前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

76.5月27日(月)・28日(火)夫外泊②

2013-05-30 00:23:27 | 前頭側頭型認知症

5月28日(火)

私、6時から庭の草むしり

その間、夫、新聞を2階の自分の部屋で

朝食後、犬の散歩へ行く
途中、夫がよく散歩途中にあっていたおじいさんが亡くなっていたらしく、
「ここの爺さん死んでよ」と、指さし、無作法な言い方

「すみません、失礼な言い方で」 と 謝りました。

散歩のコースは、夫のいつものコースと言いましたが、
私とポン太(愛犬)は、私の歩くコースの方をいきました。
分岐点が違います。

帰り着いて、洗髪
風呂場でやり始めて、「垂れ出来た~~」と喚きだし、
脱衣所で、鏡に向かって洗髪を始める

「たれでくる~~」 と 繰り返す
「お風呂場でやって、礼をするように体を前に倒して!」と
礼の姿勢をして見せました。

風呂場で、風呂の残り湯を使って洗髪
もう残り湯も冷めているだろうにと思いましたが、
そのままにしていました。

ドライヤーをかけるのに、スイッチをオンにしたまま、
紙の上置いて、どこかに行ってしまう。

危ないとスイッチをきっておきました。

夫が付けると、冷風が出て来たようで、また騒ぎ出しました。

もう一回スイッチを押すように言いました。
ちゃんとできました。

そこから、着替えさせるのが大変でした。

前日は30度になっており、冬の洋服で散歩して汗かいて帰って来たと姑から聞いていたので、病院に戻る前に、絶対着替えさせるぞと決意していた。

帰る日にはいつも駅前に行きたがるので、それを餌に下着にしているTシャツを着替えさせることに成功! でも、その上に着る縞のYシャツはまた着ると言ったので、急いで水をかけて湿らせて、「ほら、シャンプーした時に汚れているから」と、別のYシャツに着替えさせました。

ららさんかYさんがやった方法だと思うのだけど・・・?

着替えたYシャツが気に入らなかったようですが、
お茶を飲んで出発

駅前を通り、夫は不機嫌
着ているYシャツが気に入らない
中学の時に来ていたので、「 嫌いだ 」と言う
「 じゃ捨てようか? 」と言うと返事をしなくなる。
冬物のトレーナー生地のカーディガンを
着させてもらえない事の不満
( 常同行動 - 同じ洋服を着続ける - 夏でも冬物 )

そのトレーナーは病院に持って行きました

病院に帰ったら、冬物を持って帰る約束をしました


病院で

持って行ったものを返し、血糖値の報告

次回の外泊の予約(来週の月曜と火曜)

作業療法で、買い物に行くとき夫も行きたいと言っている事を話しました。でも、買い物に行くと昼食を食べるので、夫は糖尿病食を食べるため、主治医の許可が必要だとの事で、確認をお願いしました。

また、病棟外に散歩に行く事も出来る筈なので、そのこともお願いしましたが、それに対しても、低血糖を起こすこともあるので、主治医に確認してからと言われました。

夫の言った通り、なかなか簡単には病棟の外には出られないようでした。

夫の病室から冬物を持って帰ろうとして、夫の抵抗に遭いました。
一つ一つ確かめると、持って帰っていいと言ったのは、姑が買った冬物の肌着のみ。他は置いて行けと言い張ります。(  常同行動 ― 衣服 )


「間に合わなくなる、置いて行け、早く!」と、争いになりました。
11時30分になるので、昼食時間が近づいて食堂に早く行きたくて焦っているのでした。「ここやっておくから、行ってもいいよ」と言ってもききわけてくれません。
( 常同行動 ― 時刻表的行動 ― 食事時刻 )

「 置いて行け! やめろ!」 と 私をバンバン叩き出し、
( 脱抑制 ― 乱暴 )

私もむきになってもって帰ろうとし、夫は私の腕と鞄をつかみ、ひっぱり、私は私で逃げ帰ろうとし、大声で誰か止めに入ってくれないかと期待して 「 やめて!痛い!」と叫びましたが、同じ病室の患者さんは知らんぷり、看護師も来てくれず・・・。

仕方なく、「こんなことするんだと迎えに来ないよ」と、酷い事を言って、力ずくで夫を振りほどき、逃げました。

最低! ひどい妻です! 最悪の対応です! 夫の信用ガタ落ちです!

