『世界遺産にされて富士山は泣いている』、登山家の野口さんの(私は読んでないのですが)書かれた本です。(幾度もの)ヒマラヤ登頂と清掃活動で有名な野口さんですが、富士山でも15年前から清掃を行なっているそうです。(先日ニュースでも清掃しているところを拝見しました)その野口さんは、富士山を世界遺産にしようとしたことを後悔しているそうです。
今月1日富士山は、山梨側で山開きが行なわれました。公衆トイレのある静岡県側では、山開きが10日ということで、山梨県は山開き以降、2万5,000個の携帯トイレを登山者に配布するのだそうです。(以下、参照は『朝日新聞』)登頂者は近年30万人に上り、山小屋からは屎(し)尿が垂れ流されているそうです。5合目までに訪れる人は300万人で、「富士山の許容量を既に越えている」とのこと。
ユネスコからは、「神聖さ、美しさを保つ」ことを求められており、「今のまま登山者が増えれば、文化遺産としての価値が失われかねない」事態にあります。山梨県や静岡県など関係自治体は、マイカー制限の期間の大幅延長や任意の入山料(1,000円)の24時間徴収で、入山者の歯止めを掛けるとのことですが、野口さんによると、「観光客の増加を望む観光業者の利害と対立したり、自治体や環境省、文化庁など、複数の関係者が存在したりで(思惑や利害がちがうのでしょう)、改善策がなかなかまとまらない」そうです。
麓(ふもと)には以前から不法投棄が多く、(屎尿問題を含めた)環境問題を解決しなければ、世界遺産登録も取り消される可能性があるとのことです。(その方が良いかもしれません)ある山小屋の経営者は、雪山登山の危険さ、そして何より富士山の神聖さを保全しなければならないと強調されていましたが、夜通し登山する危険な「ダンガン登山」や、スリッパを履き、或いは半袖・短パン姿の中国人観光客をTVで観ましたが、登山をする最低限の装備とマナーすらない観光客もいるようです。
昨月発表された政府の新成長戦略には、(ニュースで年間来日外国人が1,000万人を超えたと言っていましたが)2030年度までに外国人観光客を3倍の3,000万人超えにするとの数値目標を盛り込んだそうです。益々、富士山は、日本人及び外国人の観光客という名の兵士の「軍靴」に踏み拉(しだ)かれてしまいます。(過日も書きましたが)富士山が糞尿で溢れかえることだけは避けて欲しいと願っています。(ゴミは勿論)携帯トイレを利用して、全て持ち帰って戴きたいと思うのです。(野口さんの言われるように)「富士山は泣いている」のです・・・
P.S. 私は農家なので、屎尿は立派な有機物で肥料になる「資源」だと思っています。麓に堆肥を作る施設を造って、全て堆肥化して利用すれば良いと思います。当然、麓から登頂される全ての登山者は、携帯トイレに全ての屎尿を保管して、麓まで持ち帰るようにすべきです。それができる方だけが、登頂が許可されるようにすべきだと思います。(この世の中のシステムは全てそうですが)観光客が落とす「お金」を目当てに、富士山を蹂躙すべきではないと思うのです・・・
P.S.2 私は観光旅行というものをしたことがありません。修学旅行は小中高と3度行きましたが、成人してからは(新婚)旅行すら一度もありません。そして、「観光」だけはする積もりも、したくもないのです。何故なら、その土地土地には、固有の歴史があって、人々の暮らしがあり、生活があります。その雰囲気や風土を乱すようなことはしたくないのです。また土地土地には、生きてきた人々の(恨み、つらみ、悲しみなどの余り良くない)思いや念も篭っています。戦火に散っていた膨大な人々の屍も眠っています。そうしたものと対峙する勇気も元気も(私には)ありません。正直、怖いのです。(申し訳ないのですが)そうした「怨念」というものと係わり合いになりたくもありませんし、歴史をまるごと受け止めるキャパシティーもありません。隙だらけの私にそのような危険なことができるとも思えないのです・・・
P.S.3 神聖な富士山で(大小)便をすることは、人のお宅に土足で上がりこんで、座敷の畳の上に用を足すのと同じことか、それ以上の失礼なことのように感じます。「観光」というものは、人の家の中を眺め回し、人の台所でご飯を食べ、人の家の子女の「奉仕」すら求めます。お金を払えば立派な「お客様」なのだから許される、というのがこの世のシステムです。私は嫌です。自分の家に他人が入って来るのも、自分の家の台所で他人が食事しているのも、自分の妻子が他人に「奉仕」するのも。また、「店」という名の「奉仕」(サービス)を提供する場所にもしたくはありません。そのような「奉仕」(サービス)でお金を戴くのも嫌なのです。(馬鹿げたことをと笑って戴ければあり難いです)就職はこの身を売ることと、一度も面接すら受けられなかった社会「不適応者」の戯言(たわごと)です。どうぞ、捨て置いて下さい・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年7月3日)
