goo blog サービス終了のお知らせ 

自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

金庫アフェア

2009年06月14日 | 写真と文
 左に○回、右に○回
 ドキドキしながらダイヤルを回し金庫の鍵をひねった。
 開かない。何度試しても同じ。
 鍵が違う、などとは思いつかないし、思いたくもない。
 第一鍵どころか、金庫そのものの存在も忘れていた。家の見取り図が必要になるまでは。

 最近思い立って身辺整理を始めた時、確か引き出しの底にこびりついて緑青のふいた古い鍵などかなりの数思い切りよく捨てたはず。その中に金庫の鍵も混じっていたとしたら大変な勇み足。まぁ私としたことが。
 でも数年間使わなかったらもう不要と見なして捨ててもいいというじゃない。
 その金庫はもういらないとばかり押入れの片隅にしまいこまれて忘れたまま十年以上は経っている。
 とか何とか弁解しながら、光の届かない押入れにもぐりこんで赤くなったり青くなったりを繰り返した。
 ダイヤル番号だけは残っていた電話帳の隅にメモしてあったから一安心、ほっと胸をなでおろした次に鍵をと言われてまたもや血圧が上がった。
 何度もあきらめきれずあちこちひっくり返した揚句、あった!箪笥の引出しに後生大事にしまいこんであるのが見つかった!  その鍵で開かないはずはない…

 冷静になって考えれば鍵は違うという結論しか出ない。
 すぐ業者に連絡して扉をあけるまで嫌いな電話も6~7回
 物事うまくゆかないときってなんて長く感じるのだろう。




 新婚間もない長男が、一戸建家屋とマンションの同時管理をする事態になった時購入した小型金庫だった。
 証書などの書類と一緒に多少の現金もしまいこまれて、適当な置場所が見当たらず小型とはいうもののかなりのボリュームで部屋の中に誇示していた。
 眺めれば少しの安心感は湧いて、それぞれ主人と父を亡くした心の空虚を1パーセントくらいは和らげてくれたかもしれない。用もないのに時たまダイヤルをまわして覗き込む金庫からは、亡くなった人の匂いもしなかったけれど、優しい手で撫でられたようなちょっぴりの安らぎと慰めを得ることがあった。
 そうとしたらいくらかは大切な存在ではあったのに、月日が経ちお札も消失すると同時に金庫は邪魔になり、ついには押入れの隅っこに追いやってそれきり薄情に記憶から消えていったのだ。

 金庫・ダイヤルナンバー・鍵
 どれもすっかり忘れちまうほど天下泰平だった頭、少しは鍛えなおさないと。
 これからまた利用してみようかしら。
 でも肝心なのはその中身?!
 あてにしないで出番を待ってもらうしかありません。


花残月

2009年04月21日 | 写真と文

 夜半突然吹きだした南風に安眠の夢を破られ、たまらず起きだして家じゅうの戸締りを確かめました。
 これですっかり桜は終わるでしょう。今を盛りのレンギョウ、雪柳、黄と白の山吹など黒いひとむらが身を寄せ合い揺れてざわめくのを見ると、眠れぬ夜の心にひとつ哀愁が湧いてきます。


 陽気に誘われてようやく重い腰があがり、近くの美容院へ足を向ける気になったのは数日前のこと。
 10時過ぎてもどうかすると玄関をロックしたままののんびりパーマ屋さんに、電話で在宅と待ち時間などないのを確かめてから、しばらくぶりで戸外の空気を腹いっぱい吸って、新鮮な気分と気力を貯え出陣しました。
 伸びきった髪をカットし、ロットに巻いて薬をかけて、
 美容院行きは女性にとったら普通楽しいものだと思うのですが、私は苦手で覚悟が決まるまでつい一日延ばしにしてしまうのです。

 さて、どうにか長いコースを終え、洗髪を済ました軽やかな姿が映し出されるはずの鏡面を見て驚きました。
 どう見てもあまりきれいとは言えない銀髪の
 見たこともないヘンな人が。

