曽我逸郎講演録(2013/1/26)後編
ちょっと人のことばかり言いましたんで、そろそろ自分の考えも言わなきゃいかんと思います。なぜそれまで国旗に礼をせずに、それに国歌も歌ってこなかったのかというと、それは強制されるからですね。「そうしろ」と言われるから。言われなければしていたかもしれないですけど。やれと言われるんで、何というか天邪鬼でね。「北風と太陽」じゃないですけれど、「やれ」と言われるほどちょっと、いやだなあと思う。それはなぜかというと、「やれやれ」というのは、さっき申し上げた通り、統治しようという、従わせようという、自分の頭で考えて、自分で行動を決めるようなことを、皆がするのはいやだから、皆考えずにやるという雰囲気をつくって行く。そういうのが、そんなに明確に言語化していたわけではないですけれど、そういうような雰囲気を感じていたので、たぶん、ずうっとしてこなかったのだと思います。
それから、国旗そのもの、よりもですね、国旗を押し立てて―押し立てる人たちがいますよね―そういう人たちが嫌というか恥ずかしいなと日頃思っています。
一番端的な例はいつだったか、数年前になりますけど、四谷に上智大学のイグナチオ教会というのがありますよね。あそこに右翼の街宣車が何台か来たし、在特会、在日特権を許さない会でしたっけ、そこの人たちも集まってきて拡声器でワーッということがありました。日曜日だったものですから、あそこはいろんな言葉でカトリックのミサをやっていますよね。拡声器で、外見上分からないですけども、フィリピンかどこかの女性の方、どこか、きちっとした身なりをされた方が一人でそこに入って行こうとされたんですけど、そこに拡声器で「おい、そこの。在留許可書を持っているんだろうな」みたいなことをワーッと言いかけるわけですよね。イグナチオ教会、真ん中の教会だし、来られた方は外交官の方かもしれないし、外交官でなければいいかという問題ではないですけども、非常に品のない、品位に欠けた対応をしておられて、それに日の丸を立てていたんですね。わいわい言っているというのは、本当に日の丸に泥を塗るというか、日本を汚しているような、日本人として非常に恥ずかしい行為だと思いました。 ちょっとすいません。私昔バイクで事故をやりまして、ここ(まぶた)が切れておりまして、涙の流れていく管が切れていて、ときどき涙が溢れます。自分の話に感動しているわけではありませんので、そこだけ誤解のないように。 そんなことで、そういうのも嫌だなという思いがあります。私は別に日本の国がこうあるべきだと、国のことをすごく思っているわけではないです。国が大事だからどうこうと思っているわけじゃないです。とはいえ、ある意味では結構愛国者かもしれんなと思うんですけど、決して国粋主義者ではないです。時々言われるんですけども、「共産主義のなんとかかんとか」というかたちで批判をされるんですけども、残念ながら、私、友だちにはどっちかというと、そういう人が多かったし、シンパもいたし、どっちかというと、かなり左寄りかもしれないですけども、主義としてそういうものを持っているわけではないです。私のベースにあるのは、先ほどちょっと申し上げましたが、禅寺に行っていて、そこから仏教、さかのぼってお釈迦さんはどんな風なことを考えられておられたのかなと。それがベースにあるんですね。
で、どういうことかとちょっとだけ言うと、国がどうあるべきか、というよりも、仏教的に言うと、有情(うじょう)、有情というのは、人々が苦しんでいる。戦争で苦しんでいたり、貧困で苦しんでいたり、差別で苦しんでいたり、病気で苦しんでいたり、災害で苦しんでいたりする。それを何とかしなくちゃいけない。国っていうのはすごく大きな力を持っていますよね。それがいい方向に働けば、そういう、自分の国の国民だけでなく、世界中の人を救う、世界の有情を救う働きもできるかもしれない。にもかかわらず、子どもたちの上にクラスター爆弾をばら撒いたり、おびただしい苦しみを生み出すこともあるわけですね。だから私としては世界の有情の苦しみを減らすために、それに役立てるような国に日本がなってほしいというような思いがすごくあります。
もし、そういうような国の力をいい方向に働かせる国に日本がなってくれたらですね、本当に誇らしいじゃないですか。「俺の国、日本は素晴らしいだろう」と世界にも言えるようになるし、逆に世界中の人からも「日本はよくやってくれている。素晴らしい国だ」と言ってもらえると思います。世界中の国の人から尊敬され、愛される国になることができたら、それはそれで非常に大きな安全保障にもなると思います。そのことが、憲法前文に「名誉にかけて誓う」と書いてある。日本国だけでなく、世界中の人の権利のためにがんばると書いてある。でも、一度も真面目に取り組んだことがないんじゃないかと思います。
