政府は2012年3月暫定基準値(1キロ当たり500ベクレル)を超える1,600ベクレルのセシウムを検出したとして、宮城県丸森町で生産される(露地栽培の)原木シイタケの出荷停止を県知事に指示しています。(現在も出荷停止状態です)*出荷停止までの1年間、シイタケは出荷され、消費されていたわけです。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)
その(原発から55キロ離れた)丸森町小斎(こさい)に移り住み、農薬や化学肥料を使わず、また耕すこともしない「不耕起自然農」を始められ、「安全な野菜」を首都圏の顧客に直送させていた北村夫妻は、原発事故後政府や県に対して放射線量を測ってくれるよう何度も申し入れていますが、なかなか動いてはくれませんでした。当時福島県内では、農作物の出荷停止が相次いでいましたが、(福島県と隣接する)丸森町の露地栽培野菜のデータはなく、同ご夫婦は福島県でのデータに基づいて出荷を停止されています。*当然かつ賢明なご判断だと思います
政府が「原子力損害の範囲判定に関する中間指針」で、宮城県の風評被害を(風評ではなく実害だと思いますが)認定したのは11年8月、しかし賠償は牛肉と肉用牛が対象で農作物は対象外でした。その後、農作物の「風評被害」(でなく実害)が認定されたのは13年1月、事故から2年近くも経ってからです。
実は東電は、事故が起きた3月に遡り、丸森町の子どもと妊婦に精神的損害への賠償金を支払っています。しかし、農作物に関しては、「風評被害」が認められた(11年)8月から(しかも請求額の半分)しか認めようとしません。しかも、再度の請求にも「放射能汚染を懸念し、北村様自らのご判断により、野菜の出荷および作付けを断念されていることから、賠償金をお支払いする合理的な理由が確認できません」として、ご夫婦の損害賠償請求を拒否しています。
自分たちが求めた事故直後からの損害賠償が認められれば、他の農家でも賠償が認められる、その「突破口」になればとの思いで、現在は原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てをしておられます。現在は売り上げ4分の1になってしまったとのことですが、奥様のみどりさんは、「安全性を届けることに誇りを感じていた。手塩に掛けて育ててきた農作物が、ちょっとでも喜ばれないものになってしまったことが、なんともつらい」のだと。「できることなら、畑の土を事故前に戻して欲しい。それはできない相談だろうから、損害賠償を求めているんです。(*お金ではなく)被害の重大さを認識してもらうために」本当にそうだと思います・・・(*は私の追記です)
P.S. 丸森町の筆甫地区の住民組織事務局長で(「線量マップ」を作った)吉沢さんは、「線量を明らかにしないと、県内で放射能の問題がなかなか議論にならない」、「県全体からみるとごく一部の話かもしれないが、筆甫に住む住民としては、大きな問題なのです」と話されています。しかし結局、丸森町の農作物は調査対象とならず、村井宮城県知事は、「安全が確認された。健康には影響がないので、ご安心戴きたい」と記者会見で述べています・・・
P.S.2 その吉沢さん(37歳)に、(出荷どころか)住民が「安心して野菜が食べられない」との相談を受け、町の農林課に問い合わせると、「筆甫の野菜は測っていない」、「もし筆甫の野菜を測って高い線量が出てしまったら、もう町では対処できない。だから測っていないんだ」と言われたそうです。その時吉沢さんは、町には頼れないんだとはっきりと自覚されたそうです。そして、遣り取りを続ける気力を失い、受話器を置いたそうです・・・
P.S.3 私も「不耕起自然農」に憧れ福岡正信さんの本や、他にも何冊も耕さずに土を肥やせないかとか考えながら、本を読んだり、調べたりしていた時期がありますが、最終的には蓮華を鋤き込んで少しづつ化学肥料を減らし、農作散布を少なくしながら、無農薬でもやれることが分かりました。安全な物を食べたい、食べてもらいたいという思いがあるから、やってこられたと思います。上記の皆さんも、皆さんそうだと思います。お気持ちは痛いほど分かるのです。気力を失いかけるのも当然だと思います。本当に大変な状況でお苦しいことと思います。(本当に何もできませんが)そのお気持ちを、少しでも汲み取ることができれば良いのですが・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年6月26日)
