上発地村から

標高934mぐらい日記

食の前段行為

2009年11月08日 | 独言
僕ら世代は子供の頃に飢えるということを経験していない。
好きなだけごはんを食べることができたし、おかずも豊富だった。
ただ、牛肉だけはものすごく高かったので、極稀に食べるビフテキ(牛肉のステーキ)が
ものすごくごちそうだったというのは覚えている。(かみさんもうなずいている)

とにかく食べ物がなくて空腹という状況はなかった。これはたくましく生きていくためには
ちょっと経験不足だったかもしれない。

しかし食べるために他の生物の命を奪う経験はしている。田んぼでイナゴを取り
足を引きちぎって、袋に入れ、生きたまま熱湯に入れる。かなりエグイ調理法だ  
最近はあんまり食べないが、子供の頃は秋のごちそうだった。
八ヶ岳の農大では、卵を産まなくなったニワトリ(廃鶏)をしめて、夕飯の
カレーの具材にしていた。羽根をすべてむしりとった時、ニワトリの死体が
食べ物に変わる瞬間だったなと今でもはっきり記憶している。

筆者 藤本敏夫は「食の前段行為」の大切さをしきりに説く。「食の前段行為」
とは「採取」「狩猟」「飼育」「栽培」の4つだ。「略奪」という手もあるが本書では対象外としている。
俺の遺伝子はかなり「栽培」に傾倒しているらしく、野菜栽培によってかなり
精神の調和が保たれているようだ。俺のライフスタイルは農業で生計は立てているものの
農的生活ではない。本書ではそこまで言及していないが、つまりは
俺がやっている農業は「栽培」の疑似体験に近いということになる。

生きるために作る作物の変わりに野菜を作りお金に変えて生活している。人を騙してお金を
振り込ませる商売よりは、はるかに農的といえるかもしれないが・・・

かみさんは子供の頃「豚の餌やり」という食の前段行為をしていたそうです。

今日の一冊 加藤登紀子(編) ”農的幸福論 藤本敏夫からの遺言” 家の光協会




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