 最近、手を加えず自然な形に戻そうと、というよりヘアダイの煩わしさから逃れようと、一大決心のつもりで髪の毛は伸びるにまかせてみたのですが、 
 ときどきこれじゃあんまりと、自分の目に映る部分だけ気まぐれに色をつけてみたりで、これがいけない。
 あらゆる成長は止まるどころか逆現象を起こすことになって何年か、もう忘れてしまいました。
 「髪の毛、自然に任せる?
 うーん。もう少し待ちなよ」
 「なんで?」
 「白髪頭じゃ、ババァだか、コドモだか」
 口の悪い息子は一足先にグレイの頭です。

 それならばと、お風呂のとき、手のひらにぐいと絞り出して、髪に塗りたくって、洗い流して、それでだんだん艶を増してゆくという、めんどくさがりには便利なヘアダイ見つけました。
 でもそれがパーマ液で脱色してしまうヘアマニキュアだとは知らなかった…

 銀髪。年に不足はないけれど、夜中起きだして硝子戸に映る姿は、そうね、ちょいと間抜け面の山姥とでもいいましょうか。 
 季節もちょうど花残月。
 たとえるには少し心痛むし、厚かましくもあるけれど。

いつも見つめて

2009年03月26日 | 写真と文
 外は時折小雪さえ舞っているきょうの日、部屋の一隅から甘い香りが漂ってくる。
 白いスィートピーにまっ黄色のサンフラワー、大輪のラナンキュラス。
 クリーム色のリボンが付けられて、清楚に華やかなひと鉢の花は、Mさんからの優しい春のお便りだ。


 「ひと足早くさびしい春が過ぎ去った」
 センバツたけなわの今、緒戦敗退した太郎たちをメディアが表現した。
 小さいころは試合に負けて全員悔し涙にくれる中、明日があるさとけろり澄ましていた太郎だって、少し使い古されたこの一文に、きっと憂愁を掻き立てられることだろう。
 どこかで春の花々の香りを優しく感じてくれたらとふと思う。

 緒戦の相手は我慢と努力をモットーとする古武士然とした監督さん。
 「エンジョイベースボールなんて大嫌い」
 「髪の長い選手たちと戦うのは初めて」などかなり刺激的だった。
 「エンジョイ」と「求道」。 野球哲学の究極の対決。
そしてこの両者の違いが試合の機微に投影されるような展開になれば面白い、と新聞は書き立てた。

 はるか遠い昔「ほしがりません勝つまでは」を強いられた年代だから大いに興味をそそられた。
  エンジョイチームの明るい雰囲気の中にも、厳しくストイックな生活規範にも長所短所は同居する。
 欲張ってるけどどちらも好き。

 相手チームの際立ってミスを許さぬきびきびした動作は美しいとさえ感じられた。
 その後ろにあの古武士を思わせる監督の影が厳然と立つ。
 勝負の流れ、時の運もたしかにあるけれど、冷静に見て今回の軍配はあちらに。
 新チーム結成以来、公式戦で負け無しの彼らが晴れの舞台で初めて味わう敗北感だった。

 夏に向けてエンジョイは変貌するのだろうか?
 それより今を失わず新たな闘志をためるのだろうか。
 どちらにしても、今開き始めた桜が散るまで彼らの胸の痛みは消えないだろう、とのみ思いあぐねて花を眺める。
 ひまわりやスィートピーの花言葉にもあるように。
 
   素直な輝き、門出、やさしい思い出
   あなたをいつも見つめています。
 

コタツ

2009年01月21日 | 写真と文
 お正月休み、久しぶりに家族全員揃ったところで「コタツ」のリクエストが出た。
    ㅡㅡこれが無くなれば、部屋はすっきり、頭もすっきり、 
    動きは活発になって、どんなにか仕事の能率も上がるだろうㅡㅡ
 年配の人なら誰もが知っているこの思いが日々強くなって、部屋の改装を機に暖房器具を取り換えたのは、太郎の通学問題を境にひとり暮らしの生活に切り替えた時だった。

