自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

おもいでぽろぽろ

2015年08月23日 | カット画


手探りでスイッチを押すと、何もない暗闇の世界が突然まばゆい光に溢れて
何かがもどかしく脳を刺激して来るのを感じ、柔らかいオレンジ色の中でしばらく立ちつくしました。

それまでのリビングのガラスのシャンデリアは、5個の球形蛍光ランプを取り換えるたび重たいの、不便の、と不平たらたら
とうとう息子が見限って大型のシーリングランプにつけ替えたのがつい先日。
まだまだ使用に耐えられるし、それなりの愛着もあったからちょっと胸が痛かったのだけど、どう、この明るさは。

昼光色というより、もっと暖かな黄橙色の光は…
太陽みたいに冷え切った魂を暖かく包みこんでもらった記憶がある──
それは遠くおぼろに薄れかけた感覚をいつか鮮やかに呼び戻してきたのでした。


70年前の暑い夏
天皇の詔勅が放送されて、それまで連夜の空襲に備えた灯火管制の黒い布
天井からぶら下がった小さな電灯の、それをとり除くと同時に広がる光はなんと柔らかくてまぶしくて嬉しかったこと
四六時中張り付いていた重苦しい不安感が跡形もなく消えていたのだから。
今日からは怯えないでゆっくりと本が読める!
一瞬にさしこんだオレンジの光の中へ体ごと溶けこんでゆく安堵感、開放感…
今とは比べ様もない古い60ワット電球の明るさは、多くの犠牲を払って得た平和の光でもあったと思います。

もつれた糸を解きほぐすように当時の思いが次々とよみがえりました
お代わりだって許されない小さな茶碗に注がれた哀しみも
雪の校庭をはだしで駆けさせられた軍事訓練の足裏の痛みも
夜空に鳴り響く空襲警報の不気味さ怖さも
そして周囲で日常見られた数えきれない哀しみ不合理なども
厳しく抑制され口には出さずとも心の奥にしまい込んだ多くは悲しく辛い想いなど。

戦後は一転して降ってわくような親米思想です
飢えた日本にアメリカからお砂糖と小麦粉が主食代わりに何日分とか支給され
しばらくは甘い甘いパンばかり食卓に登りましたっけ
大きな声では言えないけど、通勤の超満員電車の片隅で見て見ぬ振りされた横暴な○○人への打つ蹴る殴る…
それは積み重なった恨みの報復の、そのまた報復の、果てしない悲しい出来事でもあったのです。
                           


戦中戦後その手の思い出はもう数え上げれば限りがなく
いつも途中でそっと心の中へしまいこんで平和な(に見える)現実社会へと舞い戻ってしまうのですが
今この明るい光の中にいて祈らずにはいれませんでした。
正しい批判もしないまま、いつの間にか酷い戦争への坂道を転げ落ちてゆくことなど
決して、決して二度とないようにと。 
                 
                 

日本画【一点鐘】

2015年08月04日 | 日本画「情景」
【一点鐘】

(8号F痲紙ボード岩彩)


             






一時が鳴った
二時が鳴った
あの古い柱時計の
夜半の歌…


私の耳のそら耳に
過ぎ去った遠い季節の
静かな夜を聴いている
聴いている

ああ あの一点鐘
二点鐘


  (三好達治「一点鐘」より)