11/27日放送の「若者のすべて」(原題「ロッコとその兄弟たち」)
この映画の背景は1955年頃のミラノとされている。ストーリーを単純化して言えば、イタリア南部の農村から大都会ミラノに移住してきた一家、男兄弟5人の青春物語なのだが、ヴィスコンティの描きたかったのはそれだけではあるまい。
彼は、戦後イタリアの苦悩する姿を見るにつけ、ヴィスコンティ家とイタリア史に思いを致さざるをえない、彼はこの映画をとることによって、自己のアイデンティテーを総括、再確立したかったに違いない。この映画はそういう深層の上に成り立っている。
ヴィスコンティ家はミラノで最も由緒ある貴族、昔の領主様の末裔。以下ミラノ小史。
なにせミラノは東西分裂後の西ローマ帝国の首都的存在、キリスト教司教座の地位も高いのだが(ミラノ勅令)、その後長らくランゴバルドの支配に屈しする。
やっとのことでその支配を脱すると、その後は神聖ローマ皇帝(ハプスブルグ家)や(その後はフランスも)の執拗な侵入に手を焼いてなかなか自立できない。
13世紀後半、大司教座の一族、ヴィスコンティ家がミラノの自主統治を確立し、
1395年、その「ジャン・ガレアッツオ」がミラノ公となり君主制となる。・・・相当な辣腕家で荒っぽい統治であったようであるが、ミラノ繁栄の基礎を築く・・・ドゥオモの建築を始めたので有名。
しかし次の代になると、傭兵隊を率いる「スフォルツァ家」が力をつけ、ヴィスコンティ家と縁戚を結び、やがてミラノ公の地位をとってかわる。ルネッサンス時代有名な「ルドヴィーヌ・イル・モーロ」はダ・ヴィンチの派のパトロンであったことで有名。現在ミラノの観光名所「スフォルツェスコ城」はヴィスコンティ・スフォルツァ両家が築いたもの。
要するに、ヴィスコンティ監督はこの末裔。
その後、宗教改革時代、ナポレオン時代も実にいろいろあって・・・1860年の国家統一も苦心惨憺、その後の世界大戦でもドイツやオーストリアに引っ張られ敵になったり味方になったり、挙句の果てはムッソリーニなどという独裁者を出し、戦後も社会主義政権が出来たりで・・・政情不安が続く。
そしてイタリアには有名な「南北問題」が存する。ナポリ以南はローマ帝国以来のやせた農地がそのままで、産業が育たず人々は食うに困ることはなはだしい。北の工業地帯、やがては自動車や化学工場そしてファッションを生み出すミラノ、トリノなどとの所得格差は現在でも大きな問題とされている。
以上を踏まえてこの映画を見ると、ヴィスコンティの一言、二言では言い表せない複雑な気持ち、ご先祖様の率いた土地で地を這うような人々の生活に対する感慨がほんの少しは迫れるかも知れない。
映画の中での印象的な言葉。「幸せな(平安な)家族を造るために、神様はいけにえを求める」と。ロッコ(アランドロン)の兄シモーネはそういう役割を背負ってこの世にうみ落とされたのだろうか。そういう屈折した「あきらめ」の気持ちはどういうところからくるのであろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます