親類のおにいちゃんと、もうひとり年上の従兄はふるさとが一緒で、小さいころからの自分を長所短所ともよく知っている。その二人が今年にはいってからまるで相談でもしたように相次いであわただしく逝ってしまった。
年の順でゆけば当然なんだけど、折角頼りにしているのにみんな一足もふた足も早くあっさりとさよならしてゆくんだから ひとり取り残して、と柄にもなくすねて甘えてみる日がある。
大概は仕事がうまくはかどらないか、退屈しているかのどっちかだけど。
自分のことをよく知ってくれるひと
これはありがたかった、黙っていても通じるから。安心して無口のままでいれるから。
おのれを飾る無駄なはかない努力が一切省けるから。
そしてこの嫌いな役回りを代わりにつとめてくれた都合のよい人たちが、ひとり欠け、ふたり欠け、
だんだんまばらに淋しくなる周辺に引き換え、これはまぁ久しぶりと再会を果たしてにぎやかだろうあの世とやら、簡単に行けるものならとついつい羨んだりさえしてしまう。
親類のおにいちゃんは、若いころ夢中になった彼女との夜毎のデートに、必ず私を連れて出かけたものだ。
現代のように自由恋愛が幅を利かせた時代ではなかったし、場所ときたら町はずれのJ川にかかるひと気の無い橋の上。無口でひとり遊びが好きでおあつらえ向きにできている私は小学生。その間何をして過ごしていたのやら。
それからン十年経った今だって、ますますひとり遊びが得意ときてるからうなずけるけど、寄り添って数時間過ごす若い二人にそして私に言葉など要らない。
その時のお礼ごころかどうか、私の無口を陰から補っていつも顔を立ててもらえるありがたい存在だった。
子連れのデートなんてかわいかったね、私もふたりも。
お互い自分の生活にめいっぱい満足している個人主義者の集まりなのか、生前はよくあるいとこ会などの会食や飲み会とはまるで無縁だった。だからふたりとも平素まるきり疎遠な女の子にこっそり頼られていたなんて、1秒たりとも思わなかっただろう。
当の本人さえ今やっと気付いて、おまけにすぐ忘れてしまうに決まっている。
でも会えば懐かしくていくつになっても幼名で呼び合うあたり、たまさかにしか合わないのがかえって良かったかなと懐かしい。
おにいちゃんの通夜、場違いみたいな妙齢の女性がひとりいた。
見覚えがあるような、ないような。
それがおにいちゃんの孫のKちゃんと紹介されて、今更の如くときの流れを痛感した。
なにしろ前回会ったのはつい昨日のような気がするのに、その時はほやほやの小学1年生で、その前はおむつをあてていた赤ちゃんのころ。
切り替わる映画のシーンを見るようだ。
この分でゆけば次回顔を合わせるのはたぶん・・・
つるっとしたむき卵に真っ黒の目を描きこんだ絵のような現代っ子。
若―い女の子と向き合うのは何年ぶり?というより初めての経験ほどのインパクト。
人懐っこく愛嬌もあるし、お世辞も忘れないところ生まれつきの社交家なのか、おにいちゃんの仕込みがよかったのか、明るく陽気だったひとの通夜にふさわしい雰囲気を作っている。
それでいて可愛い口から飛び出す言葉はどうしてどうして辛口の評論家なみ。
同席した年上の従兄を弟みたいに威勢よくやりこめながら、交わす会話も宇宙語らしく、傍らのママが懸命に翻訳する始末。
なるほど、時代は変わったんだなぁ…
これならもうおにいちゃんのサポートなんて要らないね。
――どうやらやる気も湧いてきたような
さぁ、もうひとフンバリしてみるか・・・
年の順でゆけば当然なんだけど、折角頼りにしているのにみんな一足もふた足も早くあっさりとさよならしてゆくんだから ひとり取り残して、と柄にもなくすねて甘えてみる日がある。
大概は仕事がうまくはかどらないか、退屈しているかのどっちかだけど。
自分のことをよく知ってくれるひと
これはありがたかった、黙っていても通じるから。安心して無口のままでいれるから。
おのれを飾る無駄なはかない努力が一切省けるから。
そしてこの嫌いな役回りを代わりにつとめてくれた都合のよい人たちが、ひとり欠け、ふたり欠け、
だんだんまばらに淋しくなる周辺に引き換え、これはまぁ久しぶりと再会を果たしてにぎやかだろうあの世とやら、簡単に行けるものならとついつい羨んだりさえしてしまう。
親類のおにいちゃんは、若いころ夢中になった彼女との夜毎のデートに、必ず私を連れて出かけたものだ。
現代のように自由恋愛が幅を利かせた時代ではなかったし、場所ときたら町はずれのJ川にかかるひと気の無い橋の上。無口でひとり遊びが好きでおあつらえ向きにできている私は小学生。その間何をして過ごしていたのやら。
それからン十年経った今だって、ますますひとり遊びが得意ときてるからうなずけるけど、寄り添って数時間過ごす若い二人にそして私に言葉など要らない。
その時のお礼ごころかどうか、私の無口を陰から補っていつも顔を立ててもらえるありがたい存在だった。
子連れのデートなんてかわいかったね、私もふたりも。
お互い自分の生活にめいっぱい満足している個人主義者の集まりなのか、生前はよくあるいとこ会などの会食や飲み会とはまるで無縁だった。だからふたりとも平素まるきり疎遠な女の子にこっそり頼られていたなんて、1秒たりとも思わなかっただろう。
当の本人さえ今やっと気付いて、おまけにすぐ忘れてしまうに決まっている。
でも会えば懐かしくていくつになっても幼名で呼び合うあたり、たまさかにしか合わないのがかえって良かったかなと懐かしい。
おにいちゃんの通夜、場違いみたいな妙齢の女性がひとりいた。
見覚えがあるような、ないような。
それがおにいちゃんの孫のKちゃんと紹介されて、今更の如くときの流れを痛感した。
なにしろ前回会ったのはつい昨日のような気がするのに、その時はほやほやの小学1年生で、その前はおむつをあてていた赤ちゃんのころ。
切り替わる映画のシーンを見るようだ。
この分でゆけば次回顔を合わせるのはたぶん・・・
つるっとしたむき卵に真っ黒の目を描きこんだ絵のような現代っ子。
若―い女の子と向き合うのは何年ぶり?というより初めての経験ほどのインパクト。
人懐っこく愛嬌もあるし、お世辞も忘れないところ生まれつきの社交家なのか、おにいちゃんの仕込みがよかったのか、明るく陽気だったひとの通夜にふさわしい雰囲気を作っている。
それでいて可愛い口から飛び出す言葉はどうしてどうして辛口の評論家なみ。
同席した年上の従兄を弟みたいに威勢よくやりこめながら、交わす会話も宇宙語らしく、傍らのママが懸命に翻訳する始末。
なるほど、時代は変わったんだなぁ…
これならもうおにいちゃんのサポートなんて要らないね。
――どうやらやる気も湧いてきたような
さぁ、もうひとフンバリしてみるか・・・