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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

君が代不起立という表現

2012-10-29 14:22:38 | 当該から

※2012年5月8日集会で配布した原稿を少し手直ししましたので、ご覧ください。辻谷博子

 

「不起立」という表現から「不起立」を超える運動へ

 

「不起立」という表現の意味

・憲法を蔑ろにしてはならない。

・少数者の立場は絶えず擁護しなければならない。

・学校を命令で動く場所にしてはならない。

・たとえ相手が大きな権力を持つ者であっても意見表明はできる。

・政治的圧力に負けるわけにはいかない。

・「不起立は、私たちの表現!

・なかまと連帯できれば闘える!

・闘いは受け継がれる!

 

1.憲法を生きよう

君が代強制の問題は「ルール」の問題ではなく憲法の問題だ。19条「思想・良心の自由」、20条「信教の自由」は言うまでもなく、21条「表現の自由」、23条「学問の自由」、26条「教育の自由」、ひいては25条「生存権」99条「公務員の憲法尊重擁護の義務」にも及ぶ。主権者である私たちは、教員としてあるいは市民としてそれらの権利を行使し国家に保障の義務を求めていく必要があるのではないか。それが、教育を通して憲法がそれぞれの生活においてあるいは仕事において生きたものとなる一つプロセスであろう。

 

2.司法は教育をまだ知らない

昨年2011.5.30から本年2012.1.16まで、「日の丸・君が代」強制にまつわる最高裁判決が相次いで出た。「日の丸・君が代」強制実施に伴う職務命令や処分は憲法19条には反しないという判断だ。処分の行き過ぎについては一定の歯止めとなろうが、本質的な問題はいまだ解決されていない。なぜか。良心の自由の解釈をはじめとする法的解釈の問題や限界もあろうが、素朴な疑問として、司法はいまだ教育を知らないのでは、と思う。これは行政も同じである。学校でどのような営みが行われているか。教育とは生身の人間が生身の人間とぶつかり合う泥臭い作業と言ってよい。テレビドラマにようにはいかない日々の営みがある。そのことをよく知っているのは教員自身だ。ならば、いかに最高裁で一定の結論が出されたとは言え、教員こそが声をあげていく必要があるのではないだろうか。司法の最高峰とは言え、最高裁はいわば「世間」のように思える。多数者側の価値判断に基づいた結論を「世間」とともに確認したにすぎない。少数者であろうといや少数者であるだけに私たちはなおも司法に訴える。それが私たちの役目だと思っている。そして、いつか司法は「教育」と言う営みを知るであろう。その日が来るまでは判決の屍をさらに重ねていくことになろうが。

 

3.「不起立」という表現の連続性

2012年度府立高校入学式不起立処分2名。「不起立」という表現は、1985年いわゆる文部省(当時)徹底通知以来、学校で行われた「日の丸・君が代」強制を巡る数々の議論、数々の出会いの延長上にある。

学校に国旗国歌が強制されることの意味を、その問題性を教員はずっと考え続けてきた。個々の教員の歴史観、世界観はそのなかで培われてきた。教育の営み、教員という仕事についても、然りである。学校に「日の丸・君が代」が否応なく持ち込まれるようになり、多くの教員は静かなささやかな抵抗として「不起立」という表現を選んだ。それしかできないもどかしさを抱えながら。いま、「君が代」斉唱わずか1分足らず黙って「すわること」にも条例と職務命令により処分が加えられるようになった。どう考えてもおかしくないか。このあまりにもおかしな状況において「不起立」という表現は続く。

2003.10.23東京都教委による「君が代」強制通達のなか、根津公子さんらは停職処分を受けながら免職の危機を抱えながら、それでも「不起立」を選んだ。根津さんだけではない、多くの教員が処分されながらも「不起立」という表現を行った。そして2011年度東京都立学校入学式では、橋下市長と同じ年の田中聡史さんがただ一人「不起立」を表現し処分された。田中さんの弁、「不起立がゼロにならなくてよかった」と。同意である。

 翻って大阪では、昨年いわゆる「君が代」強制条例が制定され、大阪府立学校の教職員には全員「職務命令」が出されるという異常事態のなか、それでも29名の府立学校教員、市町村を合わせると35名の教員が「不起立」という表現で臨んだ。

2012年度入学式における私の「不起立」表現はそのような連続性のなかにある。そして2名の不起立の背後には「君が代」強制条例に対する多くの異議申立の声がかくとしてある。そして、これは来春の2012年度卒業式における「不起立」としてに受け継がれていくことだろう。

 

4.「不起立」を超える運動へ

 いま、「学校」と「世間」の距離はより広がっているように思う。公務員バッシングや教員バッシングにのるつもりはないが、相互間の対話や信頼性はかつてに比べれば間違いなく乏しくなって来ている。「不起立」の問題は歴史認識、世界観、教育観の問題であるといってもなかなか理解されにくくなっている。

