城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

ジタジタ峠

2012年11月05日 | Weblog
ジタジタ峠とは、
案内板に拠れば、

天文二十三年(1554)武田信玄の引いる武田軍は、小笠原氏の鈴岡城を攻め落し、
その勢いをもって下久堅の文永寺を焼き払い、竜東の雄、諏訪氏の流れの知久
頼元の居城神の峯攻略のためここに立った。時に八月中頃である。
武田の将山本勘助は霧の晴れ間に床山城を眺め、この山城は水を断つことが一番
と計略し、眼下の玉川に兵を出し、城平が水汲みに来たらと待ち受けていたが、
五日たち六日たっても一人として城兵は表れなかった。

そうこうしていると、ある日の午後、神の峯の出丸篝岩の岩頭に兵が集まって
馬を洗つている姿が眺められた、実は城兵達は白米を使って馬を洗っているように
見せたのを武田軍は水で洗っていると思ったのである。これ程城内には水が
たくさんあるのか、それなら今までの兵略は無駄であったのかと思い、さすがの
智将山本勘助も、ジダジダを踏んで口惜しがつたという。そのためこの地を
ジダジダ峠と称し、草木も育たぬ所となったという。
昭和六十三年三月 飯田市・上久堅観光協会

と伝えられている所です。

国道256号線脇の標識に沿って小道を進むとまた標識と階段が現れます。
階段を上がると広場になっていて、玉川を挟んだ対岸に神之峰を望むことが出来ます。

神之峰出郭付近、電波塔の下に小さくベンチも見えます。


神之峰から見るジタジタ峠。





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