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自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

甘い聖夜

2011年12月25日 | 写真と文


快食快眠の至って快調な日が続いているのに、ひと眠りのあとぱっちり目が覚めて眠れなくなってしまった。
暖かい布団の中で三転四転しながら考えている。
大切な大切な時間と日ごろ口にするなら、深夜といえどもこうして無為に費やしていいものか?

思い切って冷え切った洋間に電灯をともし、暖房のスイッチを強めてついでに着替えも一揃え運び込んで温めた。
真冬でも素肌に着替える長年の習慣は、この時期健康に甚だ悪いからあっさり宗旨替えをすることに。
それから再び布団にもぐりこんで、部屋がすっかり温まるまで30分。おまけでもうあと30分。
節電節約の必要は分かるけど、これくらいのゆとりはあっていいでしょ
何しろ今まで暮らしぶりはストイックに過ぎたんだから(?)
ここへきて大甘に変貌する自分の姿に苦笑がでるけど、そろそろとし相応にゆきましょう

明るく照らし出された部屋に描きかけのパネルと、昨日調合しておいた絵具の皿が10枚余り。
窓際の定位置に、鉛筆やらメモ紙やら雑多な書類にカタログなど散らばった机があり、
一隅に赤や緑の小さな光の点滅するパソコンとテレビ。  

モカの香りに包まれながら絵具の色合いを確かめているうち
ひとりでに体がゆらゆら揺れて、盛り上がって、なんだか踊り出したい衝動にかられた
白い壁の中からオーケストラの音楽まで聞こえてくるみたい~ 
心がぽっとふくらんで弾ける 
凄くいい気持! ♪!☆!♪!☆!♪!

誰にも言えない真夜中のリラックスタイム
あ、これがきっと有効な時間の使い方なんだ!?
 
 

明ければ25日。 過ぎたこの夜は聖夜と呼ばれる日だった
白み始めた戸外に、新雪の上あしあとひとつない純白の道が伸びていて
無信心な自分でさえも、一転心引き締まる清浄の夜明けが訪れている。

夕焼け空がマッカッカ

2011年09月13日 | 写真と文
 

 夜の帳がおりかける頃、薄闇の部屋の中へ淡く差し込む一条の光がありました。
 西日を防いで閉じてあったカーテンの隙間から、漏れてくる落日の赤です。
 気がつけばいつの間にか夜の一歩手前、
 窓を開けたら自然色の壮麗が視野いっぱい広がっています。
 いそいでカメラを取りに行くうちにも、地球は回り続けて
 みるみる濃い墨色に染まってゆきました。

 ごくんとツバを飲みこんで、ふ~と出たため息、どちらが先だったでしょう
 朝夕見慣れた周辺の風景が、ここまで鮮やかに彩られるいっときのあるのを忘れていました
 夢でなく現実の世界を、自分が今生きているとはっきり自覚したのはいつの頃からだったでしょう
 惜しげもなく朝夕繰り広げられるパノラマの、その時々の微妙な色合い
 色を扱いながら、絵とも写真とも違う自然の深い色をいつか置き去りにしていたような。
 天然岩緋を幾重にも塗り重ねたら…、それでもこの消失の前の一瞬の輝きとは、どこかが違う。

 ちまちまと描くことに熱中して、季節の移ろいやときの流れが完全に消えていることもよくあります。
 そのときは人間も忘れて、小さな獣のように目を光らせながら喘いでいるようにも思われます。
 あれも、これも。足りないものばかり増えつつある自分をまるで別人みたいに眺めました。




 …いつか不思議な朱の色は跡かたもなく消えていました。
 夜空に遠く家々の明かりが瞬いて、平凡な一日の終わりが始まろうとしています。
 心に憂いが残っていないことを確かめて、次の段階、夕食の支度に頭を切り替えました。
 訳の分からない歌詞をつけてハミングしながら。 

ケ・セラ・セラ ♪

2011年06月22日 | 写真と文


 当初の勢いはどこへやら、最近の暑さに朝からぐったりして私のダンシャリは一頓挫。
 世間の風は避けるにしかず、気温の変動まで鈍くなったのらりくらりが、いきなり真夏の戸外へ放り出されたような。
 様子を見に来た息子がニヤリとして、なぁに3~4年がかりでのんびりやればいいんだよと言うのを、待ってましたとばかり納得した顔を作り... 汗


 年期の入ったのんびりマイペースが、急に猪突猛進に変われるものではなし
 3~4年。とはいうものの、取り掛かれる期間は一年のうち1、2か月
 とすれば前途は遼遠、途中自然消滅など、ないかしらん?