今申し上げたことを表にすると――こっち側(右)が未来、こっち側(左)が過去とすると、私は世界中の人に今の日本じゃなくて、これからの日本が未来において、世界中の人が賞賛してくれるような、そういう、ここで、未来で世界中の人が評価してくれるような日本を実現したいというふうに思っているんですね。 ところが、今の、どっちかっていうと右寄りの方々は、ここなんですよね。日本人だけ。世界中の人からどう思われているかは関係なくて、日本人なら日本を悪く言うな。日本を称賛せよと。で、問題にしているのもおおむね過去の話なんですよね。過去の話でたとえば、従軍慰安婦の問題については、「狭義の強制性はなかった」と。じゃあ、「広義の強制性は」と訊くと、そのことは訊かんといて、と。狭い意味の強制性はなかったというようなこと。それが本当かどうかは知りませんけど、問題にしているのは、過去のこと。
それから戦争についても、はめられて、追い詰められて仕方なくやった戦争だ、みたいなこと、過去のことを言っている。未来について、いい国をつくって行こうではなくて、過去を正当化する。日本人の中だけでというのが、志がすごく低いと思うんですよ、あの方々は。なんというか、正当化というか、言い訳がましい話ばっかりで。まあ正直言って、ニューヨークタイムズかなにかに出たみたいですけれど、日本の過去を正当化する姿勢っていうのは、正面から向き合わないというのは、やっぱり、世界の良識ある人からは呆れられてくるのではないのかなと思う。
誇りにできる日本をつくろうというのが、逆に呆れられる日本をつくるようになっちゃっているんじゃないかと思うので、未来において世界中の人から納得してもらえる、敬愛してもらえる日本にしていくためには、日本の問題点をしっかり見つめて、こうした方がいいんじゃないだろうか、ああした方がいいんじゃないだろうかと、皆で議論していく必要があるんじゃないかと思っているところです。
それはいろんな考えがあると思いますので、それが違う意見どうし、同じ意見の人同士、そうやな、そうやなとやっていても発展しないので、違う立場の人と議論をしていくと、なるほどなと、表面のレベルから深いところで合意に達する。だんだん深まったところで合意に達するということになってくると、より正しい、より深いところで、自分自身最初の段階では浅いところだと思い込みがあるかと思いますけど、議論してなるほどと思うところが出てくると、その分だけ深くなっていくし、地球じゃないけど、こっちとこっちで反対側じゃないけれど、真ん中の正しいところに近づいて行けるんじゃないのかなというふうに思って、そういう努力が人間誰しも完全じゃないから、一面的なことしか見えてないので、そういうふうにみんなで考えることが大事。だから、少数意見ていうのは、自分の気づいていないところを気づいている人の意見だから大事だと思っております。 突然また違う、関連してですけども、教員をされている方が多いかもしれないし、生物学の方もいらっしゃるかもしれないけど、ドーキンスという学者がおるんですけども、生物学の進化を考えた人で、この人が――インターネットで出てきます――ミームという考え方を言っている。何の話かなと思っていると思いますけども、遺伝子の話ってありますよね。遺伝子というのは競争して、生存競争しながら増えていこうとするし、また進化していこうとする。どんどん変わっていって、有利になって増えていく。それと情報、ものの考え方も一緒だというふうに言っているんです、ドーキンスさんは。遺伝子に相当する情報とか、思想とか、考えというものをミームといってらっしゃるんですね。だから、ミームってのは、「このラーメン屋はうまい」とかいうのも一つのミームなんです。「そんなの、違うよ。まずいよ」という人もいるかもしれないし、「いやいや、みそラーメンはまずいけども、塩ラーメンはうまい」というかたちで議論をしていくと深まっていくわけですよね。で、そういうふうに、「あの子はかわいい」とかいう話も「確かにそうだ」と誰かが言い始めるとそれが広がっていくし、「かわいいけども、性格が悪い」とか、いろんな話で深まっていくわけですね。そういうふうにして、情報が人と人との間を広がっていこうとするし、間違った情報は「それは間違った」ということで否定され、淘汰され、絶滅していく。いろんな考えが組み合わさって新しい考えに進化して広がっていく。そういうことがミームだと。
これは少数意見でもみんなで考えて、みんなで議論していくうちに進化して、深まって大きな考えになっていく、時代をつくる考えにもなっていく、というふうなことだと、私は理解しています。
