自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

たとえば君

2012年08月28日 | 絵と文


   たとえば君 ガサッと落ち葉すくふやうに 私をさらって行ってはくれぬか

   逆立ちしておまへがおれを眺めてた たった一度きりのあの夏のこと



愛唱する歌人河野裕子の、死に至る晩年の家族生活をテレビで見て、歌集のひとつ「森のように獣のように」を初めて読んだときの衝撃を思い出す。

与謝野晶子の再来と言われたその歌人は、私の胸中にま新しいページを開かせて、
これほど簡潔に潔く心を表現できる才能とは、一体どこから生まれ、どのように選ばれ与わるのかと思い巡らさずにはいられなかった。
そしてそのわずか二年後に、はかなくも散り急ぐとはこれはまた何んと不条理な。

テレビで、10年余のがんとの闘いのうちに凄絶な心の葛藤の時期があったことを初めて知って
人間の弱さを見事に昇華させた歌人一家の前に、二度三度うなだれてしまう。

類まれな才能を与えられたからこそ、尋常でない心の揺らぎは常軌を逸し
愛情といたわりの権化みたいな夫も、たった一度耐えきれぬ悲しみ怒りを噴出させたときの様相はすさまじい
余命を知った当人と、周りの人たち
突然訪れる苦痛と悲しみを、極限まで嘗めつくした人もこの世には数多いと思うけれど。

その修羅のごとき一時期を経て、平安を取り戻したあとには
より崇高な人間の営みがあったに違いないと私は思った。
息絶える瞬間まで歌を詠んだ歌人と、永劫の別れをじっと受け入れる家族たちの姿が尊い。


  あのときの壊れた私を抱きしめて あなたは泣いた泣くより無くて

  あなたらの気持がこんなに分かるのに 言い残すことの何ぞ少なき





自分にもそれに近い苦しい経験があった。
二十年経った今、残せるものは、なんだろう?

ふるさとに、川トンボ

2012年08月20日 | 絵と文


家の横を流れる用水に、珍しく羽黒トンボが遊んでいました。
朝の涼しい大気の中に鮮やかな黒点が二つ三つ、柔らかな曲線を描いて行き来するさまが愛らしい
たまらずそっと手を伸ばすと、直前にすぃと逃げるのがまた楽しくて、しばらくの間は童心に返ってやんわり追いかけっこです。

視界が透明になり、タイムカプセルから現れてくるように、幼い頃の風景が浮かんできました。
大きく高い両側の家に囲まれた暗い路地をたどると、突然目の前に展ける小川と岸辺の小さな洗濯場
雑草や葦やいっぱいの緑に覆われて、何時もひんやり気持ち良かった
草と水と隙間から見る青空と、そして繊細な羽根を震わせて飛び交っていた数えきれないほどの川トンボと。

たまらなく懐かしい幼時の記憶です。
小川の淵の洗濯場は、日頃家庭婦人たちの小さな社交場でもあり、ほんのちょっとの憩いの場ともなっていました。
雨が降ればすぐさま不通になるひと一人やっと通れる細い路
曇りの日は魔物が出そうで怖くて通れなかった暗い路
だからそのあとに晴れ晴れと胸いっぱい憩えた自然の恩恵
そして、そこで見聞きした様々な社会の縮図は、わけのわからぬ子供心にも理不尽で悲しいものに映ったのですが、でも
こどもは、なにもいえない いわない

貧しかったあの頃の家族制度は、過去へしっかり閉じ込めて二度と日のめを見ないように。
早朝珍しい羽黒トンボの飛来は、追想の中のふるさとを、トンボ飛び交う理想郷として再現してくれたようでした。

もうすぐお盆

2012年08月08日 | 絵と文


「たそがれの雑踏の中あゆむとき 孤独がそっと肩に寄り添う」  細川嘉久恵

朝刊の文芸欄に載っている短歌会入賞句を斜め読みしていたら、ひときわ大きな文字となって目の中に飛び込んできた一首がありました。
見る間に涙が盛り上がってぽとぽとこぼれ落ちもする不思議な現象も、あら、らと思う間もなく起きていました。

感情の伝達は知覚するより先に脳から現象へと先走ることがあるらしい
どうもそれは日頃殆ど自覚しないのに、心の奥底には強烈に棲みついているものであるらしい。
“孤独がそっと肩に寄り添う“   ひとつのイメージが鮮やかに浮かんでいました。

京都の名勝地周辺の雑踏
行き交う人々の流れに任せるようにゆらゆら目の前を横切ったひとりの男性
背中にしっかりと背負った細長いお軸の錦の袋。
…この人も、きっと人生の大切な伴侶を失ったばかりに違いない。
無数の人波の中から顔さえ見えぬただひとりの、まわりを包み込む孤独の影をはっきり見たのは私だけのようでした。



…彼が三十三ヵ所霊場のご集印軸作りを初めたのは、相次いで亡くなった両親への供養のほかに
何か予感でもあったのかもしれません。
三体の観音様の掛け軸を仕上げて仏事の床の間に掛けるのを目標に、憑かれたように休日になると私を乗せてお寺巡りのドライブを始めました。
まず手じかなところからと北陸三十三か所霊場の軸をあっという間に完成し、
ついで西国三十三ヵ所めぐりに取り掛かったところで、これは遠方であるうえ離れてもいるため思うようにはかどらず、病魔のほうに追いつかれてしまったのでした。

未完成のお軸と御朱印帳を見るたび思うのは、遺志を継いで少しでも完成に近付けたい
祖父となるはずの彼が、たれよりも誕生を待ちわびていた孫の太郎はそのとき生後6カ月。
観光で溢れかえる京都の街中を、小型の乳母車におとなしい太郎を乗せ、
車の通れぬお寺の石段では私がしっかり背中におぶい、御軸を握りしめて登り
四人家族そろって一年後に京都の近辺七か所を一気に追加することができました。
彼の生前幾度か二人で訪れたこともあって、清水寺の境内では雑踏の中ひとり追憶にふけったりもしました。
そしてあの巡礼の男性が人ごみの中に消えてゆくのを見送ったのです。
少しは悲しさ苦しさを紛らわせたのでしょうか。




記帳とご朱印をもらうお軸には、中央に観音さまが気高くおわします。
…「出来上がったら、お顔だけ取り換えようか」… 
…にや、二コ、の彼
…あ、とんでもないことまで思い出してしまいました お軸はまだ数か所残して未完ですし…

いたずらっぽい彼のことば、そのときはお神酒が入っていたのでお許しください神様、仏様。
でもおかげで、あの深い悲しみも遠いところへ、気分もすっきりと今日一日過ごしたのでございます。