうさん」と呼びかけながら歩きました。

周りの人も何事かと見る人もいましたが、恥ずかしいもなにもありません。
見つけなくちゃの一心で、トイレ、Tシャツのおみせ、駐車場、スタバを二往復

3往復目、駐車場の東端から西端方向に走って行くと、あれは夫!!!

 

「おとうさ~~~~ん!おとうさ~~~~~~ん!」

気が付いて振り向いてくれました。
何をやっているのよ~~~と思いながら、ホッとして涙が出ました。
即、インフォメーションに電話、見つけたことを報告すると、警察に連絡をしているのでご主人を連れて戻って来てくださいとのこと。



「帰る、車の所で待っていた、俺は悪くない、病院に言うなよ、なんで警察に連絡したんだ、帰る、俺は悪くない、皆お前のせいだ、帰ると言ったのに連れて来たのはお前だからな、等々」

インフォメーションに行く途中も、インフォメーションに着いて警察を待っている間も、
警察が来てからも、この発言が繰り返され・・・・


途中、インフォメーションの男性が、夫に警察を呼ぶ経緯を説明してくれましたが、夫は納得せず・・・・・。

警察には、夫と私の氏名住所電話番号を教えました。

帰り、夫に500mlのペットボトルのお茶を渡すと、車の中でがぶ飲み。

「ションベン出る、早く早く、あっ出た、?早くどこかに寄れ!」「紙パンツ履いてるからしてもいいよ」「いいから早くどこかに寄れ!」(車が汚れるかも~~~と気にしながら)ギュ~~~ンと近くのスポーツ会館に寄り、トイレを借りました。

「間に合った?」「間に合った」

でも、夫?とジーパンの股のあたりを見ていました。濡れていました。

家に帰って、紙パンツまで下ろしてチンチン出して自分で確認していました。
汚しているようでしたが、履き替えてくれませんでした。ジーパンも。

レコードを一曲聴く。
お茶を200ml飲む。
ミニトマトを食べる。
目薬を差す。

この約束を守り病院に戻りました。



今回は、ペットボトルのお茶ではなく、家では急須で入れた温かいお茶を飲むように話した事で激怒され、叩こうとしたり、けろうとしたり、動作だけで暴力にはなりませんでしたが、一度は、TVのリモコンを投げつけられました。ぶつかりませんでしたが、後少しで届くところでした。



やりたいことをやめさせるのは容易なことではありません。
それでも、これから寒くなるので冷たい飲み物・食べ物は辞めさせたいと思います。
夫の手も体も物凄く冷たいので。

 


112.もうすぐ一年、この頃の事(愛犬と姑と夫と私)

2013-10-04 21:23:34 | 前頭側頭型認知症

  H25103


10月3日(木)夫を病院に送った帰り、いつも気になっていた羽黒神社にお参りしました。黄色に実った田んぼの隣の森が、神社です。


稲刈りが盛んで、早く刈り取った所にはもう草が生えだしています。


今年は、10月に入っても暑い日が続き、今日久しぶりに朝は寒く、
下着のうえに、七分袖のTシャツ、その上に長袖のYシャツ、
更にその上にトレーナー生地のカーディガンを羽織って
犬の散歩に出かけました。


愛犬ポン太は、柿・いちじく・ぶどう・りんご・なしが大好き!
今の散歩は、柿といちじくを目指して、一目散に歩きます。
今日はあいにく、柿もいちじくも落ちていなくて空振りになりました。
家に帰って来てから、拾っておいたいちじくを一個だけあげました。

