人生って不思議なものですね(1)の続き
初霜のころ結婚式をすることになり、彼女はいろいろと準備をしていました。実にお話しが始まってから4年の空白があり5年目にようやく岸辺にたどり着いたのでした。それもまだ彼女のお父様が出席されないとか、何かと心配の多いときでした。なのに、さらにちょっと心配なことがありました。それは彼女が時々頭痛がすることでした。結婚前に体の悪いところは直しておこうかと相談されましたので、そうしようということで検査を受けることにしました。結婚まであと3ヶ月のときでした。検査結果が出て衝撃は走りました。頭蓋骨を写したレントゲン写真に真っ白なピンポン玉のような影が見えました。大きな脳腫瘍でした。
手術をしなければなりませんが、障害もなく元気になれる保証はありません。多くの場合は半身が不自由になるなどの障害が予想されました。さらに寝たきりとか、意識が戻らないとか、最悪の場合もありうるようでした。でもこの病院は優秀な医師がおられるのでできる限りのことはしますとのことでした。
私は彼にすぐに連絡をとり、状況を説明して、「どうする?。」と聞きました。「どうする?。」とは結婚を再考するか、延期するかをも含めて聞いたつもりでしたが、彼は即座に「すぐそちらに行きます。」と私の思いとは全く違う答えをしてきました。彼らはそれだけ神の前に祈り交わっていたのでした。私は自分の不信仰を恥じました。
ふたりは「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 」という聖書のみことばで強く結ばれていたのでした。
いよいよ手術の日が来ました。彼と彼のご両親も駆けつけてくださいました。術後の経過にもよるが、およそ1ヵ月で退院できるとのことです。ということは結婚式は退院後1ヵ月しかないわけです。私はまたもや彼に愚問を発しました。「式の日取りはどうする?。」当然延期すると思いました。ところが「予定通りです。」彼は神の導きを信じていました。
ついに手術の時間になりました。彼女が移動式のベッドに移されました。このとき彼のお父さんがベッドの彼女に近づき手を握りはっきりとおおきな声で言いました。
「K子。K子。お前は俺の娘だ。ここで待っているから必ず元気になって戻って来いよ。K子。わかったか。戻って来いよ。わかったか。K子。お前は俺の娘だ。わかったか。K子。」言い含めるように何度も何度も彼女の名を呼びました。
私は彼のお父さんは、彼が強引になりふり構わず結婚しようとしているので、不本意ながら息子についてきたのではないかとも思っていました。ところが突然「K子。お前は俺の娘だ。」というではありませんか。どんなにか彼女の励ましになったことでしょうか。彼女は一瞬とはいえ手術の恐怖から解放されたことでした。思わず一同がもらい泣きをしました。
しかし、手術を待つ時間は非常に長く思えました。予定より長引いているようで、重い気持ちになりました。取り出された腫瘍はピンポン玉ではなくテニスボールくらいあったそうです。医師は注意深く全部取り除くことができたと教えてくれました。それでも頭の中に大きな空洞ができてしまい予断を赦さない状況でしたが、予定通り一ヵ月後には退院することができました。大きな障害はなさそうですが、まだまだ安心はできない状況でした。結婚式まであと1ヵ月です。
結婚式は夕方からでした。式場まで車で4時間ほどです。昼に出発すれば間に合います。でも朝から支度をしてしまい、時間をもてあましていました。まだ昼までには時間があります。そのとき隣家で庭石を動かしていました。ちょっとお手伝いのつもりで石を立てようとしたときです。腰の少し上の背中がキリキリと傷みました。でも少しのあいだ我慢していたら動けるようになり出発の時はあまり気にならなくなりました。
ところが長時間車に乗っていて式場に着いたときには腰を曲げてお辞儀をすることが全くできなくなっていました。腰から上を直立させたまま、ヒザをまげて背を低くするのが精一杯です。でも披露宴では雛壇から挨拶をする立場上、誰にもこの故障を言うわけにもゆきません。花嫁に「大丈夫か。歩けるか。」と聞くと「ちょっとふらふらするけど大丈夫。」そして彼女のご両親も出席されています。こっちの体はそれどころではなかったのですがふたりのために大役を降りるわけにはゆかず、痛みをこらえてご来賓のご挨拶から、余興のたびごとに笑顔で起立、最敬礼、着席を繰り返したのでした。
それからふたりは人もうらやむ大の仲良し夫婦になりました。私は電話をするたびに、お前らはあんまり仲がよすぎるのでバットで殴ってやりたいくらいだ。とよく言ったものです。あれから20年、今、私は退職して無職。無職ながら大食の日々を送っております。ふたりにもいろいろなことがあったようで、すべて順風とは行かなかったようですが、彼は弱い彼女を助けてきました。その彼から突然、「仕事をやめた。」と電話がありました。まだ定年まで数年の残していましたが「お疲れさん。」とねぎらいました。かれは心身ともに相当疲れているようでした。
その後ふたりに会う機会が与えられて食事をともにしました。彼女は彼の弱さをよく理解してくれていました。私は彼とふたりだけで風呂に入り、「今度は君があまえる番だね。いい母ちゃんになったね。」と言ったらにっこりとうなずいていました。
人生っていうのは本当に不思議なものですね。思いもよらぬことが起きます。でもそのときそのときを真摯に生きてゆくと考えもしないずっと良いことがついてくるものです。
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