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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

加害の歴史から学ぶこと

2012-10-31 19:24:03 | 当該から

※AIBO「ええじゃないか大阪」のイベントの一つ、「戦争とファシズム展」(第七藝術劇場)で、『人間の条件』が上映されるそうです。

この映画を観たのは、もう30年以上前のことです。昼食と夕食の二食分を用意して映画館に行った記憶があります。全作通して観ましたが、ちっとも疲れなかったのは若かったばかりではなく、この映画の素晴らしさゆえであったろうと思います。

1996年、大阪府立学校在日外国人教育研究会主催「韓国研修旅行」に参加しました。その「報告集」で、私は映画『人間の条件』に触れました。当時の文章を掲載します。加害の歴史に目を閉ざそうとする人たちは、ずっと、歴史を歪めようとしてきたのではないでしょうか。辻谷博子

 

加害の歴史から学ぶこと  1996年8月

空路わずか2時間の旅で韓国に到着―私にとって4度目の韓国だった。今回の旅行は、今までの旅と違い、禹長春の墓、沙也可の里、霊山など日朝に歴史の中で掘り起こされつつある地を訪れ、そして辛先生から直に話を伺うことができ、改めて考えさせられるところが大きかった。その土地に立ち、縁の方々の話に耳を傾け、それだけで何というか歴史の大きなうねりの中にある人の姿を垣間見る思いがした。もっともっと日本と朝鮮のことを知りたいと言うのが旅の実感である。

それにしても、独立記念館の第3展示室(日帝侵略館)が工事中ということで閉鎖されていたのは残念だった。そう思いながら、閉館中のその建物を横目で見つつ歩いていると、それが日本の国会議員の発言によって起こった事態であるとの説明が耳に入って来た。どういう形で圧力をかけたかおおよその見当はつく。3年前であったか、ソウルからかなり遠く離れた独立記念館を何人かの仲間たちと訪れた。展示の仕方はそれぞれ工夫されていて、第3展示館では、10センチぐらいのガラスのすき間から覗き込むようにして中を見ると、かつて日本人が行った残虐な行為の再現像がそこにあった。強烈な印象を受けた。私は日本人として言いようのない感情を抱いた。おそらく、これを見た多くの日本人と同じように。実際、韓国を訪れると、自分が日本人であることをある種の辛さの中で意識せざるを得ない場面に何度か出くわす。しかし、それは日本人、いや人間にとって必要なことではないだろうか。人間がどんな恐ろしいことをしでかすか―そういう要素が自らの中にもあることを知っておくことは必要なことではないだろうか。

大学時代、『人間の条件』という映画を観た。その時の印象は今も私の中に残っている。50年代前半の生まれである私は、同じ世代の多くの人たちと同じように、戦争のためにどれほど父母の世代が悲惨な目にあってきたか、原爆がどれほど残虐に人の命を奪ったか―いわば被害者の側面から戦争を告発する教育は受けて来た。「戦争」とは殺され、傷つけられるものであった。けれども、その映画の主人公は、強い良心と反戦的な思想を持っていたにもかかわらず、ラストシーンでは、まんじゅうを売る中国人に剣を振りかざし命を奪っていく。日本の戦争加害をテーマとした映画ではなかったが、戦争という大きな渦の中で人間がどんなにひどい目に遭うかではなく、どんなにむごいことでもやってしまうということが、そのときの私には恐ろしかった。それは、小・中・高校で習って来た戦争教材にはないものであった。そして、そのときに感じた怖さは今も私の中にある。

遠いヨーロッパで起こったナチスに手によるホロコーストではなく、私たちの父母の世代が犯した日本人の加害の歴史を知ることは確かに快いものではない、辛いものである。しかし、そこから人間は学ぶことができるはずだ。戦争における加害の事実を知ることは国を越え人間にとって必要なことではないか。昨年アメリカではスミソニアン博物館が計画した原爆投下の展示が政治家の圧力によって中止された。そして、今年4月1日開館した長崎原爆資料館では展示される予定であった南京大虐殺の写真が市議の圧力によって外されたと聞く。「過去に目を閉ざすものは未来に対して盲目になる」ヴァイツゼッカーの演説を、ぜひとも、加害の歴史から目を背けようとする人たちに聞かせたいものである。

そして私が携わる教育においては、過去の歴史に目を閉ざすことなく見据えていきたいと思う。



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Unknown (waki)
2012-11-01 07:58:21
この6月、韓国に旅しました。
これまでは主にソウル。ずっと前にですがプサン
今回は38度線の「休戦ライン」に

南北戦争は決して終ってはいなかったこと意識を改めました
つい先頃も北の兵士が休戦ラインを超えて南に逃亡してきて、その為に南の国境警備の将官が更迭の処分を受けてました
ソウルの繁栄は年ごとに増していくのに、この休戦ラインは南北関係によって不安定なまま半世紀ちかくも時を経ています
「緩衝地帯内」にバスで乗込んでいくと、辻つじの警備小屋の兵士は自動小銃を腰だめにして立っていることにまず驚きました。そしてバスの中からも写真撮影禁止。北を眺める展望台の足下にはラインがひかれ、これより先での撮影禁止と・・・
一旦結ばれた南北の鉄路は、現在の関係悪化から再び閉ざされたまま、立派な駅舎が寒々とした姿をさらしていました

「竹島(独島)」で日韓関係は領海問題となていますが、ぼくには実行支配する韓国を非難するきもちはありません。この問題はながらく日韓関係で棚上げされていただけで、いま騒ぎになるのは「経済水域」「埋蔵資源」という利権で互いに「欲」をむき出しにしてきたというだけのこと。韓国に方に一歩先をこされたまま放置した日本の政府(政治)の甘さに原因があるのです
長く国内でいろんな問題をうやむやのまま保てても、対国家間ではそうもいかず、この件はまだまだ揉めるでしょう

日韓関係は複雑な歴史、それも我国には加害者としての負債が多く残っているのだと感じます。戦争に負け「賠償済」だからといっても、「民意」の部分でそれが清算済みだと考えるのも甘えたことだと感じます
卑屈になる必要はないが、互いに感じ思うところを交換しあってこそ交流を保てるのだし、それは国家間の問題でなく「国民間」のことに違いないのだとも考えます
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