自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

こんな過ごし方も

2009年05月31日 | ひとりごと
 親類のおにいちゃんと、もうひとり年上の従兄はふるさとが一緒で、小さいころからの自分を長所短所ともよく知っている。その二人が今年にはいってからまるで相談でもしたように相次いであわただしく逝ってしまった。
 年の順でゆけば当然なんだけど、折角頼りにしているのにみんな一足もふた足も早くあっさりとさよならしてゆくんだから ひとり取り残して、と柄にもなくすねて甘えてみる日がある。
 大概は仕事がうまくはかどらないか、退屈しているかのどっちかだけど。

 自分のことをよく知ってくれるひと
 これはありがたかった、黙っていても通じるから。安心して無口のままでいれるから。
 おのれを飾る無駄なはかない努力が一切省けるから。
 そしてこの嫌いな役回りを代わりにつとめてくれた都合のよい人たちが、ひとり欠け、ふたり欠け、
だんだんまばらに淋しくなる周辺に引き換え、これはまぁ久しぶりと再会を果たしてにぎやかだろうあの世とやら、簡単に行けるものならとついつい羨んだりさえしてしまう。




 親類のおにいちゃんは、若いころ夢中になった彼女との夜毎のデートに、必ず私を連れて出かけたものだ。
 現代のように自由恋愛が幅を利かせた時代ではなかったし、場所ときたら町はずれのJ川にかかるひと気の無い橋の上。無口でひとり遊びが好きでおあつらえ向きにできている私は小学生。その間何をして過ごしていたのやら。
 それからン十年経った今だって、ますますひとり遊びが得意ときてるからうなずけるけど、寄り添って数時間過ごす若い二人にそして私に言葉など要らない。
 その時のお礼ごころかどうか、私の無口を陰から補っていつも顔を立ててもらえるありがたい存在だった。
 子連れのデートなんてかわいかったね、私もふたりも。

 お互い自分の生活にめいっぱい満足している個人主義者の集まりなのか、生前はよくあるいとこ会などの会食や飲み会とはまるで無縁だった。だからふたりとも平素まるきり疎遠な女の子にこっそり頼られていたなんて、1秒たりとも思わなかっただろう。
 当の本人さえ今やっと気付いて、おまけにすぐ忘れてしまうに決まっている。 
 でも会えば懐かしくていくつになっても幼名で呼び合うあたり、たまさかにしか合わないのがかえって良かったかなと懐かしい。




 おにいちゃんの通夜、場違いみたいな妙齢の女性がひとりいた。
 見覚えがあるような、ないような。
 それがおにいちゃんの孫のKちゃんと紹介されて、今更の如くときの流れを痛感した。
 なにしろ前回会ったのはつい昨日のような気がするのに、その時はほやほやの小学1年生で、その前はおむつをあてていた赤ちゃんのころ。
 切り替わる映画のシーンを見るようだ。  
 この分でゆけば次回顔を合わせるのはたぶん・・・

 つるっとしたむき卵に真っ黒の目を描きこんだ絵のような現代っ子。
 若―い女の子と向き合うのは何年ぶり?というより初めての経験ほどのインパクト。
 人懐っこく愛嬌もあるし、お世辞も忘れないところ生まれつきの社交家なのか、おにいちゃんの仕込みがよかったのか、明るく陽気だったひとの通夜にふさわしい雰囲気を作っている。
 それでいて可愛い口から飛び出す言葉はどうしてどうして辛口の評論家なみ。
 同席した年上の従兄を弟みたいに威勢よくやりこめながら、交わす会話も宇宙語らしく、傍らのママが懸命に翻訳する始末。
 なるほど、時代は変わったんだなぁ…
 これならもうおにいちゃんのサポートなんて要らないね。