その(原発から55キロ離れた)丸森町小斎(こさい)に移り住み、農薬や化学肥料を使わず、また耕すこともしない「不耕起自然農」を始められ、「安全な野菜」を首都圏の顧客に直送させていた北村夫妻は、原発事故後政府や県に対して放射線量を測ってくれるよう何度も申し入れていますが、なかなか動いてはくれませんでした。当時福島県内では、農作物の出荷停止が相次いでいましたが、(福島県と隣接する)丸森町の露地栽培野菜のデータはなく、同ご夫婦は福島県でのデータに基づいて出荷を停止されています。*当然かつ賢明なご判断だと思います
政府が「原子力損害の範囲判定に関する中間指針」で、宮城県の風評被害を(風評ではなく実害だと思いますが)認定したのは11年8月、しかし賠償は牛肉と肉用牛が対象で農作物は対象外でした。その後、農作物の「風評被害」(でなく実害)が認定されたのは13年1月、事故から2年近くも経ってからです。
実は東電は、事故が起きた3月に遡り、丸森町の子どもと妊婦に精神的損害への賠償金を支払っています。しかし、農作物に関しては、「風評被害」が認められた(11年)8月から(しかも請求額の半分)しか認めようとしません。しかも、再度の請求にも「放射能汚染を懸念し、北村様自らのご判断により、野菜の出荷および作付けを断念されていることから、賠償金をお支払いする合理的な理由が確認できません」として、ご夫婦の損害賠償請求を拒否しています。
自分たちが求めた事故直後からの損害賠償が認められれば、他の農家でも賠償が認められる、その「突破口」になればとの思いで、現在は原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てをしておられます。現在は売り上げ4分の1になってしまったとのことですが、奥様のみどりさんは、「安全性を届けることに誇りを感じていた。手塩に掛けて育ててきた農作物が、ちょっとでも喜ばれないものになってしまったことが、なんともつらい」のだと。「できることなら、畑の土を事故前に戻して欲しい。それはできない相談だろうから、損害賠償を求めているんです。(*お金ではなく)被害の重大さを認識してもらうために」本当にそうだと思います・・・(*は私の追記です)
P.S. 丸森町の筆甫地区の住民組織事務局長で(「線量マップ」を作った)吉沢さんは、「線量を明らかにしないと、県内で放射能の問題がなかなか議論にならない」、「県全体からみるとごく一部の話かもしれないが、筆甫に住む住民としては、大きな問題なのです」と話されています。しかし結局、丸森町の農作物は調査対象とならず、村井宮城県知事は、「安全が確認された。健康には影響がないので、ご安心戴きたい」と記者会見で述べています・・・
P.S.2 その吉沢さん(37歳)に、(出荷どころか)住民が「安心して野菜が食べられない」との相談を受け、町の農林課に問い合わせると、「筆甫の野菜は測っていない」、「もし筆甫の野菜を測って高い線量が出てしまったら、もう町では対処できない。だから測っていないんだ」と言われたそうです。その時吉沢さんは、町には頼れないんだとはっきりと自覚されたそうです。そして、遣り取りを続ける気力を失い、受話器を置いたそうです・・・
P.S.3 私も「不耕起自然農」に憧れ福岡正信さんの本や、他にも何冊も耕さずに土を肥やせないかとか考えながら、本を読んだり、調べたりしていた時期がありますが、最終的には蓮華を鋤き込んで少しづつ化学肥料を減らし、農作散布を少なくしながら、無農薬でもやれることが分かりました。安全な物を食べたい、食べてもらいたいという思いがあるから、やってこられたと思います。上記の皆さんも、皆さんそうだと思います。お気持ちは痛いほど分かるのです。気力を失いかけるのも当然だと思います。本当に大変な状況でお苦しいことと思います。(本当に何もできませんが)そのお気持ちを、少しでも汲み取ることができれば良いのですが・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年6月26日)