ゆうの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

母・・・

2011年04月02日 | 日記
昨日母に会いに行って実家のお墓にもお参りしてきたことを告げると「うちのお墓はどこにあるのかなあ?思い出せない。自分の里のお墓や育った家のことは頭に浮かぶんだけど、今まで住んでいた家の事を思い出せない」と言う。
桜も咲き、気候が良くなったので急遽、施設の許可を貰って母を車に乗せ実家周辺をドライブ。「この家は誰の家かわかる?」「あー、〇〇さんの家やなあ」「この家は?」「〇〇さんの家」母の記憶が蘇ってきた。「ほら!公民館の桜が咲いてるよ」「ほんと、桜が咲いてるなあ。春やなあ」「この家はどこの家?」「うちの家や」「じゃあ、今度はお墓に行ってみようよ」「ああ、思い出した。この先を曲がった所にうちのお墓があるんやなあ」
そういう会話をしながらお墓に到着。母はお墓の中に眠っている人の名前を一人ひとりあげる。そして車から降りてちゃんとお墓参りをしたいと言い出した。足が弱って踏みたてることが出来なくなっているのでそれはとても無理。車に乗せるのも施設の男性職員さん達数人がかりで乗せてもらったほどだ。しかし母は這ってでも行ってお参りするという。負ぶって連れて行こうとしたが、重くて夫も私も立ち上がることができなかった。両脇を二人で抱えてみたが母の重さに勝てず、とうとう母は地面にずるずる落ちて服は土ぼこりでいっぱいになってしまった。やっとのことで車に乗せ、車の中からお参りさせた。
その後また「このおうちは誰の家?」「〇〇さんかた」「このお店は?」・・・と繰り返しながらのろのろとドライブ。「カラオケの先生のところに行ってみようか?」「ああ、行ってみたい」・・・そして私より1歳年下の(母の)カラオケの先生と対面。握手して母はとても嬉しそう。その後、公園の桜を見てまた施設の母の部屋へ・・・。

気候がよくなったのでこれからは時々、こういう風に連れ出して気分転換させようと思う。
しかし体に力が入らなくなった母を移動させるのは本当に大変。暖かくなったら我が家に連れてこようと思っていたが、夫と私の二人では車の乗せ降りも困難だということが今日よく分かった。
思い返せば去年の今頃も母はこういう状態だった。しかしその後、母は徐々に回復しベッドの寝起きができるようになりポータブルトイレを一人で使用できるまでになった。
またあのように回復できたらどんなに嬉しいか・・・。

「今来たばかりなのにもう帰るんな。あー、せちい(悲しい)。もっとおってよ(もっといてよ)」
何時間いても、帰り際の母の言葉はいつもこう。
母の心に私は冷たい娘だと映っているかもしれないとこちらも悲しい気分になる。
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