映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

ダ・ヴィンチ・コードへの興味(6)テンプル騎士団

2006-05-27 20:24:52 | 講演資料レジメ

テンプル騎士団の実像

宗教騎士団は、なんとなく西欧崇拝気分が残っている一部の人で「かっこいい、高潔な」イメージを持っている人がいると思うが、惑わされてはならない。

これを日本流に言えば「僧兵」、あるいは後世の言葉で言えば(宗教色を抜いて)植民地の警護あるいは経営会社。構成員は騎士と言っても一部の貴族のお坊ちゃまとあとは俄仕立ての荒くれ者と考えていい。

テンプル騎士団は、1128年、第一次十字軍で奪い取ったパレスチナを「エルサレム王国」として管理運営すべく、「国王」となったシャンパーニュのボードワン2世が設立し、エルサレム神殿跡を本拠地として与えたことから権勢を奮うに至る。 要は聖地国家の常備軍として軍政に当たるとともに、西欧各地に所領を獲得し(教皇や国王からの寄進、同族諸侯からの相続や贈与)、現金輸送や銀行業務にも従事した。

聖地エルサレム消滅後はフランスに本部を移したが、独善的、身勝手な言動が目立つ。時あたかも(教皇の権威が地に落ち)フランスはカペー王朝の権力の伸展期。後に「美王」とあだ名されるフィリップ4世は、教皇を侮蔑、憤死させ(アナーニ事件)、三部会を組織して徴税を強化して軍事力を整え、ついにはテンプル騎士団を異端の疑いで解散させ、財産を没収する。(1312年)

十字軍を契機に設立された騎士団は、他に「ヨハネ騎士団」「ドイツ騎士団」。ヨハネ騎士団は、キプロス、ロードスと後退しながらも設立の趣意を呈してイスラム軍と戦い続け(塩野七生さんの「ロードス島攻防記」)、1530年にはマルタ島に移り「マルタ騎士団」と呼ばれて現代に至る。

後者のドイツ騎士団は、東部ヨーロッパを彷徨ったあと今のポーランド北部に根をはり、ついには後にドイツの主導権を握るプロイセン国家設立に繋がってゆく。

 いずれにしても、修道院とか騎士団とかは往々にして美化されて語られるが、一皮剥けばきれい事ばかりどころか、あまり表に出せないキリスト教の「掃除夫」の役割を果たしたことは間違いない。ダ・ヴィンチ・コ・ドの話は造りすぎだと思うが、火のないところに煙が立たないことも認めねばならない。 (参考「映画で楽しむ世界史」44章、50章、80章)

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