プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

都路地区「放射線管理区域」での生活

2014-05-31 10:48:56 | 日記
「私からすれば、ここは放射線の管理区域みたいなもんだ」田村市都路地区から同市内の船引町に避難している(先日ご紹介した)男性(65歳)が、都路地区の自宅に一時帰宅した昨年に発した言葉です。(以下。参照・引用は『朝日新聞』)(ご存知のように)「管理区域」は原発作業員が防護服を着て仕事をするエリアのことで、年間被曝5,2mSv以上の区域で、同男性の家の裏山側はこれに匹敵する線量です。(ちなみに、一般人の場合は、1mSv以上)

 同男性親子は都路でシイタケ栽培用の原木を共有林で育て、農閑期に原発で働いていたとのことです。(仕事なら)それで「飯を喰ってきたんだから仕方がない」と。「しかし生活圏となれば話は違う。田植えの時も線量をつけ、防護服を着てやれというのか」除染も徹底しないまま帰還を促す国の態度に納得がいかないと。

 同じく都路地区でシイタケ農家を営んでいた男性は、原発事故でシイタケ4トン、(原木の)ほだ木5万本が汚染され、「泣く泣く捨て」ています。そして「自分の目で真実を見に行こう」と事故後27年のチェルノブイリ原発へ視察をされています。バスで原発の近くを通りかかると、線量計は毎時10μSvを振り切って計測不能に。隣国ベラルーシ、ゴメリ州にある森林汚染の研究施設を訪ねると、「野生のキノコはまだ食べられないものもある」と。四半世紀以上経っても、森はなかなか元には戻らない現実を見ておられます。

 地元のリンゴ農家を訪ねると、空間線量は毎時0,03μSv、田村市よりずっと低いのですが、「ゴメリから出て行く食べ物は買わないほうがいいと考えるベラルーシ人は多い」とのこと。勿論これは、「風評被害」などではなく「実害」です。本来なら、賠償されるべき損失です。同男性は「いままで山と一緒に生きてきた人間に、このまま(都路に)帰ってどうしろってんだ」と憤っておられます。山が汚染されたままじゃ、原木シイタケ農家らにとっては、都路は「帰還困難区域」だと。本当にそう思います・・・

P.S. 政府が(昨年末)避難指示解除を見込み、解除後1年以内の帰還者への「早期帰還賠償」を盛り込んだ「復興加速指針」を閣議決定した樽葉町は、「(帰還に)最低限必要な環境は整いつつある」(松本町長)として、(条件が整わない場合は延期もあり得るとしながらも)来春を目標として帰還を目指すとのことです。住民や町議会には、町内に放射線量が高い所が残っていることや家屋が荒廃していること、避難指示が解除されると、解除後1年で慰謝料が打ち切れられることなどから、早期帰還には慎重な意見が多いそうです。避難されている地域の方々は、農業をされていた方が多いと聞いていますが、作物や生き物を飼えない状況で、帰還して一体何をやれというのでしょうか?・・・

P.S.2 福島県相馬郡医師会は、原発事故後に鼻血の症状を訴える人は増えていないとする調査発表をしました。(調査した)52機関の内、鼻血で受診した人が増えたと答えたのは3機関だけだったとのことです。3機関においても、被曝で発症する血小板減少性紫斑症の患者はいなかったとのことです。また、2011年度から13年度にかけて、(記されていないので何処か分かりませんが)4市町村の住民、のべ3万2,000人余りが受けた健康診断でも。事故前に比べて鼻血が出るようになったと答えた人はいなかったそうです。私は実際に、被曝後の体調不良を「ジュノーの会」のKさんに相談して、治療を受けた親子の方にお会いしましたから、こうした「事例」がないなどというのは間違いだと確信しています。鼻血やだるさ、記憶の低下など、原発作業員の「もやもや病」なども、被曝による体調不良だと思います。(上記の)被曝で発症する「血小板減少性紫斑症」なども、放射性物質からの放射線の影響で免疫力が落ちて発症するものでしょうから、あれだけ膨大な放射性物質が放出されて、たった一人の人も影響を受けていないなんて考えられません。(実際には)鼻血で病院に行く人は少ないかもしれませんし、行っても、(特に西洋医学の知識しかない)病院や医師には、患者さんの苦しみを掬い取る力量も気持ちもないと思っています。嘘とまでは言いませんが、事実を見ることができていない、としか言いようがありません・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月31日)

「解除」ありきの都路地区の「意見交換会」

2014-05-29 10:17:21 | 日記
 4月から避難指示が解除された田村市の都路地区、その解除前に行なわれた国・市と住民の「意見交換会」(昨年の10月14日)では、(以前少し紹介しましたが)被曝を心配する生々しい住民の方々の声が挙がっています。しかし政府は、住民の声を聞くどころか、無理やり避難指示を解除して、「復興」を印象付けようとしていたのが分かります。(以下、参照・引用は「プロメテウスの罠」より)

 「意見交換会」の冒頭で、田村市の冨塚市長はいきなり、「後戻りすることは絶対にあってはならない。解除は11月1日が最も望ましい」と「宣告」しています。何故、避難指示を解除しないことが「後戻り」なのか、「絶対にあってはならない」ことなのか?何故、未だ線量が高い中、「最も望ましい」時期なのか?住民の方々でなくても、納得はできません。

100以上の参加住民の中、お子さんが3人いる男性(36歳)は、「いきなり解除と言われても、うちら若い世代は不安なんです。まず住民一人一人の意見をしっかり聞くべきじゃないですか?」と。 別の住民の方は、「除染をしても放射線量は高い。本当に子どもが生活できますか?」また別の住民の方は「山の除染や住宅地の再除染はどうするのか?このままで解除はのめない」と。早期解除に反対する声は止まず、質疑応答は3時間近くに及んだとのことです。