 それにしても、何をするにしろものをいうのはやっぱり若さです
 気持ちイコール行動、とはもうゆかないもの。
 直前のSさんの優しい進言にもひかれました。 捨てる前の再利用で新たな喜びを拾った暖かい話
 グッドタイミングなのかどうか、ないないづくしで育った世代には、共感を消すことができません
 どんなに世相が変わったとしてもです。
 衣類に限っては、決断の大ナタはちっちゃな剃刀ぐらいになり、ゴミ袋は激減という結果になってしまいました。


 いつのまにかたまった驚くばかりの不純物、でもそれをろ過するための時間は惜しんではならない
 一つ一つにそれなりの生存理由があり、取り捨て選択する行為もまた大きな意味があるのだから。
 きっとそれは後半を生きる大切な目的のひとつなのだと、何度もの挫折のあと会得したつもりになっています。

 では、自然消滅の心配はどうする?
 まぁそのときはそのとき。  人間あまりの完璧など、望んではいけません   (-人-)合掌…


 頭は都合よく柔らかに使いましょ  
 あ~ぁ これが私の人生なのだ、とは、いつまで思いつづけられることでしょう? 

皐月

2011年05月08日 | 写真と文
 

 大型連休もいよいよ今日で終わり、何となくほっとしています。

 年に数回出展のためだけの暦があって、万年平日だか休日だか分からなくなって、
 時間が惜しいという口裏に反し、まなこは空に年がら年中ぽ~~となっているのはだれ?
 そう言っていつも笑われてはいるんですが。
 おかしい?
 気分の問題でしょうけど。

 四、五月。
 美しい季節なのに、例年どこからか旅行や観劇食事などのお誘いがあってもほとんど気乗りしません。
 それでもうち2~3日だけは空けておいて、最低家族のために使わないと罰が当たりそうですから。
 その期間だって無駄にはできない
 ひまな時間を見計らって有効に、一番気がかりだった伸ばし放題の庭の雑草とりに専念です。
 このときだけは有り難い連休に感謝です。

 やっぱり気分の問題でした。
 本当は一日30時間くらい欲しいのだけど。



 一歩外へ出ると5月の風が甘く吹いていました。
 小さな用水ひとつ隔てて春日の中に広がる休耕田の蓮華草、
 夕暮れどきはとなり合わせた水田が鏡のようで、無心に返ったひとときでした。



2011年04月08日 | 写真と文


花だよりが届き始めました。


これほど残酷な爪痕を残しても、素知らぬ顔で今年も巡ってきた自然の中では、
やはり生かされている自分ということを強く感じずには居られません。


近頃は朝の目覚めに先ず被災された多くの方々の無事と一日も早い平和な日の訪れを祈ります。
過酷な環境の中復興に向けて働く自衛隊、警察消防、ボランティア、地域の人たち、そして原発関係の方々
惹いては波及してくる周囲の日本人、世界中のすべての人たちのことも(ついでながら)祈ります。







 (NYタイムス地震報道から)







 さまざまな人々に希望をつなげるサイト [kizuna311] 
        http://kizuna311.com/


「いま、この国にある最高の財産は「絆」である」
被災者の方々にとって小さな光ともなり得るように、新たな「絆」を届けられたら
エンターテインメントに携わる人たちが、朗読や手紙,絵画による多くのメッセージがYouTubeを通じて配信されています
 [呼びかけ人 渡辺 謙(俳優)小山薫堂(脚本家・放送作家)]
         http://kizuna311.com/

2011年3月11日

2011年03月14日 | 写真と文
 2011年3月11日  東日本大震災の日。


 忘れることのできない日になりました。
 それまで、自分はどのように過ごしていたか
 目覚めて、昨日までと変わった何かが生まれているのに気づきます。

 規模はマグニチュード9.0とさらに大きく訂正されました。
 一時似ていると言われた1200年前の貞観地震は(M)8.3、津波での溺死約1000人だそうですからひと桁違います。
 ものの本によればその年間に世界最古の隕石の落下が目撃され、富士山が噴火して天変地異が相次ぎました。
 それより先立ってこの地に黄金が多量に出土したので、辺境であった陸奥は時の権力にとり一躍最重要の地域となり
 以来黄金を求めて多くの人々の間に抗争が生じ、各地で世情の不安が募るなかの地震津波の襲来でした。