今月1日富士山は、山梨側で山開きが行なわれました。公衆トイレのある静岡県側では、山開きが10日ということで、山梨県は山開き以降、2万5,000個の携帯トイレを登山者に配布するのだそうです。(以下、参照は『朝日新聞』)登頂者は近年30万人に上り、山小屋からは屎(し)尿が垂れ流されているそうです。5合目までに訪れる人は300万人で、「富士山の許容量を既に越えている」とのこと。
ユネスコからは、「神聖さ、美しさを保つ」ことを求められており、「今のまま登山者が増えれば、文化遺産としての価値が失われかねない」事態にあります。山梨県や静岡県など関係自治体は、マイカー制限の期間の大幅延長や任意の入山料(1,000円)の24時間徴収で、入山者の歯止めを掛けるとのことですが、野口さんによると、「観光客の増加を望む観光業者の利害と対立したり、自治体や環境省、文化庁など、複数の関係者が存在したりで(思惑や利害がちがうのでしょう)、改善策がなかなかまとまらない」そうです。
麓(ふもと)には以前から不法投棄が多く、(屎尿問題を含めた)環境問題を解決しなければ、世界遺産登録も取り消される可能性があるとのことです。(その方が良いかもしれません)ある山小屋の経営者は、雪山登山の危険さ、そして何より富士山の神聖さを保全しなければならないと強調されていましたが、夜通し登山する危険な「ダンガン登山」や、スリッパを履き、或いは半袖・短パン姿の中国人観光客をTVで観ましたが、登山をする最低限の装備とマナーすらない観光客もいるようです。
昨月発表された政府の新成長戦略には、(ニュースで年間来日外国人が1,000万人を超えたと言っていましたが)2030年度までに外国人観光客を3倍の3,000万人超えにするとの数値目標を盛り込んだそうです。益々、富士山は、日本人及び外国人の観光客という名の兵士の「軍靴」に踏み拉(しだ)かれてしまいます。(過日も書きましたが)富士山が糞尿で溢れかえることだけは避けて欲しいと願っています。(ゴミは勿論)携帯トイレを利用して、全て持ち帰って戴きたいと思うのです。(野口さんの言われるように)「富士山は泣いている」のです・・・
P.S. 私は農家なので、屎尿は立派な有機物で肥料になる「資源」だと思っています。麓に堆肥を作る施設を造って、全て堆肥化して利用すれば良いと思います。当然、麓から登頂される全ての登山者は、携帯トイレに全ての屎尿を保管して、麓まで持ち帰るようにすべきです。それができる方だけが、登頂が許可されるようにすべきだと思います。(この世の中のシステムは全てそうですが)観光客が落とす「お金」を目当てに、富士山を蹂躙すべきではないと思うのです・・・
P.S.2 私は観光旅行というものをしたことがありません。修学旅行は小中高と3度行きましたが、成人してからは(新婚)旅行すら一度もありません。そして、「観光」だけはする積もりも、したくもないのです。何故なら、その土地土地には、固有の歴史があって、人々の暮らしがあり、生活があります。その雰囲気や風土を乱すようなことはしたくないのです。また土地土地には、生きてきた人々の(恨み、つらみ、悲しみなどの余り良くない)思いや念も篭っています。戦火に散っていた膨大な人々の屍も眠っています。そうしたものと対峙する勇気も元気も(私には)ありません。正直、怖いのです。(申し訳ないのですが)そうした「怨念」というものと係わり合いになりたくもありませんし、歴史をまるごと受け止めるキャパシティーもありません。隙だらけの私にそのような危険なことができるとも思えないのです・・・
P.S.3 神聖な富士山で(大小)便をすることは、人のお宅に土足で上がりこんで、座敷の畳の上に用を足すのと同じことか、それ以上の失礼なことのように感じます。「観光」というものは、人の家の中を眺め回し、人の台所でご飯を食べ、人の家の子女の「奉仕」すら求めます。お金を払えば立派な「お客様」なのだから許される、というのがこの世のシステムです。私は嫌です。自分の家に他人が入って来るのも、自分の家の台所で他人が食事しているのも、自分の妻子が他人に「奉仕」するのも。また、「店」という名の「奉仕」(サービス)を提供する場所にもしたくはありません。そのような「奉仕」(サービス)でお金を戴くのも嫌なのです。(馬鹿げたことをと笑って戴ければあり難いです)就職はこの身を売ることと、一度も面接すら受けられなかった社会「不適応者」の戯言(たわごと)です。どうぞ、捨て置いて下さい・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年7月3日)