 部屋いっぱいスケッチブックや大下絵を広げる
 案ずることなくいくつもの絵皿を重ねる
 右にも左にも自由にパネルを移動させる
 疲れたらどこの空間にでもゴロンと寝転んで足を伸ばす

 そして炬燵の味は堪能されて忘れ去られ、暖房は隅々にまで行き届いて、子供たちの声も聞こえぬ静けさをさして淋しいとも思わず、白い天井に夢を描いていた。
 それから10年余も経っている。

 年末の整理時、処分に迷いながらひとまず残しておいた古い炬燵一式。
 押し入れの隅から引っ張り出して組み立て、下敷き、中敷きと、何やらタイムスリップする感覚のなかでスイッチをひねった…

 小さな歓声が上がった
 見るからにあったかそうな赤い光
 懐かしい
 覗き込むといくつもの足が窮屈そうに交差している
 


 穴の中で冬ごもりする一家のイメージ。
 窓ガラス一枚隔てた外に、たとえ物語の中のような雪の舞う別世界が広がっていたとしても。
 炬燵を囲んで冬眠するのもゆったり休暇を楽しむ1シーンであってふさわしい。
 最近になってようやくお正月を振り返る余裕が出てきた。気づくとみんながいなくなって、炬燵だけが残っている。
 一人の食卓を片づけて、いそいそもぐりこんだ。
 
    これが無くなれば、部屋はすっきり、頭もすっきり
    動きは活発になって、どんなにか仕事の能率も上がるだろうに。

 ・・・・ あれ?
 


返信

2009年01月09日 | 写真と文


 メール有難う
 私も長いことご無沙汰したような気がします。

 今年は100年に一度の大不況とか、
 田舎の一部屋にこもりきりだからそれほどの影響も受けず、今のところはのんびり気分のまま… と、言いたいところなんだけど。
 私のPCは6年ほど前に買ったVAIOのXP、少しも故障はないのですが、写真や絵の画像ばかり溜め込んだせいか動きがだんだん遅くなり、ときどきフリーズしては身動きできなくなる悪い癖が付いてしまいました。
 システムのHDの空き容量はわずか5パーセント、もう削除できるものもなく、それでこの際最新の、といってもビスタはもうじきモデルチェンジするかも知れないこの時期に、いっそのこととばかり買い換えたのね。 

 運悪くお助け人の息子が途中から少し体調を崩して、設定やデータの移行は七割かた済んだものの、それから2度ほど出張してくれるプロのひとにたのんで、このあとがストップ。
 メカには弱いどころか触れたら火傷するほどの思いで、まかせきりだったツケがきちゃった。自業自得とは言いながら、増えて変わった多くの機能を使いこなすため、いまさら涙ぐましい努力の毎日。
 自信がないから古いPCもルータで繋いで急ごしらえのマイネットワーク、一日も早く新機種に慣れたいけど、何をするにもマニュアル本と首っ引きで、プリントひとつに次々出てくるPC用語はそのたび調べねばならず、最後に自分は何をしたいのだったっけ?
 唯でさえ狭い頭の中は、許容範囲を超えると新たな知識を無理に詰めこんだ分、前のが押し出されるという情けも涙もないこの仕組み…!(>ω<、)


     。。。。。。。

 正月三カ日だけは孫たちに部屋とパソコンを占領されてあちこちと追いたてられて過ごしました。
 彼らは可愛いけど宇宙人相手のようで話がかみ合わず、まして男の子では共通する話題も少ないから、眺めているだけでもう満足としなければね。
 半世紀以上の差があるのだもの仕方ないか。たえず勉強を続けて誰とでも会話できる人でいたい・・・とは、どだい無理な話。(>ω<、)その2

 a ha ha
 ありがたいオコトバだったけど、情けない天女です
 新春早々愚痴っぽいこの天女、ほんとは口ほどにへこたれてもおらず、自称自由人の気分は相変わらず意気軒昂のつもりなんだけど、ただひとつ気がかりなのは絵のほうです!去年暮れからはじめた身辺整理、このあたりからずっとストップしたままで、これは頭がいたい!
 今年は年頭に「女の情景」をテーマの小さな個展の準備に取り掛かると誓ったけど、はたして実行できるかしら?(>ω<、)その3 

