映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」

2010-12-26 18:45:35 | 舞台はギリシャ・イタリア

ベニスに死す」は、1912年ドイツの作家トーマス・マンが発表した同名の短編小説を映画化したもの。原作の主人公は小説家であるが、映画では音楽家に変えられていて、マーラーの交響曲など音楽がふんだんに使われ音楽好きの人にはこたえられない作品。

 

トーマス・マンの特徴は、ドイツ人らしい理屈っぽさ、芸術や精神がもたらす仕事の意味を常に問いただし、それと現実的な生き方との相関関係を確かめ、いわば「精神の意義」を掴み取ろうとするところにある。そうした姿勢は、芸術の世界に住む自身がなにか健康で平凡な「生」と相容れないものを感じることになるが、しかし芸術そのものが絶対的に存在するという芸術至上主義と相容れない。

 

 この映画は、心身ともに衰えを感じ始めた初老の音楽家が、まさにこうしたトーマス・マン的感傷・・・何事も冷静、自虐的に眺める態度におぼれ、それを挑発するような「理想美」を持った青年のとりこになってゆく姿を描ききる。屈折し沈んだ芸術家の心象を映像と音楽で表現しようとする、難しい映画。

 

この映画、小説の隠れた主役はベニス。極論すればベニスがあってこそ成り立つ芸術。ヨーロッパ人にとってベニスという都市は特別の存在、それは「海の女王」「アドリア海の真珠」といわれたこの都市の歴史に由来する。

ベニスの歴史はなんと言っても塩野七生さんの「海の都の物語」(中公文庫)に尽きる。歴史愛好家には必読書。ただしこの本は栄光のベニスに焦点を当てていて、そのベニスは、1797年のナポレオン軍のベニス占領、ベニス共和国の崩壊で「死す」。この本の最終話「ヴェネツィアの死」の通り。拙著「映画で楽しむ世界史」では第45章他。

 

 問題はその後のベニス・・・ナポレオン後のウイーン会議でオーストリアに編入されるが、やがて1866年普墺戦争の結果イタリアに帰属するのだが(映画「夏の嵐」)、もう全く往年のベニスではない。コロンブス以降、世界の中心は地中海世界から大西洋、太平洋の時代に移っている。ベニスはもはやヨーロッパ人の観光、あるいは「歓楽の都市」に成り下がっている。

分かりやすく言えばベニスは、陽気に楽しみ、安楽を求める人たちにとっては「歓楽の都市」(風紀を緩めたある意味での「男性天国」)。しかし少し陰鬱な、感傷に浸る人たちにとっては「死を感じる都市」。

その「死」はなにも、政治・経済的な盛衰だけを言うのではない。「水の都ベニス」は、絶えず大小様々な水路を整備補強し諸々の水、海水と川水と生活水の循環を健康に保たねばならない。このためのベニス人の「水の技術」やそのための政治は大変なもの・・・それが強いベニス海軍や独特の共和制を生み出した・・・再び塩野七生さんの本第一話「ヴェネツィア誕生」ほか。

 

更にはベニスは、アドリア海地中海経由の東方貿易の窓口。イスタンブールを経て絶えずアジア、中東の文物が流入する・・・人に伴って病原も入りやすい。水の循環が弱まり、伝染病菌が入り込めばどういうことになるのか、容易に想像できよう。事実ベニスは何度もコレラ、チフスなどの流行で大量の死者を出しているのである。

 

以上を踏まえて改めて「ベニスに死す」、マーラーの音楽をどう聴くかは・・・お任せします。

 

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