結果国と市は、小中学校が2014年度から元の都路の場所に戻るのに合わせて、14年4月の「解除」を目標とするとして会を終了させています。このやり方に、(上記の)男性は、「解除ありきで強引に話が進められる。納得できるわけがない」と。意見の交換ではなく、政府と市が決めた方針を住民に飲ませるための会に過ぎないのです。被曝の影響を心配する住民の方々の怒りは当然だと思います。

 同男性には娘さんがいて、学校が都路に戻るに際して、一度は「転校」を考えますが、「友達と別れたくない」との思いを酌んで、仮設住宅から都路の学校へ通うことにします。同小学校に新年度から通うとしたのは75人中66人(9人は転校したということでしょう)、その中で都路に戻って通う児童は28人、避難先から通う児童は38人とのことです。同男性の避難先は学校から25キロ(一番遠く)、スクールバスで1時間の道のり、お子さんは早起きして、また帰りは一番遅くになります。(友達と一緒に勉強できることはとても良いことですが)被曝の不安もあり、本当なら(親としては)転校させたかったと思うのですが。未だ汚染が残る場所に、強引に学校を戻して、(それこそ)子どもを人質にとるような政府や市のやり方に、強い憤りを感じます。

 一方、避難指示解除で都路地区にご夫婦で帰還した男性(65歳)、家の裏側に向けて線量計を向けて、「ほら、まだこんなにある」と。線量は0.73μSv/毎時。「とてもじゃないが、子どもたちを連れて戻るわけにはいかない」と。先程の(36歳)男性のお父さんです。息子が孫を連れて戻らないことを、「その方がいい。若い夫婦や子どもにとっては体が心配だ」と。同親子は、原発での配電設備の仕事に携ってきたのですが、「原発作業員でもない一般の住民が、線量計をぶら下げながら生活するなんて・・・」と。早く帰還する住民に1人90万円の賠償金上乗せした政府のやり方は、結局、金を積んで住民を早く帰還させ、形ばかりの帰還を急ごうということじゃないのかとの疑念が募ります。「なし崩しの解除では、あとに続く地域にも響きかねないのだが」(65歳)男性の懸念に同感です・・・

P.S. (報道によると)「圧力が掛かっていると言えば、いろんな方向から圧力が掛かっていると思います。中立性、透明性、独立性を堅持していくことが大事だと思っています」原子力規制委員会の田中委員長は、今回の規制委員の人事案に政治的圧力が掛かったか、という質問にこう答えています。自らの私的機関に「答申」を出させ、自分の意思を国の意思のように突きつけてくる。人事をいじり自分の思う政策を推進する、これまでの安倍首相のやり方は一貫しています。非常に強引で、独断的です。(独裁者には必要ないももかも知りませんが)彼の思考には「苦悩」と「逡巡」がありません。(感情に訴えかけてくる)「感傷」はりますが、本当の「痛み」に寄り添う「慈悲」が感じられないのです・・・

P.S.2 「吉田調書」について田中委員長は参院原子力問題特別委員会で、「(吉田調書を反映した)報告書を踏まえて、新しい規制基準を作成した」として、自分で「吉田調書」を読む意思はないと答弁しました。メルトダウンが進行する原発を置いて9割の所員が逃げたと言う事実、ではどのような対策をこうじるのか、過酷事故を誰が対処するのかを真剣に論議しなければいけません。そのような重大な「事実」が欠落した「報告書」など踏まえても、まともに機能する規制基準など作れるはずもありません。これまで、同「調書」を閲覧した政府関係者は原子力規制庁の職員2人だけだそうです。(職員が読んでいれば、それを踏まえた「報告書」を受け取っているなら、同「調書」の存在を知らないはずがないのですが)勿論、政治家には公開されていません。菅元首相、(期待はしていませんが)「公開」の道を開いて戴けると有り難いのですが・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月29日)

3号機のメルトダウンの原因

2014-05-28 09:16:05 | 日記
 「吉田調書」(或いはテレビ会議録)から、福島第1原発3号機のメルトダウンの原因と考えられる経緯が分かりました。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

3月12日夜、官邸にいた東電の武黒フェローから1号機への海水注入の中止要請があるも、(要請を無視し)吉田元所長は海水注入を継続。(正しい判断だったと思います)13日午前5時42分、3号機の淡水の入ったタンクが空との報告、吉田元所長は海水注入を決断。(これも正しい決断だと思います)しかし、6時43分に官邸に詰めていた東電社員から電話。(途中で官邸の誰かに代わる)原子炉を痛める海水注入は極力避け、真水や濾過水を使用するよう要請される。

 (海水を注入し続けた)前日とは違い、吉田元所長は「官邸から電話があって、(海水注入ではなく)何とかしろという話があったんで、頑張れるだけ水を手配しながらやりましょう」と、淡水を注入し続ける。(これが判断の誤りの端緒)午前9時13分、福島オフサイトセンターにいた東電の武藤副社長が、「もう海水を考えないといけないんじゃないの」と海水注入への切り替えを進言、しかし吉田元所長は淡水注入を継続。(2度目の判断ミス)

 午後12時18分、吉田元所長は「あの、もう、水がさ、なくなったから」と海水注入を指示。(この時点では遅きに失している)吉田元所長は、海水への切り替えが10分程度で終わると思っていたが(知識不足か、作業が手間取ったのかは分かりませんが)、実際に海水注入が始まったのは午後1時11分。この間(約1時間)3号機は冷却できない状態で過熱、メルトダウンへ進行することになります。

 吉田元所長は、この淡水注入を要請した電話の相手2人を、「私の記憶は全く欠落していたので、・・・そこは可能性だけの話」だとして、東電幹部と保安院の幹部の名前を挙げていますが、断定を避けています。いずれにしても原発の過酷事故に直面しながら、経済的、経営的な理由から廃炉を避けたい東電や保安院の意向(要請)と、その要請を断り切れなかった吉田元所長の決断のミスが、3号機のメルトダウンの大きな要因となり、原因だったと言わざるを得ません。3号機もまた、メルトダウンを避けることができたのだと思うと、慙愧に耐えません・・・

