自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

二年後・雛の夜

2009年02月26日 | 絵と文
 雑穀ご飯に黒豆紅茶
 菜の花の辛子酢味噌と胡麻豆腐・・・

 ホームページのDIARYに残った一文が頭をよぎって、私の季節の定番はめぐってくる。
 きみどりにピンク色、桃の一枝や菜花の淡い色彩は、幾度繰り返しても新鮮な春の色だ。
 パソコンにパネルと絵の具皿、これはもうマイライフに切り離せない大道具小道具だし
 ローランサンと堀口大学も座右から消えず
 早春賦は口を衝いて出るたびピュアな気分を取り戻す。

 すべては二年前と変わらないが、ひとつだけこれに加わったものがある。


    。。。。。  。。。。。


 いたずら盛りの孫が来て、にぎやかに膨れ上がった物音が鎮まるのは、決まって私の部屋で兄弟そろってマンガを見ているときだった。
 あらすじは勿論、絵のイメージも細かいところまでインプットされているはずだから、眉をひそめたり一気に相好を崩したり、握りこぶしに力をこめ肩の力を抜きと、千変万化するさまがあまりに予想通りで、こちらまできまってニヤりとしたものだ。

 マンガの世界に入り込んでしまったもの、観察するつもりを忘れて没頭しているもの、どっちもどっち。
 などと思出だすようになったのは、このごろ毎夜太郎の野球のビデオ観戦が楽しくて欠かせなくなっているからである。
 同じ場所でため息をつき肩を揺らし、手を叩いて歓声をあげる、まるでコドモだ。
 理解できなかったコドモ心を、今になって体験しようとばかり、反省どころかここらあたりで若返り(?)ましょと開き直る。いえもっと純粋で、何より楽しいし、疲れを忘れる。

 ・・・だけど、これはもしかしたら若返るのではなくて、一段大人になったのかも?

「大人の成熟とは、子どもの頃の情熱を取り戻すことである」
との名言を残したのはゲーテだったか。  拍手!

 不思議に去年まで続いていた肩こりやひざの痛みまでがすっかり消えている。

          
             日本画「花摘む」10号F (麻紙岩絵具)

私の耳は・・・

2009年02月20日 | 絵と文


 私の耳は貝のから 
 海の響きを懐かしむ

 目が覚めると同時にこの詩が頭に浮かんだので、にんまりしてしまいました。
 コクトーの原詩に「耳」という語はないそうですから、たった二行詩に血肉化し美しい創作詩として残した日本の詩人は、なんて心優しい人なんでしょう。
 それに引き替え、いつの間にかこの頭に居ついてしまったバィ菌クン、別名「耳鳴り」を“季節はずれのセミの声”とはまたなんと暑苦しくも無粋な表現ではありませんか。

 きさらぎ やよい ひうらうら
 せっかくの心弾むこの季節です
 朝はさわやかに心地よく目覚めたいもの と願うなら、心底陶酔して耳鳴り、いえ春の海鳴に耳を澄ませてみようと思いました。

 娘の年代のAちゃんは、このばい菌クンの足音がはじめ和太鼓を打つ音になって聞こえたそうです。
 同年輩のBさんは頭の中でいつも汽笛が鳴り続けているとボヤきます。
 弟分のC君はまるでゴジラがつかみかかってくるようなと言いつのり、決してマンガの読み過ぎではないと力説しました。
 天才ゴッホは耐えかねてわれとわが耳を切り落とし…
 ああ凡人に生まれてよかった、 私には、そう、やっぱ「セミの鳴き声」これが一番ぴったりでした・・・汗



 自然と人生の響きをきき取って 鋭くさとしかったお前の耳
 今は私の嘆きの声よりほかの何物も聴き取ろうとはしない
と嘆いた詩人もどこかに居ましたが、そうなる前に少しでも快適な生き方を見つけなきゃ、大きなソン。
 で、私の耳は貝のから。

 やわらかな海潮の響きに乗って何やら恋人たちのささやきや、どうかすると一変遠くの球場のどよめきまでもが風の中から聞こえてくることがあるのです。

 私の耳のそら耳に 
 過ぎ去った遠い季節の
 静かな夜を聴いている
 ああ あの一点鐘
 二点鐘

 ここまで来ると、雑音は消えて本当に安らかな眠りと朝の目覚めが訪れます。
 まだまだ人生捨てたものでもありませんね。


             「耳」堀口大学訳  「一点鐘」三好達治


春の日は暮れて

2009年02月09日 | 絵と文
 水ぬるみ草木の芽も萌え出るころ、如月。

 麗月とか初花月とかの別名がしっくりするようなうらうらの陽気が続いて、節分荒れとはどこの国の言葉か忘れかけている。戸外は冷たくても不景気の風が目に映らないのは不謹慎ながらありがたい。

 目覚めた瞬間から翌朝目覚めの一瞬手前まで、貼り付いて離れなかった小品の構想が、ようやく決まった。
 新しいパソコンの操作にも慣れたし、これで大きな重石は砂粒みたいに小さくなって春はいっそう近づいた。

 見ていたようにタイミングよく息子一家も訪れてくる。
 珍しく次郎も便乗してきたのは、ばぁちゃんの愛情表現のひとつとする財布の中身のほか、不要になったパソコン一式を、自分で持ち帰る目的があったかららしい。

 実は中のゲームがいちばん魅力なんでしょと言うばぁちゃん根性より、「勿体ない」が生かされて感謝のほうが先に立つのを我ながらよしとする。
 
 それはともかく無臭無音のひとりの部屋は、たちまちマンガチック・ドラマチック・マニアック…
 もう、風通しの良いこと。
 日帰りする分凝縮されるのか、その変化と速さにはついてゆけない。

 あっという間にいちにちは過ぎて、つむじ風が収まると同時にぐるぐる回っていた視野も落ち着いてきた。
 首に巻いたマフラーをはずし、静けさの戻った戸外へ出てしみじみ夕景を眺める気分も戻ってくる。

 黒い山の稜線がくっきり浮かび上がる西の空は、見渡す180度オレンジ色に炎えあがり
 山の端に白光に包まれた夕陽がいま沈みかけている。
 東の空はみずいろで、うす白い大きな月が。


 あ~あ 幸せ
 今日も変りなく一日が暮れて。
 そしてこの、おおらかなふるさとの自然。

 これって年とった証拠? 
 チャウ!  
 そんなこと言わせない・・・
 ・・ように、実証したいと思ってはいるのだけど! (◎д◎υ)?