自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

バリ展

2008年12月28日 | 写真と文



 日本インドネシア友好年公式プログラムの「バリ日本芸術祭」に、交流50周年の記念行事の一環として、バリ島トニーラカギャラリーへ作品「想」を出品しました。

 

 





 11月のバリ島は雨季の始まりにあたり、日本の梅雨をさらに蒸し暑くしたような日々が続きます。
 歴史と文化を重んじ、立ち並ぶギャラリーや美術館で世界に誇るバリアートに触れることが出来ますが、夜ともなればどこからともなく伝統舞踊音楽も聞こえてくるそうです。


 バリ島の寺院、仏像。
 仏様のお顔は、何となく人間っぽいような気がします…

   



開催初日のセレモニーから






さよならスヌーピー

2008年12月24日 | 写真と文


 いつしか窓外に黒い帳が下りているのに気づいて、残りを明日にとマイルームに戻ったときは、ホッと安らぐのですが、このところ何かもの足りなくて変な気分でした。
 一日を終えた充足感、安心感はいつもと変わらなく膨らんでくるのに、まるで穴のあいた袋へ詰め込むようにいつまで経っても満たされないのです。
 改めて部屋を見まわすと、分かりましたテレビボードの上のぽっかりあいた空間、それでした!

 図体ばかりデカい、縫いぐるみのヌーボー、レオが消えた
 馬づらのワンちゃんスヌーピーがいない
 とぼけた狸吉もラブ猫の姿もない
 黙って当然のようにそこに鎮座していた彼らがいない

 あったかくて柔らかくて、あのさわり心地は誰もに覚えがあるでしょう。
 思えば幼なかった孫たちの、これも縫いぐるみと変わらない小さな手にぴったりと収まって、もうほっぺたに押し付けるやら、抱きしめるやら乗りかかるやら。
 それがいつのまにか必ず、かわいいお尻を突き出してへたばっていたり、仰向けに天井を見つめて伸びていたり、情けなく机の端に引っかかった姿で部屋の四方に散らばっていて、片付けけ役のバァバはそのたび不思議な幸せを目いっぱい感じたものでした。
 可愛がって撫でさすって、最後には何故放り投げずにおれないのか、それも私には不思議な事に思えます。そのせいか本能なのかどうかは知りませんが、二人の孫は今でも球を投げるのが好きと来ている…

 待ち望んだ孫の誕生よりずっと先、ジィちゃんがどこからか景品にもらってきたレオは、とボケ顔に変わりないけど相当くたびれていたはずです。一番愛されてうすよごれたスヌーピーはじめ、どこからともなく集まってきた似たもの同士の一族を、孫たちが成長したあともなんとなし離しがたく、広いテレビボードの上に飾ってから、驚くほど早い時間が経ちました。
 その間空気か水みたいに意識もせず、長い付き合いだったのを突然絶つのはそれなりに勇気の要ることでしたよ。
 一隅から黙って私のすることなすこと見つめながら、そこにいるだけで慰めや励ましをどれほど与えてくれていたか、今になって分かりました。
 また新たに彼らを必要としてくれる子どもたちにめぐり合えるといいな、叶わぬ願いと知りつつも、虫の知らせか写真に残していた一枚を眺めては、使命を終えて去った同士のように偲んでいるのです。

遠い日

2008年12月21日 | 絵と文
 年末に向けて一念発起、思い切ったつもりの身辺整理を始めた。
 不要品を一切廃棄したシンプルな生活。
 自分より年下の人が先立つのを聞くたび、追い立てられるようにその必要性は痛感していたのだが、それには過去の記憶とさよならするくらいに膨大なエネルギーが必要だった。完成できた暁には自分の性格さえ変わっているのではと想像するほどの。
 甘かった。作業は遅々としてはかどらない。

 改めて手にする肉親たちの遺品がある。
 床の間の飾り棚の中から、西国三十三霊場の御朱印帳や、未完のお軸など木箱に納められて出てきた。 完成した北陸霊場のも広げてみる。仏様のご朱印を集めた三本のお軸を床の間に飾るのを目的に、彼のまるで死を予感したような忙しい霊場めぐりだった。
 遺志を継いでの家族そろって西国のお寺を巡り、延々と続く山の石段は私が幼子を背負ってのぼった。清水寺の舞台では、雑踏する人の姿もざわめきも遥か遠くに霞んでいた。ただ私同様お軸を背に歩く同年輩の一人旅を見るのは何か辛かった。旅は1回きりあとは機会を待ちながら未完のまま残っている。
 あなたの生まれ変わりのあの赤ん坊がね、もう高校生なのよ…

 死だけがひっそり待っている姉の病室へ、神にすがって奇跡を祈り続けて通った無明の日々もあった。
子に先立たれた母が、残る妹娘の私に当てた手紙の震える文字は、私の中に親の心情を深く定着させてくれている。この遺品の数々は、現物そして自分の心、ともにどのように処理しよう。
 幾度もの整理の網をかいくぐった古い日記帳は、今更中身に目を通す気にもならず未練はないが、そこここに見える涙の滲みは、数え切れないほどの哀歓の想いとして一生抱き続けてゆくだろう。
 過去のものとなったはずの亡き人との思い出が、遺品を目にして鮮烈によみがえる。
 その品々をなくすれば思いは断ち切れる?より先に、取り返しのつかない後悔に我を失うのではないだろうか?

 ふと、枕もとの遺影が笑ったような気がした。
  カンガエコムコト、ナイジャン。コッチヘオイデヨ タノシイゼ
  ヤーなこった。まだまだしたいことがいっぱいあるんですよぅ
  迎えになんて来ないでね!

