グループZAZAのなかでは、たった一人の大阪市教員松田幹雄さんからの人事委員会審理を終えての報告と御礼です。
12月6日に行われた私の大阪市人事委員会「君が代」不起立戒告処分取消請求の第2回証人尋問(請求者本人尋問)を多くのみなさんに傍聴いただき、たいへんありがとうございます。約40人の参加があり、満席の傍聴者を背に証言することができました。
2015年7月10日の審査請求以降、書面やり取りが長く続いていました。ZAZAには私より1年遅れての参加だったFさんも証人尋問が終わり、現在ZAZAに参加している14人の中では、最後の証人尋問でした。しかし、私にとっては初めてのことであり、終わってほっとしたというのが正直な実感です。
昨年10月に陳述書を、
https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2017/11/chinjutusyo2017.pdf
今年8月に陳述書(2)を
https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2018/09/chinjutsusyo20180822.pdf
提出して、私が教員として大切にしてきたこと、「日の丸・君が代」強制の私にとっての意味、式次第に国歌斉唱が位置づけられている卒業式に参加する生徒への説明のあり方、私が「君が代」不起立だった卒業式に至る経過と卒業式当日のようす、起立・斉唱しなかった理由、処分過程の不当性、国旗国歌条例・職員基本条例の違憲・違法性などを、すでに書面の上では述べていました。
陳述書(2)を基に証言することにはなっていたのですが、証人尋問に先立って、弁護団会議で、現在の「君が代」強制のあり方をさして私が「調教教育」と言っていることについて、その言葉がさすことの意味を明確にしておこうということになりました。私が用いている「調教教育」とは、『かつて、天皇治世の永遠を願う歌として臣民に歌わせ、天皇のために命を捨てることを美徳と教えた教育の重要な柱であった「君が代」の歴史、その意味と変遷をきちんと説明しないまま、生徒に起立・斉唱を強制する「教育」のこと』であり、『強制によって式参列者全員が「起立・斉唱」する場面をつくりだすことで、生徒に、国家を「崇高な存在」と「感得」させ、無自覚に国に従おうとする意識を刷り込む「教育」のこと』であると確認しました。また、『職務命令に従って起立・斉唱することは、以上のような「調教教育」に自分が加担することを意味し、自分の姿を通じて、生徒に国旗国歌条例が目的とする「国を愛する態度」を刷り込む役割を担うことになる。また、少数であっても必ず存在する、「君が代」の歴史ゆえに歌うことに躊躇感をもつ生徒をさらに追いつめる役割を込むことになり、「自分の保身のために他の誰かに犠牲を強いることはしない」という教育活動の中でつかんだ信念に反する行為であるので起立・斉唱職務命令には従えない。』と不起立理由を整理して証言に臨みました。
主尋問では、冠木護士が2015年3月卒業式に至る過程をていねいに聞いてくれ、割と落ち着いて証言することができたと思います。証言内容は、まさに「調教教育」を命じている2015.1.23教育長通知を批判し、見解を求めたにもかかわらず、校長・市教委はまったく答えなかったこと、生徒に「卒業式・入学式の国旗・国歌、『日の丸』・『君が代』」についての事実を説明するために学校で作成した学習資料の活用・配布を私の処分後に禁止したこと、校長は不起立によって卒業式が「混乱」し、生徒に迷惑がかかることを理由にして、起立・斉唱を強制しようとしたが、まったく「混乱」はなく、式の雰囲気にも影響がなかったばかりか、そもそも私の不起立を見た生徒・保護者がいたかどうかも分からないものであったことなどです。
相手側弁護士の反対尋問は、『開式の「一同起立・礼」で国旗に礼をしているのではないか』『校歌はいっしょに歌ったのではないか。それはなぜか。』『卒業式で生徒が私語をしたら厳粛さを保つために注意するでしょう』『国歌斉唱のときに座るということは生徒に言わなかったのか』『2012年の「君が代」不起立にかかわる「混乱」は市教委が学校名をリークしたからだと言いながら、自分で記者会見をしたのはなぜか』など、どこかでひっかけて攻めるポイントを引き出そうとするものでしたが、より市教委側のひどさを際立たせるものになったように思います。
市教委・校長は、「君が代」は「国歌」一般に、「君が代」不起立は「ルールを守らないこと」に話をすり替えようとします。そして、「生徒のため」を理由に「調教教育」への加担を迫ります。しかし、その本質は、「君が代」強制による「国に従う意識」の刷り込みという国家方針に逆らうと自分の身が危ないという意識からの保身なのではないでしょうか。10月25日の公開審理の証言で、校長は、「ルールが間違ってると考えていても、決められたルールというのは従うのが当然」と言いました。私は、「それは本当か?」と多くの人に問いたいと思います。
私は、陳述書(2)の最後に、次のように書きました。『大阪市国旗国歌条例と大阪市職員基本条例を根拠とした「君が代」不起立処分は、私のような教員を教育現場から排除することを意図したものであり、戦争のための教育支配を完成させる動きだと感じている。戦争に向けた国づくりが強権によって進められている今日、日本社会に生きるすべての者が問われているのではないか。日本国憲法に規定された、個人の尊重・基本的人権の保障の原則の侵害を許さない意味でも、「君が代」不起立を罰することは、違憲・違法であるとの判断をいただきたい。』
