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一日一書 1706 寂然法門百首 54

2021-10-04 12:51:52 | 一日一書

 

吾唯有汝何棄吾去


 
振り捨て八重の潮路にかゝりなばひとりや老いの浪に沈まん
 

半紙

金文


 
【題出典】『止観輔行伝弘決』五・二


 
【題意】  吾れ唯だ汝のみ有り。何ぞ吾れを棄てて去る。

私にはあなたしかいない、どうして私を捨てて去ろうとするのか。

 
【歌の通釈】
私を振り捨てて、わが子が波立つ海に身を投げたら、私も独りで老いという波の下に沈んでいくのだろうか。


【考】
親子の別れの悲嘆を詠む。宝を採るために海に入ろうとする慈童女長者子は母に別れを告げる。その時の母の嘆きを詠んだもの。

【注】
慈童女長者子=すべての苦が自分に集まるよう悲願をおこし、死後兜率天に生まれた。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

 


▼「兜率天」は、「仏語。欲界の六欲天の第四天。須彌山の頂上二四万由旬の高所にある天で、歓楽に満たされており、天寿四千歳で、この天の一昼夜は人界の四百歳に当たるという。当来仏である彌勒菩薩が住するとされ、彌勒の浄土といわれる。兜率陀天。兜率。兜率界。都史多天。」(日本国語大辞典)

 

 

●「兜率天」は、宮沢賢治の有名な「永訣の朝」という詩の中にも出てきます。ただ、賢治は「兜率の天の食」を後に、「天上のアイスクリーム」に変更していますが、やはり「改悪」としか思えません。現行の多くの高校の教科書では、「兜率の天の食」を採用しているようです。

●慈童女長者子が求めた「宝」とは、もちろん金銭ではなく、「真実」といったものでしょう。

●文脈はまったく異なりますが、「棄てる」という言葉は、聖書での、イエスの最後の言葉といわれる、「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか。)」(マルコの福音書15-34)を思い起こさせます。宗教的真実への到達には、「棄てる」という過程は必須なのかもしれません。

 


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