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われわれの住む世界はわれわれ自身の心の反映である、とは辛辣なる金言ではあるが、真実であるのである。

2020-03-09 10:43:16 | 日記

私たちは日常生活上に起っていることが
素晴らしい事ばかりであれば
それは過去における良い心の反映であるとして喜んでよいのであるが、
不幸な環境が現われた場合は
逆に過去の心の持ち方がよろしくなかったからである。
つまり“神の子”ならぬ心の在り方をしていた結果なのである。
私たちはいつも明るく楽しい現象状態を顕わすために
間断なく
神想観で実相を観るように
つとめる必要があるのである。
実相を顕わすことだけに専心すれば
よいのである。
現われている不幸と見える環境は
“実相の不在”を教えてくれる鏡であって、
現象世界も本当は見えないが“神の国”なのであり、
そのことに気がつく必要がある。
“神の心”を現わしていないから現象に不幸とみえる状態が現われているのであって、
本当は人間は“神の子”のつまり神の心を
もともと本体としていると気づくことで
根本的に問題を解決すべきなのである。
気づけば神想観が本物となる。
つまり実相独在を祈り出せるようになる。
(信仰の科学 谷口雅春 F.ホルムス 共著)
【われわれの住む世界はわれわれ自身の心の反映である、とは辛辣なる金言ではあるが、真実であるのである。もしわれわれが愛に取囲まれ、暖かな理解に取囲まれ、心地よき生活環境に取囲まれていて、大いに繁栄し、大いに成功している場合には、われわれは全てこうした善き境遇は自分自身の努力の結晶であると、喜んで考えようとするのである。しかし、これとは全く逆に不幸な境遇にある場合にも、それもわれわれ自身の心の反映であるという事実~つまり何とも承服し難き同僚のいることや、人の不深切に出会ったり、失敗を演じたりすることも、われわれ自身の内なる心の状態の反映であるという事実を納得することは一層はるかに難しいことなのである。生長の家の「智慧の言葉」には「境遇も環境も心の反映(かげ)」と書かれているのである。
 他の人の欠点を見つけたり、己れ自身を憐れんだりするのに時間をかける位なら、それよりも、われわれはすぐにも自分自身の心に働きかけて、心の奥底に隠れている摩擦の原因を除去すべく努めるべきなのである。もしあなたに敵と思われる人がいるならば、あなたは心の中に絶対、敵意を抱かぬようにせよ。「汝の敵を愛せよ。汝を憎む者に善を施し、汝を憎む者に善を施し、汝を侮りて利用する者のために祈れ」とイエスは説き給うたのである。】


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