P.S. 吉田元所長は、1号機では海水注入中止の要請を断り、「私は海水もやむを得ずというのが腹にずっとありますから、最初から海水だろうと、当初言っていたと思います」と聴取でも答えています。その姿勢を貫くことができていればと残念で仕方がありません。吉田氏の判断ミス、決断の誤りだけを追求し個人的に責任を負わせる積もりはありません。しかし(情報を全て出した上で)事故原因を総合的に追及し、役職や立場に応じて責任をとるのは当然のことだと思います。そして、そうしたミスや過酷事故を招来させた東電そのものの「経済優先」、「安全軽視」の体質や、過酷事故は起きないとの「神話」を完全に絶つ(変える)ことが大事なことだと思います。しかしながら、その両方とも、有耶無耶(うやむや)なままのように思います。何も変わってはいないと。それでは、多大なる犠牲を払わされた人々は、報われないと思うのです・・・

P.S.2 菅元首相が、「調書」の公開を政府に求めましたが、「行政機関以外に見せるのは難しい」と国会議員への公開を拒否しています。国政調査権を使って、是非とも「調書」の内容を開示して、国民に知らせて戴きたいと思います。事故原因を解明するには(テレビ会議録もそうですが)、「吉田調書」を始めとする「聴取書」は、どうしても必要な「証拠」だと思います。全面開示して戴きたいと思います・・・

P.S.3 (報道によると)「地下水バイパス」の(12ある)汲み上げ井戸の1つから、26日に汲み上げた地下水から放出基準を上回る1ℓ当たり1,700ベクレルのトリチウムを検出、東電は汲み上げを中止し、調査を行っています。(以前の)タンクからの汚染水流出の影響でしょうか・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月28日)

自主避難者への「賠償金仮払い」決定

2014-05-27 07:12:22 | 日記
 原発事故後、家族と京都市内に自主避難している男性が起こした損害賠償請求訴訟、京都地裁は月40万円の仮払いを命じる「決定」を出しました。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 福島県内(場所は掲載されていません)に住む男性は、原発事故後の3月中旬に金沢市に避難し、同5月には京都市に移っています。所謂、「自主避難者」の方です。事故前は会社を経営していた男性は、事故による影響で心的外傷後ストレス障害(PTSD)になったと診断され、昨年5月には、「就労不能」に伴う損害賠償請求(約1億3,000万円)を東電に求める訴訟を提起し、現在係争中です。

しかし、就労できない状況で裁判を続けるのは「生活を維持できない」として、昨年12月に月60万円の仮払いを求める仮処分を申し立てていました。同「決定」では、「(原発)事故と自主避難の損害の因果関係は、事案ごとに判断するべき」だとし、事故が原因でPTSDになったと認定、男性が避難前に得ていた所得などを考慮し、今年5月から1年間、月40万円(計480万円)を支払うよう命じました。

代理人の弁護士は、「生活に困窮している(自主)避難者にとって、生活資金を確保しながら、東電との訴訟を闘う道筋を開いたとして、同「命令」を評価しています。只東電は、原子力損害賠償紛争審査会の「指針」には、自主避難した人への就労不能損害が損害項目に挙げられていないとして、争っています。私自身は(何度も書いてきましたが)「避難指示」があろうとなかろうと、原発事故によって汚染した地域から避難した人への賠償は、分け隔てなく認められるべきだと思っています。「自主避難」した人々への損害賠償請求がどこまで認められるか、本件の判決が注目されます・・・

P.S. (報道によると)政府は、政府事故調査委員会が聞き取りをした、原発事故関係者772人の調書について、全員に改めて意思を確認し、同意が得られたものは公開する方針を固めたとのことです。しかし、「吉田調書」については吉田氏本人が、「公表することを望みません。記憶の混同等によって事実を誤認している部分もあるのではないか」と、「上申書」に記していることから、本人の意向を踏まえて公開しないと政府は主張しています。

P.S.2 しかしこの「上申書」は、(当時吉田氏が大腸がんに罹って体調が悪く聴取に応じられなかったので)国会事故調査委員会が政府事故調に対して「吉田調書」を提出するように求めた際に、吉田氏が政府事故調に提出したものですが、吉田氏は政府事故調から、「お話戴いた言葉は、ほぼそのままの形で公にされる可能性がある」と通告され、(吉田氏が)「結構でございます」と即答したことが(上申書にでしょうか)記録されているそうです。望みはしませんが、公表されても「結構」です、これが故吉田氏の「意思」ではないでしょうか?公表すべきだと思います・・・

P.S.3 自民党の原子力規制に関するPTと環境部会は、これら「聴取書」の閲覧を求める方針で、PT座長の塩崎政調会長代理は、「二度とああいう悲惨な事故が起きないようにするためにも、できる限り国民に還元すべき」だとしています。「できる限りではなく」、分け隔てのない、「差別」(しゃべつ)のない開示・公開をして戴きたいと思います・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月27日)

