きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

小さな菊

2021年11月20日 21時19分46秒 | 庭にて (猫の額)
『 足摺野路菊 』

アシズリノジギクと読みます。

昨年、道の駅の山野草コーナーで見つけた菊です。
小さくて(直径2㎝)清楚な小菊に一目惚れして衝動買いしました。
帰宅してweb検索してみると、、、
四国の足摺岬から佐多岬にかけて自生する日本固有種。
海辺に咲くそうです。



鉢植えのまま花壇に置いておいたら、、、
いつのまにか、立派に育ち、花数も見事なほど、、、
小さな鉢植えだったんです。



海辺の菊と言えば、磯菊も満開を通り過ぎています。
磯菊は、お花より葉の紅葉が楽しみな菊です。


↑ 磯菊(イソギク) 花は直径1㎝ほど。
寒さが増すと、きれいなグラデーションを見せながら紅葉して行きます。

少し昔、和歌山県熊野市の熊野灘の海岸を散策中、自生の磯菊を見つけました。
我が家のは園芸店で購入。


最後は、名前の分からない小菊。


直径2㎝ほどです。



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部分月食 ’22

2021年11月19日 22時44分12秒 | 自 然
『 午後6時44分 』




↑ 午後6時47分



↑ 午後7時25分



↑ 午後7時43分



↑ 午後7時48分

一応、撮ってみました。
今日の部分月食を、昨夜遅い時間に知りました。
尚且つ、朝から夕方まで多忙になり準備が出来ませんでした。
というか、カメラ機能について勉強不足です。

次回の月食は、来年11月8日だそうです。
来年は、もう少し頑張りたい。と、心の日記には書いておきます。
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かりんシロップ作り

2021年11月18日 12時14分27秒 | ハンドメイド
『 かりん ホットティー 』

庭の花梨の実で2回目のチャレンジです。
かりんの実の大きさは様々、6個ほど使いました。

1、灰汁抜き

   ↑ 銀杏切りの実 塩水に浸して灰汁抜き(時間計らず、半日ほどか?)
  空気に触れないようにサランラップをかぶせる。

2、種の処理

   ↑ 種
 水に浸してプルンプルンのゼリー状にする。
 
3、 かりんのエキス抽出
   鍋に1と2を投入し、お水はヒタヒタ程度
   一度沸騰させる。
   その後は、灰汁を取りながら弱火でコトコト煮ます。


  ↑ 1ℓの抽出エキス
    
4、煮込み
 抽出エキスを弱火でコトコト1時間煮ました。


  ↑ 1時間経過


  ↑ 完 成 800㎖

火曜日の午後、ポニーテールにして風をきりながらウォーキングしました。
首回りが冷えたせいか? 夕方には、風邪気味になりクシャミと鼻水が~ TT
気だるくなってきたし・・・
こんなことで風邪ひくなんてイヤだなぁ、、、(泣き

夕食後カリン茶を1杯飲みました。
その後、PCカラオケで熱唱していると、汗も出て来て風邪の症状は消えました。
風邪のひき始めに飲用すると、ひどくならないとネット上には書いてありました。
が。。。かりん茶が効いたのか? 熱唱が良かったのか? 定かではありません。

花梨の実は、まだ残っていますので、もう少し作るつもりです。

☆ 追加画像
 今宵のお月さま

 ↑ 午後5時06分

東の窓のカーテンを閉めようとして、真ん丸お月さまを見つけました。
満月かな? と、思いましたが、、、
調べると十四日月でした。 
きれいなお月さまですよ~^^
ここ数日間の出始めのお月さま なぜか?いつもより大きく見えていました。
秋特有の澄み切った大気のせいでしょうか、、、
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清州から名古屋へ その2

2021年11月17日 17時51分17秒 | 城跡巡り
『金鯱のある名古屋城』

☆名古屋城データー
 築  城:1612年完成
 本丸御殿:1615年完成
 築 城 主 :徳川家康
 造った人:加藤清正・福島正則・池田輝正・黒田長政などの各地の大名。
 歴代城主:尾張徳川家17代

☆現代の名古屋城
 昭和05年:天守閣と本丸御殿が国宝第一号に指定。
 昭和20年:空襲により建物のほとんどを消失
 昭和34年:戦後コンクリート造りで再建される。
 平成30年:本丸御殿再建完成



11月14日(日)
清州城から名古屋城まで10㎞ほどを走りました。
久しぶりに正門から入城し、「本丸表二の門」をくぐりました。
普段は、名城公園近くの東門から入っています。