病室をのぞきにもどろうとおもい、ちょっと戻りかけましたが、夫が怖くなり、そのまま家に帰って来てしまいました。


あ~~~~ 最低! 最悪! 馬鹿だ~~~!!! 

ムキになって、冬物持って帰らなくてもよかったのに・・・。(


来週はどんな顔をしているだろう~
ごめんね~~


75.5月27日(月)・28日(火)夫外泊①

2013-05-29 22:38:40 | 前頭側頭型認知症

5月27日(月)

夫から電話
   不安?(外泊できるのか) → 確認したがる


病院で、インスリンの仕方が変わったと教わる
前回の外泊の後から、24時間効いているインスリン注射を
朝食前ではなく、昼食前に変わったとの事
そのため、血糖値の乱高下も落ち着きはじめたの事


病院に着くと、早く帰ると急かせる → 時刻表的行動
   理由 10時(お茶の時間)に間に合わないかもと、強迫観念?

こだわり → 入浴、洗髪、自衛隊通り


母(姑)と外出 ・・・ 千秋公園に つつじ を観に行く
    満開でした 姑に階段を登らせて上にあがらせようと
            しましたが、平地だけにしました。
    池の藤棚の花も満開でした

         H255_3




お昼を買いに行く  夫は いつもの 寿司(常同行動―食)

血糖値測定、インスリン注射、薬の服用、問題なくスムーズ

BOOK OFF に 行く (中古本屋) 
お金が欲しいと言う ( 950円 銀行の袋に入れて渡す )
   本は 買わないようでした

私は仕事

途中体調をくずし帰宅(ブログ74)

夕飯は姑と夫

TVに録画してあったクラッシック音楽を聴いている
チェロ: ジャン・ギアン・ケラス
ピアノ: 野平一郎
曲目 (ベートーベン作曲)

    チェロ・ソナタ 第3番 イ長調作品69
    チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調作品102第2
    (ヤナーチェク作曲)
    おとぎ話から第3曲

その後 入浴

血糖値測定 118 と 安定していて
  夫も安心したようでした
    



                  


74.体調不良

2013-05-29 02:06:43 | ふだんの生活

5月27、28日 夫 1泊 外泊

私、27日午前中はなんでもなかったのに、午後は体調不良。

この日は、30年前の日本海沖地震(5/26)を思い出させる急激な夏の暑さ

夕方のニュースで、30度あった事がわかりました。

私は、年に2~3回、下って吐いて半日のた打ち回って落ち着くと言う体調不良になります。大抵は、低血圧と疲れから、起こるようです。つい最近、テレビで、低気圧が通る頃そういう体調不良になる人がいるという事で、【気圧症】という、初めて聞く病気?がでていました。私もそれかなと、おもってしまいました。

5月と10月頃におこります。それも、急激に暑くなった時、汗もかかず、便意が何度も繰り返し、そのうち、胸のむかつき、のた打ち回り、立ち上がると吐きに行く。
吐くものがないので、胃液が出て、でも、4時間くらい前に食べた物が出てきたり、消化不良?(汚い事を書いてごめんなさい)
完全に自律神経が正常に働いていない状態だと思いました。

それが、今回はよりによって、夫の外泊の日になってしまいました。

今回はいつもと違っていました。

2年ほど前から、年のせいか、突然虫ずが走ると言う表現がわかる状態になっていたのですが、それが、頭の中で起こり出し、脳の中を何か芋虫でもはっているのではないだろうか?みたいに変になり、もしかして≪中るところ?(脳卒中?くも膜下出血?)≫の不安がこみあげてくるような、頭痛もおこり、胸のむかつきも、トイレに直行し、便意が何度も、吐き気もしだし、
それが勤務中に、・・・・・。

同僚に体調不良を話し、時間休をもらい、自宅に帰り、姑・夫に話し、夕食の支度まで寝るからと宣言し、即行布団の中に。

夫が、夕飯の心配をし(自分が食べられるかの心配)、寝ている私のところに呼びに来た。(Yさんが熱を出して寝込んでいた時にご主人が呼びに来た状況を思い出しました。こんな感じだったのかなと・・・。)