原発事故が生んだ「実害」と「風評被害」のシステム

2014-05-26 11:01:27 | 日記
 福島県は、「美味しんぼ」の「福島の真実」編に対して、「本県への風評被害を助長するもので、断固容認できない」と批判しました。風評被害の歴史に詳しい東京大学の関谷准教授によると、風評被害とは、報道などによって「『安全』とされるものを人々が危険視し、消費や観光などを止めることで起きる経済的被害」で、例えば「ある食品が安全でないと判断されれば。それによる経済的被害は『実害』」なのだそうです。つまり、安全でないものが、安全でないとの(真実の)「噂」や報道で経済的な損害を受けても、それは「実害」であって、損害を与えた者が賠償する責任が生じるものです。放射性物質による汚染によって、作物が売れなくなれば、それは「実害」で、事故を起こした東電が賠償すべきものです。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 同氏はまた、「原子力損害賠償法では、安全が損なわれた事例(実害)には賠償が想定されていたが、(*被曝や放射能汚染した食物など実は安全ではないのに)安全だとされる事例には賠償が想定されていなかった」(*は私の加筆です)、「(*原発、或いは低線量被曝は)安全だという認定をしたまま、実在する(*実害を受けた)被害者を救済する手段として、風評被害という枠組みは形作られてきた」、「そうしなければ、原子力行政を維持できなかったから」なのだそうです。原発は本当は危ないのに「安全」だとしてきた「嘘」を維持する為に、「風評(被害)」というシステムが必要だったというわけです。

 実は危険でも、「安全を」主張するために、低線量被曝にも同じ「風評」が付きまといます。映画監督の相田氏は、「鼻血の原因を虚心に探求するのが科学的態度。科学の名の下に、『低線量被曝で鼻血が出るわけがない』と主張するのは乱暴ではないか」と訴えられています。同氏は、水俣病と有機水銀との関連(因果関係)が否定され続け、被害が広がった歴史を念頭に語られています。現在の福島や他の放射能汚染され地域の住民は、低線量被曝を余儀なくされながら生活をしているわけで、それを「安全」だとするために、政府や自治体は「風評(被害)」というシステムを持ち出して、危険ではないかとの主張を押し潰そうとしているように思います。

 私は、被曝による鼻血やだるさなどは「実害」だと思っています。甲状腺がんも「実害」だと思います。今後出てくるであろう様々な疾患も「実害」です。草や昆虫、野鳥など、生物の遺伝子異常や環境破壊も「実害」です。決して「風評(被害)」などではありません。水俣やアスベストなどのように、「危険」なのに住み続ける、(魚介類など)食べ続ける、(便利だから、安いから)使い続けることで、どれだけの「被害(実害)」が拡大したことでしょうか?「被害(実害)」が生じており、さらに広がることを知っていながら、それを「安全」だとし、「風評(被害)」だと切り捨ててきた歴史があるのです。放射能汚染と低線量被曝、今度も同じ道を辿るのでしょうか?・・・

P.S. 昨年の10月、田村市都路地区の避難住民と国・市との意見交換会があり、国の担当者が配った資料には、「年間の積算放射線量が20mSv以下となることが確実」との文言があったそうです。原発作業員として住民男性は、「原発での作業よりも高い許容値の中で暮らせというのか」と感想を述べています。また、「子どもの生活環境を中心とする除染作業が十分に進展」との文言も。しかし国の除染後も家の周辺には年間5mSv前後の地点が何ヶ所もあり、宅地でも同レベルの場所が点在しているとのことです。子どもを持つお母さんは、「こんな状態で自由に遊ばせるなんてできない。子どもの生活環境は、学校までの1本道だけじゃないんだから」と話されています。しかし国の担当者は、「子どもへの健康影響があるかというと、今の科学的知見では問題ない」と住民に対して述べています。「問題ない」のではなく、問題を見つけられないほど現時点の科学技術は未熟なだけだと思います。その程度の「知見」でしかないということだと思うのです・・・

P.S.2 「100mSv以下なら心配ない」、「微量でも被曝すれば危ないというのは間違い」、これは長崎大教授の山下氏の言葉です。しかし同氏は、2008年の日本臨床内科医学会で、「主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被曝すると、10~100mSvの間で発癌が起こり得るというリスクを否定できません」と述べています。つまり、10mSv以上の被曝は「過剰な被曝」であり。癌発症のリスクがあるということです。この「二枚舌」について同氏は、「一般向けの場合、不安を招かぬよう配慮が必要になる」と答えています。「不安」ではなく、癌発症という「実害」のリスクがあるのです。そのようなご「配慮」は、逆に実害を「招き」、拡大させるのです。その罪は重いと思います・・・

P.S.3 「いくらもがいても、泣いても、原発から出てしまった放射能には勝てません。悔しさで胸が張り裂けそうな毎日を送っています」と語られるのは、飯舘村から伊達市の仮設住宅で避難生活を送る(78歳)女性です。飯舘村では酪農をされていたその女性は、「罪作りだよ、放射能は。自然を生かした村づくりがやっと軌道に乗ってきたときに・・・」と。そして、「放射能への思いは、人それぞれ違う。だから、自分で情報を集めて自分で判断して生きかたを決める。それしかないって私は思っている」と。重いお言葉です・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月26日)

放射性物質によるオオジュリンの遺伝子異常

2014-05-24 09:45:51 | 日記
 オオジュリンという小型の渡り鳥に、2011年の秋頃から尾羽が虫食い状に欠けていたり長さが不ぞろいなど、放射性物質の影響と思われる遺伝子異常が現れています。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

山階鳥類研究所の調査チームによる調査で、2011年10月24日に新潟で最初に異常が確認され、東北から九州の14都県17地点で緊急調査を実施、結果、全ての調査地で異常を確認、2012年3月までに調べた5,541羽の内、13,8%にあたる767羽に同様の異常が見つかっています。しかも、異常を持つ鳥の97,3%は2011年に生まれた幼鳥だったとのことです。(多分、原発事故後の春から夏に生まれた個体だと思われます)

同研究所の副所長によると、虫食い状の部分に寄生生物に食べられた形跡はなく、全調査地で一斉に栄養不足に陥るとは考えにくく、また既知の感染症の症状とも合致しないことから、「鳥の体内で、何らかの理由で遺伝子やホルモン分泌などに異常が起こり、羽の発生や発育段階で誤った信号が送られているのかもしれない」と分析、(データは集計中ですが)2012年、13年も異常がある鳥の割合は減っていないそうで、甲状腺異常や放射性物質の影響が考えられるとのことです。
 
