司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」あとがきに由れば、
日露戦争の公式戦記は全く意味の無い文章の羅列であったと述べている。
書いている最中から、多くの軍人がやって来て
勝ち戦の功績に名を連ねたがり、負け戦の失敗には名を隠したがる。
一回目の報告書を上げるときには、これ程の反発を食らうとは思っていなかったのだろう。
もし一回目の報告書で、ありのままに書いていたら
経産省やマスコミ受けはしただろうが、
逆に”大切な人”からは大目玉を食らったであろうことは想像に難くない。
報告書制作担当者は貧乏くじ以外何ものでもなかったであろう。
ちなみに、日露戦争戦記を書いた責任者は出世できなかったと。
責任回避の方策は、いまも昔も変わらない。
日露戦争の公式戦記は全く意味の無い文章の羅列であったと述べている。
書いている最中から、多くの軍人がやって来て
勝ち戦の功績に名を連ねたがり、負け戦の失敗には名を隠したがる。
一回目の報告書を上げるときには、これ程の反発を食らうとは思っていなかったのだろう。
もし一回目の報告書で、ありのままに書いていたら
経産省やマスコミ受けはしただろうが、
逆に”大切な人”からは大目玉を食らったであろうことは想像に難くない。
報告書制作担当者は貧乏くじ以外何ものでもなかったであろう。
ちなみに、日露戦争戦記を書いた責任者は出世できなかったと。
責任回避の方策は、いまも昔も変わらない。
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