頭痛と吐き気に苦しみ、とうとう夕食の準備をしなければならず・・・。
夕食の献立は、刺身と焼き魚(はたはた)お浸しは朝に作った菊にエゴ、それにわかめの酢の物、漬物、と決めていたので、手間のかかるのは焼き魚だけ。

姑に、ハタハタを焼いて、その他の物を皿に盛りつけるだけだからとお願いし、私は夫の血糖値測定と、インスリン注射の見守りだけして、また、トイレに直行。

お腹の中が空っぽになって、ようやく眠れて、ようやく落ち着きました。

途中、姑と夫の会話が階下から聞こえてきました。
「寝てるから、」 
そのあと、がんがんと大音量でクラッシク音楽が聞こえてきました。
(あ~~、BSで録画していたやつか)とおもいつつ、眠りに落ちました。

8時頃目覚めて、夫の世話がちゃんとできました。

今回の教訓、認知症の夫を持っている妻は自分の体調管理をしっかりしておかないと、夫の世話ができなくなる。

布団の中で苦しんでいる時、このまま私の意識が無くなることが心配になり、メモ帳を切り取って、


私に、万が一の事があったら
勤務先の同僚の電話、勤務先
地域の役をやっているのでその関係者の電話
実家の弟の携帯電話と勤務先
娘たちの携帯電話


を、  自分の携帯電話から抜き出して、書き出し、姑と夫に話、目につくところに貼り付け、また布団に直行したりしました。


娘たちが帰って来た時には、大事なものの有る所を教えておいてよかったと安心できました。


そして、私に何かあったら、娘たちがちゃんとできるようにしておこうと、早めにエンディングノート書こうと思いました。


73.母の思い

2013-05-26 21:34:37 | ふだんの生活

今日も実家の片づけに行ってきました。

前回、母が片づけをすることをすごく悲しんでいたので、今日はちょっと工夫してみました。

思い出の品が出てきたら、母の所に持って行き、「長い間取っておいてありがとうね」と言って、思い出話をしました。

大事にいろんなものをとってありました。

今年で、私と夫の結婚30年になりましたが、その三十年前の、結婚式のご祝儀の大福帳と席順を書いたもの、ご祝儀を送ってくれた方の現金封筒、出欠の返信はがき。
母と思い出にふけって話し込んでしまいました。弟の結婚式のもありました。弟に見せて母と話をして見てと言っておきました。


ちょっと呆れるくらいの物持ちの良さ。私が小学生のころ、母が編み物の先生に頼んで作ってもらった純毛の毛糸のセーター。小さくなったセーターに母や父の心を感じて有り難く思いました。それに比べ、私は自分の娘たちに母ほどの事をやってあげてきただろうか? とってもかなわないなあと、思いました。

父の警察官の制服、モーニングも大事に衣装箱に収められていました。
弟にもここに置いたからと置き所を見せて教えました。


母は自分の死について話しました。
「私は寝ている間に死んでいると思う」

そうかもしれません。心臓が悪く、目も見えなくたって来て、認知症も進んで来たのか、とにかく寝てばかりいます。トイレに入ると20分以上出てきません。
何度も何度も引っ越しの話、どこにいくのか、と聞いては涙をぬぐいます。

新しい家にリフォームするのは、弟が母に親孝行のつもりでするのだから、と何度も話しました。悲しい思いを少しでも減らしてくれたらと思います。



自宅に帰って来て、実家の母の片づけの事を初めて姑に話しました。

昔洋服を買うのにお金がなくて、大福帳につけで買って、毎月少しずつ返しボーナス払いにしたとか、ズボン下が小さくなれば、ひざ下から糸を新しいのに変えて編みなおして履いた話などしました。


姑も認知症が少しはあるかもしれません。
相撲が好きで今月もずっと見ていたのに、優勝力士の名前が出てきませんでした。いつも勝つ力士と簡単に済まそうとするので、「なんという名前の力士なの?」とちょっとしつこく聞いてみました。