だから、いま民主主義とか、平等だとか、人類共通の権利だとか言っていますけど、それも昔は少数意見。そんなことをいうやつは変わり者でしかない時代だったわけですよね。その中から、そういうことを言い出す方がいて、「何を言っとるか。奴隷の分際で」とか、いろんなことがあったかもしれませんけども、その中で議論をして、「いや、そうだ」と皆が共感をして立ちあがる。それが世界を支配する思想となっていくことですから、ミームっていう発想でですね。ちょっとした思いつきでも、ぜひそれを種にして新しい遺伝子を皆で共有していく中で、立派な思想に発展していくこともあるんじゃないかな。
そういうことをしなくちゃいけないのに、先ほどの方は、少数意見は多数をとれない意見で、多数をとる方が支配する。上意下達で統治することだとおっしゃった。そうじゃなくて、雰囲気、空気、この場はこうすべきだと、これに従えというかたちで国旗に礼をせいというのじゃなくて、国旗はどうすべきなのかとか、国歌はどうあるべきなのか、人の幸せはどうなのか、社会と個人の関係はどうなのかとみんなで考えて、じゃあどういう社会がいいのか、どういう国がいいのかということを考えていくことを、そんなことを考えるようなやつらは、頭ごなしに統治するのに不便だから、面倒臭くてかなわんわ、というようなのが、礼をしろ、国歌を歌えというふうなことに発露しているのじゃないかなというふうに思うところでございます。 それで、先ほど、保守系のある方のお話ということでお話ししましたけれど、政治のプロが統治するのが正しいんだというお話でしたけど、何事にせよですね、プロというか、専門家という者の当てにならなさが今回の震災で特にそうだと思いますけど、本当に露呈しちゃったと思うんですね。「何ミリシーベルトまで大丈夫」だとか「放射線は体にいい」とかですね、いろんなことを言う学者さんもいらっしゃいましたし、「安全なんだ」と安全神話みたいなことをおっしゃっていたこともあるし、専門家自身が安全神話に呪縛されて、自分自身たぶん、思い込んでいるのか、思い込んでいるふりをするような状況になっていたのではないかと思います。専門家っていうのは、結構高をくくるというのかな、本当にどうなるのかと想像しても、まあそんなことにはならんやろと、高をくくって、事を進めていく傾向があるのではないかと思います。
それは今回の震災で始まったことではなくて、例えば先ほども始まる前にちょっとお話がありましたけども、満蒙開拓団っていうのがあって、棄民政策で、フクシマも棄民政策の一つだと言われるし、沖縄はずうっと一貫して戦争の前から、琉球処分の時から棄民政策で支配されていると言われているし、満州の開拓団の人たちはそれこそ、ソ連軍が来た途端に、関東軍が一番に逃げて行って捨て去られたんですけども、あれなんかも高をくくっている。ソ連軍は攻めてこないよ。平和条約があるんだからというようなことで、自分はいざとなったら破ったりもしているのに、条約なんて守らない、捕虜の保護とか全然していなかったにもかかわらず、「ソ連は来ない」。ソ連軍は移動しているって情報があっても、そんな大したことはないだろうと高をくくっておいて、いざとなったら逃げる。いざとなった時には、「この状況ではいったん撤退して戦略を立て直すのが戦略的に正しい」なんて偉そうに言うのだけれど、それこそ、そういう危険なところに、もっと言えば人の土地をぶんどって、農地にして奪ってしまうということがいいのかどうかも考えずに、進めていって、人を入植させておいて、ほったらかしにする。非常に高をくくった形。原発にしたって、活断層はそんなにないよ、あってもそうそう地震なんて来ないし、津波は大昔の記録に載っているだけ、歴史上の話で、今はないんだみたいな、そんなふうな、高をくくったことをどんどんしておるのかなと思います。
もっと言うと、北朝鮮のミサイルの話もありますけども、本当言うと、北朝鮮のミサイルなんかも高をくくっていて、「あんなの来ないよ」と思っているんじゃないかと思うんですね。だって、そうじゃないと54基も日本中に原発をつくってですね、そのほとんどを日本海側に作っているんですよ。あれは北朝鮮が、実際、拉致とかの話もあるし、拉致とかならば漁船かなんかで人を連れて向こうに行ったということだから。同じようなことを原発についてもすることができる。
今、放射線の被曝が一定限度を超えてしまって働けない方がいるし、そういう人をだまくらかして何回も働かせることもしているみたいですけど、人手が足りなくて、使用している。その中で、原発の中の労働はどうなのかと知ろうとして、飛び込んで行って、私の知っている方でも中で現場を見るんだということで、被曝を覚悟で現地を見るということで、行っている方もいます。
