自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

モデルと私

2011年02月25日 | 絵と文
    


 人物画を描くようになってから 作品を前にしてよく問いかけられる言葉がある。
    「自画像ですね」 or 「自画像ですか」
 「ね」と「か」の言い回しは微妙で、問いかけた本人もややためらう風情をみせる。


 モデルのPちゃんは大変な美人なのに、描きてときたらどのパーツをとってもおよそ正反対。
 その事実を知らない人が「か」と尋ねるのは自然だが、描き手をよくご存じの上で「ね」と念を押されると
 首をすくめて否定するのは返って不自然?かもと、
 最近は度胸を据え否定も肯定もせず、にやり応じるようになった。


 前のモデルだったEちゃんのときにも同じことを言われたから、やはりどこか似てくるのかもしれない
 というより、自分を投影できたと思った時点でいつも筆をおくような気がする。
 自分自身が絵の中に入り込んで共に歌声を上げることができたら、それが完成のとき。
 うーん似てるかな、と自分でも納得するところは、ある。
 醸し出す雰囲気が、30%ぐらいは。



 ふたり、見てくれは正反対
 だけど中身に相通じるものを持っている。
 同年輩でなく、親子ほどには年の差もないのがちょうどいい
 ころ合いを見ては会って食べて話して、心を満たして、それぞれの領域に戻ってゆけるいい関係。
 何よりも反比例するその美的度合いは絶妙で、これにはやせ我慢でなく苦笑より快心の笑みに包まれてしまう。
 前には少し艶めいて、ラブストーリィの映画や小説などの話題に打ち興じた頃もあったけど
 最近では一体感が高じて、彼女が自分か、自分が彼女か分からなくなってきた。



 先日も未知の人から自画像ですかと聞かれて一瞬ハテナ?になり
 自責の念が辛うじて否定はさせたものの、実はチョッピリ後悔も生まれている。


  
  似てる??おでこのあたり?

早春賦

2011年02月17日 | 写真と文

 春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思い ♪

 毎年今頃になるとひとりでに口を付いて出る定番の歌です。     
 一年のうち一番希望に胸がふくらむ季節、
 “春は名のみの風の寒さ”にも厳しい時期を乗り切ったよろこびが込められて
 素晴らしく晴れあがった日は、軽やかな心がしばらく忘れていた詩集を開かせもしました。
 気づかぬうちに少しずつ色褪せてゆく胸のなかで、せかるる思いとは、この弾けるような喜びをさすことにしているのですが。



 二月の窓に美しい氷の模様が貼りついた朝でした。
 その日ふと数年前に書いたダイアリイの一節をウエブ上に見つけました。

     「二月の窓を眺めるのがなぜか好きだ。 この季節春に逆らって吹雪く日がある。
     夜の窓に雪片の貼りつくとき、喉もとにも貼りついて撓むまでこみ上げてくる何かがある。
     過去も未来もなく、無心で舞い落ちるものを眺め、心の奥底に言葉にならない何かを溜め込む。
     朝がくれば、冷気にひび割れそうな厳しい窓が感傷を吹き払ってくれ…
     …その間がしみじみ好ましい」

 その間がしみじみ好ましい 
 すべて処分した古い日記の文章は懐かしく、今鮮やかに思い起こされる感覚ですが
 それもやはり月日とともにひそやかに薄れてゆくのでしょうか
 青年は戸惑い、壮年は闘い、そして、老年は後悔…
 そうはなりたくないと心がけてそれなりに生きようとはしたけれど、しみじみ昨今の寒さに取り囲まれれば、
 朝夕好きな詩を口ずさむのも、あるいは湧きあがってくる後悔を心弱く紛らしているのかも知れないと。


 まったく、
 “急かるる胸の思い、いかにせよとのこの頃か”?
 歌の文句は目新しく湧いてくる感慨を見透かしたようで、終日思いあぐねてしまいました。

冬の夜は暖かく

2011年02月07日 | 絵と文
 A,B,Cの三人は、幼いころからの古い友達です。
 ひとりは早寝早起き、愛犬と散歩と、あとは立ってでも眠る特技を持った頑健タイプ
 ひとりは長い病歴と付き合って、自分自身の処理もままならないのに、息子や孫の面倒ばかりが気がかりな苦労性
 ひとりは細心と鈍感と繊細と大胆と、空想と現実と、どれがほんものか本人さえ分からない不可思議人間。

 いつの頃だったか三人は冬の夜の寒さ対策を話し合いました。
 ベッドの中に、ひとりは電気敷き毛布、ひとりは湯たんぽ、ひとりは小さな電気あんかを持ち込んでいます。
 三人三様それぞれの長所短所を認めつつ、今まで自分のタイプを変えることなく通してきたのは、
 別に固執しているわけではなく、新しいものに取り換えるのがちょっと億劫なだけのこと。
 毎年おなじ話題が出て、不変のライフスタイルを笑い合いながら、友好を温めてきたとでもいいましょうか。



 私の電気あんかは買った時期も記憶にない年代物で、時々冷たくなったり、むやみに熱くなったり。
 昔夜になると布団の中の足元で、丸まっている飼い猫を寝ぼけ眼で蹴飛ばしていたように、
 この殆ど使用に耐えないしろものを夜中蹴り出しては、朝方冷えた足で探しまわるのも、もう10年くらいは続いていました。
 体に近く置くものはできるだけ自然のものがいい(たとえ正常に働いてはいないとしても)
 なので、ファーとかシープ調とかアンゴラ風とか敷きパッドばかりはいろいろ揃えたけど、
 ついにこの冬それでは追っ付かなくなって。

 築25年の木造の家は寒くて、朝方の温度は部屋の中でも零度までさがるときもあり!!
 ベッドの下から這い上る冷気が、わずかの隙間を見つけては体の1点に氷の矢を射込むのです。
 その正確なこと。
 両脇をパタパタ念入りにたたいてからそっともぐりこみ、簀巻きの形を笑ってしまうほど神経を使うのに。
 凄い形相で必要は迫ってきて、ようやく対策モードが起動しました。


 手っ取り早くて一番効果的なのは電気毛布
 だけどそればかりはなぜか思案のほかでした。
 他人の領域に踏み込むような判断をしているのかも知れません。専売特許でもあるまいに。
  よし、決めた! 
 とたん、プログラムがガラリ切り替わりました。
 その日のうちに電気敷き毛布が届きました。
 なんだかんだと理屈をこねていたくせに、一瞬の間にまるで別人のごとく抵抗なしにそれを受け入れたのです。
 人間のお脳ってなんて都合よくできているんでしょう。

 頑丈なAさんが電気毛布、病弱のBさんが厄介な湯たんぽ。
 ふたりだって一歩先にちゃんと宗旨替えしてるかもしれないし、あるいは
 「ほらね、言ったとおりでしょ」Aさんの得意そうな表情や、
 古風な湯たんぽに頬ずりするCさんの姿が浮かんだりもするし。
 でなくても世の中は矛盾だらけ、こんなチグハグ現象はかえってご愛嬌で潤滑油…。
 温まった布団の中でCさん持ち前のとりとめない思いがランダムに飛び交いました。




 今やオール電化でオートマチックにシステム暖房の時代です。
 更新じゃなくてバージョン一新という世界です。
 こんな次元で会話が成り立つこの年代、やはり化石人に近いとしか・・・ ✿(◡‿◡*)❤