「ほら月二つ書く力士、あれあれ」と、新聞を広げて探しますが、「大鵬の鵬でしょう、その鵬の前に白がつくんだよ、なんていうかわかるでしょ」と、ヒントを出しましたが、「それが、なんて読むのかわからないのよ」「漢字の読み方わからなくても、お母さん毎日テレビ観て、力士の呼び出し聞いているでしょ」「そうだよな、読めなくても、聞いてるよな」と自分でも疑問に思っていました。どうなっているんでしょう。とっても変です。


姑と、明日、夫を連れてくることについても話しました。

金曜日に姑とちょっと喧嘩しました。関谷といういつもの店に買い物に行ったのですが、少し前に買いに行っているので、姑が買ういつものトマト・なす・菊は有るのですが、また買ってきました。

夫に食べさせようと思って買いに行ったと思います。かぶの漬物も買ってきました。
夫は食べ物について、いろんなこだわりがあって、姑はそれを理解していません。


漬物も買ったものにガ不信感があります。買って来たものには何が使われたいるかわからない、つまり砂糖やブドウ糖・はちみつが入っているかもしれないと考えているのです。血糖値を上げたくないのです。


毎回毎回同じ食事にはしたくないのですが、姑が買ってくるとそれを作らないわけにはいかなくなり、私が予め考えていた献立(材料も買ってある)を諦めてしまう。


そのことで、金曜日、私の言い分を姑にぶつけてしまった。同じものを買わないでと。

私が糖尿病の食事を考えているのだから、買ってこないでと。姑「自分が食べたくて買って来たんだから、いいべ。食べればいいんだべ。私が食べるから」


でも、2・3人で食べるのに何日かかるのかと言い返したくなる量の材料(私の買った分も入れて)。


世話をやきたくなる、姑。
かわいそうな息子のために何かしてあげたいと、母親の悲しいほどの思いやりです。


食べ物ではなく、凛とした、≪自分の事は自分で!、人に頼まないで、母にべったりにならないで≫、と息子に、自立・自律を話して、自分は手を貸さないで欲しいのですが・・・。


明日明後日どうなるでしょう。
姑に夫に手を貸さないよう、世話をやかないよう、かわいそうですが、きつく釘をさしておきたいと思います。


72.夫外泊(5月21日から1泊2日)③

2013-05-24 08:36:28 | 前頭側頭型認知症

5月22日(水)

夫 6時起床  

   新聞を玄関から取って来て、布団の上で読んでいました。

前日 朝食は 7時25分と夫に言われていたので、
私も6時半に起きました。

朝食はとても簡単。いつも納豆です。私も。

味噌汁(かぼちゃととうふ)とおひたし(トマト、あいこ(山菜))

以前からの習慣で、朝食は納豆と決まっていた。

野菜炒めや卵焼き・目玉焼きなど嫌な顔をいていた。
それでも、食べていたのだが・・・。

食の常同行動だったのだろうか?

ご飯は、朝食後、犬の散歩に出かける予定なので、
ちょっと多めにしました。


3単位165gのところ、178g

食品交換表第5版 ごはん 1単位 55g
        第6版 ごはん 1単位 50g

なので、単位的には 3.5単位くらいなのですが、


この糖尿病食の単位の計算も私には疑問が一杯。


ご飯の炊き方、つまり固めに炊いた物と
        水分を多く してやわらかめに炊いた時とでは
重さが違う。米粒が水分を含んで膨らんでいるのだから、
同じグラム数でも、柔らかく炊いた方は米粒の数が少ないはず。
だから、やわらかめに炊いた方は、カロリーが低いはずと
私は思うのだが・・・。

それに、旬の魚、甘い果物、酸味の多い果物など、カロリーが
変わると思う。
食品交換表に合わせて食事を作っているのに、
昨年は、夫の血糖値が、カロリーに見合った上がり方でなかった。
いつも、上下動が激しく、こんな食事で上がる筈のないと思う
血糖値になったり、その逆になったりしていた。
やっぱり脳の委縮が始まっていたために、血糖値が落ち着か
なかったのだろうか?
糖尿病の悪化による合併症のためなのか?