 これまでも、(世代交代が1ヶ月の)ヤマトシジミに、触覚の長さや形、色や模様がおかしいものや、足が短いなどの異常(奇形)が観察され、汚染した植物を幼虫に与えると、異常個体が生まれており、(結果)放射能で汚染された地域では、鳥類や昆虫が減少し、植物の葉の先端が縮んだりいびつな形になるなど、植物や昆虫、鳥など(世代交代の早い)生物の遺伝子の異常が確認されています。

 放射性物質の影響は(世代交代の長い)人間には、生存中の疾患として現れます。(これも既にご紹介していますが)イラクのファルージャの病院では、肛門がない、外反足、脳瘤、心臓が体外に出ている、或いは口唇裂、口蓋裂、多指症候群など様々な先天性異常が増加しており(その発生率は日本の70倍)、異常を持って生まれた新生児は、30分以内に亡くなっています。また、ドイツのコーブレイン博士は、チェルノブイリ事故後、(当時の)西ドイツで、早期新生児の死亡率が急増していることを報告、福島でも原発事故の2ヶ月後の5月には、100人中7人の赤ちゃんが亡くなり、死亡率が上昇し(約3倍になって)います。

 (先日の報道では)今年3月までに甲状腺検査を受けた約30万人の子どもたちで、甲状腺がんとの診断が確定した子どもが50人に上る(前回発表時より17人増加)ということでした。専門家の会議では(期間的なものを考えると)「事故の影響とは考えにくい」と、全く同じ説明を繰り返していますが、(私も同じ主張を繰り返しますが)チェルノブイリ原発事故後、1年以内の甲状腺がんの発症の例があること、事故から2年目に思春期の少年に甲状腺がんが発症していること(福島でも発症しています)、事故時に放出された放射性ヨウ素がチェルノブイリより多かったことなどを勘案すると、原発事故による放射性物質の影響だと思うのです・・・

P.S. (これも以前書きましたが)チェルノブイリから約2,000キロ離れたフランス領コルシカ島では、子どもだけでなく大人にも甲状腺がんが増加しています。また、甲状腺がんだけでなく、甲状腺の機能が低下する「橋本病」や悪性リンパ腫、白血病なども高率で発症しています。その影響は、事故から28年経った現在も続いているのです。賛否両論ある「美味しんぼ」の「福島の真実」編最終和では、「福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気を持って欲しい」、「福島の未来は日本の未来だ。これからの日本を考えるのに、まず福島が前提となる」とし、「福島を出たいという人たちに対して、全力を挙げて協力すること」、そして「真実を語るしかない」とあります。(様々な事情やお気持ちはお察ししますが)私も殆ど同じ考えです。作中にも登場した双葉町の井戸川前町長も会見で、「私は、鼻血は放射能の影響だと思っています」とはっきりと述べられていました。(残念ですが)私もそう考えています・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月24日)

「吉田エラー」と本店の無作為

2014-05-23 09:21:16 | 日記
 福島第1原発を統括・指揮する役割を担っていた(故)吉田所長が、原発の緊急時に作動するICのシステムに関して十分な知識がなかったことや、思い込みから水素爆発の可能性を認識していなかったことが、「吉田調書」から明らかになりました。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 福島第1原発1号機は、3月11日の午後3時37分には全交流電源が喪失し、緊急時に作動する冷却システム(高い所から重力で注水する)ICが作動、運転を継続させるには冷却水を補給する必要がありました。同日夜、中央制御室の運転員がICの機能低下に気付き、冷却水不足を疑って(吉田所長のいる)緊急時対策室へ報告、軽油で動くポンプを使って冷却水をICに補給するように促しました。報告を受けた情報班は、「ICタンクの水がなくなる」とのメモを残しています。

しかし吉田所長は、ICへの冷却水の補給は命じず、軽油で動くポンプで原子炉に水を注入する準備をするように指示しました。「吉田調書」には、「ICそのもののコントロールの仕方は殆ど分かりません」、「ICというのは特殊なシステムで、はっきり私も良く分かりません」とあり、吉田所長はICが作動したのはこの20年間で今回の事故が初めてだと証言、また「訓練、検査も含めICの作動を長年にわたって経験した者は発電所内にはいなかった」と話しています。結局、(検査を含め)ICの知識も(作動させた)経験もなかったことが、1号機の冷却が停止し、メルトダウンに至った「原因」だったことになります。

 さらに吉田所長は、「中操(中央制御室)との意思疎通ができていなかった」と証言しています。緊急時対策室にいた吉田所長に、ポンプで冷却水を入れるよう中央制御室からの正しい「進言」があったわけで、その進言を聞いていたならば(分からなければ説明を受けるなどしていれば)ICは作動し続け、1号機は冷却できていたことになります。このことに関して吉田所長はまた、「サジェスチョン(助言)というものは本店から一切なかった」とも証言しています。(テレビ会議で情報は伝わっているはずですから)東電(本店)の緊急時における対応の拙さが、事故を拡大させた「原因」なのだと思います。

 また吉田所長は、もう1つ致命的な「エラー」をしています。1号機は12日に水素爆発を起こしましたが、水素が建屋に溜っていることに関して吉田所長は、水素を抜く装置が稼働していると勘違いしており、「水素が溜まっているという発想になかなか切り替えられなかった」と述べています。水素を抜く装置あったのも「初耳」ですが、稼働すらしていなかったとなると、これもまた、水素爆発を招いたのは、余りにも初歩的な「ヒューマン・エラー」だということになります。でも、原発の専門家は所長1人ではないですし、他に専門知識を持った所員も、本店にも技術者がいるでしょうし、何故水素爆発を防げなかったのか、その原因をもっと詳(つまび)らかにして戴きたいと思うのです・・・
 