 何やら似ている点もありそうですが。



 上空から撮った報道写真を見ると、戦時、じゅうたん爆撃で焼け野が原に変わり果てた街々を思い起こします。
 今度の犠牲者は予想で万単位にのぼるとか
 水没したいくつもの町や村のなかには、復旧することが出来ないものもあり、今後地図は書き換えられるだろうと予言する人もいます。
 どこまで被害は増えるのか、今自分にできることは悔しいけれどただ恐れ、案じ、祈るしかありません。


 

 地球は壊れる?
 世界各地で起きている異常な自然災害

  (2010年パキスタン)

 大きさまでは不明です。
 沢山の中からひとつだけ、不安をあおる積りはないのでそれなりの判断を。                  

早春賦

2011年02月17日 | 写真と文

 春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思い ♪

 毎年今頃になるとひとりでに口を付いて出る定番の歌です。     
 一年のうち一番希望に胸がふくらむ季節、
 “春は名のみの風の寒さ”にも厳しい時期を乗り切ったよろこびが込められて
 素晴らしく晴れあがった日は、軽やかな心がしばらく忘れていた詩集を開かせもしました。
 気づかぬうちに少しずつ色褪せてゆく胸のなかで、せかるる思いとは、この弾けるような喜びをさすことにしているのですが。



 二月の窓に美しい氷の模様が貼りついた朝でした。
 その日ふと数年前に書いたダイアリイの一節をウエブ上に見つけました。

     「二月の窓を眺めるのがなぜか好きだ。 この季節春に逆らって吹雪く日がある。
     夜の窓に雪片の貼りつくとき、喉もとにも貼りついて撓むまでこみ上げてくる何かがある。
     過去も未来もなく、無心で舞い落ちるものを眺め、心の奥底に言葉にならない何かを溜め込む。
     朝がくれば、冷気にひび割れそうな厳しい窓が感傷を吹き払ってくれ…
     …その間がしみじみ好ましい」

 その間がしみじみ好ましい 
 すべて処分した古い日記の文章は懐かしく、今鮮やかに思い起こされる感覚ですが
 それもやはり月日とともにひそやかに薄れてゆくのでしょうか
 青年は戸惑い、壮年は闘い、そして、老年は後悔…
 そうはなりたくないと心がけてそれなりに生きようとはしたけれど、しみじみ昨今の寒さに取り囲まれれば、
 朝夕好きな詩を口ずさむのも、あるいは湧きあがってくる後悔を心弱く紛らしているのかも知れないと。


 まったく、
 “急かるる胸の思い、いかにせよとのこの頃か”?
 歌の文句は目新しく湧いてくる感慨を見透かしたようで、終日思いあぐねてしまいました。

雪の公園

2011年01月10日 | 写真と文



 初冠雪の早朝

 清澄な戸外に出てみました。
 みんなの憩いの場になっている向かい側の小公園は、雪の木立の奥にひっそりと隠れています。


 何だかおとぎの森の入り口みたい

 幾つかの遊具も置かれた子供たちの遊び場が、今朝は雪の魔法にかけられて。
 森を抜けたら未知の空間が…
 




 公園の一隅
 

好敵手

2010年11月04日 | 写真と文
   vs  
  
いざ! 50年ぶりの大決戦!!(関東地区TVニュースから)


 50年前、述べ約35万人の観客を呼んだという早慶6連戦以来の東京6大学優勝決定戦は、今度も観客数、視聴率とも大きく日本リーグを上回ったそうですが、どうやらハンカチ王子のキャラクターがなせる技大いにありのようです。

 早朝から人の波が続いた神宮球場周辺で、場内からあふれた人たちがインタービューに応じていました。
    WとK、どちらを応援していますか?
    イや、おれホントはラグビーなんで…
    佑ちゃんに勝たせたーい、キャー
    モチ、Kよ。だけど佑ちゃんも応援したいし!
 その人気は老若男女を問わずで、悩んでいるK女子大生の気持ちも分かります。




 「選手皆幼稚を免れず候に就ては近日之中御教示にあづかり以て大に学ぶ所あらば素志此上も無之候」
 明治34年創部の早稲田が、9年早く発足した義塾に「教えを請いたい」と一戦を申込み
 義塾も「貴校と当校とは是非共マッチを致す可き者」とただちに応答して実現した早慶戦だといいます。
 戦前、出陣学徒の想い出となった最後の早慶戦も、勝敗は問題ではなく、慶應は早稲田の「都の西北」を、早稲田は慶應の「若き血」を力の限り歌い互いに激励したとか。

