自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

海辺の記憶

2015年01月18日 | 写真と文

  ( 阿尾城址・氷見市の観光写真より)


“ 私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ “              
冬の日に珍しい輝くような朝、不思議なことにひとりでに体が動いて私は海へ出かけたのです!
前夜読んだ詩集の好きな一節で触発されたとしても、この寒い時期
帽子襟巻き手袋、厚手のショールも鞄に入れて。




    棲家を出て3時間、我ながら思い切った大冒険と驚きつつ、でも浮たつ思いを止めることができません
    ときどき立ち止まって休みながら記憶をたどれば、民家の間に海辺へと通じる小路があるはず… 
    半世紀以上もさかのぼったその頃と変わらぬ日本の原風景を、見ることはできるだろうか?

    あった!
    表道路は軒並み改築されたらしい家々ばかり、心細くなっていたけれど。
    人ひとりやっと通れる小路を見つけたときは思わず胸が高鳴りました。
    その先に広がる砂浜、ところどころに小さな畑、残雪の中から覗く大根の葉、
    うら寂びた農漁村とひと気のない静かな海と、手の届きそうな阿尾の断崖も、あの頃のまま。

    眼前に広がる海は、色とりどりにちりばめた思い出がいっぱい乗っかった、大きなトレーです
    傾ければこぼれ落ちて、また新たに生まれ出て光の中で踊りだすもの、一瞬輝いて遠く海阪に消えゆくもの
    ひとつひとつが何かを語りかけてくるような。

    たまたま見かけたひとり黄昏の海辺を歩く人 あのひとも心に憂いを抱いていたのだろうか
    ときには無心で共に戯れた近所の子供たち みんな元気に暮らしているだろうか

    荒れた北の海にひとり向かわずにはいれなかった当時の思いや
    心の奥深く封印したはずの記憶までが鮮やかに甦ってきました。
    きっと、このときを期待して寒い北の海を訪れたのでしょう。(-。-)y-゜゜゜


         .。o○  。o○   。o○   。o○




途中でニ、三度は寝がえりをうって意識も半ば戻ったような気がします
その度夢ではないのだと反芻しつつ、再び三たび夢の中への浮遊を繰り返しました。

朝、目覚めたあとも現実との区別はおぼろに霞み、霞みの中にその体感をいつまでも確かめながら
前夜整えた旅行鞄だけが形見のように残っているのを見たのでした。
                               
                                    

新春の雪

2015年01月07日 | 写真と文
  

東京と大阪から二人の孫が帰省して、息子夫婦とともに小家族の全員がそろいました。
年末年始の御馳走の材料などあれこれ苦心して揃えただけで、献立や調理はお嫁のEちゃん中心に、私は殆どお客です。
このスムースな流れが大晦日の夜からの寒波到来で一頓挫。

いつも雪空を見上げては青息吐息の私、このときは男手にまかせてのんびり気分で白一色の世界を堪能しました。
そうだ若かったころは(今よりほんのちょっぴりだけ) 降りしきる雪にも情念を燃やしたものだっけ
気がつくと、味もそっけもなく除雪の心配ばかりで満杯のこの頭、大分干からびちゃってるなぁ

反抗期を知らない二人の孫は、両親の号令一下スコップ片手に雪道へと飛び出したまではよかったけれど
8年余り都会暮らしの太郎は雪掻きの経験があまりなく、次郎は高校時代が地元だったのでややマシながら
とても見てらンないと母親のEちゃんも勇ましく外へ…

次郎が中学生の時にも大雪で雪掻き頼んだら、スコップはへこんだし灯油のタンクあちこち傷ついたし。
何しろ玄関先に積もった雪を行く先見ずに猛烈飛ばすので、雪の山がただ移動するだけ。
(笑って眺めてるのも今回きりよ)

部屋にもどってきた二人に 「どう?少しはお腹減ったでしょ」
「ウウン、ちっとも変わらないよ」とアッケラカン。自分の視点で判断したそうで…
この地で生きるんだったら、しっかりと除雪のルール教え込むんだけど。

外ではEちゃんがせっせと後始末をしていました。
今までだったらそのあとさらに私が仕上げ、でしたが、これもそろそろお手上げだから大きなことは言えません。(#^.^#)




      樹上に雪の冠り
        <