城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

本城(長野県塩尻市)

2012年11月07日 | 長野県塩尻市の城跡
現状:山林
遺構:土塁、郭、堀
状態:遺構は多く残っています
表示等:なし
駐車場:なし

JAの「アスティかたおか」から姥ヶ沢を挟んだ東側の尾根上に、二箇所の遺構群を見ることが出来ます。
しかし少々難解な城跡でした。

山麓線から「アスティかたおか」に向かい、敷地東側の姥ヶ沢に下ってから
沢沿いを進みます。
尾根の崩落箇所がありましたのでそこから斜面に取り付き、尾根の先端部と
思われる場所を目指して登って行きました。
登り切ると尾根上の平坦部分に一つ目の遺構群があります。

そこから細い尾根上を200mほで東に辿ると三角点に至り、その尾根上を含めて東側と北側に二つ目の遺構群を見ることが出来ます。

姥ヶ沢。

崩れやすいので慎重に急斜面を登ります。

登り切った尾根上。

一つ目の遺構群の中心、土塁に囲まれた窪地。(南東の土塁上より見る)

窪地底から西方向。

土塁は東側へ伸びて尾根へ続きます。

尾根は200m程続きます。

三角点に到着、尾根は更に東へ伸び南に折れて終わります。

尾根上から北側を見下ろすと郭と思われる平坦部が見えます。

南側は斜面となって沢に下って行きます。

東側の堀と土塁。二重になっています。

さて二つ目の遺構群に主郭に当たる場所が見当たりません。
「図解山城探訪」では、尾根の部分が土塁で南側に主郭があったが崩落により
失われてしまったのでは、と推察されています。
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ジタジタ峠

2012年11月05日 | Weblog
ジタジタ峠とは、
案内板に拠れば、

天文二十三年(1554)武田信玄の引いる武田軍は、小笠原氏の鈴岡城を攻め落し、
その勢いをもって下久堅の文永寺を焼き払い、竜東の雄、諏訪氏の流れの知久
頼元の居城神の峯攻略のためここに立った。時に八月中頃である。
武田の将山本勘助は霧の晴れ間に床山城を眺め、この山城は水を断つことが一番
と計略し、眼下の玉川に兵を出し、城平が水汲みに来たらと待ち受けていたが、
五日たち六日たっても一人として城兵は表れなかった。

そうこうしていると、ある日の午後、神の峯の出丸篝岩の岩頭に兵が集まって
馬を洗つている姿が眺められた、実は城兵達は白米を使って馬を洗っているように
見せたのを武田軍は水で洗っていると思ったのである。これ程城内には水が
たくさんあるのか、それなら今までの兵略は無駄であったのかと思い、さすがの
智将山本勘助も、ジダジダを踏んで口惜しがつたという。そのためこの地を
ジダジダ峠と称し、草木も育たぬ所となったという。
昭和六十三年三月 飯田市・上久堅観光協会

と伝えられている所です。

国道256号線脇の標識に沿って小道を進むとまた標識と階段が現れます。
階段を上がると広場になっていて、玉川を挟んだ対岸に神之峰を望むことが出来ます。

神之峰出郭付近、電波塔の下に小さくベンチも見えます。


神之峰から見るジタジタ峠。



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