話が逸れてしまった。元に戻そう。

犬の散歩 夫のコース 1時間 
         
・・・ 帰る時間を気にしている

時々 右を左と言う 
それでも 行くコースをしっかり覚えていて、
こだわりが見える。
退院して散歩となったら、周徊となりそうだ。

 

時間もあまりなかったが、銀行に行ってもらうことにした。

 

実は、夫の定期預金の満期通知が来たのだが、退職時夫と一緒に銀行の本店に行き、定期預金にした証書を、夫が俺のものにしておきたいと言うから、夫にしまってもらっていたのだが、どこにしまったか忘れてしまったと言う。
夫のしまいそうなところを探しても探しても見つからない。結構な大金なので大変だと思った。

銀行に電話して、相談しました。夫が認知症になっている事も話しました。

喪失届と言うのを出せば大丈夫だと教えてもらい、近くの銀行に先ず行って確かめてくださいと言われていたので、行って来ておいたのです。喪失届を出して、金利も安い事だし、解約することにしておいたのです。でも、その手続きは全て契約した銀行、つまり、本店でしなければならないという事で、今回、夫がいるので、付いてきて手続してもらう事にしました。

 

銀行で

 

窓口の行員の方に、事情を説明する時、夫が認知症なので、という事も話しました。
夫がどう思うか心配だったのですが、話さないとスムーズにいかないのではないかと思い・・・。

 

書類に書いている間、帰りの時間が迫って来るので、夫は焦り始めました。

 

書類を書くのに、私の書く段になって、私が自分の名前を書くのに夫の名前を間違って書いてしまった。その時、「おめ(おまえ)の方が認知症みたいだねが」と言ったのには驚きました。
つい笑ってしまいました。




現金にするか?また定期にするか?
現金にすることにしました。「じゃまた娘たちに遺言?」夫は、娘二人に、遺言と緊急時の金と書いた袋に入れて、現金を寄せていてくれたのです。今回もそうするのかと、私の方から切り出してみました。
そうすると、「お前と母さんと家に使え」と、言ったのです。
思わず「え?いいの?」  夫 「・・・家に使えばいい」




その後、とても淋しそうな顔になりました。夫は自分の死を意識したかもしれません。言わなければよかったと後悔しましたが、後の祭りです。

もう10時を過ぎようとしていて、お茶を飲む時間が迫って来ていました。
時間を気にして、イライラしだしました。時刻表的です。まさに前頭側頭型。

あと、おしまいとわかると挨拶もそこそこに(私に挨拶してと催促され、振り向こうとしましたが挨拶は無し)さっさと席を立って、出口に行ってしまいました。

家に帰って、お茶を飲んで、目薬を差して、病院から持ってきたものを準備して、急かされて、「間に合わない」「大丈夫、間に合うから」の会話。


え?帰りたいの?病院が嫌だと言っているのなら、普通帰りたくないでしょ。


でも、時間を気にして、「遅れる、銀行に行ったからだ」と、病院に11時に帰り着くことにこだわっている。



帰り支度に姑が口を出したらしく、大声で怒鳴る声。「任せておけって!! 触るな!!」
洗濯して干してあったYシャツの方に姑が歩いて行こうとしたから・・・。


車に乗ると自衛隊通りを通って帰れと言う。桜はもう終わっていて、来る時に来なければ良かったと言ったのを忘れているようでした。
時間がないからと、近い一直線の道路を行きました。

途中、測定した血糖値をメモした紙を忘れたのに気が付きました。
家に戻ってから電話することにしました。

病院に戻ると血圧を測っていました。
なんかイライラして、機嫌が悪かったのですが、その原因は次回の外泊を決めていないからでした。


来週月曜日朝から火曜日の朝の外泊の予定を入れました。それだけで落ち着きました。


テレホンカードを使って公衆電話から電話できることを教えてきました。きっと電話を当日朝かけてくるでしょう。

「この病棟にいる人も気違いでおかしい人間ばかりで」と言います。

帰りに「じゃあ帰るからまたね。」と言うと、そっけなく行ってしまおうとするので、「送ってくれないの?」と言うと、「送って行く」と言って、病棟のドアの所まで出て来てくれました。

今回の外泊で、夫はまだまだ大丈夫だと確認できました。

実家の引っ越しが終わったら早いうちに主治医と面談し、退院について具体的に相談しようと思います。5月6月はとりあえず試験外泊を繰り返します。
姑の事をクリア出来れば、自宅での生活もまだまだやっていけそうです。

低血糖で倒れないように注意することが第一ですが・・・。

がんばります!!!!!