前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

157.年末、久々に夫外泊

2015-01-20 22:11:19 | 前頭側頭型認知症
昨年11月初めに外出をしてから、外出も外泊も出来ないと言うか、するなら自己責任ですよと
外出・外泊して、ご主人になにか起こっても、【こちら(病院側)は責任を持ちかねる】と言う意味なのだろう、
自己責任なら、良いですよという事になり、
次女も出産に帰って来ているし、長女も27日~1月4日まで休みがあり、帰省する事になっていたので、
夫も自己責任で、外泊3泊4日(30日~1月2日)させることにしていました。

思いがけず、次女の出産が早まり(予定日は1月15日)、
生まれたての、初孫の顔を見ることも、次女の様子を見ることもできました。

また、次女の旦那さんも、次女の出産に間に合うように来てくれました。
前頭側頭型認知症の夫を外泊させることを前もって知っていたので、気を使ってホテルに泊まる事にしてくれていました。
本当にごめんなさいです。仕事もあるとのことで、こちらに気を使わせないような言い方をしてくれる、とてもいい人です。

その彼にも、夫はとりあえず挨拶をすることができました。
昨年、階段から落ちて、外傷性くも膜下出血で、日赤に入院していた時に会って以来だったので、
彼の事を記憶しているか心配だったのですが、「分かるよね?」と聞くと、「わかる」と言いました。
ちゃんと分かっているようでした。

次女の出産した産婦人科は、古い街並みの中にあるのですが、その街並みも夫はちゃんと記憶していました。
ただ、今回は、家に行く途中の大きな道路を通る時、「こんなのあったか?」と自分の記憶に不安そうでした。

次女を入院させた後(27日午前)、午後に長女が帰省し、夫に会いに長女を連れて行ったところ、
夫は「(?)〇だか?」「そうだよ」「来ると思わなかったから、びっくりした」と言う返事が返ってきました。
夫は私なんかより、娘大好きなので、私には怒りと不満の感情を、娘には喜びの感情、母親には心配を表します。

年末は、TVで昔活躍した野球の人たちの特集があったので、満足していました。
自分でレコードプレーヤーを縁側から運んでくることもでき、
「持てないかと思ったけど、まだちゃんと持てる。でも、なんてやるか分からね、教えれ」という事も出来ました。
使い方を教えると、自分でレコードを選んできて、かけて聴いていました。

初詣にも一緒に行きました。
長女も行ってくれたので、ごきげんでした。
私がいつも神頼みが長いので、イライラするのですが、娘がいると落ち着いているので安心です。
昨年は初詣も出来ず、日赤のベッドの上だったので、「去年は初詣しなかった」と言っていました。
おみくじも引いて、長女と内容を読んで、自分でちゃんと結んでいました。
お守りも買いました。

久しぶりに帰って来たせいか、何事も有り難いと思ったのか、不満やイライラがほとんど見られませんでした。
私が作る物(料理)にも、文句を言いませんでした。
お雑煮のもちに、いつもの年ならば、血糖値が上がる事を気にして食べないと言うのですが、それもちゃんと
食べてくれました。

不思議なのですが、結構カロリーの高いものを食べさせても、それほど血糖値が上がらず、かえって低血糖でした。
それはそれで、こわいことなので、夫は嫌な顔をしましたが、文句を言わずに、ブドウ糖液を飲んでくれました。
精神が安定すると、血糖値も安定するのか、あるいは、出ないはずのインスリンだけど、出てくるのか。
それか、注射したインスリンの効きが精神が安定していると良くなるのか。
あるいは、糖尿病も末期になってしまったので、血糖値も安定しなくたって、低血糖を起こしてしまうのか?

自宅だと、病院と違って、思い通りに動いて、運動量が多くなってしまうのか?
私の作った料理のカロリーが低すぎたのか?

色々考えられるのですが、低血糖をどうにかクリアーしてすごしました。

亡くなった犬と散歩していたコースを私と一緒に散歩もしました。私も久しぶりの散歩で、夫と愛犬の事を思い出しながら話をして歩きました。
散歩コースの様子は忘れていることもありました。愛犬が元気なうちに、解体されていたアパートをまだあると思っているようすだったり、もうすでに有った筈の婦人科病院を「こんなのあったか?」と言っていました。
長いこと散歩していなかったので忘れたのかもしれませんが、もしかしたら、記憶がなくなったのかもしれません。

夫の言ったことで、忘れられないのが
「これだば、俺がいない方がいいな」
つまり、≪こんなに血糖値を測ったり、インスリン注射したり、みんなに時間を取らせるのだから、
孫が退院してきたら、俺は自宅にはいない方がいいな≫という事なのでした。
夫が自分の状況を客観的に観れていることに、驚きました。そして、かわいそうになりました。
自分の前頭側頭型認知症の事は自覚できていないようですが、糖尿病の事、末期となり、腎不全にもなってしまった。
夫はわかっているのかいないのか・・・。
わかっていても、認めたくないのだろうなと、私は思っています。

夫は素直に病院に戻りました。
相変わらず、病院に向かう途中の車の中では「余計なことは言うなよ」の発言。
ちょっと怖い気もしましたが、何事もなく、病院につきました。
寒い自宅より、温かい病院が私にしたら、夫を風邪ひかせずに、
ちゃんと健康管理もして戴けて、安心です。