逆に言うと、人手不足で6次下請けみたいなかたちで、どんな人が来るかわからない状態でやっているわけですよね。その辺の管理ということも、結構杜撰になっているんじゃないかと思います。だから例えば、行って、右に回すねじを左に回して「やってきました」ということだってそんなに難しくないし、いろんなことができると思うのだけれど、そういうふうなことは可能性としてあまり考えないでおこうみたいな。とはいえ、原発という脆弱な部分ではそんなにゆるゆるで手抜きでやっているんだけども、一方で、「ミサイルディフェンスが必要だ」といって、ミサイルを撃ち落とすための、当たるかどうか、「当たらないのでは」という人もいるディフェンスシステムをすごいお金をつぎ込んで買おうとしている。
結局原発にせよ、ミサイルディフェンスにせよ、利権が動くところがあるんであって、本当にミサイルが飛んでくるのを国民の安全のためにどうしようかってことを考えたら、原発そのものが一番危ないわけですから、そこんとこは、都合よく、いつも違う理由を挙げてやっているように私には思える。専門家の方のそういうところも見えてくるようになってきて、皆さんのような方々がいろいろ勉強をして、どうもおかしいんじゃないかと国民全体が気づき始めて、専門家というのが眉唾やなあこいつらは、となってきているんではないかというふうに思います。 私も役場におるので、官僚の、村役場の人も一応官僚なので、そこから国の上層部の人を想像しても外れているかもしれませんけども、一つは官僚のあり方ってのは、組織に埋没して個人責任をあまり問われないわけです。ですので、これがおかしいと思っても先例にならって今までのことを続けていれば、別に個人の責任ではないですね。組織として続けてきたことを継続するだけだから。それを変更するとなったら、自分が変更するわけで個人責任が発生してくる。それを覚悟でやらなければいけないとなっちゃうので、どうしてもずるずると引きづられていくことが多いんじゃないかと思います。
たとえば、先ほどの繋がりで言うと、日本の戦争でも敗戦が明確になってもずっと続けていた。フィリッピンに戦争で行った評論家の方のお話なんですけども、「日本は本気で勝つ気はなかったに違いない」と、その方は書いていらっしゃるんですね。どういうことかというと、フィリッピンだからもうかなり攻め込まれている状況なんですけれど、日本が持って行った大砲は満州で、満蒙で使っていた大砲。今までの戦争で成果を上げてきた先輩の作戦みたいなものをそのまま満州から移動してきたわけですよね。満州だと遠くまで見渡せる平原の中でですね、距離を測ってバーンと打つというようなものなんだけど、フィリッピンはジャングルで、上も全然見えない、距離を測ろうとしても何も見えないようなところで、そういう地形の中では実効性がないような大砲を、何というか心の支えみたいに、坂道をえっちらおっちら押し上げて、それを我慢して、苦労して持って行くことが、自分たちのレーゾンデートル(存在理由)というか、そういうかたちになっていって、決してフィリッピンにおいてこの地形、このジャングルの中で、闘うにはどういうような武器でどう闘えばいいかという議論はあまりされないまま、ただ、苦労することに自己満足を得ているというふうな戦争だったと、その方は書いていらっしゃって、そうかも知れない。
そう思って、ふと気がついたんですけども、有名な軍歌で「同期の桜」って、ありますよね。あれ、すごく変な文化だなって、思ったんです。気がついたんですよ。「同期の桜…」、最後は、「見事散りましょう、国のため」じゃないですか。勝つことは全然考えていないです、もはや。見事散ることだけが目的化している。見事に散るためには、巨大な敵に真正面から突っ込んで行って粉砕される。ぱっと散るのが美学であって、どうすれば勝てるのかは、もはや考えていない。そもそも、物量とか補給とか無理を承知でやった戦いだったと思うのですけど、いよいよ行き詰って、もう、勝つことさえイメージできない、死ぬことしかイメージできない、そんな戦争になっているにもかかわらず、「止めましょう」と言えない。ずっと持続するという、そういう変なことが起こっていて、それと同じようなことが今も、今までの先例を勇気をもって「改めよう」と内部から言う人がなかなか出てこない。そういう体制があるのかなと思います。
だから我々、外からでもですね、皆が意見、生活している人、主婦、子どもたち、専門家でない人たちの意見を大きな声としてあげていく必要があると思います。 原発のことでもうちょっと言いますと、IAEAってのがあって、IAEAの基準が原発の安全性の基準であるかのような、最高の権威であるかのような雰囲気があるのですけども、IAEAは原発、というか、核物質を規制する、ある意味規制するんだけども、それを止めるための機関ではないんですね。IAEAは原子力の「平和利用」とか、安全な利用を推進するための機関であって、その安全性を確かめた上で、結局のところ、推進論の中の、安全性を確保しながらやるという話にしかならないから、基本は安全性を言っている限り、止めるとはなかなかならない。
