自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

夕日

2014年05月24日 | 写真と文
 

賑やかなカエルの合唱が聞こえています。
一面広がる水田の中に取り残されたこの一画が、今また夕景の中へ沈みこもうとしています。
カメラを取りに急ぎながら笑ってしまいました。
同じ場所をもう何十枚? ブログでも何度目?(@_@。
それでも飽きず来年もまたきっと撮るだろうと思って。




(飛行雲) (虹) (落日)

 


(夕景)  (まっかっか)



 

嬉しいとき悲しいときそして何もないときでも
眺めれば必ず何かしら癒されている風景です。
 







我が庭

2014年05月09日 | ひとりごと


いまも読む好きな詩に北原白秋の「墓地」があります。
墓地? と、言っても常時思い浮かぶのじゃなくて
それは連休後半ひょっこり二度目の帰省をした太郎とみんなでお墓参りにいったのがきっかけでした。
水をかけ、お酒とお花を供えて、さて墓前にぬかづいたところで取り出したのがおや?録音した御経!

え、えっ?
それでも無いよりは増し?  
正信偈だか領解文だか知りませんが、いつもお経をあげてくれる次郎は不在だったので
心中こっそり感謝やらお願いを念ずるつもりでしたが…

息子が教育の一環として小学生の子供たちと親子三人毎朝朗誦した般若心経
今では末ッ子次郎が成人して時たま端折るようになったのも自然現象に近いのだと思います
もともと厚い信仰心から発したものではないのだし
殊に私などはその善し悪しを判断する資格などちっとも無いのでありました…(+_+)


   ≪墓地はそよ風しめじめと、また透き明る日のこぼれ≫

ふっと詩の一節が浮かびました。
柔らかな大気の中、風もない静かな日でした。。
時季外れなので、遠くに花を持った一群れの人影を見るのみです。

 
   ≪墓地は嗟嘆(なげき)の愛の園、 また、思い出の樫の森≫
   ≪墓地は現(うつつ)の露の原、 また、幽世(かくりよ)の苔の上≫ そして
   ≪墓地は香華の色の海≫ ではなかったけど、≪また、現(すがた)なき声の網≫は
確かに張り巡らされているのを感じました。
詩人北原白秋が長い詩的遍歴のあと、美しい日本語の言葉に回帰した晩年の作品です。

 
録音のお経が終わると、なき人の声を聞いたようにみんな明るい表情で帰路に着いたのでした。
詩抄「海豹と雲」や「水墨集」に見る日本語の語彙の美しさ床しさが心に迫るのは
白秋の没年をはるかに超えて当然なのかもしれません。


   ≪墓地は息づく靄の胎、 また、たましひの巣のしじま≫
   ≪墓地はよき庭、わが門べ(かどべ)、わが賓客(まろうど)のよき小路≫   (「海豹と雲」より) 

黄金週間

2014年05月04日 | 絵と文


 人並みに観光旅行とか船旅とか、プランたてるだけでも楽しんでみたいなぁ
 半分諦めていた長年の望みがやっとかないそうでした。
 年に一度のお待ちかね黄金週間
 爽やかな五月の空を窓越しに眺めては、制作に追われるばかりのゴールデンウィークとやらに
 ため息ついていたのはつい去年のこと。

 旅行好きだったお兄ちゃん、大目に見てくれるよね
 連日お休みと変わらぬ状態といえども結構胸のときめきは少女並み
 今年特に出品の回数を減らしたせいで、この連休時間的なゆとりだけは素敵に期待通り!
 絵の具やにかわのにおいにまみれて残り日数を指折り数えながら
 パネルとにらめっこで乾き、発色と一喜一憂して過ごした今までの連休とは雲泥の相違です。


 ・・・なのに なんとしたこと
 遅かった!
   おしゃれは卒業とか言いながらほんとはもう忘れちゃってるんじゃないですか
   日頃ご無沙汰の極上グルメ、何にしようかさんざん迷って究極鮭のお茶漬けだったんだしさ
   第一お相手してくださるはずの皆さん、殆どはお先にいらっしゃっておいてけぼりなんでしょ。
   おまけに外出そのものがこうめんどくさくっちゃ…  
 これほど予想以上に進化?した自分見るなんて (≧ヘ≦ )




 でもまぁ、なんとかお出かけは致しましたよ、はい。 
 眼科での検眼と老眼鏡の買い替え。
 補聴器の品定めにたっぷりの時間をかけて数回も。
 2時間の外出で一日は台無し
 連休半ばには、あ~くたびれちゃった! w(☆o◎)w 
   

 引っ張り出さなきゃいつになるやら分からないと
 貴重な時間を割いてエスコートしてくれたM君、ほんとにお疲れさまでした
 息子なればこそ。 ありがとうと言わなくてはね。 (●^曲^●)