 大隈重信と福沢諭吉は個人的にも親しかった間柄で、以来比翼のごとく両校の友好関係が続いているのは本当に素晴らしく爽やかな話題です。
 お立ち台で佑ちゃんも言いました。自分の持っている「何か」とは、よき仲間とよき好敵手ですと。




 佑ちゃんから貴重なタイムリーを奪った二人、それでも報道陣が揃ってカメラを向けるのは…
   




 「錬」は太郎が尊敬している1年先輩の選手です。
 170名の部員の端に今年名を連ねて、太郎もきっとなにかを感じてくれただろう、と思いを巡らせた夜でした。

ラベンダーの季節

2010年06月28日 | 写真と文
 気がつけばいつかラベンダーの咲く季節が訪れていました。
 
 彼と初めての富良野への旅を、夢のように鮮やかに彩ってくれた花です。

 帰ってから横を流れる用水に沿って幾株か植えこみ、それからもう20年以上たちました。



 戸外での雑事は不得手で、手入れなど任せきりだったのにもかかわらず、

 あの旅の心の高ぶりを充分思い起こす小さな花園になってくれましたが、

 二人で一緒に眺められたのはたった3度で終わりでした。



 それ以来、季節が来てカーテンの隙間からこぼれる紫を見るたび胸が痛み、

 そのくせ引き付けられて離れがたく、彼が逝った桜の4月から初夏のラベンダーの季節は、

 かなりの間ひそかに暗い時期でもあったのです。



 花は変わらずひっそり咲き続け、香りだけを長い間残しては枯れてゆきました。

 ただ年月は音もなくしのびやかにやってきて、すべてを忘却の彼方へ押し流そうとするようでした。

 自然に任せて人の手を入れぬまま少しずつ衰えも見え始めるとき、

 花にまつわる様々な想いもまたひとり胸に収め、

 時間の波に乗って消えてゆくのが自然な姿かとも近頃は思えてきます。



 ・・・S先生が入院なさったときもラベンダーが盛りでした。

 お見舞いにつくった小さな花束、今年もPちゃんが急の怪我で入院しなかったら、

 たぶんポプリになるまで出番がなかったに違いありません。




   ラベンダーの花言葉=あなたを待っています・清潔・優美

   花ショウブの花言葉=あなたを信じています・優しい心・優美な心

桜幻想

2010年03月23日 | 写真と文
 北国ではまだ雪に埋もれて厳冬のままというのに、もう花だよりが届きました。
 聞くだけでなにかときめく桜前線、これからの2カ月余り春風に乗って日本中を駆け巡ることでしょう。

 日本武尊が東征の際に植樹されたといわれる樹齢2千年!!の「神代桜」。
 御母衣ダムの湖底に沈む命を奇跡的な移植工事でよみがえらせた「荘川桜」。
 春になると毎年水没地の村人が集まって、語りあいながら湖底に沈んだかっての村を偲ぶそうです。
 「薄墨桜」は千年生きてなお毎年美しく静かに花を咲かせ、見る人に明日への活力と深い思考を与えてくれています。

 桜って、凄いなぁ…
 老いてなお春を待って凛々しく開花する姿。
 そして、短いがゆえに散り際のその潔さ。
 一瞬の艶やかな光景は、その根元深くに死者を植え込んだかと作家に語らせるほど不思議な妖しさを持っていますが、
 私だって…それに劣らぬほど酔わされてしまいます。(*v.v)。



 (私が)生まれた高田の町、そこには夜桜で全国でも有名な公園があってね、と仕事の手を止めて語るときの母は、その時ばかりはやさしく穏やかに女性を感じさせるのでした。きっと父との思い出などを身近に見て感じていたのでしょう。
 お墓を東京へ移すまでの50年父が眠っていた八か山の桜、生前毎年お花見を楽しんだという磯部の桜、小金井の桜、境の桜、それぞれに遠い記憶のかなたから、さらにその向こうの見知らぬ世界から、何か懐かしく呼びかけてくるものがあるのです…

