未来4月号から1年間、工房月旦を執筆しています。
担当は、さいとう・池田・大島・田中、各選歌欄です。
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工房月旦12月号 鈴木麦太朗
ほんにちひさな骨壺だつたゆふぐれは残
りの骨のゆくへを思ふ 藤田 正代
初句二句のモノローグと下句の思慮の間に
「ゆふぐれ」を置くことで、作者と「ゆふぐ
れ」とが混然一体となったような、不思議な
感覚が生まれている。
春の夜の闇に木目より生るる猫睦みて腹
を見せるものあり(卯月) 柏原 怜子
「木目より生るる猫」とは何とも奇怪であ
るが一連の歌は版画を見て作られたものと分
かれば納得がいく。斎藤茂吉の「地獄極楽図
」に通ずるものがあり面白く読んだ。
まだ蓑をまとはぬ虫の垂れ下がる父よ母
よと夜ごと鳴くらむ 上條 茜
ミノガが幼虫から蛹へと変態するところを
捉えた歌。下句の表現が秀逸。幼虫に仮託し
て作者の心情を描出したのかもしれない。
グラッと沸きそのまま火を止め十五分ど
んな日もある半熟卵 北野 幸子
「どんな日もある」がこの歌の肝であろう
。半熟卵のレシピのなかにこの七文字を差し
込む手際に感服した。
部屋中を探しさがしたシニアグラスあら
前髪に留めてあったわ 丸山さかえ
われら高齢者にはありがちな光景。下句の
工夫により諧謔味のある歌に仕上がった。
手の甲をすべらせ位置を確かめて目薬の
瓶を水平に置く 細沼三千代
枕元だろうか。見えにくい場所に目薬の瓶
を置いている場面だろう。ていねいな描写に
より情景がありありと伝わってきた。
病床の子規食べつくす蜜柑十個いかにも
食べそう旨かりしかな 秋本としこ
『仰臥漫録』を読むと子規の旺盛な食欲に
驚く。「蜜柑十個」という記述はあったかど
うか、定かではないが、あっても不思議はな
い。蜜柑を通して子規と心通わせたひととき
が歌に結実したのだろう。
人生は吾だけのものだ缶詰にされたトマ
トを鍋へと放つ 酒匂 瑞貴
初句二句の言挙げとその後の叙景により成
り立っている歌。前向きな言葉の裏にうっす
らと哀感が滲んでいるように感じられた。
おそらくは豆腐とわかめ 汁だけの味噌
汁をまたひと口と噛む 紺野ちあき
虫垂炎のため具入りの味噌汁を飲むことが
できない作者。早く固形物を食べられるよう
になりたいのだろう。具を想像したり噛んじ
ゃったりしているのが面白い。
兄姉もおとうと妹もう亡くてわたくしひ
とりお月見してる 江口マサミ
天体は亡きひとの魂に通じるものがある。
月を見ることで兄弟姉妹のことを偲ぶ感じは
よくわかる。
酔の字を入れられなくてごめんねと新し
い位牌に手を合わす 氏橋奈津子
故人が酒好きだったことが端的に伝わる。
仏教的には戒名に「酔」の字を入れるのは難
しそうではあるが……。
馬追虫と似ても似つかぬゴキブリの髭も
そよろに秋風に揺れ 赤木 恵
長塚節の「馬追虫の髭のそよろに来る秋は
まなこを閉ぢて想ひ見るべし」の本歌取り、
と言うよりパロディーと言った方がいいだろ
うか。ちょっと笑ってしまった。
おえつって仮名に開くとどう見ても吐い
てるよねとずっと笑った 西村 曜
たしかに仮名だと吐いてる感がある。結句
でバランスを取っているのが巧みだ。
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