P.S. 吉田所長がICの冷却水がなく、機能していないことを理解するのは、放射線量の上昇の報告を聞いた11日の午後10時ごろだったとのことです。しかし、1号機はもう既に午後6時の時点で炉心が損傷、その2時間後の8時にはメルトダウンが始まっています。吉田所長の極めて単純なエラー、そして東電(本店)の支援体制のなさが、防げたはずの過酷事故を起こしてしまったように思います・・・

P.S.2 このところ「吉田調書」のお陰で非常に重大な問題点やエラーが明らかになってきていますが、自民党の原子力規制に関するプロジェクト・チーム(PT)は、「聴取結果書」(いわゆる「吉田調書」)について、国政調査権も視野に、政府に閲覧を求める方針を決めたそうです。事務局長の吉野議員は、「(事故は)二度と起こしたくないが、事故は必ず起きる。PTで、リスクをどれだけ軽減するかの役割を果たす。調書を見て、最初の対応が同だったのか検討したい」と訴えています。また、菅官房長官は昨日、開示はしないとの方針ながらも、「もし遺族から違う形の申し出があれば当然(開示を)考えるべき」だと述べていますが、「吉田調書」は膨大な被害をもたらした原発過酷事故の極めて重大な「証言」なのであって、その「開示」云々をご遺族の「意思」に負わせるようなものではありません。政府に隠蔽する意図がないのなら、きちんと開示して検証し、教訓とすべきものだと思うのです・・・

P.S.3 やはり(もし原発を稼働させるとして)、1原発1基としなければ、一旦全電源喪失から過酷事故が起きた場合、対処のしようがないと思います。身の危険が迫る中、冷静かつ適切な対応ができるのかは甚だ疑問です。(まあ、私も逃げると思いますが)9割もの所員が暴走する原発を4基も置いて逃げ出すことを、今後の過酷事故では「想定」しなければいけません。繰り返しますが、メルトダウン・ドミノを経験した唯一の国として、1原発には1基しか稼働できないという甚だしい犠牲を経て得た「教訓」を、せめて(規制上の)「ルール」とすべきではないでしょうか・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月23日)

大飯原発「運転差止」判決

2014-05-22 09:36:25 | 日記
 大飯原発3,4号機の運転差止を求めた訴訟で、福井地裁は、大飯原発から250キロ圏内に影響を及ぼし得る危険な原発を運転してはならない、との運転を差し止める判決を出しました。以下、判決要旨をご紹介します。(参照・引用は『朝日新聞』)

 判決は、「生命を守り生活を維持するという、人格権の根幹部分に対する具体的な侵害の怖れがあるときは、侵害行為の差し止めを請求できる」、「福島第1原発事故では15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、避難の過程で少なくとも入院患者ら60人が命を失っている」、「さらに、原子力委員会(近藤)委員長が福島第1原発から250キロ圏内の住民に避難勧告する可能性を検討していた」として、原発事故の甚大さと使用済燃料の危険性が人格権を侵害し得るとしています。

そしてその原発の「稼働は、憲法上は人格権の中核部分より劣位に置かれるべきもの」で、「この根源的な権利が、極めて広く奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故」であり、「このような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は・・・少なくともそのような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然」で、「原子力発電技術の危険性の本質(本質的に危険であるということ)と、それがもたらす被害の大きさは、福島(第1)原発事故で明らかに」なり、「(大飯)原発でそのような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるかが(裁判における)判断の対象とされるべきもので、福島(第1)原発事故(が起きた)後(に)、この判断を避けるのは、裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しい」としました。

また、「700ガルを超える地震が到来した場合を想定し、それに応じた対策を順次とっていけば、1,260ガルを超える地震が来ない限り大事故に至ることはない」との関電の主張に関して、「大飯原発に1,260ガルを超える地震は来ないとの、確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能」で、実際「我が国で記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震での4,022ガルで、1,260ガルという値はこれをはるかに下回る。1,260ガルを超える地震は大飯原発に渡来する危険がある」としました。

 さらに、「そもそも700ガルを超える地震が到来することはまず考えられない」との関電の主張に対しては、「現に全国で4つの原発に5回にわたり、想定した地震動を超える地震が、2005年以後10年足らずの間に到来している事実を重視すべき」、「地震大国日本で、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しに過ぎない」と関電の主張を一蹴しました。

 また使用済燃料プールについて、「使用済燃料は、格納容器の外の使用済燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれ、本数は1,000本を超える。プールから放射性物質が漏れたとき、発電所敷地外部への放出を防ぐ格納容器のような堅固な設備は存在しない」、「(大飯原発の)プールでは、全電源喪失から3日を経ずに冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにも拘わらず、3日を経ずして危機的状況に陥る。そのようなものが、いわばむき出しに近い状態になっている」と原発そのもの欠陥を指摘、「(大飯)原発の安全技術及び設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ちうる脆弱なもの」だと、その安全性を全否定しました。

 また関電が主張する(原発による)電力の安定供給やコスト低減に関しては、「多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されない」と断罪し、「たとえ(大飯)原発の運転停止で多額の貿易赤字が出るとしても、(関電の主張する)国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とその国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失」だと断言しました。

 さらに(原発が)CO2削減に寄与して環境面で優れているとの主張には、「ひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじい。福島(第1)原発事故は我が国始まって以来の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原発の運転継続の根拠とするのは甚だしい筋違い」だと指弾、よって「大飯原発から250キロ圏内に居住する者は、本件原発の運転で直接的に人格権が侵害される具体的な危険性があり、(運転停止の)請求を認めるべきである」と結論付けました。至極まっとうな判決だと思います・・・