 子どものころといったら、ただただ花よりダンゴでした。
 とはいっても、当時の食事情はそのダンゴさえまぼろしのごとく花よりもなおはかなくて、桜ははるか遠くにかすんだただの背景にすぎません。
 10代おとめのころは、花よりファッション。
 とはいっても布地など規制されてどこへ行っても見当たらず、父の着物を苦心してリフォームするオリジナル制作に没頭し、やはり桜はうっすらと背景のままにありました。
 20代むすめのころは、花より男子。
 記憶の中では、イケメンたちに囲まれた自分が花です。Oh! 
 もちろんそれは幻影で、ほんものの花のイメージが少しずつ定着し始めたころなのに
 しかし30代オカミサンになると、残念なことに花よりもお弁当づくりに気を取られ
 特大のおにぎりが最高のリクエストではあっても、家族の健康と胃袋を満たすためそれなりに奮闘して、
 いつかそれだけでは物足りない焦りから、
 満開の桜は努力と達成感とあこがれと平和の象徴にと育ってゆきました。

 年月を経て40、50代ともなれば、花の風景には現実と夢が象徴と象形が入り混じり
 ただいまは郷愁の中に後悔やら諦観やら「?」に死生観まで加味されてもはや混沌となり、

  ─── いったいどう表現すれば適切なのか言葉を知りません。


   去年の松川 

(行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず。 あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ桜の花?にぞ似たりける) 



ふるさとの雪の夜

2010年01月04日 | 写真と文
        


 暖冬の予想に反してもう2度目の大雪です。

 満18歳と3カ月め、免許取り立てホヤホヤの太郎が夜の買い物に出かけることになりました。
 高速だって運転してきたのだからへっちゃらだい、と言いたいところでしょうけど、とてものこと心もとない様子、当然ママが助っ人に、やじ馬気分で弟の次郎まで同乗してゆくことに。

 玄関の戸をあけると、漆黒の夜空から白いものが無限に舞いおりる異次元の世界が音もなく広がっていました。
 長いこと見るのを忘れていたような雪の夜空です。
 冷たい息とともに嘆声やら歓声やら吐きながら飛び出す子どもたち、嬉々としてじゃれ合う2匹の犬ころ(大型!)を見るようです。
 除雪する間もみるみる降り積んでゆく雪に髪の毛が濡れるので、帽子でもと思いましたが女物しかありません。仕方なく毛糸のキャスケットとつば広のクロッシエを出してきました。

 いやだぁ、こんなの。 と渋りながら、それでも兄弟かわりばんこにかぶってみて、
  あらぁ、似合うじゃない
  へぇぇ、イカしてる・・・
 ママと二人本音半分でおだてたら、まんざらでもなく鏡に映して眺めています。
 ほほー、こりゃ二人とも草食系だ。
 
 帰ってきた太郎を改めてこっそり観察しました。
 (あ、やっこさんカミ染めてる!)
 
 今やっと気付くのだから大した変りようではないはずなのに、気がつけば見るほどにやわらかな栗色の髪、握っても滑り落ちそうな、それとも手の中で弾んで弾み返しそうな?
 分厚く重なった豊かな毛は、流れ落ちるにつれ見心地よくそいであって、額にかかる髪のカットの仕様といい、一種の芸術作品かも?

 次郎は漆黒の天然パーマです。
 これだって栗色に替えたらなかなか見ごたえがありそうです。
 小じんまりとした青春のシンボル華やかな顔が、大きな体に乗っかっています。
 あと3年したらどのような変化を遂げるのでしょう?

 ホントに新たな視点でした。
 男の子のお色気ってなものに、初めて開眼したみたい。




 雪の舞い狂う夜空を視界いっぱい目にしたとき、いつも決まって表現しがたいひとつの想念が胸に迫るのを感じていました。
 近頃それが静かに薄れてゆくのに気付きます。
 休みなくときは流れ、子どもたちのエネルギーがとってかわって古い記憶を消してゆくのは何の不思議もないことですが、今頃年若い男の子の毒気にあてられて苦笑している姿を重ねると、もうそのこと自体が可笑しくて、ちょっぴり哀しくて、
 ただただこのあとはなんとかいい歳の取り方をしたいものと心から願ってしまいます。


                 
 

おそ秋の光の中で(2)

2009年12月03日 | 写真と文
 
  吊り橋の上で





 小春日和に恵まれたおそ秋の一日を、Nちゃんの車に便乗して奥飛騨へ一泊ドライブで出かけました。


 四季折々の飛騨路をこれまでに幾度通ったことでしょう。
 行く先々に秋の光が惜しみなく降り注ぎ、葉を落とした大好きな雑木林は遮るものなく空間にその枝先を広げています。
 自然の包容力は優しさ厳しさに満ち溢れて、ゆくたび新たな活力をいただいては感激して帰路をたどるのでが、
 今回はふたり合わせてなんと百x0歳!の記念旅行です。
 ただし私の方が 半分+7、=(*○*)! なのでありました。