156.孫が生まれ、ババになりました♡

2015-01-20 21:42:23 | 孫が生まれました
次女昨年12月30日無事女児を出産しました。

出産までの経過
定期健診で、12月25日に行くと、胎児が3200グラムあり、頭が99ミリあり、このまま3週間体内に居ると、巨大児になると予想され、
急遽、12月27日に入院し、29日~30日に産むようにしましょうということになりました。

次女は、陣痛促進剤・バルーン?・3本の棒?など、最新の方法(?)で、出産することになり、
分娩台で、嘔吐を何度も繰り返し、隣のベッドの人がうなっていたらそちらの人がポッコリ出産し、
それを面会に行っていた、私たちが看護師さんに知らせる事になり、その間も次女は
気持ちが悪いらしく、袋を手に持っていた。

そんな次女に頑張れよと声をかけて、自宅に帰り、一時外泊させた夫と
帰省した長女と姑と寿司をつまみ終える頃、
次女の旦那さんから『生まれました!』と連絡があり、
慌てて面会に行きました。

出産後も次女は嘔吐したらしく、意識は有るものの話す気力もなくぐったり・・・。
赤ん坊は、小っちゃくて、(?3200グラムあるの?)

結局、次女は無痛分娩だったらしく、麻酔をしたとの事でした。

私もババになりました。
夫(糖尿病で前頭側頭型認知症)はジジになりました。
姑はヒイバーサンです。
長女はオバサンです。

一気に歳をとった気分ですが、嬉しいです。
ババですよ~~~、〇〇、はじめまして~~~
と赤ちゃん言葉で挨拶しました。

夫も、こわごわと見て、
『俺はいい、あまり近づくな、』と、遠慮していました。
姑も同じです。



155.63歳で2012年に前頭側頭型認知症の診断されてから・・・

2015-01-03 23:28:45 | 前頭側頭型認知症
2012年 10月16日 夫が前頭側頭型認知症と診断された。  63歳 若年性認知症と言われた。
65歳になっていなければ、若年性認知症に分類されることも、前頭側頭型認知症という認知症があることすら知らなかった。

診断された時は、泣いて暮らした。離婚・自殺まで考えていた2012年の夏。
その苦しみの原因が、夫のこの認知症による夫の人格変化(?)だった。

人格変化というより、今は、
夫の、自分自身でもわからない自分の変化に対する混乱と不安によって引き起こされた、
自分でもコントロールできない言動・行動だったと理解できる。
前頭側頭型認知症には確かに人格変化と言う言葉が出てくるし、脳の前頭葉側頭葉の委縮が進行すると、かなり変な人と思われる行動になるようだ。
夫も、進行するとそうなるだろうと、夫の行動を客観的に観ることができるようになったと思う。

でも、夫は、本当に元気になった。
昨年末、自宅に外泊させた時(2012年12月25日から隣の市の精神科の閉鎖病棟に入院中)、階段から転落して、救急車で日赤に夜9時半頃搬送され、検査の結果、外傷性くも膜下出血と診断され、そのまま入院。
血中の酸素濃度が低下し、酸素吸入・輸血。万が一の事を何度も主治医に聞かれ、胃ろうや人工呼吸器をつけるかの家族の意思確認・・・。
頭が混乱して、泣けて、返事もできないほどでも、家族の意思を言わなければならない状況。
どうにか夫の状況が安定し、でも、肝臓の数値が高く、その検査過程で、腎不全が言い渡された。
22年の糖尿病歴があり、2012年5月にはⅡ型糖尿病からⅠ型糖尿病に変異していると言われたいた。
私も、血糖値ん測定・インスリン注射の打ち方の指導を受けて、夫に打っていた。
糖尿病のために腎不全まできたのか。腎不全と言うと人工透析がすぐ頭に浮かんだが、利尿剤で、数値が落ち着いた。
脳外科の主治医は前頭側頭型認知症が、糖尿病が原因かどうかの判断はできないと言っていたが、もしかしたらと、糖尿の合併症も疑った。今もその事は頭にある。

日赤から、元の精神科に転院した。
眼底出血のあり、今のところ視力に影響するところに出血は見られないので、生活に支障を来してはいない。

元気になった原因を考えると、輸血されたことが私の頭から離れない。
そこから、色々な数値が変化してきた。
手足腰を拘束され、鼻から栄養を摂るチューブをつけて、夫の体内に栄養が行き渡った事もあるかもしれない。
精神科で、内科と精神科の先生・看護士さんや職員の皆さんに厳しくあるいは優しく親切に、夫を認めてもらった接し方をしていただいているお蔭も有ると思う。

今回、何かあった時には家族の責任でという事で許可をいただいて、夫を3泊4日で外泊させた。
2014年12月30日から2015年1月2日まで、本当に普通だと思った事、やっぱり前頭側頭型認知症だと思ったことを次回書きます。
若年性認知症については、若年性認知症コールセンターと言うところを見つけました。
http://y-ninchisyotel.net

色々相談もできそうです。今では結構検索に前頭側頭型認知症が出てくるので、この認知症の認知度も上がったのだとわかります。
franzeさん、Yさん、ららさん、ナンクルさん、cocoさん、その他のブログの方たちに感謝です。
今年も皆さんのブログを拝見して、私は私なりに夫や姑と暮らしていこうと思います。
みなさん、今年もよろしくお願いいたします。