P.S. 福井地裁判決は、関電の全ての主張に根拠がないことを、非常に平明な論理で反駁(ばく)しています。評価のできる立派な判決だと思います。只、地裁レベルではこうした判決が出ても、上級審で覆されてきた原発裁判の歴史を見ると、正直、喜べも楽観もできません。たとえ裁判で(最終的に)勝てたとしても、(菅官房長官の談話にもあるように)国が原発を維持する方針を変えるとは思えません。それでも、特に「基準地震動」に関する判断は、原子力規制委員会の審理審理終了までに、これまで以上の時間を要する等の影響を与えるのではないかと思います。現在、同訴訟を含めて、30件の原発裁判が行われており、今後の裁判をみていくしかないと思うのです・・・

P.S.2 「家族の離散や劣悪な避難生活の中、命を縮めたことは想像に難くない」と同判決は、避難及び避難生活で亡くなられた方々に言及、少なくとも60人の方がなくなったと「認定」しています。現実的に有用な避難計画が立てられないのが原発事故です。同判決では、「全電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余り、炉心損傷からメルトダウン開始までの時間も2時間もない」と対策の困難さを指摘、また対策を取る為には「いかなる事象が起きているかを把握できていることが前提になるが、その把握自体が困難だ」としています。逃げずに残った1割の所員が、圧力や水位すら「把握」できない免震棟に逃げ込んでいた状況を考えると、(勿論命を捨てて掛かれば可能ですが)一旦過酷事故が起きれば対処などできないというのが本当ではないかと思うのです・・・

P.S.3 唯一明るい話題として、「地下水バイパス」が昨日開始されました。4月中に汲み上げていた約560トンの処理済みの汚染水を海へ放出したとのことです。東電の放出(自主)基準は、セシウム134が1ℓ当たり1ベクレル、ベータ線を出す放射性物質全体で5ベクレルだそうです。食品ですらもっと高い基準ですから、仕方がないのかもしれません。只、抜本的な地下水対策とはならず、流入する地下水の減少量は、1日20~100トン程度だということです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月22日)

ドライベントと情報統制

2014-05-21 10:24:06 | 日記
 「吉田調書」から、福島第1原発の3号機で2011年3月14日、(水に通すウエットベントの100~1000倍の)放射性物質を放出する「ドライベント」を、住民に知らせない「情報統制」を敷いたまま実行しようとしていた事実が明らかになりました。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 事の経緯は、14日未明注入する水がなくなり3号機内の圧力は急上昇、東電は(圧力抑制室を通す)ウエットベントで格納容器の圧力を下げようとしましたが下がらず、6時23分にドライベントの実施を検討始め、6時52分にはベントを実施した場合の放射性物質の拡散を予測、国(当時の原子力安全・保安院は)7時49分、3号機の原子炉の圧力上昇について報道機関に発表してはならないとの「情報統制」を東電(と福島県)に通告しました。その後8時30分には、2度目の拡散予測を実施。再びウエットベントの操作をしている11時1分、3号機建屋は水素爆発を起こします。

 「吉田調書」では、「爆発してしまって何か圧力が下がってしまった」とあり、人為的なドライベントではなく、偶発的な爆発によって圧力が下がっています。人為的なドライベントを実施する場合、危険性を住民に周知する責任が発生しますが、奇しくも爆発が起こり、多くの住民が放出した莫大な放射性物質によって大量の被曝をすることになります。ちなみに、1度目の拡散予測では、放射性ヨウ素が南南東の風に乗って北北西方向に広がり、3時間で福島県北部の相馬郡付近で250mSvの被曝と予測されており、安定ヨウ素剤を飲用すべき(当時の国の基準)100mSvを裕に超えた値です。

事故後東電は、ベントが遅れたのは避難のための住民へ周知に時間が掛かったためと、説明していたと記憶しています。正直、(当時は)腑に落ちなかったのですが、周知どころか、圧力上昇も、ウエットベントをしたことも、ドライベントをするしかない状況だったことも「報道統制」され国民には隠されていたのです。福島県は住民に周知したいと報道発表を国に要請していますが、原子力安全・保安院は、「絶対にダメだ」と返事をしています。水素爆発による「ベント」(排出)と「情報統制」で、「真実」は闇の中に隠れてしまいましたが、「吉田調書」がそれを再び光の下に浮かび上がらせてくれました。

 この「吉田調書」について原子力規制委員会の田中委員長は、「読んでいない。知らない」と述べています。事故の経緯や対応をする最も重要な事実を記録した同「調書」を(本当かどうか分かりませんが)知らないまま、ベントの実施に関する要件や住民への周知、避難などのルールが決められるわけがありません。「新基準」は「世界一厳しい」どころか、非常に重大な欠陥があると言わざるを得ません。菅官房長官は、(亡くなった吉田所長が望んでいなかったとの理由で)同「調書」を開示しない方針ですが、(当時も私は何度も書いたと思いますが)これでは「真実」が永遠に闇の中に眠ってしまいます。新潟県の泉田知事は、「事故の検証の為にも(同「調書」を)公表すべき」と語りました。小野寺防衛相も、「内容が事実であれば明らかにしなければならない」と述べています。果たして、(逮捕者すら出かねない)同「調書」は、公表されるのでしょうか・・・

P.S. 企業統治に詳しい久保弁護士は、「ドライベントのような重大な決断は、検討段階から住民に知らせるべきだ。深刻な事態では、企業は住民に対する安全保護義務を負っている」と指摘されています。フランには、原発の事故や避難に関する情報など「情報公開法」が制定されています。知らされていれば、情報があれば自らの判断で避難することもできたはずです。既に14日の午前には、非常に正確な放射性物質の拡散予測がなされていたのです。それが住民には一切知らされず隠蔽されていたのです。そして(本来なら)不必要な被曝を余儀なくされてしまったのです・・・

