自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

桜はまだ

2012年03月28日 | 絵と文


今日届いたメールの中に、暫らくぶりEちゃんからのものがあった。
桜が背景ながら、内容は蒼い祈りに満ちている
読み終わってからひらめいた。今度描くもの全体の色調が見えてきた!

心情と直結するだけに作品の色調をどうまとめるか、
ここ数日の間迷い続けていた、ということは、心構えがまだ出来ていなかった証拠。

Eちゃんはあいかわらず誠実に真摯に優しく今日を生きている
あったかくて、奥深く沁み入ってくるこの感じは。
そうか、今朝の夢見が良かったはずね。

ホンワカ温もった部屋の中で、
満タンの冷蔵庫と、食べ過ぎ予防の整腸剤を傍らに
「気の向くまま好きなときに好きなことをしています」
暑いとやら寒いとやら、文句ばかりはわずかに胸へしまいこみ
ときたま様子見に来て下さる民生委員の奥さんには「おかげさまで風邪だけは引きません」
これってう~ん飲んでいる数々のサプリの? 疑っては済まないのかも。

先週は珍しく4回もの会合で外出が続いた。
話しているうちかつての美声?もしわがれ、ひょろひょろ裏返ってしまうし
ときどきは親愛をこめて呼ばれているのに知らん顔でもいるらしい。
それでも背筋は伸ばしているし、歩くスピード速いでしょ
内心恥ずかしいのに、にやり笑って返すふてぶてしさ。

重たい肩の荷やっとおろして大仕事成し遂げたみたいに
足や腰などさすりながら、Eちゃんのメールを二度三度読み返すうち頭は深くうなだれた。
ごめんなさい。被災された多くの人たち。
あの日のこと決して忘れてはいません
この小さな幸福感をせめて宅配で毎日送ってあげたいけど、それはかなわず
涙だけはだれにも負けないけど、辛い記憶の満分の一流し去ることさえ出来ず…

さしあたって私に出来るのは
油断するとすぐに曲がる背筋をしゃんとのばして
今の決心を揺るがさぬよう、心定めて明日からしっかり絵に取り組むこと p(´∇`)q

追想

2012年03月17日 | 絵と文


お嫁に行った姉が遊びに来て楽しそうに母と話し込んでいた。
自分も話の輪に加わりたくてふたりの間に割って入った。多分満面の笑みをもって~
話の腰を折った闖入者をまじまじと眺めてから、二人顔を見合わせ同時に口をそろえて言ったのが「デッカイ顔だね」!
デッカイ顔? (これは?どうやらほめ言葉ではなさそうだ)
傷付くほどの自尊心がまだ育っていなかったのは幸いだったが、出鼻をくじかれ引き下がって5分ばかりはショボンとなった。
私10歳のとき。

こどもの目に姉は繊細に彫り込まれた西洋型美人に見えて少し近寄りがたく、9歳離れたこともあって一緒に遊んだ記憶はない。
私が貧乏所帯のやりくりに頭を悩ます主婦となるまで、姉妹の美味しい味は知らなかったと言える。
ちょっと高貴なその雰囲気に似ず、陽気で庶民的で世話焼きで、だけど余計な口は出さない。
のほほんの末っ子にとっては理想的、大切な大好きな姉だった。

小さいころの記憶は、すぐに忘れ去っても案外心の奥深くに潜んでいるとみえる。
この姉を亡くしたときは追慕の情に明け暮れて、美人薄命なのだと無理やり納得させけりをつけるまで3年もかかってしまった。
思い浮かぶ姉はいつまでも若くて、絶えず心の中を占めてもいたが
その年代を越えたとき、自分は何か別人に生まれ変わったような気分がどこかで生まれた。
鏡を覗き込んでじっくりと右向き左向き、心の中にひとりごちる
(ぜーんぜん、デカいことないよね)
(ちっとばかり、縦が短いのかな?)




以前親しかった絵描き仲間で、陽気なトキメキ美人のUさんが亡くなった話を始めて聞いた。
様子うかがいにたびたび掛ってきた電話の、アルトの声はあんなに元気だったのに。
喜びも悲しみも共にした思い出もいっぱいある
諸行無常。姉よりは相当長いこの世の滞在時間だったにしても、やっぱり美人薄命で済ませるしかないだろう…
Uさんへの追想から連想は次々広がって、姉の笑顔が久しぶり眼前に浮かんだ。

気持ち年をとっていっそう世話焼きのおばさん顔になってみえる…



・・・ま、いいか たまにはいちにちこんな日があっても。

手相

2012年03月09日 | 絵と文


長いこと使いこんで変形してしまった右手を、暇にまかせてじっと見つめたら気がついた。
鶏皮みたいにしぼんだ手の甲に比べて、手のひらを返せば皺ひとつなくいやにてらてらと光っている。
何かのサインではないかしらん?

右手の五本の指のうち、外側の三本が、第一関節の先っぽでみな左向け左をしているのも
小指の外側に目玉みたいなタコができているのも、絵具を皿に溶くときの形そのままで
曲がった中指にはもう何十年も前から大きな鉛筆タコが棲みついているのだから
これは人間の手? と、我ながら恥ずかしい。

それを自覚したのは、お正月休みで帰省した太郎の手を、何かの拍子に観察して以来のことだ。
赤ちゃんのもち肌とも、たおやかな女性のものとも異なる、しっとり肌理の整った長い指が美しく眩しかった。
体育会系の、まっ黒ケの顔によくぞこんな白い細い指が付いたものだ
男の子の手なんぞ想像したこともなかった。この世にはいろんな美しさがあるんだなぁ
いくら心を磨いてもかなわないものがいっぱいある…

そしてつくづくわが手を見たら、
あら、長年の付き合いで馴染んだ手相がいつの間にか変わっている!

無数の糸くずみたいな細かいとぎれとぎれの線が手のひら一面に表れていて、驚いた一時期があった。
複雑怪奇な世の中に対応したらこうなるのか
手相に詳しいと自称する知り合いに見てもらったら、もったいぶって口外は出来ないとおっしゃる
と聞けば余計面白くて無理やり聞き出したのが、曰く、「愛情に泣く」(¬o¬)----☆ 

ん? 
当たるも八卦当たらぬも八卦。



あの糸くずがどこへ消えたのか、今は横に2本、縦と斜めに大きな線が1本ずつくっきり残るだけの
シンプルな子どもの頃の手相に戻っている。
無に還元するまでの道のりを歩き始めて、行程はつつがなくはかどっているとみえる。
これ以上ややこしい線が二度と戻ってなどきませんように~
居室の窓から曇り空を、若い?頭脳で今日もぼんやり見上げているさまは、あまり絵にはならないとは思うけど。