ドイツが原発をやめるのを決めたのは、ドイツにも安全委員会があるんですね。ドイツは安全委員会で原発をやめようと決めたのではなくて、倫理委員会、倫理という字は間違えずに書けると思うのですが。これでいいですよね、たぶん。倫理委員会はキリスト教の司教の方とか、社会学者とか哲学者の人たちも入っていて、科学者だけの集まりではなくて、宗教家とかも入って倫理委員会を開いて、その中で、わたしたちの今のぜいたく、今の便利さのために、ドイツの原発がどこのウランを使っているか知りませんが、日本だったらオーストラリアのアボリジニーの人たちが働いている比率の高い、被曝しながらやっている、ウラン採掘工場でも被曝するし、原子炉の中でも被曝するし、周辺の人たちもかなり広い範囲で被曝するし、何よりも未来の何十万年先の人たちにまで被曝、あるいは放射性物質の管理の義務を押し付けるようなことをする。そういうことをしながら自分たちが、利便性なり、ぜいたくをするというのは、倫理的に許されるのか、という判断のなかで、それは許されないということでやめることになったというお話です。安全性を問題としている限りは、どこかの専門家が「大丈夫です」と言うと、IAEAが大丈夫ということになり、再稼動しましょうという話になるので、そういう土俵でないとこで議論をしなくちゃいけないなと思います。
専門家にまかせておいてはいけない。専門家の視点というのは、安全性だけの視点になるので、倫理的にどうなのか、自分たちの暮らし方はどうなのかとか、人間の幸せは何なのかとか、という風なことも広く考えて、物事を考えていかなければならないと思います。
我々が発言することが大事ということなんですけど、どうしても我々、あんまり格好悪いことを言うとあれやからと言って、いまわたし、字を間違えると困るから書かなかったりしましたが、間違えを指摘されると困るから、理論武装して、勉強してから発言をしようというふうになりますけど、それも必要なことと思いますが、あんまり勉強とか完璧を期すことばかり考えるとタイミングを失しますので、ともかく嫌なことは嫌、へんなことはへんじゃないのと言ってしまったほうがいいと思います。言うと、いろんな人が、君は全然わかってないとか、いろんなことを言ってこられるわけです。君の民主主義の理解は幼稚で愚かだと言ってこられる方もいらっしゃるし、そういう方の意見を聞くと、向こうの方が愚かじゃないのかなと思ったり、ああなるほどな、確かにそうだなということもあるから、自分で一から勉強するよりも、ある程度のところで言ったほうが、そうするとみんなに正していただける。批判というのはほんとうにありがたいことで、批判から学ぶことができる。ああなるほどということが、まわりがみんな先生になるわけですから、ほんとにありがたいことなので、どんどん間違いを覚悟で、批判にさらしていくことによって、そこから、ここは間違うけども、そこのところはおもしろいねと、だれかが食いついて、そこのところを、さっきのミームじゃないですけど、そこを深めていただいて、深化させる人も出てきますから、ともかくみんなで考えていくことが大事だと思います。
原発のことから、政治というか憲法の話に行きますか。政治のプロ、専門家、政治で食べている方々、政治で稼いでいる方々の一部の人たちが、こんど、憲法を変えるんだということを言い始めていらっしゃるということでございます。夏の参議院選、それからしばらくのところまでは猫をかぶっていて、まず改正手続きの96条を変えて、それから9条も次に変えるということだと、思われます。良く言われるのは、現行憲法の9条は、世界の現状にそぐわないと、現実に全然適していないじゃないかと、だから現実に合わせて現実的な憲法にしなくちゃいかんと、言われます。だけども敗戦直後、敗戦のあとで平和憲法ができるという時に、わたしは残念ならが生まれていませんでしたが、その当時のみなさんは、ほんとうに平和憲法を喜んで、賞賛して、褒め称えたわけですよね。なぜかと言うとその時のみなさんがたは、戦争の現実を、一番骨身に沁みて知っていらっしゃった。戦争の現実を知っている人は、平和憲法のすばらしさを評価する。だけれども戦争の現実を忘れてしまった、いわゆる平和ボケの人たちですよね、平和ボケの人たちが世界の現状に合わせて、戦争のできる普通の国にしなくちゃいけない、普通の国というのは、言い換えれば志のない国ということですよね。志のない、志の低い、現実に妥協してゆく、そういうつまらない国にしていこうというのが、戦争の悲惨さを知らない、忘れた、平和ボケの人たち。戦争のことをいやというほど知った、戦争の現実を知った人ほど、9条というのは、正しいんだと、りっぱなものなんだということを、理解しているんだと思います。
