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日本近代文学の森へ (200) 志賀直哉『暗夜行路』 87  お栄のこと  「後篇第三  三」 その1

2021-10-10 11:27:58 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (200) 志賀直哉『暗夜行路』 87  お栄のこと  「後篇第三  三」 その1

2021.10.10


 

 兄の信行からの手紙は、お栄のことだった。

 

 実は一昨日お栄さんから手紙が来て相談したい事があるから、上京の折り寄ってくれとの事で昨日行ってみた。
 お前も知ってるだろうがこの頃大森にはお才さんというお栄さんの従妹が来ている。お栄さんはお才さんの前身について余りいいたがらないが、察するにやはり身体(からだ)で商売をした人らしい。現在もはっきりした事は分らないが、何でも天津で料理屋をしているのだという事だ。料理屋といっても東京あたりの普通の料理屋とは異った性質のものだろうと思う。
 それでお栄さんのいう事は、本来ならば、お前との関係もお前にいい嫁さんが出来、ちゃんと、新しい家庭が作れた所で、身を退くのが本統とは思うが、今となれば本郷の父上の《おもわく》もあり、どうしたものかと実は迷っていたというのだ。これをいい出すとまたお前の気を悪くするかも知れないが、お栄さんとしたらもっともだと俺は考える。
 そこで今度十年ぶりとかでそのお才さんという人が帰って来て、出来る事なら自分の仕事をお栄さんにも手伝ってもらいたいというのだそうだ。勿論手助けだけではなく金の方が主なのだろうと思うが、何しろお栄さんの方もそれには大分乗気らしい。で、お栄さんはこういったからとて、前に話のあった本郷からの金を貰いたいとか、そういう気持は少しもないので、もしこの事にお前でも俺でもが、不賛成でないという事なら、幸(さいわい)お前も今度京都へ住むというし、この家を畳み、千何百円かの貯金を持ってお才さんと一緒に天津へ行きたいというのだ。まあ簡単にいえばこれだけの事だ。


 なんとも唐突な話の展開である。

 回りくどい言い方をしているが、要するに、元売春をして生活していた従妹が、今、天津でやはり売春もする「料理屋」をやっているが、金もないので、金の工面と同時に商売も手伝ってくれないかと持ちかけたわけだが、お栄も、それに「乗り気」だというのだ。

 謙作の実の父の妾として生活してきたお栄も、お才と同様に「体を売って」生きてきたのだとも言える。謙作との関係は肉体関係抜きのものだったが、今また、そういう世界に戻ろうということなのだ。このお栄の気持ちが分からない。「体を売る」ということへの抵抗感がないのだろうか。あるいはそうやって生きてきたので、諦めているのだろうか。

 謙作が、母とも慕い、そして結婚までも考えたことのあるお栄のこの気持ちに対して、謙作はどう反応しただろうか。


 謙作は読みながらちょっと異様な感じがした。お栄が天津へ行って料理屋をする、この事が如何にも突飛な気もし、ちょっと如何にも有り得そうな気もした。しかしそのお才という女がどんな女か、それにだまされるような事があっては馬鹿馬鹿しいと思った。
 とにかく、謙作にはその手紙に書かれた事は余りいい気がしなかった。自分とお栄との関係が今後どうなって行くか、それは彼にもはっきりした考はなかったが、こんなにして、二人が遠く別かれてしまい、交渉がなくなってしまうという事はやはり結局二人は赤の他人であったという──余りにそういう気のされる事で彼にはそれが淋しく感ぜられた。しかしどうすればいいか、その的(あて)もなかった。


 謙作の「感想」は、どこか他人事だ。

 天津に行って料理屋をやるということが、「突飛」ではあるが、「如何にも有り得そうな気」もするというのだ。お栄らしいや、ってことなのだろうか。とすれば、お栄が大げさにいえば再び「身を落とす」ことに対する同情がぜんぜんないことになる。

 結婚までしたいと思い詰めた相手が、「売春婦」になろうとしているのに、そのことを「あわれ」とも思わない。あるのは、「このまま離れるのは寂しい」という自分の感情だけだ。

 「なんとかしてやりたい」と本気で思わずに、「どうすればいいか、その的もなかった。」で、おわりだ。どうも、そっけない。謙作の頭は、今は、「美しい女」のことでいっぱいで、お栄のことなど真剣に考えている余裕はないということなのかもしれない。

 このことを、小説としての展開上からちょっと考えてみる。

 今、謙作は、ひとりの美しい女に一目惚れして、その女となんとか交渉をもちたいと考えている。できれば結婚したいと考えている。それは、今までの謙作の生活を根本から変える一大事だ。しかし、第一部からずっと引きずっている「お栄問題」にどう決着をつけるかというのが、この後の展開には大きな問題なのだ。そこで、お栄の「天津行き」を設定したのではなかろうか。とすれば「お栄」には、この小説の中でどのような意味があるのだろうか、という疑問が当然わいてくる。

 しかし、お栄は、この後にも登場してくるし、この問題は、意外に大きな意味を持っていそうなので、今は「疑問」にとどめておきたい。

 

 

 


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