 ひときわ燃え立った紅葉も色あせて野路に散り積み、華やかな舞台のあとの少し侘しい雰囲気が、なんだか象徴的

 雑木林、枯葉の道、山路、連峰、青空、吊り橋、川の音、風の音
 ホテルの部屋、温泉、食事、すべて好感度満点。



 今度の旅行で抱いた様々な思い、当分の間は胸の中へ、そっと封印しておきたい…





 笠岳
 

 西穂高


新穂高のロープウェイの展望台より笠岳方面と西穂高
360度北アルプスの山々が眼前にそそり立って、きらめく秋の光の中にめまいがするようです。
風もなく一方で焼岳の噴煙がまっすぐ上に上り、はるか白雲の彼方には白山も望めました。




 


おそ秋の光の中で

2009年11月30日 | 写真と文


 
 旅先のホテルで、夕食お皿代わりになっていた葉っぱ2枚、お部屋へ持ち帰りました。
 見慣れたはずの小さな自然の造形美に再度見とれて、それも今回の収穫のひとつです。
 持ち帰った葉がことさら心に話しかけてくるものは・・・



 木々の先端がいっせいにもやっとほころぶ春先から
 芽吹き始めてさわさわとなる新緑の季節
 むせかえるような真夏の濃緑
 赤と岱紗と金の林に 銀が散り光が散り、

 その晩秋の一日の輝く光芒はなぜかひときわ強く背景に感じました。






 今まで数え切れないほど林の中を、枯葉の道を歩きました。
 振り返るたび、日によって周りの情景、受け止める思いがいつもどこか変わるのは不思議です。






短い夏

2009年07月24日 | 写真と文
 その人は体つきもほっそりとどうみてもごく普通のタイプなのに、どこにあれだけのパワーを秘めているのだろう。次々とって替わる筋肉隆々力自慢の腕相撲相手を、手のひらを組むが早いか一瞬のうちに小気味よくねじ伏せる様は、テレビ画面にはっきりと見ながらとても信じられない。
  なかには事前にもう勝負がついてしまう人もいる。組み合わせた瞬間魔法にかかったようにすっと力が抜けるらしく、負けた事実さえつかめないで呆然となっている。
  その恐るべき出力の源は何でしょう?と問いかける司会者に彼はさらりと答えた。
 「脳を空っぽにすることですよ」

 ? これ太郎に知らせてあげよう。
 若しかしてグッドアイデアかと思えたが、そううまくコトは運ばなかった。



  高校球児の太郎にとって3回の甲子園出場、秋の神宮大会制覇は夢のような幸運続きだったといえる。
  そのあとにくる重圧をあとまわしに、周辺ともども湧きに湧いた当時の記憶はまだ新しい。
 彼らは自分たちの実力をよく知っているように見えた。
  「僕らはいつも挑戦者」と絶えず自戒の紐を締めながらも、やはり心のどこかに生じるおごりは皆無とは言い切れなかっただろう。
  でもそこまで断言し非難するのは酷に過ぎる。
  あとは勝って当然。負ければ地獄。
  191校がしのぎを削る県大会、全国優勝の実績を持つ強豪と対戦した3回戦で、早くも太郎の夏ははかない終わりを告げたのだった。
 その日彼は脳を空っぽにできたかどうかは分からない。

  四季連続をめざす甲子園出場新記録への期待、叶わねば一転バッシングの矛先を向けられたりもして、うつ状態で部を去るものも出ると聞く。
  けれどもひとときの興奮がおさまると、この1年彼らがもたらした喜びを改めて味わうゆとりも見え始め、いたわりと感謝と、続く大学野球へのさらなる励ましがあって、流した涙が乾くのは間近いだろう。
 栄光の蔭に何十倍もの辛い思いに耐える人がいる。痛みのわかるやさしい人へと成長してほしい。
  好きな道とはいえたゆまぬ精進努力を重ねる常日頃には、心ひそかに自信を持っていいのだから。
 スポーツであれ学問であれ、すべてのアスリートたちに。その道へとつながるように。

 野球にはほとんど関心が無くて常時空っぽに近いお脳の中を
 あの神秘的な爆発力には縁がなくても、とりどりの哀歓で彩らせ快い刺激で満たしてくれた彼ら、
  「愛しているよ!」と躍っていた掲示板の誰かの言葉を、私もそのまま進呈しようと思う。