 また、彼が笑った。

                      日本画「遠い日」(72.8×53.0)

新昴の女

2008年12月15日 | 絵と文
  13名の有志で旗揚げしたグループ展は、残り7名となり先行きも不透明なまま、少し心もとない思いの幕開けだった。
 女は強い。当初男女半々の比率だったのに、十数年のうちにほぼ年齢順で抜け落ちて、今年はただひとり残った男性も、ウーマンパワーに恐れをなしたか「ワシも辞めたい」とおっしゃる。
 ここで新人の男性を迎え入れるよりも、女性陣だけのほうが体勢を立てやすいかもしれない、という新しい視点のもとで、実績はともかく年数だけは重ねた者たちの団結は固かった。
第一この顔ぶれでは勧誘された男性の方がしり込みもしくは敬遠となるだろう。 最後の黒1点も追い出しかねない勢いとなって、始めのころは他人まかせだった連中も、ここに来て災い転じて福となす、を地でゆく一致団結の様相だった。
 次回の作品展を目指して、毎日頑張りましょう! こんなフレーズで盛り上がったのも、今までに見たことがない。 
 いっそのこと「昴の会」改め「昴の女」としようか。こんな思いでいた昨年秋。 (19/10/3)       


 今年第13回のグループ展は、この1年にいったいどんな変化があったのだろう、といぶかるほどひっそりと始まった。あの意気軒昂な女たちはどこへ消えた?
 抜け落ちた男性陣の代わり、より優秀な作家の出品を、より大作をより多数に、とひたすら願って、煩瑣な雑用に耐えた身にもなってくれってーの。
 力が抜けて一時は今年きりで終わりにしようかとまで迷ってしまった。
 だけどそれが杞憂に過ぎなかったのはすぐに分かった。最終日の頃は来る年はより盛大にと、少しも変わらぬ愛らしい昴の女たちがそこにいた。 エンジンのかかるまでが超遅い。
 でも世の中なべて似たようなものなんだ。いつも見えないところで誰かが導いてくれている、と気づいたとき、改めて感謝の念が湧き、気の持ちよう次第さまざまな生き方が開ける不思議さを体感した。
 毎日を悔いは残さない。
 気分は高揚し溢れてマイルームいっぱい飛び跳ねる。とりあえずは心だけ。
                    
                     日本画・女の情景「流水」(41.0×31.8)

和の色

2008年12月14日 | ひとりごと
真紅に燃えていたどうだんは、いつか枯葉色のひとむらに変わり、今はまとめてくくられて、そこだけ一面に朽葉色のじゅうたんが敷かれている。 かえでのえんじと、田向のこむらさきが、くすんだ常盤緑の古庭をわずかに彩っている。
 かたわらに咲き乱れて妍を競うさざんかの紅が、脇役となってあまり視界をふさがないのは不思議といえば不思議だが、年相応の脳は忠実に切捨て選択をした映像だけ取り込んでいるのだろう。
 時雨れて、もやってかすめば、利休ねずみ一色の世界と変わるのも愉しく、日が差してところどころにきらめく水滴は、かすかな銀の鈴を鳴らすように、これはまた五感をくすぐってくる。
 
 平安の頃、衣服や調度には、さまざまなみやびな名前がつけられていた。
 多くは草花を染料として染め上げられ、花木の色は分解されて、それぞれの色合いに応じた名前がついていたが、衣装が次第に華やかさをまして、重ね着の時代となるにつれ、配色や濃淡を組み合わせた対のものが生まれてくる。「色目」というのはそれだろう。 色っぽい、の意味とはまた別のもの。
 「梅重ね」とか「桜萌木」とか「早蕨」とか。「萩かさね」とか「すおう菊」とか。「松かさね」もあり「つぼすみれ」もある。
 はなだ色、玉虫色や海松色(みるいろ)は今も単色の名で使われている。
 にび色 は青花に炭をさして。 冬の日本海を表現する色だ。
 武家時代ともなれば、狩衣のほかによろいの打ち紐やおどしの糸にも使われて、荒々しい戦国の時代をいろどった。

  日本画の岩絵の具にもいくつかの名が残っている。
 一日に一度、何も出来なかった日にも必ず覗き込み手にとってみて、視覚触感を楽しみ、ついでに名を読んで語感も楽しむ。
 体調を崩して落ち込む日があっても、水晶、岩緋、群青、緑青と鉱石から作られた原色のほかに、こうばい、ぼたん、ききょう、かきつばたなどの鮮やかな花の名の色、さくらねず、やなぎば、みずあさぎ、すすき、かれは、うすずみ、と中間色を並べてゆくうちに、華やかばかりではないこれらの絵の具を眺めるのが、どんな名医の処方する薬よりも即効があるのに気づく。
 暗夜から夜明けになったほど明るい気持ちに切り替わり、とんでもない活性剤となるその魔力に驚いて、おもわずしげしげ見つめなおしたこともある。
 雨の日、城ヶ島にも降る雨と同じ利休ねずみの、灰色に混じる薄みどりが、日によって濃くも薄くも異なって感じるのも微妙だ。

 寒々とした冬の庭が、もの柔らかな利休ねずみに染められている。
 知人のMさんが両手に抱いて、様子を見がてら届けてくれた初々しいピンクのプリムラと、その心配りが、うす紅・萌木・白の組み合わせの色目「桃」を作って、周囲に溶け込んでいるのだろう。 
 そこはかとなく優しい気配を漂わして、あたりを和やかに潤している。好みで独自の名をつけられたりもする控えめな和の色合、今日のこれをなんと名づけようか。
                                                 (19/12/21)