近くのスーパーに買い物に行ったら、犬友達二人に出会いました。
一人はスピッツ、もう一人はミニチュアダックスを飼っています。

スピッツのミミちゃんが、乳がんと子宮脳漿だそうです。
ようやく歩けるようになり、元気になったけど、夏には死ぬかと思ったとの事でした。

もう一匹のミニチュアダックスのミッキーちゃんは、股関節がダメになって歩けなくなって来たそうです。まだ11年でうちのポン太より若いのにね。と話しました。


それに比べたら、うちのポン太はとってもとっても元気!!!
食い意地があるうちは大丈夫だと思っています。
去年はその分、死にそうでしたから。
歯槽膿漏の菌が歯茎から鼻の奥に入り、顔がバーンと一夜にして腫れあがり、病院に連れて行き、昨年一年をかけて、全身麻酔をかけて手術で、4本の牙と奥歯一本を抜きました。
それから、元気になりました。


それでも、今年は足が弱って来て、後ろ脚を擦るように歩き、爪が擦れて血を流して歩いていたので、やっぱり病院に連れて行きました。
塗り薬をもらい、対応を教えてもらいました。以前は肉球を擦って血を出し、高価な犬用の靴を履かせましたが、今回は爪にカットバンを貼り、その上から紙テープをグルグル巻きにして歩かせました。
違和感は有るようですが、食い意地が勝っているようで、サッサと歩きます。

目は右が角膜に傷が付き、炎症を起こし真っ黒に変色していて、もう光を反射しないから見えないだろうと言われています。左目は白内障が出て来て濁っていますが、まだ薄っすらと見えるようです。
この前は道路わきの立て看板にガツンとぶつかりました。今日は、側溝の蓋の穴に足を突っ込み、コケました。
以前はリードを外して歩いても心配ありませんでしたが、今は耳も聞こえずらくなり、声の方を確認するため顔をあちこち向けるようになり、リードを外せなくなりました。

夫が今回の外泊で、一旦散歩に出たのに戻ってチャイムを押したら、ポン太は目も見えないせいか、夫だと判断できず、ワンワン吠えまくりました。そして、今日私もチャイムを押すと吠えられました。少しずつ衰えて行くんだなあと悲しくなりました。



そして今日10月4日(金)、私が買い物に出ている間に、姑が体調を崩したらしく、病院に行くとメモを置いて出かけていました。
夕食時に詳しく聞くところによれば、めまいがしてそれで驚いたために動悸を起こしたのだろうと女医さんに言われたそうです。
昼は病院から帰って来て、私の作ったチャーハンを食べたのですが、肺がんで死んだ娘の写真に、「ようやく頭よくなってきた」と話しかけているのが聞こえました。

歳だとは自分で言いますが、心配性なだけで、病は気からの方かなと思います。
昔から電話で誰かと話して体具合いの悪い事を聞くと、自分を同じ病気かもしれないと言う人でしたので・・・。


それでも、こんな風に、愛犬も姑も高齢になって来て、その死に直面したら私は冷静に対処できるだろうかと不安になります。
今日は、仕事に行くのに、そのことを考え、曲がるべき道を通り越してかなり行ってから、(しまった間違えた)と気付きました。気をつけないと!

明日は姑の86歳の誕生日です。お寿司でお祝いしようと思います。


そして、10月8日で、夫が入院生活1年になります。
最初は低ナトリウム血症で入院でしたが、
昨年はすでに前頭側頭型認知症だったと思います。
今も相変わらず、多飲(お茶・水)は続いています。

Ⅰ型糖尿病の合併症なのか、認知症も合併症の中にはあるが、糖尿から来た認知症かは判断できないと、T病院の糖尿病の先生に言われています。
専門家が言うのならそうなのか?
なってしまってから考えても、どうしようもない事なので、最近では考えることを止めにしています。
そうでないと、あの時、低血糖を起こした時インスリン注射するのを止められなかった私が悪かったこと・鬼のような私の責任を認めることになるからです。あの時・あの頃の苦しかった思いは、もう思い出したくありません。昨年は私も死にたくなるほど辛い毎日で、愛犬を載せて岸壁に行って飛び込もうかと思ったり、離婚しようと思ったりしましたから。

思い出して泣いても苦しんでも、夫を元に戻すことはできないので、後ろ向きに考えることは、もうやめにしようと思います。