 ――どうやらやる気も湧いてきたような
    さぁ、もうひとフンバリしてみるか・・・

守り神

2009年05月06日 | 絵と文
 リアルタイムで1イニングごとに経過を伝える野球の応援掲示板。試合が始まればパソコンの前にくぎ付けで仕事の手はほとんどお休みしてしまう。
 まあいいか。これはとても恵まれた楽しみのひとつと実は待ちかねているくせに、文句なんか言うでない。
 しかし長い一生のうちにはこんなことだって起きる。

 「中間を超える三塁打、センター追い続けてフェンスに激突 試合中断…
 「倒れて動かず担架で退場…
 「相手ブラスバンドも応援中断…
 「・・・

 何度読み返しても素通りしている文言。あたりの音はなくなり頭だけジンジン鳴るのを聞いていた。心臓だかどこだかに、もてあますような動悸。
 担架で途中退場したのが孫の太郎だなんて。他の人じゃなくて。
 この掲示板、目の前から消えてくれないか

 そういえば出塁のあと、6回7回と執拗な牽制球にとうとう刺されてしまった前回の試合から、なんだか予感めいたものがあったみたい。
 高校も含めた学生野球が、プロのそれより人気のある地。
    伸びて行く球を追いかける大歓声の中に、ゴツンと嫌な音が響いて、場内は一瞬静寂に
    審判、医師、監督らが駆け付けて、担架、そして病院…
    頭を打ったように見えたけど心配です。また彼の走塁が見たい
 書き込みが続いたけど、結果は誰も教えてくれない。
 不思議なのは体の反応に比べて、奇妙に思えるほど心の奥は揺らがず騒がなかったこと。
 そんなに冷たいバァバではないはずでしょ。

 反問するまでもない、理由はちゃんとわかっている。
 あの子には天国のじいちゃんという守り神が付いている、と信じているから、ウソじゃないと思っているから、心が真っ先にそれに答えてしまう。それにバァバの念力だって相当なものだし。
 とは言いながら、後日見たいくつかのブログの写真の、丸くなって倒れこんだまま動かぬ姿勢、苦痛にゆがんだ担架の上の表情、病院から帰って観客にあいさつする傾いた体や、顔面の腫れなどには泣き虫バァバの面目潰れずで、ちょちょっと安心しながらも意気地なくぞっと震えてしまった。
 怪我を知った瞬間に、もし麻痺で動けなくなったらバァちゃんが一生面倒見てあげる、とどこかが反応して、それは実行不能とすぐ思いいたって、人間の思考回路ってどれくらいの速度かなとチラと考えたような気もする・・・
 
 

 後日状況を問い合わせてとどいた太郎の返信は「ちょっと膝が腫れただけ。」
 いつもの超簡略メールにこの日はおまけがついている。「おバァちゃんもどっかにぶつからないようにね」(笑)ときた。せっかく数行の長さになったのを褒めてあげてもいいと思ったのに。
 そして夏に向け頑張ると。
 思いもかけぬ足への強打に比例する強い反省と、周囲からの温かい励ましは、きっと新たな勇気を彼に与えてくれるだろう。
 松葉づえはすぐ取って、リハビリと部分トレーニングを続け、五月いっぱいで完全復帰の見込みと監督からの発表があって、心配をかけた多くの人に感謝の気持ちを伝えてから、ようやくいつもの日常に戻ることがてきた。

 連休後半には、太郎のもとから帰ったママも一緒に、お墓参りに行った。
 スポーツに怪我はつきもの、じじばばの念力もいつまで効き目があるのやら。
 好きな野球をいつまで続けられることができるのやら。
 苦しみの五月、と表現する恐ろしいほど過密なスケジュールが待っている。150名の部員の、レギュラーを狙う日々の努力も続いている。参加はできないまでも、一日も早く健全な体を取り戻し名前の通り健やかに練習に加われますように。
 それに家族の健康と、次郎の受験もね。欲張ってるけどこれ以上のお願いはしないから。
 意見一致で家族がそろい、墓前で祈った事柄はきっと皆同じだろうから、名付け親のじいちゃんはあちらで苦笑しているに違いない。