渡部秀清さんのメールの掲載です。久しぶりで申し訳ないです。
渡部さんは根津さんのことを「彼女は苦しい闘いの中で鍛えられ、その度にたくましく、人々に優しくなってきたのではないか、とも思う。」と表現されています。すてきです。
また、渡部さんたちは次のように話をされたそうです。
「私たちは敵の中にも仲間を作り、
内部から彼らを崩壊させなければならない。
そのためには人々を大事にしなければならない」 同感です。
根津さんの「卒業式チラシまき報告12」をまず紹介します。(重複ご容赦)、その後ろに私の感想を載せます。
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3月22日(金)
今日はあきる野学園小中学部の卒業式。
中学部を卒業する生徒は1年生のときに私が(も)担任した生徒たち。
昨夜は生徒たちの写真を見て、思い出にふけった。
今朝は7時20分に校門前に行った。
7時32分、副校長2人が連れ立ってやってきて、「ビラの配布は止めてください。
敷地に入ることは止めてください」と通告。私はいつもの通り、無対応で応じた。
その後、副校長2人は「国歌斉唱」時だけは不起立者のチェックに会場に行ったが、
それ以外は今日も玄関の中で、私(?)を監視し、出動態勢をとっていた。
昨日都教委が5人も来たのは、
19日に板橋特別支援学校に支援者が大挙したからだという。
今日は遅くに行ったので、都教委の人間が来ているかは不明だった。
福生警察からも2名が動員されていた。
同僚だったAさんは温かい飲み物を差し入れてくれた。
Bさんは「田中さんからの祝いのことばを子どもたちに伝えるよ」と言いに来てくれた。
Cさんは、「根津さんのこと(式への出席)、何もできなくて、ごめんなさい。」と。
担任した生徒の保護者には、訳を話してチラシを手渡した。
「そんなひどいことをするんですか」と。
今日も長いこと、門の前に座り、卒業式と教室に戻ってのお別れの会を終え、
校門に出てくる卒業生親子を待った。
1時半、校門前に出てきた親子にお祝いのことばをかけ、思い出話をした。
生徒も保護者も私が来たことを喜んでくれた。
「一緒に写真に入って」と保護者から言われ、「私は校長から敷地に入るな。
入ったら警察を呼ぶ、と言われているので」と一旦は辞退したのだけれど、
間髪入れず、「そんなこといいよ」と誰かが言うのにつられて、写真に収まった。
私も何枚もの写真を撮った。
しばらくの時間そこで「お祝い」をし、
入学式にもお祝いに来ることを約束して、別れた。
この様子を副校長や校長は見ていたのであろうか。
「君が代」不起立者を排除することに血道を上げるよりも、
排除しないことの方が、賢いやり方であることに、気づいてもよさそうなものを、と思う。
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この間の根津さんの闘いを見ていてつくづく思う。
彼女は生徒・保護者・教職員を本当に大事にする人だ、と。
今回のメールには、「One for all !・・」(45)のメールにあったように、
校長が職員に対して「(根津からは)チラシを受け取るな。話をするな。」、
と言っていたにもかかわらず、
「同僚だったAさんは温かい飲み物を差し入れてくれた。
Bさんは『田中さんからの祝いのことばを子どもたちに伝えるよ』と言いに来てくれた。
Cさんは、『根津さんのこと(式への出席)、何もできなくて、ごめんなさい。』と。」
とある。また、
「『一緒に写真に入って』と保護者から言われ、『私は校長から敷地に入るな。
入ったら警察を呼ぶ、と言われているので』と一旦は辞退したのだけれど、
間髪入れず、『そんなこといいよ』と誰かが言うのにつられて、写真に収まった。
私も何枚もの写真を撮った。
しばらくの時間そこで『お祝い』をし、
入学式にもお祝いに来ることを約束して、別れた。」、
ともある。
その結果、都教委の方ばかり見ている副校長や校長は、
みんなの前で醜態をさらすことになったのである。
また、生徒・保護者・教職員を大事にする彼女だから、
これまでいくら処分され転勤させられても屈しなかったし、
転勤させられた先々で共感者や仲間を増やしていったのだと思う。
(田中聡史さんもその一人)
また、彼女は苦しい闘いの中で鍛えられ、
その度にたくましく、人々に優しくなってきたのではないか、とも思う。
そういえば、都庁の中にも彼女を陰ながら支持し、
彼女の処分動向を気にかけてくれていた人たちも何人かいた。
3月21日に都教委定例会に5人(根津さんはあきる野学園へ)で行った際、
私たちは待ち時間中に、こんなことを話し合った。
「私たちは敵の中にも仲間を作り、
内部から彼らを崩壊させなければならない。
そのためには人々を大事にしなければならない」、
と。