敬老の慰問というのを村でもやります。100歳とか、99歳の方とかまわっていくのですが、戦争体験を聞くと、ほんとにいろいろです。ある方は、モールス信号の教官として金沢だったか、富山だったか、わたしの前の前の前の村長さんがまだ御存命なのですが、そこにいらっしゃった。ある方は南の島にいたけども、米軍が飛び石でいって、飛ばされちゃったから、頭の上を米軍の飛行機は飛んでいったけど、自分たちはひたすら魚をつかまえることと、芋を作ることだけで日がな、日がな暮らしていた。工兵としてベトナムに港を作っていた人、闘う兵隊というより、土建屋さん的な兵隊さんで行ってたから、実戦経験はないとおっしゃる方、ある方は千葉の方にいたけど、二等兵だったけど、隊長付の身の回りの世話をする係りでいて、兵営にも入らず、その隊長さんと一緒に地元のお屋敷にいて、食べ物を隊長さんがいい人だったから、けっこういいものを一緒にもらっていたと、そんなお話を聞きます。
だから生き残って帰ってこられた人はほんとうにラッキーだった人で、そうじゃない方もたくさんおられるけれど、ほんとうに苦しいつらい思いをした人はなかなか口にできないと思う。懐かしがれる、恵まれた経験の人は、戦争はこういうものだったんだ、最近の若い者はなってない、もう一回鍛え上げないといかんと言うけれど、そういう風に戦争について語る人の多くは、恵まれた戦争体験を持った人ではないかなと思います。一番恵まれていない人は話すことはできない、亡くなった方、食べ物がなくて飢え死にした人、凍え死んだ方、マラリアでうなされながら亡くなった方は、その苦しみを絶対に後世に伝えることはできない。今はもはや戦争体験もなくて、幼年学校とかで、お互い切磋琢磨して鍛えたとか、そういうのが戦争体験として語る人になっている部分もあるのかなと。
アメリカ軍もイラクに行って、PTSD、心的外傷後ストレス障害というのがあって、それは自分が恐かっただけでなくて、間違えて市民を殺してしまったとか、撃ったらそこに子どもがいて、小さな子どもを殺してしまったとか、というのがすごい大きな心の傷になるわけです。そういう方は自分自身、悩みもがいて、なかなかその事を語ることはできないというふうに思います。永久に変わらない戦争の真実かなと思います。
現実と理想ということなんですけど、戦争の現実を知っていたら、理想を目指さなければいけないと思う。それが戦後、戦争直後に、平和憲法を受け入れたみなさん方の考えだったと思います。憲法の前文には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と、「崇高な理想と目的を達成する」、最初から憲法は理想を目指していくよという話であって、憲法が理想主義で現実から乖離しているから、だめだというのは、そもそも最初から百も承知で、この戦争だらけの、みんなが苦しんでいる、有情が苦しむ、この世の中の苦しみを少しでも減らすような世界にしていこうよと、世界中が、日本人だけでなくて、ということが現行憲法には謳われておるわけですから、それを、理想を実現するというのが、憲法の精神だと思います。
映画で『私は貝になりたい』というのがありましたね。フランキー堺が主人公で、オリジナルは。テレビでもスマップの方が主人公をして、リメイクもされてましたけど、散髪屋さんが赤紙で召集されて、自分まで行くことはないだろうと思っていたら召集令状が来て、捕虜を銃剣で突けと、ヒトツというかたちで中国では広く行われていたようですけど、それをさせられて。そんなことは満足にできなかったにもかかわらず、断れなかったけど、上手にできたわけでもないのだけれど、だけれどもBC級戦犯として裁かれた。で死刑になった。なぜそんな嫌だったのに断らなかったのかと言われて、そんなことを日本の軍隊で言えるはずがないじゃないかと。自分の考えなんかは、日本軍では言えないんだと。そう言いながら死刑になってしまうというお話なんです。たしかに、ヒトツでゆけと言われた時にいやですと言えたかもしれないけれど、それを言うのは難しかったかもしれない。そしたら召集令状が来たときにいやですと言えたかもしれない。これは少しバーが低いかもしれないが、難しかったかもしれない。その主人公もきっと、提灯行列したりとか、勝った、勝ったと言ったり、となりの若い人を万歳で見送ったりとかしてたと思う。それよりもっと早い段階で、嫌やと、若い人を戦争につれていくなんてことは、良くないじゃんと、もっと関心を持って言っていれば、そうはならなかった。どうかわかりませんが、戦争なんで。その過去のことを思って、今はどうなのかと思うと、早い段階で、嫌なことは嫌、おかしなことはおかしいと言っていかなくてはいけない。直感的で、理論武装する前であれ、と思います。
