自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

音痴じゃない!

2009年07月05日 | ひとりごと
 古びた木造の校舎から緩やかなピアノの音が流れて、唱和する子供たちのかわいい歌声も風に乗って流れてくる── 
 のどかな追憶の1シーン、実は私の胸痛むトラウマのひとつだったのに、最近はここへくすぐられるような楽しさが加味されて、これって一段とまろやかに成長したしるしかしらん??

 小学1年入学して初めての音楽の時間。
 誰もが知っている童謡の一節をひとりずつ歌うことになり、楽しげなざわめきの中で私の不安は的中した。
 先生の前奏のあと発する第一声がどうしても思った通り出てないらしい。なぜか口をあけて声らしきものを出すたびに、どっとみなで笑いたてるのである? なんで?
 先生も笑って、ではもう一度と始めからやり直すけど、出る声といったらどの音階にも属さない電子音みたい、これはどなたにも真似られないオリジナルだ、との認識はできた。
 皆笑うけど当の本人至極真面目だったのだ。そのときは。

 それまでの日常に、こどもが好む歌という歌を歌ったことは一切なかったのだから。
 そのくせ母親が内職のミシンを踏みながら、ハミングしていた新潟の民謡などちゃんと覚えている。
   雪の山道ノーエ  
   …ジャンプでテレマク クリスチャニーヤでヨーイとサイサイ
   歌って滑ってコーロコロ…
 以前一家は大雪の高田で暮らしていて私はそこで生まれた。
 うろ覚えながら歌詞も節回しもほぼ間違いないのは、音感の根っこだけは生えていたとみえる。

 それ以来音楽の時間だけはなるだけひとの後ろに隠れて本など読みながら、先生と視線が合ったときだけパクパク口をあけてやり過ごした。
 それなのに学芸会でいつもコーラスのメンバーに選ばれるのはなんとも有難迷惑で、だからその時いつも起きるブーイングらしきものも記憶からなかなか消えそうにない。
 中学生になり音楽の担当が、純白のプリーツスカート、白のハイヒールの眩しい女性教師に替わって、憧れて、待望の初めての授業時間。
 簡単なテストのあと、採点の対象にはしないから用紙の余白に知る限りの音楽家の名前を書きなさい、という。
 こんなはずじゃなかった、と恨んでみても後の祭り。
 そのときのあまりの無知さにきつく反省して、すぐに有名な作曲家など猛烈に一夜漬けで覚えまくった。
 これでもうだれにも負けない、と意気込んだけど二度と同じテストがなかったのは残念だった。でも後年本物の「音痴」だけ免れたのはそのおかげがあったかどうか。



 しかし世の中
 ○○音痴とか、××音痴とか頭に余分にくっつくものがありすぎる。
 自慢じゃないが、そちらの方は大した刺激も受けなかったから順調に育ったらしい。
 駅の出口がわからなくてうろうろするのは序の口で
 周知のはずの目的地まで、ナビゲーションするなんてとてもできない相談だし
 買い物がすめば車の置き場と正反対の方角でひとりキョロキョロ
 何度会っても人の顔は覚えられっこないし。
 
 年季の入った無口で、一人暮らしは長くて、「天然○○」との呼称はお墨付き。
 お金のことだけ今まで無難にすごせたのは、ほんとキセキだ。
 この間久しぶりに会ったPちゃんと話そうとしたら、ともかく口は開けたものの声はしわがれて、裏返って、Pちゃん机をたたいて笑い転げていたっけ。


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