 ↑ 本丸表二の門(重要文化財)
現存する数少ない創建時の建造物です。

☆ 本丸御殿 (檜の近世書院造)
 平成21年復元開始 平成30年6月完成公開
 現存されている豊富な資料をもとに築城当時のままに再建されました。

一、玄関
  美しい唐破風(カラハフ)の奥に虎と豹がじっと睨む


一、表書院
  花鳥・猫が彩る正式な謁見の間




一、対面所
  身内だけが立ち入られる、豪奢かつ私的な殿舎




一、上洛殿
  細部まで豪華絢爛。技術と贅の粋
  1634年寛永11年 三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物。

王の正しい行いを描いた障壁画「帝鑑図」「雪中梅鳥竹鳥図」。
当時33歳の狩野深幽」作。

◇上洛殿の欄間

鶴の親子の彫り物
上の写真の左側の欄間です。
オペラグラスを持ってくれば良かったなぁ、、、後悔先に立たず。

◇上洛殿の天井



一、湯殿書院
  将軍が湯を楽しみ英気を養う寛ぎの空間
  画像無し  見逃しました。


一、黒木書院
  質の高い松材を用いた落ち着きの空間

清州城内から移築したとも伝えれている。

☆ 御城印
この日は、半日ほどで2つの城址巡りができました。


親しい知人から、本丸御殿の見学を強く薦められていました。
コロナ禍が少し落ち着き、やっと見学できて嬉しい限りです。
未だ、ご覧になられてないお近くの方、一見の価値ありでございます。

下手な写真を並べてしまいました。
美しい画像のHPを貼り付けましたので、興味が湧きましたらご覧ください。
 本丸御殿ページ ← 名古屋城HP
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清州から名古屋へ その1

2021年11月15日 18時06分31秒 | 城跡巡り
『 清州城 』

11月14日(日)
清州城は、若き織田信長が暮らしたお城です。
濃姫と結ばれ、桶狭間の戦いに出陣し、小牧山城へ移るまでの10年間を居城にしました。

 清州城模擬天守


お城の中は、4階建ての博物館のような感じです。
城の歴史、戦の様子などが新聞の号外のように展示してありました。
中でも興味が湧いたのは、織田信長の立像と太鼓です。


 ↑ 「 若き日の織田信長 」 (一階に展示)
作者は、長崎の平和祈念象を制作した北村西望(きたむらせいぼう)さん。
岐阜城の入り口にも、大きさは違いますが同じ銅像があります。


↑ 吉例太鼓 (4階に展示)
戦いの前に戦勝を願い打ちます。
太鼓の横の壁に楽譜が貼り付けてあり、横目で見ながらゲン担ぎに打ってみました。
ドンドン カッ ドドン カッ ♪

金色の小さめな立像は織田信長。
桶狭間の戦いの出陣前、右手に舞扇を持ち「敦盛」を舞い唄う信長。

「人生50年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」。
一の谷の源平合戦、笛の名手の平敦盛(タイラノアツモリ)を討った源氏の熊谷直美。
この歌は彼が出家する際の心情だそうです。

敦盛は、「青葉の笛」と言う唱歌にもなっています。
青葉の笛文部省唱歌(明治29年)
  ↑ YouTubeが開きます

天守閣からの360°の眺望

↑ 西方向
一番遠くに鈴鹿山脈と伊吹山。
中央の赤い橋が架かる川は、桜で有名な五条川。
左側の線路は、JR東海道新幹線と在来線。
五条川の向こう、線路に分断されて本当の清州城跡があります。


↑ 東方向
名古屋駅前の高層ビル群がハッキリ見えます。

 清州城跡と清州公園
お城を後にし、赤い橋を渡ると目の前が城址。
左に折れ鉄橋をくぐり抜けて公園へ。

↑ 清州城址の碑


↑ 小高い丘
最上部には信長公を祀る祠があります。


 ↑ 二人の銅像
清州公園の中央の「信長公出陣の像」と「濃姫」の像。
信長は、桶狭間の方向を睨んでいると聞きました。


心配そうに信長を見つめる濃姫。

 清州城のその後
1563年、信長は小牧山城へ移り、その後は岐阜城、そして安土城へ、、、
 ・
 ・
1610年、家康の命により清州城と城下町は名古屋へ引っ越し。
1613年、3年がかりの引っ越し(清州越し)完了、と同時に廃城。

尾張の国(愛知県西部)の中心的な城下町だった清州。
人も家もお店も全て名古屋へ引っ越し。
当時は、田畑だけが残り荒れ野になってしまったそうです。

補足
信長が幼少の頃住んでいた城は、名古屋城の前身の那古屋(なこや)城です。
那古屋城を廃城にして清州城に移り住みました。
清州城から名古屋城の距離は、今の道路でおおよそ10㎞。
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