それを言うべきときはいつなのか、言えるのはいつなのかというと、ひょっとすると今なのかもしれない。憲法が変わってくると、こういう集会は公共の秩序に反するということで「弁士、注意」みたいなことをあのあたりから、言われる時代になるかもしれない。言えるときは今から言っていかないと、どうなるのか。じわじわとゆで蛙の話がありますけども、言わないと、と思ったときは、全然言えない状況になっているということがありうるかと思いますので、それは大事なことかなと思います。ほんとうにそういう意味では、河原井さんと根津さんとしっかりと発言をしていただいていたわけですし、それに続いてわたしたちもきちんと言って、お互いに考えを深め合って負けない声にしていかなければいけないと思います。
思いつきなんですけど、自分でそれをやる技量と時間がないので、誰かやってほしいと思っているんですが。こういうインターネットのホームページみたいなものなんですけど。いまの憲法がこっち側にあって、こちら側に自民党の出している変更案。たとえば、自民党案にしかないのもあるだろうし、現行憲法にあるのでも自民党案には消えているのもある。対照して見比べられるようにしてあって、いろんなところにいろんな人が、この憲法だとこんな風になるんじゃないのということを、具体的に我々の生活の中で、どういう影響が出てくるのかということを、それぞれみんなが想像したやつを書く。だから専門家、憲法学者のも大事なんだけど、わたしたちの想像力で、これはこんなことになるんじゃないのかとか、あるいは、こういうことを目指しているんじゃないかと、裏ではと、推察して書いていく。そうすると見た人が、アホなことを書いているなと思う人もいるかもしれないし、ああ確かにそうかもしれんと、そうなってくると信憑性のあるもの、みんなが納得するものはミームとして広がっていくわけですよ。
たとえば、どういうことをわたしだったら書くかというと、さきほどの憲法前文のところで言うと、「和を尊び」というところがあると、その和というのは、統治する側が、統治される側に批判させないムードつくりをさせようとしているのではないかと多分書き込むだろうし。その「和を尊び」のあとには「家族や社会全体が互いに、助け合って」と書いてあるんですけど、それは例えば介護ですとか、あるいは生活保護とかそういう風な問題、いま社会でそういうものを救済していかないと破綻するところを、またもとに戻す。生活保護でも申請すると、どこかに親戚がおるのとちがうかという話になったり、縁の切れた親戚なんかにも連絡するような話は今でもありますが、もっとそれをはっきりと家族の中で支えあっていくべきだと言うとか、障がい者の方とか高齢者の方とかを、公的なことではなくて、家族の中で支えるのが日本人の道徳ではないのかと、言われるのではないのか。家族や社会が助け合ってという裏には、そういうことが隠されているかもしれないんじゃないのと。というようなことをこういうところに書く。
それから第二章では、現憲法では「戦争の放棄」というタイトルですが、こちらでは第二章は「国防軍」というタイトルになっておりまして、国防軍の活動ということでは、「国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し」と書いてあるんですが、「国際的に協調して行われる活動」というと、おそらくは集団的自衛権とか、そんな話にすぐつながってくるんじゃないかと誰もが思うと思う。そういう可能性が伏線としてすでにしのびこんでいるんじゃないかと。それから国防軍の仕事として「公の秩序を維持し」と書いてあるけれども、それは治安活動、たとえばデモとか、集会とかそういうものにいま機動隊が対応していますが、それに対して国防軍が、対応すると。シリアとかで、いま自国民とシリア軍が、血みどろになっていますが、そんなことも想像されるのではないかなと。公の秩序のためには国防軍は出る、つまり国民に銃を向けるということ、公の秩序に反する国民には銃を向けますよということではないか。そんなことをずっと書いていきますと、あーなるほどなるほどと。ここをクリックすると違う場面で東京都I・Sさんのこうではないかしらというのが一杯書いてあって。そうするとみんなで、専門家に託するのではなくて、みんなの意見で検証していくことができるかなと。ぜひそういう風なことができる人がいらして組織的に運営できれば、やっていただきたいなと思います。