一方で、労働現場の苛酷さを「学校」はどれほど理解しているだろうか。東京新聞5/3社説にこうあった、「若者の半数が不安定雇用。こんなショッキングな数字が政府の『雇用戦略対話』で明らかになった。2010年春に大学や専門学校を卒業した学生85万人の『その後』を推計した結果だ。3年以内に早期退職した者、無職やアルバイト、さらに中途退学者を加えると、46万人にのぼった。安定的な職に至らなかった者は52%に達するのだ。高卒だと68%、中卒だと実に89%である。学校はまるで“失業予備軍”を世の中に送り出しているようだ」。

いま、学校がどのような役割を果たすべきか、ここからも明らかであろう。苛酷な労働現場やその実態を共に変革する志なくして「君が代」不起立と言う表現は到底理解され得ない。教育問題と労働問題は軌を一にしている。そしてそのときやはり武器になるのは憲法だ。憲法の原点に立ち返り、教育の場でこそ憲法を日常的な営みにしていくことが求められているのではないだろうか。そのとき「不起立」はそれを超えた運動になっていくだろう。

 

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Tネット通信(ブログ版)NO.1~教え子からのメッセージ:隅田聡一郎さん

2012-10-29 08:20:33 | Tネット通信(ブログ版)

※Tネット通信第1号は、教え子の一人、隅田聡一郎さんが、Tネット結成集会の寄せて送ってくれたメッセージを紹介します。

彼は、高校生の頃から、社会に対する関心が高く、大学進学の後も、積極的に社会活動に参加しています。

彼との議論は私にとっても刺激的であり、考えさせられることが多々あります。

現在は平和についての活動、特に3.11以後は放射能汚染・内部被ばくの問題について発信しています。

 

Tネット結成集会に寄せて

今こそ、人権教育としての平和教育を             2012.10.21

                         

 教育基本条例下で子どもたちの「学習権」が脅かされています。評価・育成システムによる教員「序列」化は、子どもたちの個性・能力・家庭環境に配慮した本当の意味での教育を困難にさせているのです。

 戦後65年が経とうとする今、「戦争を知らない」若い世代が、戦争体験に関する証言をじかに聞くことによって、その方々の人生から「過去の戦争」に関する歴史を「リアル」に学ぶという貴重な機会が失われつつあります。しかし、現代の、オスプレイ配備(沖縄基地問題)、領土問題、朝鮮学校無償化除外問題などは、歴史認識という文脈を抜きにしては語ることのできない社会問題です。また、東アジアの国際情勢をフラット化するためには、過去の「記憶の伝承」だけではなく、現在の「歴史対話」による「新たな記憶」を創造する必要があります。

 しばしば誤解されていますが、平和教育とは、何も抽象的に「戦争反対」を生徒に「押し付ける」ものではありません。日本国憲法前文では、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という「平和的生存権」が謳われています。貧困問題やワーキングプア問題が広がる現代日本社会においても、「恐怖と欠乏」が子どもたちを襲っています。つまり、平和教育とは「人権教育」を含んでいるのです。それは、「差別」や「在日コリアン」の問題のみならず、市民社会における「権利主体」として、例えば、生活保護バッシングを問題視したり、「労働法」普及によって「ブラック企業」への対処術を身につけることでもあります。

 もちろん、こうした社会問題に対して、「教育」にすべて期待することはできません。しかし、そもそも、教員各自が子どもたちに見合う「人権学習」を構想する時間と余裕をあまりにも持てない現状が問題なのではないでしょうか。

NPO法人セイピースプロジェクト代表

隅田 聡一郎

参考

 ■セイピースプロジェクト( SAY-Peace PROJECT )とは

アジア( Asia )×若者( Youth )×平和( Peace ) をキーワードに集まった若者たちからなる 平和NGO です。会員数は現在、正会員 50 人ほど、サポート会員・賛助会員を合わせると全体で 70 名(団体含む)ほどです。

■歩み


セイピースプロジェクトはイラク戦争が始まった 2003 年にスタートしました。 平和や戦争の問題について大学生を中心に若い世代が同世代で話し合い、共有できる「場」を創るためディスカッションイベントの開催を中心に活動を行い、徐々に取り組むテーマや活動の形態を広げてきました。

2009 年 7 月に東京都の認証を受け、正式に「特定非営利活動法人(NPO法人)」となりました。

■基本コンセプト

「平和に生きる権利」を確立し、「軍事力によらない平和」を実現しよう

私たちが住むアジアでは、軍事力依存の「安全保障」が国境を隔てた相互不信と緊張を招く一方で、広がりを見せる貧困や不公正が人々の生存を脅かしています。


こうした中で日本でも、沖縄や在日外国人、そして、東日本大震災と原発事故の被害に遭った人々など様々な立場にある人々の人権と生存が脅かされています。


セイピースプロジェクトでは、こうした状況を変えるため、「平和の生きる権利」の確立と「軍事力に依らない平和」の実現を目指し、様々な人権と平和のための取り組みを展開しています。

http://www.saypeace.org/

 

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