きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

清州から名古屋へ その1

2021年11月15日 18時06分31秒 | 城跡巡り
『 清州城 』

11月14日(日)
清州城は、若き織田信長が暮らしたお城です。
濃姫と結ばれ、桶狭間の戦いに出陣し、小牧山城へ移るまでの10年間を居城にしました。

 清州城模擬天守


お城の中は、4階建ての博物館のような感じです。
城の歴史、戦の様子などが新聞の号外のように展示してありました。
中でも興味が湧いたのは、織田信長の立像と太鼓です。


 ↑ 「 若き日の織田信長 」 (一階に展示)
作者は、長崎の平和祈念象を制作した北村西望(きたむらせいぼう)さん。
岐阜城の入り口にも、大きさは違いますが同じ銅像があります。


↑ 吉例太鼓 (4階に展示)
戦いの前に戦勝を願い打ちます。
太鼓の横の壁に楽譜が貼り付けてあり、横目で見ながらゲン担ぎに打ってみました。
ドンドン カッ ドドン カッ ♪

金色の小さめな立像は織田信長。
桶狭間の戦いの出陣前、右手に舞扇を持ち「敦盛」を舞い唄う信長。

「人生50年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」。
一の谷の源平合戦、笛の名手の平敦盛(タイラノアツモリ)を討った源氏の熊谷直美。
この歌は彼が出家する際の心情だそうです。

敦盛は、「青葉の笛」と言う唱歌にもなっています。
青葉の笛文部省唱歌(明治29年)
  ↑ YouTubeが開きます

天守閣からの360°の眺望

↑ 西方向
一番遠くに鈴鹿山脈と伊吹山。
中央の赤い橋が架かる川は、桜で有名な五条川。
左側の線路は、JR東海道新幹線と在来線。
五条川の向こう、線路に分断されて本当の清州城跡があります。


↑ 東方向
名古屋駅前の高層ビル群がハッキリ見えます。

 清州城跡と清州公園
お城を後にし、赤い橋を渡ると目の前が城址。
左に折れ鉄橋をくぐり抜けて公園へ。

↑ 清州城址の碑


↑ 小高い丘
最上部には信長公を祀る祠があります。


 ↑ 二人の銅像
清州公園の中央の「信長公出陣の像」と「濃姫」の像。
信長は、桶狭間の方向を睨んでいると聞きました。


心配そうに信長を見つめる濃姫。

 清州城のその後
1563年、信長は小牧山城へ移り、その後は岐阜城、そして安土城へ、、、
 ・
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1610年、家康の命により清州城と城下町は名古屋へ引っ越し。
1613年、3年がかりの引っ越し(清州越し)完了、と同時に廃城。

尾張の国(愛知県西部)の中心的な城下町だった清州。
人も家もお店も全て名古屋へ引っ越し。
当時は、田畑だけが残り荒れ野になってしまったそうです。

補足
信長が幼少の頃住んでいた城は、名古屋城の前身の那古屋(なこや)城です。
那古屋城を廃城にして清州城に移り住みました。
清州城から名古屋城の距離は、今の道路でおおよそ10㎞。
コメント (4)
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