原発も再稼動になりましたし、憲法も変えるということもある意味、着々と進められているような感じもあって、この間の選挙の結果も脱力感というか、知事選なんかもいろんな感じをお持ちでないかと思うのです。
ここ数年、元旦に映画を観ることになって、去年か一昨年は、マイケル・ジャクソンを観ましたが、今年は『レ・ミゼラブル』を観ました。何も考えずに家族について行っただけなのですが、けっこうその割には感動したのです。ご覧になった方も多いですか? いらっしゃいます? 舞台はフランス革命なのですが、その中に小学生くらいのバリケードの中にもぐりこんでいる男の子がいるんですが、その子の歌だったと思いますが、「王様を倒したと思ったらまた無能な王様がでてきた」という話をしておるんです。私は世界史に詳しくなくて、もう一度調べたら、バスチーユがあってギロチンがあってということで、フランス革命と思っているんですが、ほとんどの方はわたしより詳しいと思うんですが、バスチーユを襲撃してギロチンで王様の首を落としてフランス革命がなりましたと。そこから40年か50年くらいかかっているんです、まがりなりにも国民国家になっていくのには。王政が復活してきたりとか、いろんなことがあって。
あまり、一喜一憂せずに、持続的にしっかりと足をつけて、言うべきことを言う、嫌な事は嫌、変なことは変と言い続けて、それを一人一人が言うことも大事だし、連帯していくことも大事だし、批判しあうことも大事だと思うし、そうやって考えを深めながら、持続していくことによってできるのではないか。
ついこの間、中川村に高橋哲也先生、東大の先生ですが、『国家と犠牲』とか『犠牲のシステム 福島・沖縄』を出していらっしゃる。その方がいらして「現行憲法は、進駐軍によって与えられた憲法だからと戦後レジームをなくすんだといってこっちに変わる」という話なんですが。戦後レジームと言いながら米軍支配にますますのめりこむというのが、非常に変な話だとおっしゃっていました。
確かに現憲法も進駐軍というか、マッカーサーの影響は大きいし、もうひとつ前の明治憲法は、明治天皇からお下しいただいたものであって、国民が作ったわけでもないし、現憲法においてもマッカーサーの影響は大きい。それは確かにそうなんだろう。今度こそ、本当に、もし憲法を作るとしたら、我々自身の、国民の力で憲法を作らなければいけないと思います。でもこの憲法(自民党変更案)は、国民が作っている憲法ではないですよね。一部の統治する側が統治しやすいような形で、変えようとしているやつだから、これは全然国民の憲法になってない。国民国家、国民の憲法とするためには、まず国民自身が、それを担えるところまで自分たち自身をきたえあげていく必要があるかなと思います。
中川村の公式ホームページというのがあって、そこに、村長の部屋というのがあります。そこには村長への手紙というので、いろんな御意見をいただいている部分と、村長からのメッセージという部分で、わたしからのそれこそ批判にさらすために、さらしものにしている自分の考えがありますので、ぜひ見ていただいて御意見をいただけるとありがたい。今回の国旗に礼をする、しないという話のほかに、TPPの話、TPPをすると中山間地の共同体そのものが破壊されてしまうのではないかという危惧に基づくところの議論とか、あるいは無防備平和地域宣言というのがありまして、うちのところは兵隊さんとか、軍事施設とかは入ってこないでくださいということを事前にしておいて、自治体単位で軍事化に反対していこうという運動があるんです。そのへんのこととか、あるいはベーシックインカムのこととか、あるいは「英霊にこたえる会」の会長さんに、お手紙をだしてどんなやりとりがあったりとか、いろんな興味もっていただけるかもしれないお話が、いろいろありますので、ぜひ読んでまた御意見いただけたらうれしいと思います。
それからさっき釈尊の教えというのが、一番ベースにあるんだということを申しあげましたが、そちらの方も、それは個人のホームページに書いておりまして。合わせて社会的な問題と自分の考えている釈尊の教えとつなげて本にしたらどうとお声がけをいただいて、春ぐらいに出るかどうかわかりませんが、そんなこともありますので、もし御興味ありましたら、一番根っこのところから、今日はそこまでお話できませんでしたけど、ある程度はふれておりますので、そういうところもまた御批判いただけたらうれしいなと思います。そういうことでちょうど時間となりました。たいへん、ありがとうございました。
→なお講演内容はユーストリーム録画でもご覧になれます。質疑部分もあります。ユースト録画