自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

腹七分

2017年01月27日 | カット画
   

この年まで気ままに安穏に大きな病気もせず
子や孫たちはそれぞれ独立して一応生活に不安はなく
こうして大過なく母の年令を越えて生きたのだから、あとはもう神様の御意のまま。
などと超越した気分でいたつもりが、たった一本の抜歯に至るまでのハラハラドキドキだった日々
思い出すだけでな~んか気恥かしい。



流転の海第八部「長流の畔」を読んでいて、ちょっとにやりとなりました。
相変わらず借金の返済やら資金繰りやら新たな事業の立ち上げ準備の合間に
お金にならぬ人助けなどで急がしく立ち回る主人公熊吾に、老化は音もなく忍び寄ってきます。

   「若い時ならともかく七十に近い人間には抜歯はこたえるという。
   若い頃から虫歯一本なかったのに、わずか四カ月で入れ歯のじいさんになってしまった
   歳は少しずつ取るのではなく、いっときに取るのだな
   窓ガラスに映る自分の姿のあまりのみすぼらしさに熊吾はうなだれる」

にやりとなったあとで、私もうなだれるしかありません。
設定も規模も大違い、むしろ真逆といえるのだけど 
~だけど老化に変わりはないわけで
たしか、主人公熊吾は私よりう~んと若いのだから、
ほんとは私の方が20歳近く年上というわけで。 (^_-)-☆




動物実験の段階で、健康で長生きに一番効果があるのは「腹七分目の食生活」
と最近立証されたそうですが、それは絶対人間にも当てはまるって断言できます。
ついこの間、始めての入れ歯で実感させられたのだから。

わずかな食べ物を恐る恐る口に入れて、歯がぐらっとなるときの、痛み2分、ビリビリ8分
それが怖くて腹7分を通り越し腹5分がやっとの状態で毎日は青息吐息
ところがです。その結果にきたのは、ここ10年来忘れてしまっていた思いもかけない体の軽さでした!
息切れもなくあの弾むような足どりが、なんと喜ばしく、なんと素晴らしかったことでしょう!


大袈裟と笑われそうですが、驚きと恐怖と感動の貴重な体験でした。
残念なことに始めての入れ歯が出来あがってからは、体重は元のモクアミ、動悸はするし足の運びもどんより重く
熊吾の心配通りとなってきたようです。
   これから急に歯は抜け続けて、いっときに年をとるのかしら? これ以上?

氷雨降る

2017年01月12日 | 写真と文

   “ 氷雨降る 町の外れの 時計店 ”

わずかな自作の中で一番心に残っている句です。(●^o^●)
今だったら窓外の冷たい冬の雨をいくらながめてもこのような句は作れません。

 
県境のO市に住んだ4年間は、姉の死の直後、息子は大学へ、一日の殆どの時間を
人知れず或る内心の葛藤と向き合って過ごした日々でありました。

国道に並行して細長く横に伸びたO市の旧道は、道幅も狭く昔の街道の面影そのままに
古い屋並みの商店やしもたやがひっそりと並んでいて、特に町はずれとなれば侘びしくもの哀しく
そんなたたずまいが強く印象に残るのは、きっと何かで安らぎを求めていたのでしょう。

壁面に掛けられた数々の柱時計、並べられた置時計など、またいつか世に出るときを待ち望んでいるのかも
覗きこんだわけでもないのに、仕事机の前で背をかがめて修理に打ち込んでいる主人の姿まで想像されて
瞬時通りがかっただけのその雨の日の情景は、胸の中いっぱいに膨れ上がってきます。


「町の外れ」そのあと、(の)と(に)のどちらが相応しいかちょっと迷ったような気がします
でもすぐに(の)の方が場の雰囲気と心情を表していると決めました。
(に)では客観的になると判断したらしいのでした。

誘われて一度出席したきりで句会にはその後二度と出なかったのですが
毎月の同人誌に思いがけず主宰から好意的な講評とともに登載され、
O市を離れるまでの1年はそれなりに楽しめたように思います。





                   
この冬最強と言われる寒波が近づいています。
雪になる前の霙混じりの雨、まだ少し温かみが残る明るめの戸外を見やるうち
氷雨降る町とは遠く離れた処に佇む今の自分がみえてきて、いつか口ずさんでいたのでした。

  
    氷雨降る 町の外れ(に) 時計店