自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

哀悼

2009年07月10日 | 絵と文
 あかりを抑えた室内にムード音楽が流れて、グラスによどむ液体に五色の光が小さく反射するのを見ながら、私はいつこの場から脱出できるかそればかり考えていました。
 ふと曲が変わって、ちょっとした空気の流れに乗り素早く座を立つことができたのは天啓のようなもので、隣に座っていた先生が繋がるようにあとに続いても、それはごく自然な動きでしたよね。
 同じ思いの二、三人が抜け出ようとして起ちあがりかけた時、訳知り顔の仲間のひとりがまあまあと押しとどめ、ついでに意味ありげなウインクをよこしたのも、ほろ酔い気分のパフォーマンスくらいに気軽く受け止めて、小雨の夜の戸外へ逃れ出て正直ほっと顔を見合わせましたね。

 送ってあげましょうとおっしゃるのを、丁寧に辞退したのは終バスの時間に間に合うし、もうひとつまるで誘い合わせたように小雨の帰路をたどることになったあの夜の余韻、きっとそのまま乱したくなかったのだと思います。
 次に教室で会ったとき、これはまたいい雰囲気でしたもの。
 「あとになって、送ってもらえばよかった、って思いました」と私が言い
 「僕も。送ってあげればよかった、と思いました」と先生が言い、
 そして笑いあったこと。
 まるでふたり小さな秘密でも共有したように…

 みんな若くて勢いがあって、ことあればなんとか会。
 主役または脇役でいつも会の中心人物でありながら、下戸で甘党の先生には気の重いときもあったでしょうに、定番の最後のリクエスト「青い山脈」がコーラスとなって締められるまでは、本当にみなを和やかな雰囲気の中へと誘ってくださいました。
 それがきまってエンドレスな二次会三次会へと移行して、途中脱出に頭を悩ましたことなども、今となればただ懐かしい。



 あれから何年たっているのでしょう。 
 思いもかけぬ突然の訃報でした。
 絵筆は握っていられたのでしょうか。
 生きるか死ぬかの境目を3度も切りぬけて得られた死生観は、ことに最近の先生の描く華麗な画面の底流にも強く潜んでいる、と感じていたのは決して私だけではないと思えますし、目に見えぬ周囲への優しさ思いやりの心もじわり伝わってくるのです。
 小下絵の原型がわからなくなるほど思いを込め、時間を忘れて描き込める情熱、どこにいても筋金を背中に一本通した姿勢の良さ、アンコールのたびに見るはにかんだ笑顔のかわいいこと、あのバイブレーションの利いた歌声とともに生き生きと蘇ります。
 絵だって、人生だって、表面だけの美しさを追わず、精神の奥深さを追求することが最も大切なのだとは、教室の誰よりも誠実で真摯に、身をもって繰り返し教えていただきました。
 その十分の一でも、自分も言葉でなく行為で自然と表せるようになれたら。
 それができれば、日展、院展どちらでもいいから出品をとすすめられながら、肩書のあるなしで作品の価値が左右されるのに反発する困った生徒の、たったひとつの恩返しになるのかもしれませんが。

 音を消して、ひっそり過ごした一日でした。
 教室をやめてから、あえてお会いせず文通ばかりで楽しんだ胸の奥底に
 鮮やかな色彩が果てしなく燃えて浮かんでは消えていました。



             「白桃」 岩彩 
         (岡山の白桃を送ったら描いてくださったもの)


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