今後、最終書面を提出し、裁決となります。今後とも、ご支援をよろしくお願いします。
以上
12月6日に行われた私の大阪市人事委員会「君が代」不起立戒告処分取消請求の第2回証人尋問(請求者本人尋問)を多くのみなさんに傍聴いただき、たいへんありがとうございます。約40人の参加があり、満席の傍聴者を背に証言することができました。
2015年7月10日の審査請求以降、書面やり取りが長く続いていました。ZAZAには私より1年遅れての参加だったFさんも証人尋問が終わり、現在ZAZAに参加している14人の中では、最後の証人尋問でした。しかし、私にとっては初めてのことであり、終わってほっとしたというのが正直な実感です。
昨年10月に陳述書を、
https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2017/11/chinjutusyo2017.pdf
今年8月に陳述書(2)を
https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2018/09/chinjutsusyo20180822.pdf
提出して、私が教員として大切にしてきたこと、「日の丸・君が代」強制の私にとっての意味、式次第に国歌斉唱が位置づけられている卒業式に参加する生徒への説明のあり方、私が「君が代」不起立だった卒業式に至る経過と卒業式当日のようす、起立・斉唱しなかった理由、処分過程の不当性、国旗国歌条例・職員基本条例の違憲・違法性などを、すでに書面の上では述べていました。
陳述書(2)を基に証言することにはなっていたのですが、証人尋問に先立って、弁護団会議で、現在の「君が代」強制のあり方をさして私が「調教教育」と言っていることについて、その言葉がさすことの意味を明確にしておこうということになりました。私が用いている「調教教育」とは、『かつて、天皇治世の永遠を願う歌として臣民に歌わせ、天皇のために命を捨てることを美徳と教えた教育の重要な柱であった「君が代」の歴史、その意味と変遷をきちんと説明しないまま、生徒に起立・斉唱を強制する「教育」のこと』であり、『強制によって式参列者全員が「起立・斉唱」する場面をつくりだすことで、生徒に、国家を「崇高な存在」と「感得」させ、無自覚に国に従おうとする意識を刷り込む「教育」のこと』であると確認しました。また、『職務命令に従って起立・斉唱することは、以上のような「調教教育」に自分が加担することを意味し、自分の姿を通じて、生徒に国旗国歌条例が目的とする「国を愛する態度」を刷り込む役割を担うことになる。また、少数であっても必ず存在する、「君が代」の歴史ゆえに歌うことに躊躇感をもつ生徒をさらに追いつめる役割を込むことになり、「自分の保身のために他の誰かに犠牲を強いることはしない」という教育活動の中でつかんだ信念に反する行為であるので起立・斉唱職務命令には従えない。』と不起立理由を整理して証言に臨みました。
主尋問では、冠木護士が2015年3月卒業式に至る過程をていねいに聞いてくれ、割と落ち着いて証言することができたと思います。証言内容は、まさに「調教教育」を命じている2015.1.23教育長通知を批判し、見解を求めたにもかかわらず、校長・市教委はまったく答えなかったこと、生徒に「卒業式・入学式の国旗・国歌、『日の丸』・『君が代』」についての事実を説明するために学校で作成した学習資料の活用・配布を私の処分後に禁止したこと、校長は不起立によって卒業式が「混乱」し、生徒に迷惑がかかることを理由にして、起立・斉唱を強制しようとしたが、まったく「混乱」はなく、式の雰囲気にも影響がなかったばかりか、そもそも私の不起立を見た生徒・保護者がいたかどうかも分からないものであったことなどです。
相手側弁護士の反対尋問は、『開式の「一同起立・礼」で国旗に礼をしているのではないか』『校歌はいっしょに歌ったのではないか。それはなぜか。』『卒業式で生徒が私語をしたら厳粛さを保つために注意するでしょう』『国歌斉唱のときに座るということは生徒に言わなかったのか』『2012年の「君が代」不起立にかかわる「混乱」は市教委が学校名をリークしたからだと言いながら、自分で記者会見をしたのはなぜか』など、どこかでひっかけて攻めるポイントを引き出そうとするものでしたが、より市教委側のひどさを際立たせるものになったように思います。
市教委・校長は、「君が代」は「国歌」一般に、「君が代」不起立は「ルールを守らないこと」に話をすり替えようとします。そして、「生徒のため」を理由に「調教教育」への加担を迫ります。しかし、その本質は、「君が代」強制による「国に従う意識」の刷り込みという国家方針に逆らうと自分の身が危ないという意識からの保身なのではないでしょうか。10月25日の公開審理の証言で、校長は、「ルールが間違ってると考えていても、決められたルールというのは従うのが当然」と言いました。私は、「それは本当か?」と多くの人に問いたいと思います。
私は、陳述書(2)の最後に、次のように書きました。『大阪市国旗国歌条例と大阪市職員基本条例を根拠とした「君が代」不起立処分は、私のような教員を教育現場から排除することを意図したものであり、戦争のための教育支配を完成させる動きだと感じている。戦争に向けた国づくりが強権によって進められている今日、日本社会に生きるすべての者が問われているのではないか。日本国憲法に規定された、個人の尊重・基本的人権の保障の原則の侵害を許さない意味でも、「君が代」不起立を罰することは、違憲・違法であるとの判断をいただきたい。』
今後、最終書面を提出し、裁決となります。今後とも、ご支援をよろしくお願いします。
以上