月山富田城跡(がっさんとだじょうあと)は、戦国時代、尼子氏が代々居城としたところとされる。
安来市にある山城であり、興味深い数々の遺構が残っている。
見学ルートがよく整備されていて歩きやすく、段々に造られた曲輪の跡を見て回れる。
月山のふもとには安来市立の歴史資料館があり、その脇に建つ案内板。
見学ルートに従って月山を登り始めると、結構この坂はきついが、馬乗馬塲、千畳平、太鼓壇などの平らな場所がありそのつど一息つける。
まもなく、尼子氏の忠臣「山中鹿介」の銅像の前に出る。
「ねがわくは、我に七難八苦を与えたまえ」と祈る姿か・・・。
山道を進むと「花の壇」に出る。
発掘調査で明らかになった当時の建物が復元され、休憩が出来る。
目を上に転じると、頂上の三の丸付近を望むことができる。
さらに一段高いところにある周りに石垣が積まれた大きな曲輪が「山中御殿」である。
城主の館があった場所であったとみられている。
さて、これからが高齢者にとっては難所の「七曲り」であり、山中御殿から石段を登り山道にとりつく。
つづら折りの急な登りが続き、汗を搾り取られる。
一歩歩むごとに高度を上げていく。
途中に、「山吹井戸」が現れる。
今は飲める状態ではなさそうだが、当時、籠城戦においては、この水は何にもまして強い味方であったはずである。
山中御殿から20分ほど頑張ると三の丸、二の丸、本丸のあるてっぺんに到達する。
頂上は平らに整地され、涼しい風が吹き抜け汗ばんだ肌に気持ちが良い。
この城の主にでもなったつもりで、しばらく市街地を見下ろしたり周囲の山々の景色を楽しむ。
今回の登城で、この月山の中腹に住むというある男性にお会いした。
月山富田城の四季を、自ら撮った写真を展示して紹介したり、草刈りや道の普請のボランティア活動をされているという。
リピータには「城主」と呼ばれているのだそうだ。
我々にも、気さくに話しかけていただき、見どころなどを説明していただいたのには感謝している。
お陰で、うっかり見落とすところだった場所にも、一足伸ばすことが出来たのだった。
塩谷口の石垣の先は、転がり落ちるような急な坂になっていたが、そこもきれいに草が刈られ人が通れるようになっていた。