 あれ?また愚痴に逆戻りだ
 
 荒ぶれた世間をガラス戸越しにじっと見つめて、それなりの対応を考えるあなた、
 ナニヤッテンダ と笑わないでね。

 新春第1報は、厳しい社会に背を向けてしっかり自分のことばかりついつい書いてしまったけど、あなたのために一生懸命祈っていますよ

 たっぷりの連休を!
 気の合ったスタッフを!
 衰えなき創作意欲を!
 それからロマンスの相手を (これはどっちでもよろしい)
 まだまだ いろいろ・・・と欲張りつつ今日はこれまで。
           今年もどうぞよろしくね。では、ゴメンアソバセ 

バリ展

2008年12月28日 | 写真と文



 日本インドネシア友好年公式プログラムの「バリ日本芸術祭」に、交流50周年の記念行事の一環として、バリ島トニーラカギャラリーへ作品「想」を出品しました。

 

 





 11月のバリ島は雨季の始まりにあたり、日本の梅雨をさらに蒸し暑くしたような日々が続きます。
 歴史と文化を重んじ、立ち並ぶギャラリーや美術館で世界に誇るバリアートに触れることが出来ますが、夜ともなればどこからともなく伝統舞踊音楽も聞こえてくるそうです。


 バリ島の寺院、仏像。
 仏様のお顔は、何となく人間っぽいような気がします…

   



開催初日のセレモニーから






さよならスヌーピー

2008年12月24日 | 写真と文


 いつしか窓外に黒い帳が下りているのに気づいて、残りを明日にとマイルームに戻ったときは、ホッと安らぐのですが、このところ何かもの足りなくて変な気分でした。
 一日を終えた充足感、安心感はいつもと変わらなく膨らんでくるのに、まるで穴のあいた袋へ詰め込むようにいつまで経っても満たされないのです。
 改めて部屋を見まわすと、分かりましたテレビボードの上のぽっかりあいた空間、それでした!

 図体ばかりデカい、縫いぐるみのヌーボー、レオが消えた
 馬づらのワンちゃんスヌーピーがいない
 とぼけた狸吉もラブ猫の姿もない
 黙って当然のようにそこに鎮座していた彼らがいない

 あったかくて柔らかくて、あのさわり心地は誰もに覚えがあるでしょう。
 思えば幼なかった孫たちの、これも縫いぐるみと変わらない小さな手にぴったりと収まって、もうほっぺたに押し付けるやら、抱きしめるやら乗りかかるやら。
 それがいつのまにか必ず、かわいいお尻を突き出してへたばっていたり、仰向けに天井を見つめて伸びていたり、情けなく机の端に引っかかった姿で部屋の四方に散らばっていて、片付けけ役のバァバはそのたび不思議な幸せを目いっぱい感じたものでした。
 可愛がって撫でさすって、最後には何故放り投げずにおれないのか、それも私には不思議な事に思えます。そのせいか本能なのかどうかは知りませんが、二人の孫は今でも球を投げるのが好きと来ている…

 待ち望んだ孫の誕生よりずっと先、ジィちゃんがどこからか景品にもらってきたレオは、とボケ顔に変わりないけど相当くたびれていたはずです。一番愛されてうすよごれたスヌーピーはじめ、どこからともなく集まってきた似たもの同士の一族を、孫たちが成長したあともなんとなし離しがたく、広いテレビボードの上に飾ってから、驚くほど早い時間が経ちました。
 その間空気か水みたいに意識もせず、長い付き合いだったのを突然絶つのはそれなりに勇気の要ることでしたよ。
 一隅から黙って私のすることなすこと見つめながら、そこにいるだけで慰めや励ましをどれほど与えてくれていたか、今になって分かりました。
 また新たに彼らを必要としてくれる子どもたちにめぐり合えるといいな、叶わぬ願いと知りつつも、虫の知らせか写真に残していた一枚を眺めては、使命を終えて去った同士のように偲んでいるのです。