P.S.2 もし本当に原発を再稼動するというのなら、全ての情報を全て開示し、福島第1原発事故の徹底検証を行ない、その「教訓」を生かした「新基準」を作るべきです。全世界に、(空と海から)莫大な量の放射性物質を撒き散らした過酷事故を起こした国として、本当に「世界一厳しい」基準を作るべきです。上記の「情報公開法」も制定すべきです。ベントの実施ルールも作るべきです。泉田知事は、「(ベントに)どういう性能を持たせるかは、避難計画とセットだ」として、住民が安全に避難できる計画と(ベントとの)整合性を持たせない限りは、ベントは実施できないと明記するよう東電に求めています。「道理」ではないでしょうか?・・・

P.S.3 東電の「事故時操作手順書」ではベントの要件として、「格納容器の圧力が最高使用圧力の2倍」または「温度が200度」に達した場合に、緊急時対策本部長(発電所所長)の最終判断で実施することになっているそうです。只、その際には、周辺住民の避難情報を確認することが必要で、国や自治体等の関係機関と最大限に情報を共有しながら、実施について調整してく」とのことです。しかし、緊急時に、1企業がこうしたことをやれるでしょうか?原発過酷事故について言えば、最早1企業の能力を超えていると思います。勿論、現場の所員や自治体と協力はしても、何より国が最も重い責任をもって、実働部隊を派遣し、事故に対応すべきだと思います。実際に、福島第1原発事故では、職員の9割が所長の「命令」を無視して逃げています。やはり、原発事故に特化した(事故対応の訓練を重ねた)「特殊科学班」といった部隊がなければ、事故には対処し切れないと思うのです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月21日)

隠蔽された「吉田調書」

2014-05-20 10:00:40 | 日記
 震災から4日後の3月15日、福島第1原発所員の9割に当たる約650人が、当時の吉田所長の「待機命令」を無視して福島第2原発に撤退していたという事実が発覚しました。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 事実が発覚したのは、(当時の)政府事故調査委員会が故吉田所長に聴取した内容を記録した「吉田調書」が出てきたからです。当時の経緯は、25日の未明から2号機の炉内圧力が上昇を続け、午前6時に衝撃音があり、圧力抑制室の圧力がゼロに、吉田所長は「ブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高い」としながらも、構内や緊急時対策室の放射線量が殆ど上昇していないことから、格納容器は壊れていないと判断し、「第2原発への撤退ではなく」、「高線量の場所から一時退避し、すぐに戻れる第1原発構内(かその付近に)待機」するよう社内のテレビ会議で命令しています。

そして、「構内の比較的線量の低い場所で退避」、「その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」、待機場所としては、「(原発敷地内の)南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と指定しています。しかし9割もの所員は、その命令を無視し、バスや自家用車で福島第2原発まで撤退、その中には、事故対応を指示するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員もいたとのことです。GMら幹部社員の撤退は、過酷事故発生時に、原子炉の運転や制御を支援する役職で、東電の内規に違反する可能性があるとのことです。

東電が2012年に(部分)開示したテレビ会議の録画には、緊急時対策室で、吉田所長の命令を聞く大勢の所員が映っており、その中には幹部社員の姿もあります。しかしこの場面には音声がなく、東電は(そんなはずはないのですが)「録音していなかった」と発表しています。また東電自らが出した「事故調査報告書」では、吉田所長が一部退避を決断し、清水社長が確認・了承し、約650人が第2原発へ退避したとの公式見解を示しており、吉田所長が、すぐに戻れる第1原発構内で一時退避して待機するよう命じたことは同「報告書」に記載せず、「命令違反」の撤退を隠蔽するための工作を行なっています。

 過酷事故が進行する中、命令を無視して9割の所員が逃げ出し、残ったのは僅か69人の所員で、その残り1割の所員も、原子炉を運転・制御する中央制御室ではなく、免震重要棟2階の緊急時対策室に集まっており、圧力や水位など原子炉の状態すら監視できない状態だったとのことで、事故に対して対処するどころか、原子炉の状況すら確認できていなかったということだったようです。バッテリーの手当てなど、「初動」から対応が後手後手となり、適切に対処していれば防げていたはずの過酷事故が、こうした拙い対応によって拡大して行ったと言わざるを得ません。

 政府事故調査委員会の畑村元委員長は、「外に出すべきものは報告書にみんな入れたつもり」、「報告書に載せたこと以外は口外しない」と答えています。つまり、外に出すべきではない、つまり東電にとって都合の悪いこと、上記の9割もの所員が待機命令違反を起こして逃げていたといった事実は、「報告書」には載せなかったということです。最も重大な事実を隠蔽したままの「報告書」に、何の意味があるというのでしょうか?

 「吉田調書」は計13回、29時間16分にも及ぶ聴取を記録したもので、A4判で400ページを超えるそうです。事故対応を検証するには重大な証拠です。全てを公開するべきです。またテレビ会議の録画も(ボイスレコーダーのように事故を検証する為の)重大な証拠であって、事故を起こした会社が保持すべきものではなく、全て公開されるべきものだと思います。事故の経緯や対応を漏らさず見なければ、事故の教訓など生まれるはずがありません。こうした事実を隠蔽し、検証すら行なえないまま、再び原発を動かすなど、あり得ないと思うのです・・・
 
P.S. 結局、事故に対して何も対応されないまま、15日の午前8時25分には2号機から白いもや状のものが噴出、9時には原発正門付近で1万1,930μSvの最高値を記録されています。さらに9時38分には4号機で火災発生、10時22分には3号機付近で毎時400mSvを観測、所員が戻り始めたのは昼頃になってからだったそうです。何も手を打たなかった時間が長過ぎます。初動の悪さ、その後の対応の拙さと撤退、前日の14日には2号機の炉心損傷が疑われていますから、既に14日には、殆どの所員が過酷事故が進行する原発を置いて「逃げる」つもりだったのではないかと思います。韓国のフェリー事故と構図は同じです。原発を運転するという「自覚」すらなく、過酷事故時には命懸けで対応するという「意思」すらなかったということだと思います。そういう方々に、危険な原発を稼働させる資格などないと思うのです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月20日)