現在のキリスト教会は
肉身のキリストを救い主と見ているみたいだ。
十字架にかかり
苦しむことで
人々の罪を引き受けてくれたのだ、と言う。
つまり肉体身の現象のイエス・キリストを
救い主とみているのだ。
でも生命の実相哲学は
肉体のイエスではなく、
神の言が宿っているロゴス(神の言)キリストを
イエス・キリストと見るのだ。
イエス・キリストは真理の代表者として、
つまり真理の啓示者として
十字架につけられたのであった。
キリストの十字架によって
私達は肉体の奥にある「神の言」が
万人に宿っている真理が分り、
肉体(物質)を抹殺すれば(物質ナシとすれば)
実相が顕われるということも
示されたのであった。
新約ヨハネ伝はそのことを記しているが、
ヨハネ伝を解釈する神学者たちは、
その本当のところに気づいていないみたいである。
肉身のキリストを救い主と見ているみたいだ。
十字架にかかり
苦しむことで
人々の罪を引き受けてくれたのだ、と言う。
つまり肉体身の現象のイエス・キリストを
救い主とみているのだ。
でも生命の実相哲学は
肉体のイエスではなく、
神の言が宿っているロゴス(神の言)キリストを
イエス・キリストと見るのだ。
イエス・キリストは真理の代表者として、
つまり真理の啓示者として
十字架につけられたのであった。
キリストの十字架によって
私達は肉体の奥にある「神の言」が
万人に宿っている真理が分り、
肉体(物質)を抹殺すれば(物質ナシとすれば)
実相が顕われるということも
示されたのであった。
新約ヨハネ伝はそのことを記しているが、
ヨハネ伝を解釈する神学者たちは、
その本当のところに気づいていないみたいである。