※グループZAZAの一員である山田肇さんが、ブログ「ブラックボードに義を」で、
昨日の集会における田中聡史さんの発言を紹介されていますので転載します。
ブログ「ブラックボードに義 山田さんを支える会」よりhttp://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/yamada55132
2013年1月20日(日)
処分されても、不起立で「晴れやかな」気持ち
昨日、1月19日、『君が代』不起立処分撤回! 人事委不服申立者を支援する集いが開かれました。そこに、東京都立支援学校に勤めている田中聡史さんが、東京から来て発言してくれました。以下、その発言の要旨です。
2003年10・23東京都教委の通達「『君が代』で起立・斉唱せよの職務命令」などに、何か抵抗をと考え、職場新聞を出したり、予防訴訟の原告になったりした。
しかし、自分一人で座るのは、度胸がいる。2007年4月から、腹を決め、「立たない、歌わない」ことにした。が、入学式では現認されず。2008年、根津公子さんが転勤してきた。2009年、根津さんの隣で不起立。根津さんは、停職6カ月の処分。私は、現認されず。
2010年も座るが、現認しない。2011年入学式で初めて不起立を現認され、その後、2012年3月卒業式、4月入学式で、3回とも戒告処分。2012年入学式では、東京での不起立はただ一人。
2012年1月16日の最高裁判決「『君が代』起立・斉唱せよの職務命令は、憲法19条の思想・良心の自由に違反しない」というものだったが、しかし、「加重処分、つまり、戒告処分以上の減給や停職は、都教委の裁量権の逸脱」とした。それで、3回目も戒告処分だった。
都教委は、戒告処分しかできないが、「再発防止研修」と称して、思想転向をせまり、今年度はそれを強化してきた。都の教育センターに呼び出され3回。都教委の指導主事が学校に来て3回。校長から週1回の研修が計12回。そのたびに、ふり返りレポートを書かされる。
2012年4月の入学式では、転勤して初めての式となったが、大阪の『日の丸』『君が代』起立・斉唱を強制する状況が厳しくなっているので、どうしても引き下がることができず、いろいろ悩み迷いながらも、『君が代』で不起立した。
「処分されて大変ですね」と言われますが、気持ちとしては、命令に従っていた時期よりも今の方がずっと解放されていると感じます。晴れやかな気分です。
『日の丸』『君が代』天皇制をはずした人権教育は、うすっぺら、貧しいもの。そういう教育を子どもたちが受けるのを避けたい。東京と大阪で力を合わせて闘いましょう。
田中聡史さんは、以上のことを、静かにたんたんと話されました。大阪で不起立し不服申立をしている7人と対照的と言った人がいました。確かに話し方は違いましたね。私たちは、声高にしゃべりすぎか?わずか1回の処分を受けただけだが、言いたいことはいっぱいある!
それは、さておき、東京でただ一人でも、『君が代』不起立を貫く田中聡史さん、その静かな語り口の中に、深く強い決意を感じました。大きな勇気をもらいました。大阪でも、がんばりましょう!